マインドフルネス日記

瞑想と平均化訓練を通じて、マインドフルネスを目指す

心の中のブロック

2017年05月14日 13時53分40秒 | 2017年の記録
二十代前半の頃、興味深い経験をした。

生命の危険だとか瞑想のような特異な状況ではなく、日常の中の話だが、自分が一番苦手としてる状況に追い詰められてどうしようもなくなったのだ。

極度に追い詰められたせいで、普段とはかけ離れた精神状態になっていたのだろう。心の中の苦手感がかつてないほどありありと感じられた。思わず目をつぶると、目の前が金色に輝いていた。

普段の自分が、全てこれから逃げることを基盤に成り立っているのがわかった。ここを越えれば全てが一気に変わると直感したが、その逃げの姿勢=今のまでの人生でもあって、手放すのは自分自身を手放すことと感じて、途方もなく恐ろしかった。

結局、その状況はなんとか切り抜けたのだが、本当は越えて先に進めなかった後悔が残った。

だが、あの心理状態を再現する方法もわからないし、またそうなっても同じ事を繰り返すだろうから意味がないとも思った。

それにある種の神秘体験なので、こだわるのは不健全な気がして、深くこだわらないようにして長い間わすれてしまっていた。

その後何年かたってから瞑想をはじめて、目の前が明るくなるのは意識が活性化すれば起こるありふれた生理現象だとわかり、あの経験は神秘現象では無いとわかった。

また、全てが一気に変わるというのも、「全て」にこだわらず、少しづつ変化していく方法もあるかな、とも思い始めた。

実際、振り返ると、あれほど劇的ではないけど、部分的にブロックから解放されたことが何度かあった。

父に毅然とノーを言ったり、カウンセリングにいったり、舞踏の稽古をしたり、様々な局面で、自分らしく生き生きとした感覚が垣間見えることがあった。

それを凝縮、集中させるとあの体験のように神秘体験めくのだろう。

ただ、瞑想と平均化訓練によって、普段の生活のベースの感覚が底上げされたと言うか、抑圧はあるけどそれがだいぶゆるくなってきたのは日々感じる。

この前、仕事の帰りに疲労回復のためマインドフルに歩いていたら、どんどん身体が楽になって、昂揚とか躁状態ではなくて、ごく自然に身体の深いところからあの生き生きとした「やってやろうじゃん」みたいな感覚が何年ぶり湧き上がってきて驚いた。

観念と身体の偏りを落としていって、マインドフルネスを実践していけば、神秘体験的な要素抜きで、心の深いところから自分らしく生き生きとした感覚が取り戻せる、はずというのが今の自分の考え方。一気に達成できない、またはその状態を維持はできなくても毎日少しづつ近づいていくことはできるはず。
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