肩の凝らないスローライフ

ようこそtenchanワールドへ。「一日一笑」をモットーに・・・日常生活の小さなことを笑いに変えるtenchanの雑記帳

検査の人がやってきた

2013-09-17 15:27:27 | 銀行員時代
TBSテレビ日曜劇場『半沢直樹』

3年しか働いてなかった銀行員時代を思い出しつつ
毎週楽しんで見ている。

オンタイムで見られない時のために、録画もしている。


目下のところ、「金融庁検査」が入って
半沢直樹さんと周りの行員たちが必死に対応し、
この間の日曜日は何とか乗り切ったところだった。

私が勤めていた支店でも
省庁からの「外部検査」が入ることもあった。
が、それとは別に、
数年に一度行われる「内部検査」というものがあった。

支店で不正が行われていないかどうか、
銀行本部の検査部から支店長上がりのお偉い様たちがやってきて
徹底的に調べ上げるのだ。

「検査」というからには抜き打ちで行われるのが基本であるが、
どういうわけか、「検査が来る」「検査が来るらしい」という情報は
数ヶ月前、こっそり支店の上役たちに知らされることになっていた。

で、その一報が届くやいなや、
行員たちは普段の業務が終わった後に
書類という書類を引っ張り出してきて
不備がないかどうか目を通す。

中でも大変だったのが「印鑑押し忘れ」がないかのチェックだった。

口座開設の際お客様からいただく印鑑紙、
証書貸付の金銭消費貸借契約書、
押してあるべきところに印鑑がない!
これはもう、重大なペナルティ。

お客様の印鑑をもらいに、
営業員が夜でも飛んでいったのを
目撃したことがある。

ドラマの中で半沢が
「やばい書類」を家に持って帰るシーンがあったが、
ありましたねーそういうの。
「絶対に見られてはいけない書類」
というのはやはり現実にも存在し、
普段は金庫の奥にしまわれていた。

だが内部検査でやってくる検査官は、
毎月どこかの支店で検査してるスペシャリスト。
そういうやばい書類があるのは想定済みで、
金庫の中も洗いざらい調べ上げる。
なので、バレたらマズイ書類は絶対に隠さねばならない。

半沢は妻にそれを預け、その後地下倉庫に隠したが、
うちの部署の上司は私たち女子行員にそれを預けた。
「悪いけど、検査の期間中これ持っててくれる?」
と言われて、さて困った。
机の中では検査員に開けられるし、
かと言ってそんな大切なもの家に持ち帰るわけに行かない。

仕方なく1週間の間交代で女子ロッカーに隠し持っていたが、
さすがに検査官は女子更衣室にまでは入ってこなかった。


さて、内部検査当日。
検査員たちは支店長と挨拶を交わした後、会議室に陣取る。

会議室には行員が一人待機していて、
「あれ持ってきて。」
「これ持って来て。」
と、検査員が指示する度に書類を持ってくる。

検査に備えてあれほどチェックしたはずなのに、
不備は見つかるもので、
お傍係の行員は付箋をつけられた書類を
会議室からいくつも運び出していた。


お昼の休憩時間、
秘書さんからお茶出しのヘルプに呼ばれた私は給湯室に入った。
するとそこには、見慣れぬ高級仕出し弁当が積んであった。

検査員さんたちはこんなにいいもんを食べているんか~!

翌日のお弁当はうな重だった。

毎日毎日、おいしそうなお弁当

一週間日替わりで高級弁当を堪能した検査官達は
最終日の夜料亭での接待を受け、
お土産をもらって帰っていったのだった。


ところで、ドラマを見ている時メーカー勤務の夫
「うちの会社じゃこんなんありえないよー!」
と仰け反って笑うのが、

廊下で重役とすれ違う時
さっと脇に避けて頭を下げるシーン。



「でもこれ、普通じゃない?どこの会社でもそうでしょ。」

廊下に限らず、銀行の通用口で支店長と鉢合わせたら
お先にどうぞって自分は後から入ったし、
エレベーターでも後方に立ってたし。

あなたの会社はそうじゃないの?
なにそれ、その自由な雰囲気。
それにしては勤務時間長いし、
休日も出勤するし、
ブラックとは言えないまでもグレーな企業だわね。

銀行員時代 役務者は辛いよ

2013-06-06 15:25:52 | 銀行員時代
私が勤めていた銀行の支店では、
大まかに、
普通預金、定期預金、為替、資金、得意先、融資、
という部署に分かれていた。

得意先と融資は、ほぼ全員が男子行員だった。
女性も若干名いるにはいるのだが、
彼女たちは外回り専門職の
「○○レディー」さんと呼ばれるパート従業員だった。

その他の部署は女性ばかりで構成されていたが、
部ごとに役務者と呼ばれる
普通の会社でいう係長のような人が
業務を統括していた。

統括していた・・・・と言うと、
いかにも聞こえはよいが、
ベテランの女性行員が切り盛りしている、
というのが実情だった。

役務者はたいてい、
得意先か融資担当の男子行員が昇格してやって来る。
そのため内部事務についてはあまり詳しくない。

そりゃそうでしょ。
入行してからずーっと、
お客さんのところへ行って
お金を集めて書類を書いてもらい
支店に持って帰るまでが彼らの仕事だったのだ。

不備がないかを確認してオンラインに記帳し、
通帳を発行するのは女子行員達の役目。

そんな中、いきなりの配置換えで
ポンと預金の役務者に仕立て上げられても
何がどうなっているのか把握するのさえ大変だ。

分からないことは恥を忍んで女子工員に聞くしかない。
けれどその先に待っているのは
口にこそ出さないが、
「はぁ?そんなことも分からないんですか?」と言いたげな
彼女たちの冷たい視線。
それに耐えながら次から次へを回ってくる書類に
印鑑を押し続ける。

あぁ、役務者って大変なんだなぁ。

新人ながらもぼんやりと周りの様子が分かってきたtenchan。
成り上がりの役務者おじさんに、つい同情してしまうのだった。

さて、役務者おじさんにとって一番の試練は
機械の前に座ってオペレーションをすることだった。

当時、銀行のオペレーションには厳格なルールがあった。
通常の業務は一般行員が記帳してもよいが、
大口の預金が動く時や名義変更などの重要案件については
役務者が記帳しなければならないのだ。



記帳しなければならないのだ。

というのは表向きで、
実際には女子行員が記帳していた。

なぜなら、
大口預金の解約や入金がある度に
いちいち役務者に代わっていたら
業務が回っていかないからだ。

ただ、数年に一度
本部から内部検査に来ると
役務者おじさんは否応なしに機械に立ち向かわねばならなかった。

派遣されてくる監査人は粗探しの天才。
銀行業務を隅から隅までチェックする。
当然、内部事務の機械オペレーションもチェック。
役務者権限の記帳が、
マニュアルどおりに行われているか
そばに張り付いて観察するのだ。

普段オペレーションなんかやったことのない役務者おじさんは
検査の数日前から訓練する。
ベテラン女子行員が隣に座り、
キーボードを指差しながら指導する。
おじさんは人差し指を
キーの上でグルグル回しながら
一個ずつ選んでは押していく。


あぁ、役務者って大変なんだなぁ。

大きなハンカチで額の汗をぬぐう役務者おじさんを見て
更に同情してしまうtenchanなのだった。


そしてもう一つ。
預金の役務者の席には
あまり長く座らないほうがよい、というジンクスがあった。
1年ほどで転勤になる人は昇格候補。
だが、5年以上居続ける人は・・・・・
干されたのだろうと支店内で噂されるのだった。

あぁ、役務者って大変・・・・・。









銀行員時代 誰のためのソフトボール大会?

2013-05-31 16:12:03 | 銀行員時代
スマホにgooブログアプリを入れてから、
拙ブログのどの記事に一番多くアクセスされたかが
表示されるようになった。

今までは、
「アクセス解析」のお試し期間の時だけしか
ランキングは分からなかったので、
スマホで毎日チェックしては、
おーなるほどこの記事がよく読まれているのか・・・・
などとひそかに楽しんでいる。


で、どんな記事が人気かというと、
トップに来るのは「更新した記事。」
これはある意味当然である。

根強く人気なのは「水平思考推理ゲーム」
↑ホント、来てくれた人ゴメンネ、当てが外れたでしょう。(滝汗)

そして意外にも、
「銀行員時代」のエントリーにアクセスする人が多い。
ということは、新人銀行員さんとかが
「銀行って一体どんなところかな?」なんて検索かけて
来てくれるのだろうか。

二十数年も前のことで、
あまり参考にならないかもしれないが、
ひょっとして、「今も同じ同じ。」と共感してくださったらうれしい。
でもそれはそれで、銀行って旧態依然なのね、ということになり、
一層怖くなる。

というわけで、
半ば忘れかけている銀行員時代ではあるが、
社会人としての礎を築いた、
私にとっては忘れえぬ3年間。
忘却の彼方に葬り去る前に、
もう少し掘り起こしてみよう。

銀行の行事には、
慰安旅行とか忘年会とか支店単位で行うものの他に、
地区が主催するものもあった。

地区対抗運動会
地区対抗ソフトボール大会
地区対抗ボーリング大会

どんだけ銀行ん中で繋がりたいのだろう。

たまの休みくらいゆっくりしたいし、
ショッピングとか映画とか
個人で楽しみたいことだったあるのに。


支店行事のに借り出されるのは大抵若者たち。
なんちゃって銀行員tenchanも、
新人たるがゆえに参加することが予め決められていた。

チームが結成されると、
数週間前から練習が行なわれる。

「昨年は惜しくも準優勝でした。
今年は是非とも優勝を!」

いや~、去年のことは分からんけど、
そこま命懸けるんかい?

周りの期待が高まれば高まるほど
tenchanの心は萎んでいった。

さて、大会当日。
グラウンドに集合すると、既に他の支店チームが集結していた。

対戦表を手にした監督の表情が曇る。

「まずいな、前回の優勝チームと初戦で当たる。」

つまり、そこに勝たないと the end ってわけですか?

the end で結構。
はよ負けて帰りたい。

投げやりの私の前に現れたのは
ソフトボールのユニフォームで身を固めた女性。

「あの人、相手チームのエースピッチャー。
学生時代ソフトボール部だったんだって。」

先輩がそっと耳打ちして教えてくれた。

ソフト部って・・・・しかもユニフォーム着てやる気満々じゃん。
こういう人にサクッと投げ勝ってもらって、
はよ帰りたい。


試合が始まった。

チームは男女混合なので力の差がある。
そのため、ピッチャーが男性の場合、
男子がバッターボックスに立つと手加減なしで勝負、
女子の場合すこし緩めに投げるという暗黙のルールがあった。

ところが相手チームは
例のソフト部OGがピッチャー。
しかも、「女性なので。」と前置きしてから
「一歩前に出ます。」
と、マウンドから大股一歩踏み出して
私ソフト部でしたの~というフォームでスピードボールを投げ込んだのだ。

「おぉ~。」

どよめくベンチ。

さすがの男子もこの近さではなかなか打てない。

そして打順は下位、女性が打つことになったが、
ソフト部OGは、相手が女でも手加減しない。
男子と同じスピードボールをズドーンと投げ込んだのだ。

その瞬間、私の中で体育会のスイッチが入った。

何を隠そう、tenchan学生時代はスポーツ万能で、
体育祭や球技大会では花形選手。

目の前で、チームメートがなぎ倒されていくのを見て
闘争心に火が点いてしまったのだ。

「絶対に打つ!」

一巡目は凡打に終わった。

二巡目、上位打線の男子が塁に出ると、
四番に入った若手男子行員が、
期待通りに大きな当たりを打ち
先取点が我らに入った。
すると、それをきっかけに連打連打で
塁が埋まっていった。

tenchanの打順が回ってきた。
ソフト部は打たれたことに動揺したのだろうか、
ボールの威力が先ほどより少し弱まった気がした。

「チャンス!」

tenchan渾身の力で振り抜いた打球は、センター前へ転がり、
うれしい追加点!

その試合に勝ってチームは勢いづき、
結局どんどん勝ち進み優勝を手にすることになったのだった。

これには支店長も大喜び。

「tenchanさん、すごかったね~あの当たり。来年も絶対に出てね。」

にっこり笑ってお礼を言ったが、出るつもりは全くなかった。
翌年のソフトボール大会は、後輩たちにお任せ。

だって、OLの休日って、
ランチにショッピング、デートが定番でしょ(ウフッ)。




総合職の壁

2011-07-06 13:51:04 | 銀行員時代
女子大生の就職といえば、
一般職というのがお決まりだったバブル期。

卒業して結婚するまでの、2,3年で退職する人が殆どで、
「腰掛け」と比喩されるくらいだった。

女子にも総合職の扉が開かれたのは、平成になってから。

私が働いていた銀行では、
一般職から総合職へ転向するには
試験を受けることになっていた。

当時支店の中で、総合職試験を受けたのはただ一人。
長い間、支店長秘書を務めていたM先輩だった。

M先輩は、今時の言い方をすればアラフォー。
銀行員、妻、母、の3足のワラジを履くスーパーウーマン。
新人の私にとっては憧れの方だった。

フルタイムでお勤めなのに、
ちゃんと早起きして、お子様のお弁当も作っている、と聞いた。

様々な困難が立ちはだかるのを承知で
総合職になったM先輩だが、
待遇は一般職の時ほど変わらないのが不満そうだった。

仕事は相変わらず秘書のまま。

お客様へのお茶出し、
お礼状書き、
支店長のスケジュール管理、等々。
どれも、M先輩じゃないとこなせない仕事だった。
でも、
「営業でバリバリやってみたいのよ・・・・。」
というのが彼女の口癖だった。


銀行では定期的に「転勤」がある。
多くの場合、
辞令が出ると1週間以内に次の支店に着任しなければならない。
当人が先に向かい、
家族は後から引っ越し、
なんて話、よくあるでしょ。

半年に一度ぐらい、そういう機会があるので、
2,3年くらい支店にいる人は
「次は私かも・・・・」
なんて心積もりを始めるのだっだ。

M先輩は、辞令が出るのを待ちわびていた。
「秘書」から「営業」へのシフト替えを。

実は、幹部のほうからもそれとなく、
今度は出そうだ、との情報が聞こえてきたので
いやがうえにも期待は高まった。

そして、運命の日・・・・・
転勤の辞令が出たのは、
Mさんではなく、営業課のKさんだった。


その日、営業時間が終わると、
誰かれともなく、Kさんの栄転祝いをやろう、と言い出した。

じゃあ、最近出来たドイツビールが飲めるお店にしようか、
などと、メンバーで相談していると、

「私もKさんのお祝いがしたいの。参加させて。」

驚いたことに、Mさんが近寄ってきてこう言った。

それまで、Mさんが自然発生的な飲み会に参加することはまずなかった。

支店の懇談会などの公式(?)な宴会や、
あらかじめセッティングされた食事会にはいらっしゃることはあっっても、
思いつきで決まったようなカジュアル飲み会などは、
ご家庭の事情があるし、
お誘いしても、まず断られていた。



大ジョッキで乾杯~!の後、
Kさんへの賛辞で盛り上がる。

営業課のなかでもやり手だったKさんだもの、
赴任先でもきっとよい成績を修めるだろうね~。

それから話は、辞令の裏話へ。

「実は、内示があるかもって、上から言われてたのよね。」

Mさんが話し始める。

「別に秘書の仕事が嫌ってわけじゃないのよ。
でもね、せっかく総合職に変わったんだもの、
一度くらい営業やってみたいって、
思ったっていいじゃない。
私、支店長の側でずっと見てきたから
営業も出来る自信あるんだけど、
やっぱり、私じゃダメなのかな・・・・・・。」

Mさんはそこまで言うと、言葉を詰まらせた。

「ごめんなさい、Kさんのお祝いなのに。今日はこれで失礼するわ。」

目を真っ赤にしたMさんは、席を立って出て行ってしまった。

一瞬にしてその場がシーンとなり、
残された私たちは、しばらく誰も口をきかなかった。

ようやく男子行員が口を開いた。

「びっくりしたなぁ。
僕、Mさんのああいう姿、初めて見た。
いつもキリッとして隙を見せないって感じだもん。」


期待していた分、ガクッと落ちこんだんだよね。
Kさんのお祝い!って自分を奮い立たせてみたけど、
途中で耐えられなくなったのだろう。


翌日、出勤すると、
Mさんが、昨日の飲み会メンバーに
「取り乱してホントにごめんなさいね。」
と、一人一人頭を下げているのを目にした。

辛さを胸にしまい込み、
酒の席での失態を仲間に詫びる。

そんなMさんのことが、私はますます好きになったのだった。

銀行員時代 月末は大変

2011-03-01 12:59:35 | 銀行員時代
月末、会社事務の関係で銀行に行った。

お昼ちょっと前。
店内は座る場所がないほど混んでいる。

取った番号札は123番だった。

電光掲示板には100番の表示。

20番待ちかぁ・・・・・(汗)
これは待つのを覚悟しないと。


銀行員時代、毎月末日の支店は戦場だった。

店舗のドアが開けられると同時に
お客様がカウンターめがけてダッシュしてくる。

あっという間に窓口前は長蛇の列だ。

三時になると、一旦入口は閉められるのだが、
取引の終わっていないお客様が中にまだいらっしゃる、
ということも多々あった。


入り立ての頃、カウンターの後ろ側で
訳も分からずウロウロしていたことを思い出した。

先輩達は殺気立ち、
小走りで移動する。

加算機も札勘も出来ない新人は無用の長物。

「通帳出てきたら取ってテラー(カウンター担当者)に渡して!」
先輩にそう命じられ、
通帳を印刷する大きなプリンタの前に立ち、
次々と吐き出される通帳を
テラーさんに手渡しする。

「ありがと。」

通帳をもらったテラーさんは、
前を向いたまま受け取る。

ええっと~、これは誰の分かしら・・・・・
ぼーっと一瞬、そこに佇んでしまった。

と、後ろからいきなり通帳を引ったくられた。

テラーのKさんだ。

Kさんはニコリともしないで、そのまま席に戻り応対する。

おおーっ、怖っ!


配属が変わり、融資内部事務になってからは
直接お客様と接することはなかったが、
月末の忙しさは半端じゃなかった。

交代でお昼ご飯休憩に入るのだが、
月末の時は時間通りに休めない。
下っ端の私がようやくお昼にありつけるのは、
いつも二時過ぎだった。
しかも、ゆっくり味わって食べてなんかいられない。
時間を繰り上げてすぐに戻る。

三時に支店が閉められても、
融資の仕事はそこからが本番。

割引手形は机の上にドンと積まれている。
加算機で算を入れ「ゼロプルーフ」しなきゃならない。
ようやく終わった~!と思ったら、
外回りの行員が「ごめん、追加して!」
と、束を持ってくる。

方や、法人担当の行員が渋い顔をしている。

「○○商事の末締めの運用資金が不足してる。
追加で証書貸付!
もうすぐ部長決裁だから、
承認下りたら即オペレーションして。」

程なく融資決定。
信じられない金額を端末でオペレーション。
これはお金じゃない、お金じゃない、と
念仏のように唱えながらテンキーで「0」を押し続けたのだった。



月末に家に帰るのは、いつも遅かったなぁ~。
父親に駅まで迎えに来てもらったこともあったっけ。



そんなことに思いを馳せつつ、
辛抱強く自分の順番が回ってくるのを待っていた。

「お待たせしました。123番の番号札をお持ちの方。」

呼ばれたのは、札を取ってから1時間後だった。

故郷への送金

2010-11-30 12:59:00 | 銀行員時代
三重県亀山市で、マイクロバスと大型トレーラーが衝突
マイクロバスに乗っていたフィリピン人6人が死亡するという痛ましい事故になった。


故郷の家族に仕送りするため、日本で働いていたんだよね。
ご冥福をお祈りします。



銀行で外国為替を担当していた時の話だ。

当時、「海外への送金」というのは、
商品仕入れのための少額送金があるくらいで、
それほど件数は多くなかった。
(勤めていた支店の場所柄、だと思うが・・・・。)

外国為替のカウンターは、
いつもガラ~ンとしていていた。

混む時季は年に三回と決まっている。
GW、お盆、正月前だ。
海外旅行に行くお客様が、$などの外貨に換えようと殺到するからだ。

それ以外は大抵暇だった。


だから、たまに「送金」のお客様がいらっしゃると大騒ぎ。

えーっと、マニュアル~マニュアルは、と・・・・・。

ノートに書いたメモをちら見しながら、
依頼書を隅から隅までチェックする。

必要事項は書き込まれているか。
書き間違いはないか。

そして、これでもう大丈夫だと確認すると
お客様に「印鑑」を押してもらうことになっていた。

正直な話、いつもこの「捺印」というのが疑問だった。
何故、印鑑が必要なのだろう?

依頼書への記入は全てアルファベットと決まっていた。
なのに印鑑を押すなんて!
サインでいいじゃない!

上司に何度も訴えてみた。
「印鑑なんておかしいじゃないですか?
どうしてサインじゃダメなんですか?」
でも、
「決まりだから。」
と、取り合ってもらえない。

事実、それが元でお客様とトラブルになることもあった。

ある時、海外赴任経験が豊富と思われるビジネスマンが来店した。
クワラルンプールにある自分の口座に送金したいという。

依頼書の記入もスラスラと、
いかにも慣れているご様子だった。
そして最後、
依頼者名の箇所に、流れるような文体でサインして下さった。

私は
「すみません、ご印鑑を・・・・・」
と、恐る恐る申し上げた。

するとお客様は憮然とした表情で
「どうして?サインじゃだめなの?」
と、仰った。

そうなのだ。お客様の言う通りなのだ。
サインでOKと、私もそう思っている。
でも、横の上司が睨んでいる。

仕方なくもう一度お願いする。
「申し訳ありません。支店のルールになっておりますので。」

お客様は不服そうに鞄から認め印を取り出し、
依頼書に押して下さった。

「ここの支店、変わってるね。
本店に行ったときはサインでもいいって言われたよ。
ま、今日はたまたまここに寄る機会があったから来ただけだが、
今度から本店に行くよ。」

スミマセン、本当にごめんなさい。
怒るのも当然ですよね。


そんな外国為替に、
3か月に1回ぐらいの割合で、
必ず店頭にやって来るフィリピン人の女性がいた。
当時、20代後半ぐらいだったかな。

彼女は殆ど日本語が話せなかった。

こちらが「いらっしゃいませ。」
と、声を掛けようが何しようが、
ただ頷くだけ。

そして、手にした「送金依頼書」を黙ったままでカウンター越しに渡すのだ。

送金先は「フィリピン」
金額はいつも15万円と決まっていた。
日本で働いたお金を、家族に送るのだろう。


いつものように依頼書に書かれた内容をチェックする。

完璧だ。

そして依頼者名のところには、
彼女のフィリピン名を漢字に充てた印鑑が押してある。


きっと、日本で生活するうえで
色んな場面で「印鑑を」と言われるであろう、
そういう状況に順応して、
彼女が作ったに違いない。


彼女はそれからも、定期的に送金しにやって来た。

顔見知りになって、
少しはにかむように笑ってくれるようにはなったが、
最後まで言葉は交わさなかった・・・・・・。

仕送りしてもらったフィリピンのご家族が、
そのお金で大きな家を建てていたらいいな。

私がもらったプレゼント

2010-11-05 09:37:25 | 銀行員時代
支店長にCDを贈ったクリスマス会。
私宛のプレゼントはカセットテープだった。

ラベルには、
その頃流行っていた歌手Sの
新作アルバム名が書いてある。

見た瞬間、誰から贈られたのかすぐ分かった。

得意先回りのTさんからだった。

Tさんは40代の男子行員。
あの頃の銀行員のなかでは異色の存在だった。

バブル真っ只中、
出世を目指して残業+接待に明け暮れる行員が多い中、
彼はいつも定時に帰宅していた。
部での飲み会にも殆ど参加しない。

小耳に挟んだ情報によると、
彼はシングルファーザーで
高校生の男の子を男手一人で育てているという。

朝、お弁当を作って持たせ、
帰れば食事の用意や家の中のことを、
あれこれこなさねばならないだろう。

銀行での付き合いなど、できないに等しい。

そんなTさんだが、ひょんなことから
歌手Sのファンだということがわかった。

名古屋で行われたコンサートに
当時付き合っていた夫と出掛けた時のこと
帰りの駅のホームでTさんと出くわしたのだ。
お互い、コンサートのパンフレットを手にしている。

Tさんは照れくさそうに
「あれ?tenchanさん、コンサートに来てたの?」
と話しかけた。
「そうなんです。もしかしてTさんもファンなんですか?」

聞けば、Tさん、以前からその歌手のファンで、
コンサートがあれば必ず聞きに行っていたそうだ。

「僕はね、昔から彼の歌が好きなんだ。
特に詞がいいんだよね。
今日は来なかったけど、いつもは息子も連れてくるんだよ。」

お子さんを一人で育てながらも
自分の趣味をこうして楽しんでいるTさん。
きっと家でもよいお父さんなのだろうな、と想像できた。

だから、クリスマス会のプレゼントでカセットをもらったとき、
Tさんだと確信したのだった。

クリスマス会の翌週、
廊下でTさんとすれ違ったとき、
「tenchanさん、あのカセット僕からだったんだよ。」
と教えてくれた。

もらったカセットはドライブのお供によく聞いていたが、
あれから時代は移り変わり、
車で音楽を聴くときはCDを持ち込むようになった。

カセットテープは押し入れの奥に押しやられてしまった。
というか、カセットデッキそのものを見かけなくなってしまったではないか。

かつて飛ぶように売れていた「ウォークマン」だって
とうとう生産終了したと、先日ニュースで伝えていたし。

ああ、
私のようなアナログ人間のためのアナログ製品が
こうしてこの世からどんどん消えていくのだなぁ~。





バイキンマン

2010-11-01 12:52:28 | 銀行員時代
忘年会の季節にはまだ早いが、
この時期になると、
銀行員時代の恒例行事
「クリスマス会」での出来事を思い出す。

入行3年目ともなると、
支店の中の色々な「係」をやらされる担当することになる。

この年は「行友会」のメンバーになった。
「行友会」とは、ボーリング大会、ソフトボール大会など、
行内のレクリエーションを催行する係だ。

クリスマス会は年末の重要行事の一つ。
毎年、ホテルの宴会場を貸し切って、
立食パーティーをすることになっていた。

クリスマスといえばサンタクロース
サンタクロースといえばプレゼント
という実に単純な発想で、
プレゼント交換なるものも行われた。

輪になってプレゼントの包みをグルグル回して
音楽が止まった時に手にしていたものが自分のプレゼント、
というのが、このうような会ではお決まりのパターンだが、
支店では別のやり方をしていた。

前もってくじを引き、プレゼントをあげる相手を決めておくのだ。
そして、その人の趣味に合いそうな喜びそうなものを
千円程度の予算で、(ちょっとぐらいオーバーしてもそれは買う人の度量の広さということで)
買ってくる、というルールになっていた。

クリスマス会が近づいてきたある日、
私は支店長の秘書に呼ばれた。

何事かと思って伺うと、

「tenchanさん、あのね・・・・。
あなた、申し訳ないけど、支店長へプレゼントする係になってくれないかしら?」

えぇ~!私がですか?
それはまたどうして?

「去年のクリスマス会のこと、覚えてないかしら?

支店長へのプレゼント、

バイキンマンのぬいぐるみ

だったのよ。

支店長、
『冗談にも程がある。』と、随分ご立腹でね・・・・・。

だからお願い。あなたに支店長向けのプレゼントを見繕ってほしいの。

今年は行友会でしょ。ちょうどよかった~。あなたにしか頼めないのよ。」


という訳で、
支店長へのプレゼント係を仰せつかったというわけだ。


どうしよう~どうしよう~。
何にしよう?
っていうか、一体何を買えば失礼にはならないのかしら?

1週間ほど悩んだ挙げ句、
ショパンのノクターン集のCDを買うことにした。

あの頃、CD一枚は確か2500円程だったと記憶している。
でも、支店長へのプレゼントだ。
予算がどうのこうのなんて言ってられない。

そしてクリスマス会当日。

プレゼントがいっぱい入った大きな袋から
サンタ姿の男子行員が一つずつ取り出して
包みに書いてある名前を呼び上げる。
名前を呼ばれた行員は前に出て受け取る。

全員に行き渡ったところで
包みを破って中身を見る。

前列に並んだ支店長も中を開けた。

出てきたのは私の選んだショパンのCD。

支店長は
「いや~。誰だか分かりませんが、ありがとう。嬉しいね。」
と、にっこり微笑みながら仰った。

閉会後、秘書さんが私のところに来た。
「tenchanさん、ありがとう。支店長もお喜びだった。助かったわ。」

ふー。肩の荷が下りた。
プレゼント交換が終わったあとは、
料理をバクバク食べたのは言うまでもない。


ずっとあなたが好きだった

2010-09-10 13:08:19 | 銀行員時代
先日、銀行の同期Kちゃんとランチした時
3時間ぶっ通しでガーズルトークしたのだが、
その時思い出した銀行員時代ネタを記事にしてみる。




同期入行のMちゃんは、
女子の中で一際目立つきれいな子だった。

きれいなだけじゃない、
地元の国立大卒の才媛で、立ち居振る舞いもお淑やか。

何か話しかけると、大きな瞳をゆっくり閉じて「うん」と頷きながら聞いてくれる。
女性から見ても
本当にかわいい~!って虜になっちゃうくらいだった。
あの頃流行った言い方をするなら
「お嫁さんにしたい候補NO.1」間違いなかった。


ところがなんと、Mちゃんはその時既に婚約していたのだ。

「秋にはお医者様と結婚するんだって~。」

当時、「腰掛け」と言われていた女子の事務職。
結婚後退職する人が多い中、
せめて2年以上は勤めてほしいと企業側は望んでいたし、
女子も不文律のようにそれを守っていたものだ。

なのに、半年で辞めるっていうのはどうよ?

まあ、いろんな事情があるのだろうから
私たちがとやかく言う事ではないが、
それにしてもね~・・・・・
というのが、周りの女子の冷ややかな反応だった。


入行後、何かと理由をつけて同期会を開いていた私たち。
名古屋市内のちょっとお洒落なお店に集まり、
ご飯を食べたり飲んだりしていた。

Mちゃんはそこでも人気者。
男子が周りに集まってくる。

でも、フィアンセのいるMちゃんは、
どんなに誘われても、
相手を傷つけないよう
さりげなく、上手に、断わっていた。



それからしばらくして、私たちはある噂を聞いた。

Mさんが同じ支店に配属された同期のY君と付き合っているらしい!

最初はグループで映画やドライブに出かけていたのだが、
そのうち二人で会うようになったという。

しかも困ったことに、Y君、
Mちゃんのことを真剣に好きになり始めているらしい。

MちゃんもMちゃんだ。
婚約しているのにちょっとそれは軽率じゃない?




そして夏が終わる頃、
Y君はとうとう、Mちゃんが寿退職する事を知ってしまったのだ。


「結婚するって決まってんなら、初めから就職なんてするなよ!」

別れ際にY君は、こう言い捨てたそうだ。


程なくMちゃんは盛大な結婚式を挙げ、ご主人と共に海外へ赴任した。

だが、なんと、
それから1年もたたないうちに、
彼女は離婚して日本に帰ってきてしまったのだ。

「やっぱりY君のことが忘れられなかったの。」
Mちゃんは親しい友人にそう語ったそうだ。


振られたY君は、どうしたかって?
銀行を辞め、大手メーカーに再就職した。
Mちゃんが離婚したことは、最後まで知らなかったということだ。

銀行員時代 貸金庫のお守はつらいよ

2010-08-23 12:39:04 | 銀行員時代
銀行には支店の規模によって「貸金庫」なるものが設置されているところがある。

銀行の巨大な金庫に引き出し式のボックスが作られていて
顧客はそこに通帳や証書、現金や貴重品などを入れておく。

貸金庫に入れるのは契約者に限られていて、
行員は利用者から「補助してほしい。」と依頼されない限り、中には入らない。
金庫の中には個室も用意されていて
他人に見られることなく出し入れが出来るようになっていた。


更新は1年ごと、利用料金は口座振替で支払ってもらっていた。

しかし、世の中「よいお客様」ばかりいらっしゃるわけではない・・・・・

中には預金残高が足りなくて
料金未払のお客様もいた。

催促の手紙を出しても、一向に払うつもりはないらしい。
支店としてもそのまま放っておくわけにもいかず、
上司は頭を悩ませていた。



未払が5年分になった頃、
新たな手を打つことにした。

その顧客の口座は、普段殆ど動きがなかったが、
1ヶ月に一度、必ずどこからかまとまって振込があった。
すると、それを待っていたかのように、即日ATMで引き出されることが分かった。

上司はそこに目をつけた。

公共料金、クレジットなどの口座引き落としは
原則としてコンピュータが自動で処理する。
預金残高が足りない顧客のものは、翌日エラーとして上がってくる。
口座には「ミバライキンアリ」のメッセージが登録される。

後日、振込などで入金があると、
端末オペレーターはまず口座情報を確認する。
「ミバライキンアリ」のメッセージが出ている場合、
一旦入金は保留し、担当部署に知らせる。
知らせを受けた部署は入金と当時に未払金を引き落とすのだ。

上司はこの口座に「カシキンコリョウキンミバライアリ」のメッセージを登録するよう命じた。

数週間後、為替課から「該当口座に入金予定あり」の連絡が届いた。

今がチャンスだ。


為替には入金をストップしてもらい
貸金庫料金支払いの伝票を用意した。
そして入金後即、引き落としの手続きをしたのだ。

その顧客から「貸金庫契約解除手続き」の申し出があったのは
翌週のことだった。