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男系天皇制か女系天皇制か──皇室典範に関する有識者会議をめぐる議論

2005年12月06日 | ニュース・現実評論

皇室典範に関する有識者会議での答申が小泉首相に提出され、そこでの結論が、女性天皇と女系天皇を肯定したものであったことから、天皇制の伝統を破壊するものであるといった批判的な意見が出て来ている。それと同時に、一方で、男女同権の現代の時代の趨勢に合致して賛成だといった意見に至るまで、さまざまな議論が出ているようである。

しかし、天皇制についての本質的な、理性的な、あるいは同じことであるが哲学的な論証に基づく議論はあまり多くないように思われる。

天皇制の問題の考察には、国家の概念が前提になるし、それを前提にしない議論は、必然性の証明や論証のない軽佻浮薄なものにならざるを得ないと思う。

国家の本質からいえば、君主制は必然的に出てくるものであるし、また、そうであるなら君主の本質からいってもっとも妥当であるのは、男系による天皇制以外にはありえないということになるだろう。ここでは、その具体的な論証をおこなう余裕はないが、国家にとって君主制が必然的であるとするならば、その君主は必然的に男系でなければならないのである。君主制の本来の概念とはそういうものである。日本の歴史がそれを実証してきた。それは、哲学的に論理的に絶対的であって、それ以外にありえないものである。それは国家の概念から必然的に出てくるものであるから。

だから、男系は「男女同権」の現代思想に合致しないからとか、皇室の安定性を図るためには、長子や女子の継承が認められなければなければならないといった議論は、すべて本末転倒した本質を見ない議論であると言わざるを得ない。

天皇制の議論の本質は、国家の秩序の問題から論じる必要があり、この秩序が国民の福祉に絶対的に不可欠なものであるという要請からくるものである。だから、この観点を外した、皇室典範に関する議論は誤ったものにならざるを得ないと思う。

今回の有識者会議の議論は、やはり拙速に過ぎると思う。議論の内容は、少数意見か多数意見かといった数量的に「民主的」に決せられるべき事柄ではなく、その判断が真理であるかどうか、その判断の質だけが問題にされるべきものであるから。もっと時間をかけて、そして有識者の選抜そのものにも、もっと議論を深めるべきであると思う。

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