美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

黒龍の行方

2012-01-21 11:14:34 | Weblog

2012年が幕開けしました。十二支は辰年ですが、干支で言えば「壬辰(みずのえたつ・じんしん)」です。十干の「壬」は黒色に対応するため、‘黒色の辰’即ち‘黒龍’の年ということで、韓国では60年に一度の運気の強い年と考えています。デパートなどでは、黒龍の財布、貯金箱、その他関連商品が売り出され、その運勢にあやかろうと多くのお客で新年より賑わっています。また、その年に生まれた子供は出世すると考えられているのか、「黒龍ベビー」を望む夫婦が産婦人科の門をたたくケースも増えているようです。

十干は東洋哲学でいうところの陰陽五行説を基にしたものですが、その「壬」と十二支の「辰」を組み合わせて解釈すると単純に「景気、運勢が良い。」とばかりは言えないようです。壬辰は、「大きな流れの中で激しい変化が起こり、それを受け入れて新しい仕組みつくる基礎となる」時期と捉えています。つまり今年は、否応なく変革が起こりうる為、変化を恐れず、強い力でそれを受け入れ乗り越えてこそ次の年、時代を築くことができるということでしょう。実は420年前の壬辰の年には、朝鮮半島では豊臣秀吉による朝鮮侵攻(壬辰倭乱)を受け、その後7年にわたる国難の末、新しい時代を迎えた経験をしているのです。世界情勢を見ても今年は、アメリカ、中国、ロシア、フランス、韓国、台湾などで政治的リーダーの交代が行われ、経済的にもユーロを中心とした大きな変革が予想されています。昨年末の北朝鮮指導者の突然の交代から既に、朝鮮半島では「壬辰」が始まっていたのかも知れません。

 

今日本は未曾有の自然災害と共に、人災とも言える原発問題を抱え、信じられていた安全神話が崩れていくのを感じています。本当の意味で、変革を受け入れ対応していく覚悟が必要な時です。医局の先輩で、現在 福島県立医大の教授をしている先生から葉書きを頂きました。その中で「人間が一生のうちに経験する幸福と不幸は、同僚であると考えます。今回 甚大な被害を受けた福島の人々は、これからは大きな幸福がまっていると思います。」と書かれていました。私もそう信じます。

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高麗人参と御種人参

2011-12-24 15:25:37 | Weblog

子供のころ、今も懐かしい「水戸黄門」「大岡越前」といった日本の時代劇をよく見ていた記憶があります。そのなかで、病気の父親を救う唯一の薬が朝鮮人参で、薬代を払うために娘が身売りする覚悟をする場面が時々あったのを覚えています。実際、江戸時代‘人参’は非常に貴重であり、値段も高価でした。江戸時代、天保七年の記録に、人参一斤あたり銀三十八貫という記載があり、今の値段にすると800万円以上になる換算で、確かに一般庶民には到底手が届かないものです。日本では一般的に‘朝鮮人参’ですが、韓国では‘高麗人参’と言います。朝鮮半島を代表する植物といってもよく、古来より不思議な効能を持つ‘神草’として、病気の治療や予防に使用されてきました。現在、高麗人参の産地と言えば、ほとんどが朝鮮半島と中国満州地方ですが、全生産量の3%ほどが日本で栽培されているのはあまり知られていません。

739年、渤海の文王から聖武天皇へ初めて高麗人参が送られたという記録が残っています。その後、足利時代、室町時代も朝鮮使節により国交礼品として贈呈されました。江戸時代に入り、8代将軍吉宗が高麗人参栽培を命じます。高麗人参の栽培は非常に困難とされているのは、整地し種子をまいてから6年しなければ収穫ができなく、その間、非燥、非陰、非陽など厳密な環境条件を整える必要がある為です。また、人参が土地の栄養分を根こそぎ吸収してしまうため、再び耕作するためには自然に1020年放置しなければならなく連作も難しいと言われています。しかし、そこは研究熱心な日本人。日光の幕府御料地にて1729年世界で初めて人工栽培に成功しました。収穫された人参の種は幕府から各藩に下賜され全国に栽培を奨励しました。将軍家から授かったということでその後‘御種人参’という和名で呼ばれるようになります。一時は、日本から清国に輸出するほど盛んに生産された時期もあったようですが、今では島根県大根島、福島県会津、長野などごく一部で残っているのみです。

高麗人参の中でも奥深い山の中で自然に生息する山人参(山参)は、特に貴重で薬効も高いと言われるため、価格も栽培されたものの数十倍します。2002年の日韓共催サッカーワールドカップ開催時、韓国全土のシンマニ(山参取り)たちによって、ベスト16進出を願い韓国選手団に選りすぐりの山参1億ウォン相当が寄贈されました。結果はベスト16どころかベスト4!山参畏るべしべしです。

 

 

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美容整形大国から美容医療先進国へ?

2011-12-17 17:43:57 | Weblog

10年ほど前に知人に、当時韓国で有名な占いの先生のところに案内されたことがあります。韓国は実は占い大国でもあり、特に四柱推命という占法は、結婚や就職、仕事などの様々な局面で決断材料として生活に根付いてます。私がみて貰った年配の女性は、顔を見るなり「あなたの周りには何て多くの女性がいるのか!」と一緒にいた家内が鼻白むようなことを言われました。残念ながら、それほど多くの女性と縁がなかった私としては訝しく思いつつ、日本で形成外科の医者であること告げると、納得したように頷いていました。やはり噂通りの実力です??

日本で形成外科専門医といえば美容治療を専門にしている医師はむしろ少数派で、多くが外傷、再建外科、先天奇形などの疾病治療分野で働いています。私も大学に所属している時は、美容は将来の自分の専門として個人的に研修、研究しつつも、普段は同様に保険治療を中心に診療していました。一方韓国の形成外科医(実際は形成ではなく成形外科医といいます。)は、最終的には大部分が美容整形、美容外科の分野に進みます。このように韓国の場合、初めから美容を目指すため、専門医を取得すれば保険診療での臨床はほどほどに、一刻も早く美容的な技術を習得して、開業を目指します。そのため、いくら美容医療に対する国民の関心や需要が高いといっても、年々形成外科医同士の競争は熾烈になっています。また韓国の形成外科医は、早く効率的に実践的な技術を習得する手段として、治療の細分化が進んでいます。つまり二重手術、鼻手術、輪郭手術、胸手術、脂肪吸引種術専門といったように、ワンパーツに特化した診療スタイルが特徴で、数人の専門医が集まって協力しながらクリニックを運営するのも一般的なものとなっています。過酷な国内の競争は、行き過ぎた広告や不十分な説明、カウンセリング、過剰な手術によるトラブルも伝えられますが、専門医の切磋琢磨により、アジアにおいては手術数だけではなく技術的にも美容先進国として目覚しいものがあります。

美は部分々の集合ではなく全体的なバランスが大切であり、形成外科専門医なら総合的な治療を理想と私は考えます。しかし‘選択と集中投資’という韓国企業のとった戦略は、美容医療の分野でも急速な進歩をもたらしたことも認めざるを得ません。

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経国済民とFTA,PPT

2011-12-10 14:48:10 | Weblog

経済という言葉は、古代中国の「経国(世)済民」、つまり「国を治め、民を救済する。」という政治政策的な意味からきているものです。これが明治時代になり、economyの訳語に使われるようになりました。そして、この[economy]という単語、ギリシャ語のoeconomiaに由来し、‘家を管理する方法’ひいては‘共同体の在り方’を意味し、やはり国や共同体でのルールや治め方を表す点では共通しています。つまり、本来経済とは、人が集団で生きていくために必要な仕組みを示すものであるはずですが、現代の経済学者や専門家が考えるところはかなり違うようです。物々交換や労力の代価として、モノを与える時代から、やがて貨幣によって財を蓄えることができる時代になっていきました。しかし働くにしろ、モノを生産するにしろ、何かしらの努力をすることでその代価を得るということは簡単に理解ができます。しかし、いつしか金融工学、経済工学という学問が誕生し、難解な数学やコンピューター分析を用いて、画面上で莫大なお金がやり取りされる今の状況は、私のような経済音痴には説明されてもなかなか納得し難いものです。

勿論、今世界を不安にしているヨーロッパの金融危機にしろ、遠く離れた日本や韓国まで、その影響を受けざるを得ないのは、原油などの価格や輸出入に直接影響を与えるからという点では当然かもしれませんが、やはりここにも投資家と言われるマネーゲームで莫大な富を操っている集団の存在も大きいのではないでしょうか。日本に追い付き追い越せと、盛んに他国との貿易協定を進めてきた韓国が、韓米FTA締結という段階になってから、韓国内で野党の反対を受け連日紛糾しています。これは実務的な交渉に入り漸く実際の内容が見えてきたからかも知れません。しかし、サムソンと現代という二大財閥がGDPのかなりの割合を占めるうえ、GDP7割を輸出入である典型的な外需国である韓国は、最終的な活路はやはり外国との貿易ということで、リスクを覚悟しても出ていくでしょう。反面8割は内需による経済活動の日本では、PPTの内容が不透明な中、判断材料が不足しているのは間違いありません。

「国富論」のアダム・スミスは、市場原理として‘最小の労力で最大の利益を得ようとする人々の欲求が、神の力により社会の利益と調和をもたらす。(神の見えざる手)’と述べました。しかし、最小の労力もなく知力?のみで最大の利益を得ようとする人々の出現までは予想しなかったようです。

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日韓関係における温故知新

2011-11-24 12:12:31 | Weblog

‘冬ソナ‘に始まる韓流ブームの到来、2002年のサッカーワールドカップ共催などをきっかけに、近くて遠い国と言われ続けてきた日本と韓国の関係も、文化、民間レベルでの交流という点では、随分 身近になったと感じます。しかし一方、政治や歴史問題が絡むや否や、相変わらず、韓国側の責任追及の声に対して、日本では‘もう、うんざり!’という反応の繰り返しです。最近の日本では、それが国内の停滞感と韓流への反発、韓国企業の台頭による輸出部門で日本企業との競争の激化等と相まって、一部では‘嫌韓’感情にまで発展している観があります。両国の首脳会談があるたび、そんな現状を考慮してか、‘未来志向による関係の構築’という言葉が頻繁に用いられますが、果たして謳い文句だけに終わっていないでしょうか。

やはり、過去を直視せずに、未来志向は考えにくいと思います。それは、また、一方的な反省とか、追求ではなく、過去の事実をできるだけ客観的に分析し、その中で、お互いの立場から主張する部分は主張し、共有できる価値観は認めるという姿勢です。例えば、日本による朝鮮の植民地時代に対して、どれだけの人が、正確に内容を知っているか疑問です。1910年から45年年までの35年間、統治政策のもと最大75万人の日本人がいたと言われます。そんな所謂 在朝日本人についての記録や検証もほとんど紹介されたことはありません。(植民地朝鮮の日本人、高崎宗司著) このように実際に歴史の舞台にいた人々に視点をあて、双方の立場から議論することが、結局は真の理解に繋がると考えます。

東洋経済日報でも以前取り上げられた、来年夏公開予定の映画「道〜白磁の人」の主人公 浅川巧(あさかわ たくみ)は、植民地時代の挑戦で、林業技師として山林の緑化復元に貢献しただけではなく、白磁に代表される朝鮮工芸の美しさを伝え守り、40歳の短い生涯を半島で終えた人物です。彼が、朝鮮の人々に慕われ、その死を惜しまれたのは、その業績のみではなく、チョゴリ(韓服)を着て、朝鮮語を話しながら、当時、植民地化では当たり前な、強制的な態度や、差別意識を持たず、朝鮮の文化と人を尊んだ生活によるものでした。浅川巧が京城(今のソウル)に設立した朝鮮民族美術館が、現在 京福宮にある国立民族博物館の前身と言われます。

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日本茶道と韓国茶礼

2011-11-09 16:07:47 | Weblog

子供のころ読んだ吉川栄治の小説「三国志」で劉備が母の為に、当時、非常に稀貴なお茶の葉を買い求めようと、働いた給金の全て叩いたうえ、それでも足らずに家宝の刀まで差しだす場面がありました。これは、「三国志演義」にはない話で、吉川栄治が聖人君子として描かれた劉備の誠実さを表現しようとして創作した内容のようです。この話を読んだとき、私個人的には劉備の孝心以上に、命に代えても母に飲ませたいと考えたお茶に対する当時の価値に興味を持ちました。茶は、インドから広がり、中国の広州に伝えられ、当初は薬として用いられましたが、漢の時代を経て、唐の時代に一般的に飲まれるようになりました。日本や朝鮮半島に初めてお茶が伝えられたのもこの時代のようです。

遣唐使によって日本に伝えられた茶も、国内で広まるようになったのは、平安時代末期 宋に留学していた栄西が茶の種を持ち帰り、京都などに植えて栽培してからでした。こうして鎌倉時代末期には、相当普及し、茶の産地をあてる「討茶」という遊びが武士の間でおこなわれていたという記録があります。茶はその後、室町時代を経て、‘禅’と融合し、遊興や儀式から、侘(わび)という精神的な茶道に昇華していきます。現在に伝わる日本の茶道は千利休によって完成され、その弟子たちによって継承されて来ています。

一方、朝鮮半島でも、唐から新羅の善徳王の時代に茶種が伝えら智異山に植えられたという記載があります。(三国史記)新羅時代は、「花朗」という当時のエリート集団を中心に煎茶を嗜む習慣が盛んであったようです。高麗時代になり、禅僧の僧侶たちにより、宋の茶道が伝えられ、やがて高麗風の茶の作法として変化していきました。これは、煎茶ではなく、抹茶であり、一日3回の供茶を行ったというところは、中国よりもむしろ日本茶道に近いとも言えるかも知れません。

朝鮮半島にも、このような茶の歴史があるにも関わらず、「東アジアで喫茶の風習を唯一もたなかったのが、朝鮮民族だった。」(『韓国民族への招待』崔吉城)などと一般的に認識されたのは、‘茶’に関連する書物がほとんど残されていない事と、日本の表千家、裏千家のような茶道を伝承する家元が存在しない為だと考えられています。現在韓国でおこなわれている茶礼は、逆に日本の茶道の影響を多く受けているものでしょうが、そこからまた、独自の作法、茶文化が生まれて行くことを期待します。

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シリコンバレーの偉大な海賊

2011-10-27 18:48:15 | Weblog

昨年たまたまレンタルショップでDVDを借りて観た映画がありました。タイトルは、「バトルオブ シリコンバレー」(原題は Pirates of Silicon Valley、シリコンバレーの海賊たち)、若き日のスティーブ・ジョブスとビル・ゲイツを主人公に、アメリカにおけるコンピューターの創世記における二人の葛藤と成功を描いた物語です。既にこの世界で巨人として地位を確立していたIBMに対して、己の頭脳と熱意のみで挑戦し、新しい時代を切り開こうとする二人の姿は、今のシリコンバレーを築いてきた多くの若者にとってまさに象徴的な存在です。一方二人の天才、性格等は対照的に描かれています。燃え盛る炎のように激しく、決して自分にも周囲にも妥協を許さない独裁者的なジョブスに対して、強い信念と頑固さは持ちながらも、時には柔軟な対応も計算の上に行うゲイツ。それはそのまま二人の人生、経営方針、そしてアップルとマイクロソフトという企業の特徴に表れていったようです。

映画の中で、ジョブスがマイクロソフトの新しいパソコンを前にマックの技術を盗んだ泥棒ということで、激怒しゲイツを罵倒します。最初は黙って聞いていたゲイツですが、堂々と反論します。「そのマックの技術も、ゼロックス研究所の技術を盗んだものだろう。」独創的な自分の技術やアイデアを武器に持ちながら、さらに相手の技術も時には盗み、利用し大海原を航海するというのが、まさに原題にある‘シリコンバレーの海賊たち’という所以でしょう。ここ数か月継続しているアップルとサムソン電子の訴訟合戦も、この業界で生きている限りは、当たり前の事に過ぎないかも知れません。徹底的に模倣し、研究することで誰にもまねができないものを生み出してきたのが、戦後の技術大国日本を作り上げたとも言えます

大学院生だった未婚の母のもとに生まれたジョブスは、すぐ養子にやられます。地元の州立大学に進学しますが、経済的問題もあり1学期で中退、一時ゲーム会社に就職した後、自宅ガレージでアップルコンピューター社を創設し、そこから彼の伝説が始まりました。「死は生が生んだ唯一無比の最良の発明と言える。古いものを一掃して、新しいものに道を譲る。」ステイ−ブ・ジョブスの死を惜しむ声は世界中から伝えられています。しかし、この言葉通り、最後まで時代の革新者として全うした人生であったと感じます。

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作家 金鶴泳

2011-10-21 14:32:09 | Weblog

 

  ちょっとした縁から金鶴泳の遺稿作「土の悲しみ」(シングルカット社刊)を手に取る機会に恵まれました。恥ずかしながら、この時まで著者に関して全く知らず、それ故、先入観なく、読み進めることができました。私小説とも言えるこの作品は、幼少時より母親に対する父親の家庭内暴力に怯える環境の中、そのトラウマによるものか‘吃音’に苦しみ、愛情に満たされない寂しさと苦しさの中で大学生活を送る在日青年の話です。彼は偶然知り合った女子大生に恋心を抱きながらも、自分の気持ちを打ち明けることもできないまま哀しい恋は終焉します。書かれた文章には、堅苦しさも、意識的な飾りもなく、言葉で己の内面にあるものを表現することで、漸く一日一日を生き延びているのではないかと感じるものでした。1985年、彼が46歳で表現することを辞め、自らの命を絶ってから今年で26年が経ちます。

作家 金鶴泳は、東大大学院化学系研究科博士課程を中退し、66年「凍える口」で文藝賞を受賞したこと期に、執筆活動を本格的に始め、その後4回も芥川賞の候補に挙がります。彼の作品や文章は、その後の多くの在日作家に、多大な影響を与えたと言われていますが、金鶴泳自身は、在日作家というレッテルにも、在日文学という評価にも無関心だったのではないでしょうか。吃音に対する苦悩を表現した「凍える口」にもあるように、自ら言うところの「恐ろしい家庭環境」、そして「吃音」、「在日朝鮮人としての葛藤」が繊細すぎるほどの感性を持つ作家の中で生涯蠢き続け、執筆することで、ガラス細工のような脆い心を支えてきたように私には思えます。

主人公の祖母は、異国の地で、寂しさと絶望の中、鉄道自殺を遂げます。遺体は線路側に仮埋葬され、遺骨は行方がわからないまま、祖母の墓に埋葬された骨壺には周囲の一握りの土のみが入れられました。「土の悲しみ」とは、まさに誰からも愛されないものの悲しさと哀れさなのです。父親の暴力に対して殺したいほどの憎しみを持ちながら、経済的には依存し、頼る自分の弱さを自覚します。哀しい物語ではありますが、美しいこの本の装丁同様、読後はなぜか爽やかさも感じるのが不思議でした。 ぜひ一読を薦めます

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ニュートン、アインシュタイン、そして

2011-10-13 10:25:52 | Weblog

韓国の子供たちに「好きな尊敬する科学者は誰?」と質問したところ第1位はアインシュタイン、第2位はエジソンでした。これは日本の子供に聞いたとしても、同様な回答になるのではないかと思います。そして天才の代名詞でもあるアインシュタインと言えば、誰もが「相対性理論」という言葉を思い浮かべるでしょう。彼がノーベル賞を受賞したのは、相対性理論によってではなく、「光電効果」に対する論文であることは、意外に知られていません。これは、光電効果に関しては、当時の測定技術によっても実証可能なもので、その理論の正しさが証明できたからとも言えます。反面、「特殊相対性理論」「一般相対性理論」に関しては、その内容の偉大さや革命性は、多くの物理学者が感じるものでありましたが、具体的な検証が難しいものでした。しかし、その後、天文学や量子力学の分野での観測や解析により、相対性理論で予言された内容が少しずつ確認され、改めてアインシュタインの偉大さが認識されてきました。

アインシュタインが光に対する疑問を持ち始めたのは、彼が16歳の頃でした。「もし自分が光の速さで進んでいるとしたら、自分が手に持っている鏡に顔が映るだろうか?」音速で飛んでいる旅客機の前には、飛行機の音は伝わらない事を考えれば、鏡には自分の顔は映らないことになります。しかし相対性理論によれば、どんな物質も高速に限りなく近づくことはできても、光速に達することはできない為、光は、自分が進む速度より速く鏡に到達することになり、結果的に顔は鏡に映ることになります。つまり「物体は光速に近づくほど質量が増大し、加速しにくくなる為、光以上の速度にはならない。」というのが相対性理論の大原則の一つです。ところが、ニュートン力学に革命を起こしたアインシュタインの物理原理を覆そうかという発見が欧州合同原子核研究所(CERN)により発表されました。研究チームによると光速より60ナノ(1億分の6秒)速い素粒子ニュートリノの観測に成功したということです。この発見の衝撃の大きさは、彼らが同じ実験を15千回繰り返し、その上様々な誤差を計算し、それでも発表には慎重であったことでも伺えます。

今後さらなる検証や議論を生むと考えられる結果ですが、事実ならば、物質が時間を越えて移動できる、所謂‘タイムマシン’も理論上は可能になるかも知れません。誰ですか!過去に戻ったら旦那さんのプロポーズを再考しようなんて言う貴女は!!

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テレビの貢献と限界

2011-10-10 12:40:31 | Weblog

ここ十数年の間に人々の生活に最も影響を与えたものでは、IT技術と携帯通信ではないかと考えますが、20世紀最大の発明と言えば、やはりテレビ放送でしょう。1897年にドイツの物理学者Karl. F. Braunによってブラウン管が発明され、ヒットラーの指示のもと国威発揚のため、世界で最も早くテレビ放送がドイツで始まりました。1936年、ベルリンでの第11回オリンピック大会は、史上初のテレビ実況中継となったわけです。これに刺激されてか、この年イギリスのBBCでもテレビ放送を開始し、アメリカでもニューヨーク市で実験放送が始まりました。

日本では、戦争により一時テレビ技術の研究が中断されていましたが、戦後19532月にNHKによる最初の放送が、そして韓国ではやや遅れて1956年に大韓放送が、最初のテレビ放送を開始したと言われています。最初は物珍しさか、興味本位で見ていた人々も、番組のコンテンツが増えるにつれ、テレビの前にくぎ付けとなり、お茶の間にはなくてはならない存在となるまで時間はかかりませんでした。高度成長期で馬車馬のように働いた昭和のお父さん達も「一杯のビールとプロ野球中継があれば、頑張れる。」と言わしめ、お金のかからない大衆の娯楽としての地位は、日本でも韓国でも不動のものでした。テレビは長い間、家族団欒や手軽な癒しの道具としての役割を主導してきましたが、反面その影響力の大きさから特定の立場からのプロパガンダとして利用されてきたのも事実です。テレビにおいて「百聞は一見にしかず」とは、真実を理解させる事とは限りません。同じ出来事でも、選択と構成によって意図した内容に見せることも可能であることを証明してきました。最近言われる‘テレビ離れ’も、インターネットをはじめとする他の情報手段が発達することで、今まで流されるままに受け入れてきたテレビ内容に対し物足りなさや疑問を持ち始めたことも要因の一つでしょう。

最も身近なマスメディア媒体に成長したテレビだけに、特に報道や社会問題を取り上げた番組では、100万人単位の視聴者を前にして結局は当たり障りのない内容、一般受けしそうな結論にならざるを得ないところです。スポンサーも傷つかず、勿論一般大衆という視聴者に反感を持たれないという暗黙の了解が、そこにあります。テレビを見れば、その国の文化水準がわかると言われるのは、この為ですが単なる暇つぶしの時間とならない為にはテレビの存在意義も、ある局面を迎えているのでしょう。

 

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