7月に生涯最後のロンドン公演を行うと発表した、マイケル・ジャクソンさん=現地時間09年3月5日、ロンドン
【ニューヨーク=松尾理也】神童からスーパースターに駆け上がり、世界中を熱狂に巻き込んだかと思うと、奇行に走り、刑事被告人として法廷に立つ。そして突然の死。「キング・オブ・ポップ」と称賛され、音楽の世界にとどまらない影響を米国社会に与えたマイケル・ジャクソンさんは、あまりに複雑で矛盾に満ちた印象を残したまま、唐突に人生の幕を閉じた。
1980年代に音楽を「見せる」テレビとして一世を風靡(ふうび)したMTVが、81年の設立後しばらく、少数の例外を除いて黒人アーティストの曲を閉め出していたことは、あまり知られていない。その「肌の色の壁」を打ち破ったのが、ジャクソンさんだった。
米紙ニューズデーによると、交渉の末、オンエアされたのが名盤「スリラー」の中の1曲「ビリー・ジーン」。プロモーションビデオはたちまち大成功を収め、MTV自身も「マイケルTV」と呼ばれるほど、ジャクソンさんの成功から恩恵を被った。
「(MTVが黒人の曲をかけないと聞いて)胸がつぶれたけれど、同時に何かに火が付いた。無視されたままでは終わらないと決心したんだ」。ジャクソンさんは後年、こう振り返ったことがある。
エルビス・プレスリーは当初、「黒人音楽を歌う白人」として1950年代にデビューした。当時はそれだけでも十分にセンセーショナルな出来事だったが、その後も黒人が実際に「黒人音楽」という枠を超えて平等に扱われるまでには、ジャクソンさんが壁を打ち破るまで長い時間を要したことになる。
友人でもあった黒人指導者、アル・シャープトン師はニューヨークで会見し、「ゴルフでのタイガー・ウッズ、政治でのバラク・オバマよりずっと前に、音楽の世界で人種の壁を打ち破ることに成功した先駆者だった」とたたえた。
ただし、80年代に名声が絶頂に達した後、ジャクソンさんには負の部分が目立ち始めた。93年には、少年へのいたずらの疑いがかかり、巨額の和解金を支払った。03年には再び同様の嫌疑がかかり、最終的には無罪評決を勝ち取ったものの、逮捕、起訴、公判の流れの中で精神的、経済的に大きなダメージを受けた。
ジャクソンさんは、最近になってロサンゼルス西郊の高級住宅地、ベルエアに7つの寝室を備え、毎月の家賃が10万ドル(約1000万円)とされる豪邸を借り、再起を目指していたが、かなわなかった。
昨年8月、50歳の誕生日を迎えたジャクソンさんについて米紙USA TODAYは「プレスリーと同じように人生がめちゃくちゃになってしまったがゆえに、われわれの心に残る」と書いた。「キング・オブ・ロックンロール」と称されたプレスリーは、77年に42歳で急逝している。ジャクソンさんはエルビスよりも長く生きたが、名声に押しつぶされる形で人生を終えたことでは、共通することになってしまった。(サンスポ)
びっくりしましたねぇ
まさか、あのマイケルジャクソンが死ぬなんて
我々が十代の頃、洋楽全盛の時代で彼のレコード(あの頃はまだCDなんてない)
スリラーは誰でも持ってましたからねぇ
ちなみに私は聞きませんでしたが
しかし、スーパースターゆえの苦悩というか、例えが遭っているか分かりませんが
彼もまた小室哲也氏と一緒で、取巻きに食い物にされたのかなぁ
と感じてました。昨日のテレビでも誰か言ってましたが、晩年は人を信じれなくなって行った・・・みたいな話をしていました。彼の人生もまた光もあれば影も有ったのかも
しれません。