美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

平和の定義

2011-01-26 14:20:47 | Weblog

 

平和の定義

 

人が病気になって始めて健康の大事さを感じるように、平和であることも、普段はその大切さ、有難さを意識せずに過ごしているのかも知れません。日本は1945年の終戦後、新憲法のもと、平和の中で経済発展を遂げ先進国という位置を確立してきました。もともと勤勉な国民が、どんな紛争にも係わらず、内乱もなくひたすら経済活動に専念してきた結果とも言えます。しかし、これは決して世界的にも、歴史的にも当たり前の事ではありません。逆に言えば、人類の歴史上、戦争のない時期はなかったと言われる中で、例外的なこととも言えるかも知れません。実は、日本はそれ以前も250年間続いた江戸時代を代表に、歴史上の他の国々に比べると、戦争や戦乱が非常に少ない国です。そこには、人々の知恵や努力もあるでしょうが、やはり隣国と離れた島国であるという地理的条件が大きいと考えられます。

それに対して朝鮮半島は、他の世界史上の地域に劣らず、侵略、内乱と、多くの戦争時代を耐えてきました。そして今も、最後の冷戦地域と言ってもよい分断国家としての苦悩を抱えています。個人の性格が遺伝子のみではなく、環境により様々な影響を受けるように、韓国人、中国人、日本人は、顔かたちも文化的にも非常に似た部分が多い反面、各国の歴史的な背景や環境により、国民性が違うのも当然の事でしょう。そして、特に環境の中では、戦争をどれだけ経験してきたかということが、価値観や性格に対しては、最も大きな要因ではないかと思います。

「平和」というものの定義には、‘積極的平和’と‘消極的平和’があるとされています。積極的な意味の平和とは、豊かさ、安全、秩序、健康、環境保全など「平和とは何か?」と進んで問いかけた時の答えであるのに対し、消極的平和とは、ずばり「戦争のない状態」です。ベンジャミン・フランクリンの「良い戦争も悪い平和も存在しない。」という言葉は、戦争の苦しみを知った人間の本心でしょう。しかし、同時に平和は待っていて得られるものではないことも歴史は証明しています。

 

 

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医療観光プレゼン講演 in 上海

2011-01-26 14:16:36 | Weblog

 

 療観光プレゼン講演 in

 昨年より、観光庁の医療観光プロジェクトの中、美容医療部門で、事業検証作業を依頼され関わってきました。日本は、世界的にも先端医療技術に加え、日本独自の‘おもてなし’という優れたサービス精神と伝統を持ちながら、韓国、インド、タイ、シンガポール、マレーシアといった他のアジア諸国が進めている医療観光事業においては、残念ながら後塵を拝している言わざるを得ません。特に韓国は、医療観光を観光産業の柱の一つと捉え、美容整形を中心に、脊髄手術、植毛、がん治療、検診などの分野で特化し観光客招致を進めています。2008年には25千人であった美容医療観光客を2012年には10万人に増やす目標ことを目標としています。

日本も、今年を医療観光元年とすべく、観光庁は様々な取り組みをしています。その一つとして、世界に日本の医療技術を知ってもらい、実際に外国人患者さんが来日した際の不安点や疑問に関して直接答える形で、中国を中心としたアジア、北米地域に出向き、プレゼンテーションを行うこととしました。その一回目として、上海にて講演、説明会を開催しました。講演者は、私と東京青山にて甲状腺疾患の専門病院として有名な伊藤病院院長の伊藤公一先生の二人でした。伊藤先生は、‘日本で受ける甲状腺疾患に対する専門治療について’私は、‘日本の美容外科の特徴と先進性、そして当院の外国人治療実績について’各30分程度話しました。多くの観光、医療関係者が参加し、昼食会、その後の個別の面談と、初めての試みで、正直手探り状態でしたが、直接 生の声を伝え聞く貴重な時間でした。

上海では、一般の国民が行く病院と、富裕層や外国人が行く病院は、質も医療費も全く異なります。日本のように誰でも手軽に、同等な医療サービスというのは、世界的にも稀有な恵まれた医療制度なのでしょう。反面 国の財政負担も限界に来ています。医療観光を考えることは、その国の医療制度を見つめ直す機会にもなるかも知れません。

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いじめとワンタ

2011-01-10 12:57:44 | Weblog

 

いじめと「왕따」(ワンタ

子供が、親の虐待やいじめなどで不幸な結末になったニュースを耳にした時ほど、悲しく、居た堪れない気持ちになることはありません。先月、群馬県の女子小学生児童が、母親にプレゼントしようと編んでいたマフラーで首をくくって、自らの命を絶った記事を目にした時も、言いようのない重苦しさを感じました。その後の報道で、やや頼りなくも見える校長の会見があり、その語も二転三転する説明に、マスコミは、攻撃の矛先を見つけたとばかり執拗に映し出しました。しかし、私には彼が今回の事件を収拾させるためのスケープゴートの様に思えてしまいました。勿論、学校の対応、担任の指導にも至らない点があったのかも知れません。しかし、報道にったように、子供の母親がフィリッピン人であったことが、からかいの原因の一つであったという点が、気になるのです。

‘いじめ’は、先進国と言われるイギリスや、米国でも深刻な問題です。何度か報道されえた学生による校内での乱射事件の加害者も、実は多くがいじめの被害者であったといことです。しかし、奈良教育大学の調査によると、日本の特徴として、欧米では異年齢、先輩からの教室外での暴力的いじめが多いのに比べ、同級生による教室内での精神的ないじめが圧倒的に多いとあります。どちらがより問題かというより、仲間内での異質なものに対する拒否反応が、日本は強いのかも知れません。勿論、韓国でも教育問題の一つにあげられるもので、「왕따」(ワンタ)といういじめにあたる言葉があります。最近はインターネットの匿名性を利用して学校全体や、広くは全国に広がることが、さらなる社会問題となっています。一方、いじめのきっかけには、先の群馬の小学生ケースの様に、片親の国籍が異なるといった所謂「多文化家庭」の児童の場合があり、それに対する対策も始められています。私も医療顧問として参加している‘Hope Kids’という団体もその一つで、韓国内での多文化家庭の児童に対して政府の協力を受けながら、文化教育支援を行っています。韓国も日本もグローバル化とともに少子化で人口減少が進んでいく中、取り組むべき課題の一つと考えます。

子供社会は子供のルール、特徴があるとは言え、大人社会の縮図でもあります。いじめ問題を考えたとき、社会全体の価値観や方向性を考えずには、対策は難しいでしょう。

 

 

 

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