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〜幸せへのアプローチ・ちょっと待って!スピリチャルと言う前に〜☆生活の中のこころ発見をひと言で綴る【本日のサクラサク言】

【 本当のうつ病 】と【 身勝手うつ病 】とは  パート 1

2008年09月20日 11時55分24秒 | Weblog
ネットニュースで 「新型うつ病」蔓延か?!
という話題を見つけた。

これだけのニュースなら別に目にとめることもないのだが
その次の小見出しに引っかかった。

【 自分を責めるのではなく 身近な人間や社会に対して攻撃的 】

以下原文そのままに紹介する。 

最近の精神科専門のクリニックは
予約を取ろうとしても患者が多すぎて新患は3ヶ月も待たされる場合もあるそうだ。
仕事中にだけうつになり 会社の外では元気 というのが特徴で、
若い世代に目立つというこの「新型うつ病」なぜ増えているのだろうか。

・・・・ 中略 ・・・・

これまでの「うつ病」といえば 几帳面でまじめな人がかかりやすく
落ち込み 自分を責め 自殺に至るケースが多いというイメージだった。
しかし 2007年から急激に増えだしたとされる「新型うつ病」は
仕事中だけうつで 帰宅後や休日は普段通り活発に活動する。

自分を責めるのではなく 身近な人間や社会に対して攻撃的な態度になり
休職したとしても会社や同僚にかける迷惑などあまり感じない
というのが典型らしい。

朝日新聞の2008年5月17日付けには
精神科クリニックが患者でパンク状態になっているのは
「新型うつ病」患者が急増したからではないか と書かれている。
「新型」は20〜30代に目立ち
都内のあるクリニックでは患者の4割前後を占めるのだという。

厚生労働省の調べによると うつ病 躁うつ病の患者総数は
1999年の44万1千人に対し2005年は2倍の92万4千人に増加。

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自分の容量を超える出来事が起こると
人間誰しも動揺するのは当たり前のことであるが
最近の私の経験で
『 え〜〜このくらいのことで 引っ込みますか????? 』
という大人を目撃することがある。


始業3分前 
「 昨夜冷たいものを食べてお腹をこわしたので 今日は会社を休ませていただきます。 」
その電話も 本来伝えなければならない相手を外して
休暇取得の是非の決定権がない立場の人物に連絡してくる。

同日 お昼ごろ 用事があって彼の自宅に電話すると 只今外出中とのこと。
朝 電話を受けて伝言をした私としては
なんだか会社に自分が『 うそ 』を伝えてしまったような責任を感じて

「 なぜ 外出になるわけ? 」と尋ねると
「 午後から 体調が回復したからです。 」と 誠にあっさりと爽快な声で返された。

私は 続けて聞いてみた。
「 ご飯は 食べられたの? 」
「 はい。おかげさまで頂きました。」
「 ・・・・。ま まあ 明日 話しましょう・・。」
「 ありがとうございます。ご心配頂いて。 」

と 最後に 丁寧なお礼を言って電話を切る彼は
明日私が 彼に何を言おうとしているのかなど まったく関心がない様子。

あっさり自分を守る為の『 うそ 』をつく
いや 彼にとっては『 うそ 』ではないのである。
だって 私に電話をするまでは 確かに彼はお腹が痛かったのだから・・

翌日 彼は悪びれもせず登社してきた。
いつものように 始業 飛び込み2分前に。

しばらくして 社内の年長者が彼に苦言を呈する。

昨日の欠勤に関わる社会人としての振る舞いの【 誤り 】を。

年長者は 最初 穏やかに説く。

しかし 彼は 労働者としての権利を語り始めた。
労働者には休む権利が保障されているはず と。

傍で聞いていた私は思いっきり彼の顔を見た。
『 ええ〜 貴方は誰よりも責任ある立場では!! 』

年長者と彼は 一向に話が通じない。

年長者は 最後に 父親になる作戦をとった。

それはどういうことか というと
分からない息子に【 威圧 】してでも社会の常識を叩き込もうとする形である。

しかし 当の本人は 年長者が熱くなればなるほど
自分を守る態勢に入り 権利と言い訳ととても弁舌爽やかに切り返す。

彼は 見える権利を前面に押し出し
年長者は 見えない世の中の条理を説く。

年長者の
「 その次とるべき行動くらい推して計るべしだろう
  おまえ 馬鹿か!! やめてしまえ!! 」
と言われても 「 推して計るべし→ 想像力を働かせて先を読む 」なんてことが出来ないからこそ詰まっているのである。

それどころか会話のあいだが抜けて
「 おまえ 馬鹿か やめてしまえ 」
という言葉に引っかかり そのコトバしか記憶に残らない。
その限られた記憶を元に彼は人に「 どんなに自分が冷遇されているか 」
を 話すわけだから 正確な情報は外には出ない。


こんなことが何度か続いた。

そして 彼は 年長者に【 心理的攻撃 】を受けたと言い
全ての人的道徳 金銭的社会的責任を放棄して会社を去っていった。

日頃から彼と年長者のやり取りを見ていたら
その年長者の荒いコトバが何処から生まれ 本当は相手に何を伝えたいのか理解できるが
その背景や日常を知らない人が
エキサイトしている彼らの一場面を切り取り目撃した場合
確かに 厳しい きついコトバ と感じるのかもしれない。

私はこれまで「 誠意を込めて人に話せば 解ってもらえない相手はいない 」
という信条で生きてきたが
ここにきて もう それを望む時代ではないということを感じ始めている。
あきらめも 肝心 かな・・と。

そういう意味においても 年長者は尊敬に値する。
人に伝えることをあきらめていないのだから すごい。

しかし 体当たりで伝えるのは
この時代 もしかすると法に訴えられる危険もある。

私は 伝えきれず苛立つ年長者のデスクの上に そっと
「 パワーハラスメント 」という用語の詳しい説明を書いた資料を置いた。

年長者は ちらりと見て そのまま読まずに屑篭に棄てた。

人が 折角よかれと思って用意した資料をあっさり棄てて・・もう!!!
と 思わず・・・

「 これからは 訴えてくる人間も新人類なら
  その話を表面だけさらってその訴えの手伝いをする人間も
  みんな みんな 新人類になっていくんです。
  少しはご自身を守る方法を身につけないと
  ついて行ってる皆も 会社も迷惑ですから!!! 」

と 言ってしまった。

すると
「 迷惑なら 皆 ついてくるな!!
  怖がっていて 何が伝えられる!! 」
と 一蹴された。

返す言葉がない。

数日後 その彼は退職の意思表明とその理由を伝えに来た。
「 僕にはうつ病の症状が見られる と言われました。 」と。


その声が とても弾んで聞こえたのは私の気のせいか。

最初の話に戻るが

お腹が痛くても職場の責任を感じて無理を重ねて 最終的に「うつ病」にかかる人

お腹が痛い 大事な自分の体調を考えて会社を休む 翌日 会社で居心地が悪い
このような【 一番は自分的行為 】を繰り返すことによって 
周囲との関係がギクシャクするようになり 次第に孤独になってくる
そして最終的に 僕(私)は権利を履行しただけなのに 僕(私)は悪くない
なのになぜ みんなは僕(私)を受け入れてくれない!!
と具合が悪くなる・・・・

これが「新型 うつ病」か・・。

前者の「 うつ 」の場合には 感じすぎる責任を外し「 もう少し自分を大事にしようよ 」と アドバイス出来るが
後者の「 うつ 」の場合には 感じすぎない責任と忍耐を教えなければならないので大変である。
「 周りが悪いのではなく 貴方が甘いのよ 」と真実を言おうものなら
「 今のコトバで傷つきました。 」
となるかもしれない と思ったら なかなか・・・。

      ( 後半へ続く )      
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テーマは こども

2008年09月13日 23時35分47秒 | Weblog
人生最後のテーマは「 こども 」と決めてこのHPを開設して丸7年。

時々「 村上さん!それ(今している活動)と こどもと
    どう関係しているんですか? 」
と 聞かれたり 叱られたり 疑問を投げかけられたりする。

ん・・・と。

私の中では 全部 繋がっているんだけどなぁ・・・
というか・・・
将来 繋がってくるんだけどなぁ・・・

としか 今は言えない。

最後まで 見ていて下さい としか。

ひとりで動くは 所詮1は1
お金を配るは 焼け石に水
ブログで書くだけは 机上の空論、理想論
理屈を語って歩くだけは 「わたしって正義でしょ」と自己満足

そこで 「 こども 」の未来を!と考えている
同じ志の人を応援することに 近年は力を注いできた。

しかし・・・
みなさん最初は「 必ず こどものために 」とお約束くださるのですが
「 ○○(←人によって異なる)を手に入れる 」と前出の「 こども 」が
いつの間にか「 じぶん 」に変わる。

ええ ええ。
かく言う 私も何度も・・・
ふと気付くと「 じぶん 」に入れ替わっていましたから
人様にえらそうなことは言えない。
おお 危ない!危ない!

その度に気付かせてくれたのが
私にとって世界で最も厳しい視線を寄せる娘。

その娘が この春から間近で365日24時間 私の背中を見ている。

みんなの反対を押し切って それでもあなたの目指した
「 こどもの未来活動の行方は? 」と
言葉にならない言葉をビシビシ伝えてくる。



先日 四国の あるテレビ局の開局記念番組の中で
来年度 休校(実質 廃校)が決まった離島の小学校の3人の児童と
今お世話しているタレントさんとの
【 音楽で触れ合う3人のこどもと
     あるシンガーソングライターのドキュメンタリー 】
のロケに出掛けた先でも同じことを感じた。

こどもは 真実を見ている・・・。と。

人口150人の四国のとある離島
島民が全員歌えるという歌は 小学校歌
児童3人が 学校の好きな場所を短文にする
そのメッセージをつないで タレントが即興で歌にする

最初で最後の華やかなイベント会場となった海際の体育館
児童の家の船が持つ 錦の「 大漁旗 」が帯のように横断する中
来春最後の卒業生になる男の子が歌う
「 お父ちゃんのように この島で 立派な漁師になる 」と

前取材では 女先生が
「 シャイで・・もしかしたら 問いかけると泣き出すかも・・・」
と心配していた彼が 堂々と前を向いて歌う

大漁旗の飾り付けが終わったとき 彼から私に話しかけてきた
「 あれ うちの父ちゃんの旗や 」と。

その父ちゃんは
もしかしたら 午後のコンサートの折には
隣の島で会議があって間に合わないかも・・・
と言っていた

朝の準備のとき見かけた父ちゃんは
白いTシャツの袖をくるくるっと巻き上げ
その下にのぞく太い腕
分厚い胸板
黒く光る日焼けした顔
鋭い目つき

しかし
父ちゃんは 息子の発表に間に合った
体育館の一番後ろで 息子の歌を聞いた

ほどなく 父ちゃん
巻き上げていた袖の片方を ほどいて・・・顔を拭く・・・ 

汗・・?
なみだ・・?

イヤだ。
こっちまで泣けてくる。

わたし かっこわるいじゃん。
企画 持ち込んだ当人が泣いたら 自己満足の世界じゃん。

クルーに見つからないように 廊下に出る。
上を向いて眼の水分を奥に戻す。
最近 すぐ涙出るよね。
いやいや 前からかな・・・。
気をそらして平常心を取り戻す・・。


こどもはちゃんと見ている。

親の

1%の コトバと
99%の 背中を

こどもには 本気しか伝わらない。


「 こども 」を応援しているタレント U 女史を応援して
良かった・・・と 思う。


ひとりのちからよりは2人 2人よりは3人 
こどもは 未来の日本の宝と 改めて思う一日だった。

わたし・・・母ちゃんも ガンバろ。
背中 磨こ。
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故郷の匂い

2008年09月09日 14時17分23秒 | Weblog
眼下に瀬戸の島々が見え始めたら まもなく故郷

空港に降り立ったら ふと 草の香りが・・・

同行者が

「 間もなく 刈入れですか? 」と聞く。

「 いいえ もっと穂が艶やかな黄金色になって
  田んぼの真ん中が 窪んできたら・・・ですね。」

この 代わり映えのしない田舎の風景を
当時 週3で担当していた朝のラジオで
『 どう表現しようか・・・ 』と悩んでいたのを思い出す。

変わらない環境には 変化を求め
変わる環境には 安定を求め
人間とは勝手なもの

タクシーの窓から入る風を感じながら
変わらないものの優しさを思う。


今日 路地モノの青い蜜柑 買おう。
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安 堵

2008年09月08日 23時46分31秒 | Weblog
法律が こころを汲み取り動きました。

プライバシーがあるので 詳細は申し上げられませんが
前出の6人の子供が歩ける道ができました。

東北は 今・・・
緑さやけき山の脈が連なる 美しい季節を迎えています。
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明日 晴れますように。

2008年09月07日 22時46分38秒 | Weblog
明日 6人のこどものあしたのために動かせて頂く。
とても緊張している。
昨日から熟睡が出来ないくらい。

こどもの相談室とは今のところ名ばかり。
立ち上げたばかりの頃は 訳も分からず動いていたが
現状を知れば知るほど
焦燥感と無力感と いつの間にか諦めと言い訳ばかり・・

随分遠回りしているような・・・

しかし あまり苦労を知らないらしい・・(皆さんが口を揃えて仰るので観念して認めたところですが)私の
甘さを詰める為には必要な道程だったような・・・

兎にも角にも まだまだ目指しているところから遠い。
でも 頑張らないと自分の中の自分と 背中を見ている娘に恥ずかしい。

どうか 明日 伝わりますように。

想いのチカラが法律を超えますように。

久々に 心から手を合わせた。

先ずは 六人から。
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スピリチュアルイベントにて雑感 〜 チカラってなんだろう 〜

2008年09月06日 11時58分19秒 | Weblog
こんなところ見ていないだろうなぁ というところを 
結構 他人は見ている。

仮に誰が見ていなくても 自分が見ている。

自分の中の自分は 誤魔化せない。

その行為が 何に根ざすものかを
自分は ちゃんと知っている。

笑っていても

泣いていても

怒っていても

余分を取り除き「 芯 」を見れば「 動機 」が分かる。


見えないものを見る「チカラ」とは
透視や占いやあの世の世界を知る「 ノウリョク 」ではなく

この世に起きる出来事や 人の言葉や自分のココロの
真実を見極める「 ノウリョク 」をいうのだと感じる。

笑っていても 泣いていたり

泣いていても 笑っていたり

怒っていても 包んでいたり

見えるところに振り回されず
見えないものを見通す「 チカラ 」

本当の「 スピリチュアル人 」とは
そういう「 チカラ 」を持つ人
あるいはそこを目指す人のことを言うのではないだろうか。
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小さな組織の小さな喜怒哀楽 1 〜小さな我社のスピリチュアル?!〜

2008年09月05日 22時37分26秒 | Weblog
怒る ということは 見逃すことよりも痛く難い(上司)

  怒られた と思うあなた
  怒っている上司の眼を見てみよう
  眼差しの奥に輝きがありませんか
  あなたの可能性を信じあなたの成長を祈る輝きが

怒られて こころを閉ざしたら そこで終わり、その先はありません。
上司の声のトーン 言葉遣い 顔の表情
全部「 見せ掛けのコワサ 」は取り除いて
相手が「 何を言っているのか 」内容だけにフォーカスして
怒っていることの「 芯 」を見たら 結構 そこには自分にとって
大切な成長の「 メッセージ 」が込められていることがあります。

この世で誰がアカの他人の私の為に大きなエネルギーを費やして
叱ってくださるでしょうか?

「 いわれの無い言いがかりの場合は? 」

いわれの無い言いがかりをされてしまう自分のどこかに隙があり
「 そこ 埋めなさい 」と教えられているのでは?

素直に聴く耳を持つ

私の課題です。

聴く耳持たぬ私のコトバを誰が聴こうとするものか(中間管理職)

明日は 晴れますように。



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あなたの モノサシ 伸びてませんか?

2008年09月05日 21時58分01秒 | Weblog
最近、只今のところ期間限定でお世話させていただいているタレントさんの仕事の関係で
音楽業界の方々にお会いすることが多い。

まだお若い駆け出しのマネージャークラスの方から・・・
自社ビル高層階の社長室で 頭ひとつで業界の方向を決めている人物・・・

この3ヶ月の間にいろいろな方と出逢い
さまざまなことを見せていただき さまざまなことを学ばせていただいたような気がする。(気だけかもしれないが・・・。)

そこで感じたこと。

業界は変われども 長くその場所に居りその場所で昇る人とは
他の業界で活躍される方々と同じ

超がつく「 常識人 」であり
「律」と「義」を大切に生きている人物でした。

そんな出逢いの中で 
最近の私に グサリときた言葉

「 自分のモノサシで モノをはかるなかれ 」

「 はかる 」という言葉を調べると この世にはなんとハカルものの多いことよ・・・

また「 はかる 」モノにはこれまた・・・
時間 こころ 熱 解決 工夫 将来 意図 真意・・ いろいろ

生きる ということは 常にいろんなことを「はかり」ながら
行く先を決断しているんだなぁ・・・
と思うと 

果たして 自分の「 モノサシ 」は正しいのだろうか と思う今日この頃

そういえば最近 自分にとって「 耳の痛いこと 」を聞いて聴かぬ私になっていたことに気がついた。


最近 敢えて厳しいことを仰って下さったお二人に感謝。


頑張っている関西の貴方様に・・・ 

いつも傍で 呆れながらも支えてくださる貴方様に・・・

くしくも同じことを同じときに言われやっと気がつきました。


「 あなたは 何がしたかったの? 」
 
「【 本末転倒 】を デスクに書いて貼りなさい。」


そして・・・

「 あなたのブログは 死んでるの? 」

「 あなたは 生きているの? 」


忙しい という言葉は 今日から封印します。

私のモノサシ かなり 伸びきっていました。
 
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それ名言

2008年03月13日 11時59分43秒 | Weblog
プロフィールにも書いたが
私の 生涯この一冊として大事にしている本は
詩人 中野 重治の詩集である。

この世の雑踏に消え入りそうな 小さき弱き者の心の美を表現させたら
この人の右に出るものはないと思っている。

全国の小・中・高等学校の校長先生がこぞって推奨する
相田みつを とか 金子みすず とか 
「 人はそれぞれ それでいい、それでいい 」という
全面「善」テイストのものより

「 とはいうものの・・・それで ほんとにいいのかなぁ・・・ 」とか
「 とはいうけど・・・ほんとはそんなこと言ってたら 取り残されるのでは
  ないかなぁ・・・ 」
という【 迷い 】がある方が私はこころの奥行きを感じるし
人の営みの上でのリアリティーがあると思う。

もうひとつ 私の愛読書に遠藤周作の「沈黙」がある。

キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭が
残忍な拷問に殉教していく日本人信徒の壮絶な苦悩を目の当たりにして
自らも背教を選んでいく様を描いている作品である。

日本人信徒がさまざまな拷問をもって「 神 」を「 棄てる 」まで
執拗に攻め立てられる究極の場面において 司祭が放つ一言・・・ 
「 あなた(神)は それでも沈黙 するのですか 」という問いかけが
初めてこの本を読んだ高校時代から ずっと胸に突き刺さっている。

あれから間もなく20数年が経とうとしているが
「 それでも 神は 黙っている 」に対する答えは
未だ得られていない。

昨今のスピリチュアルブームにおいて
神様が あるいは天使が あるいはあなたの後ろの存在が
「 ○○○○○ と言っています 」と
あっさり言われ あっさり信じている様子を見ていると
エンターテイメントとして楽しむ以上の入り方(はいりかた)には
とても危険を感じてしまう。

そんなに簡単に「 沈黙は破られる 」のか・・。

また 「 沈黙 」は 私にもう一つの疑問を与えた。

「 信じる 」とはどういうことか ということ。

信仰に限らず 人間社会の営みにおいて「 信じる 」ということは
知らず知らずのうちに自分以外の対象と取り交わされているこころのやり取りであるが
ひとたび気にしてみると これほどあやふやなものはない。 

この「 信じる 」ということ
入口 信じ「 はじめる 」ことは易しいが
信じ「 きる・全うする 」ことは容易ではない。


そんなとき

誰の目から見ても「 それ いつか必ず裏切られる危険要素持ってるよ 」
という人物あるいは事象を
一度信じたら「 裏切られる 」結果を見るまで
信じ通す人物に出会い

私は なぜ そんなリスクの高い物(者)にあえて関わるのか
不思議に思い 尋ねてみた。

すると その人は答えた。

自分は その人(事象)を信じているわけではない。

その人(事象)を信じると決めた 自分を信じている のだと。


信じた通りに成れば よし
信じたように成らなければ それは 己のミスであり
相手が悪いわけではない

と 聞いて理解したとき
ふと 前出 小説「 沈黙 」のラストと重なった。

幾多の困難を経験し 背教し 表向き棄教したように見える中で
宣教師が最後に得たものは
神学校で教えられた「 神 」ではなく
なにものにもよらない自分の中の「 神 」であった 

という結末。


「 なぜ こたえてくれないの 」
「 なぜ こんなに頑張っているのに 」

と 外に問う限り

さまざまな 幸運は「 沈黙 」しているのかもしれない。

かといってまだまだ未熟な私は

すべては己 という かっこいい武士にはなれない。

だからこそ「 迷い 」を持つ文学や人に共感を覚えるのだろう。

ただ ちょっと 最近ひねくれているけどね。

いかん いかん。

                  
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ななえさんとの約束

2008年03月12日 14時52分43秒 | Weblog
いち早いコメントありがとう。
いつも見てくれているんですね。
こころから感謝です。

ななえさんは 多くの可能性を秘めた女性だと
今後の成長を楽しみにしている人材の一人です。

「 将来 一緒に仕事をしよう 」

と あのホテルの喫茶店で約束したこと 私は忘れていませんよ。

実は あのホテルを含む企業グループの創始者は
地元愛媛で最初に「更生保護施設」(社会で過ちを犯した人たちの自立を支援する施設)
を自費で立ち上げた人物です。

氏についてはいろいろ言われる方もいますが
私は【 美しい言葉を並べる人 】よりも
【 行動を興した人物 】を信用するので
その実践力には頭が下がります。

直接的な面識はありませんが
同業後輩のピンチヒッターで行った
病院のロビーコンサートの司会の仕事の際にお見かけした
ちょっと周りと「 違うエネルギー 」をまとう
車椅子に乗ったお爺ちゃんが氏だと聞き 大層納得したものです。

社会で一定のことを成し遂げられた方は
横に拡がる平面エネルギーが「 うわぁーん 」(擬態語での抽象表現でごめんなさい)と広いのです。
(これは「巻き込む力」の尺度となります)
その時 すでに老人性痴ほう症で入院されていた氏には
最早そのエネルギーはありませんでしたが
残像というのでしょうか・・・
大きく生きられた方なのだなぁ・・・
と なんとなく感じた覚えがあります。

大きく生きる ということは この世の清濁を併せ呑むということでもあり
ビジネス社会で生き残る ということは ある方向から見ると○であっても
他方からみると×のこともあり その生き方は
清蘭潔白 道徳の教科書のようにはいきません。

しかし ビジネス界である程度の成功を収めた方が最終向かうところは
なぜか 慈善事業であることが多く  
それはきっと人生の最後に 差し引き【 よきもの 】を残そうと
されるのでしょうね。

人の根に【 善 】あり ですね。

私は 差し引きこの世に残すものが【 0(ゼロ)以上 】であればそれで良いのだと
近年やっと理解できるようになりました。

だから氏のように 差し引き多くの人の【 ありがとう(感謝) 】が残るのであれば
実践者として それはこころから尊敬に値すると思います。

なぜならば この世は
きれいな理論を並べる人は多いけれど
行動を興す人は少ないから。

もちろん 現時点の私も前者に留まっていると言えます。

今は亡きH氏設立の保護施設で もう少しお役にたてるように
私もこの春から 勉強をしようとしているところです。

今の 学校教育ではかばいきれない様々な才能を持った子どもたちのために
社会に問いかけていこう
社会に働きかけていこう
そして 社会を動かそう

ななえさんのように才能を持った若者を 守り育てないといけないと思っています。
それが未来の日本の宝ですから。

と言っても まだまだ言葉先行ですね。
形にして初めて「物種(ものだね)」 です。

只今 この目標 向かってはいますが
中々 現実社会は厳しいです。

でもね
私も私の場所で ななえさんとの約束を果たすべく
頑張ろうと思っています。

だから 同じ日本の空の下
ななえさんも 体に気をつけて
どうか ななえさんの場所で頑張ってください。

明日は 必ず晴れますから。
私は ななえさんを信じています。

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また 春は来る

2008年03月11日 23時13分07秒 | Weblog
ずっと応援していたお嬢さんが 今季 無事大学に合格した。

お母さんは壊れそうになりながら 本当に最後まで彼女を見守り続けた。
足かけ6年 ご家族でよく乗り越えられたと思う。
「 子供は 生きているだけでいい。 」
電話口で何度もそう話し合った。

しかし 少し調子が良くなると
親として もう少し・・・と つい口出ししたくなる。
そんなことを戒め合いながら 5年
お母さんに話すことは いつも自分に言い聞かせることに重なっていた。

この度の彼女の自立は 本当にうれしい。

心から おめでとうございます。

自分のことのように うれしい。

もしかすると 自分のことよりうれしい・・・

応援している人が しあわせになっていく姿を見るほど
うれしいものはない。

あらら・・
うれしい の大安売りになってしまった。


色々なお子さんの相談に乗り続けてもうすぐ丸6年を迎える。

そういえば
粉々に割れたガラス窓の破片を踏みながら怒鳴り合ったお子さんも
今ではすし職人と聞く。

みんな それぞれの形で苦しんだあと それぞれの花を咲かせている。

気がつくと 今まで応援させて頂いたお子さんとの出会いの数が 二桁になっていた。



それぞれの 春。

みんな 花をつける力は持ってる。

太陽は いつも平等に降り注いでいる。

雨も また 平等に降り注ぐ。

空気は いつもそばにある。

すべては 整っている。

あとは 勇気の第一歩

すべての子どもたちが 前を向いて歩けますように。

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右から読んでも そう・・か・・うそ 左から読んでも そう・・か・・うそ 

2008年03月10日 14時33分04秒 | Weblog
昔 テレビのクイズ番組で活躍していた
高知県出身の漫画家H氏の講演会の司会をした時に
見てしまった?聞いてしまった?話を思い出した。

本番までの待合時間にお茶を飲んだとき

H氏が携帯電話の通話を終わった際 呟いた一言。

「 嘘は つかれる側が
  つく側に(対して)つかれなければいけない関係を作っているから
  つかれるのでしょうね。 」

と 苦笑いした。

きっとH氏は 今 誰かに嘘をつかれたことが判明したのだろう。


同時に 子供のセリフを思い出す。
「 だって ママ ほんとうのこと言えば おこるじゃん 」

ある大人にもこんなことを言われた覚えがある。
「 嘘はついていません 本当のことを言わなかっただけです 」
変な 理屈であるが・・笑ってしまった。

本当のことを言えない空気 関係 人格・・・ 
つく側にも事情があり
つかれる側にも責任がないとは言えない

嘘。

言葉を持つ人間にしかできない「技」。
と 思うと それを上手に操れる人はかなりの「高等生物」となる。
ただし バレなければ。


女性の皆さんの相談の中で最も多い「人間関係の不調和」。
根源にこの「 嘘 」がある。

それは何も 恋人や夫が浮気したという分かりやすい「嘘」ケース
だけではなく
子供 嫁姑 親戚 近所 等々 の間でも
「 嘘 」= 「 裏切り 」が根をなす。 

「 私は(精一杯 あるいは 一生懸命)
  〜しているのに 相手は〜してくれない 」

「 こんなに可愛がっているのに 」
「 こんなに働いているのに 」
「 こんなに思っているのに 」
「 こんなに尽くしているのに 」

「 こんなに〜のに 」は 

可愛がられている方(ほう)
働いてもらっている方
思われている方
尽くしてもらっている方
には 重たい。

重たいと その荷物 時々下ろしたくなる。

あからさまに下ろすと わるいなぁ・・と思う場合は嘘も出る
と いうわけ。


人間関係に悩んで来られる方には 几帳面な性格の方が多い。
生真面目でいわゆるキチンとした方が悩まれている。

そういう方には ちょっと「鈍感」になっていただくのが一番。
人と人との間にある「 不透明な糸屑を 」ちょっと見えなくするために
心理的神経を抜かせていただく。(← これは 私がするのではありません。
当事務所の他の人の仕事です。)

少々のゴミは 見えないほうが 本人様も相手様も楽に生きられます。

知らぬが仏(知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。)は本当です。

見えなくなると 皆さん
「 考えようとすると なんだか眠たくなってきて・・・ 」
「 何だか 馬鹿らしくなってきて・・・ 」
と 言われます。

相手に 過度な期待をしない。
相手に 100%依存しない。(Max49%までに留めておく。)
こちら側には嘘でも 相手側には真実の場合もある。

人と人の間には 程よい距離感が必要なのだろう。

と かくいう私こそ 紺屋の白袴 
人との関わりにおいて丸ごと全力投球の癖抜けず
「 え〜 」「 そう・・か・・うそ 」と 激しく落ち込むこと多く
困ったものである。

     


 余談 見かけによらず(と言われるが)普段の私は
    本当に何でも「そうなんだぁ・・・」と超信じるタイプなのですが
    無防備に相手と話していれば話しているほど
    ふと「ちがうよそれ」という情報がいろいろなパターンでバシバシ入ってくる
    とてもある意味不幸な体質?で
    現実的な経営アドバイスの部分で関わっているスピリチュアルイベントで
    先日見かけた「 真実が見える石 」というポップが付いた
    結構なお値段がつけられていた石など
    たとえ 差し上げます と言われてもかたくなにお断りするだろう。

    目の前で【実際に】見えないもの 聞こえないものは
    そのまま 見えない 聞こえないほうが
    絶対に幸せである と確信している。

    数十万もする「 あなたも見えるようになります 」セミナーの類に
    なぜ あんなに人(特に女性)が集まるのか私には分からない。

    結婚式のスピーチ集 と言ったら必ず書かれているセリフ
    「 今日からは 片目をつぶって相手を見てください 」
    は 人間関係を円滑にするためのセリフとしても
    名言中の名言である。
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長く続くということは。

2008年03月08日 23時52分37秒 | Weblog
企業経営者や「道」(芸術・文化等)の代表者の話を聞いていて
良く聞く数字

「10年」。

「10年続けて はじめてその入口に立つ」と聞く。
それまでは「社会からの試用期間」みたいなものです・・とも。

それほど 続ける ということは難しい。
お金を出して「習わせて頂いている」芸事でさえ
10年続けることは大変なことなのに、
まして「社会からお金を頂いて行う」仕事、芸事を
10年続けるのは至難の業である。

経済産業省のデータによると日本は1989年以来
廃業率が起業率を上回る状態が続いているらしい。

これが 俗にいう「淘汰」の現象ならばそれも良しなのであるが
どうやらそうではないらしい、と経済学者は言う・・

なんて 特に経済に明るいわけでもない私ごときがブログに
書く内容ではないので ここは専門家に任せておくとして

「続いている人」には 一つの共通点がある。
 10年クラス ではなく「企業30年」と言われる
「 私 続けています=30年クラス 」になると
 その【共通項】ははっきりしてくる。

1 限りなく自分を信じている。

  謙虚なタイプ 自信家タイプ
  謙虚な振りをしているが実はこっそり自信があるタイプ 等など
  どうあれ 自分を信じる力がすざましい。
  彼らは神や仏という前に自分を信じている。

2 限りなくポジティブ思考である。

  限りなく100%絶体絶命でも
  表現は悪いが ゴキブリが隙間を見つけてすり抜けるが如く
  ピンチを乗り切る道を最後まで模索する。
  あきらめない 腐らない 怠らない 
  最後まで全力投球姿勢である
  そして すごいことに 最後は道なき道を拓いてしまう。

3 限りなく努力家である。

  見えないところで努力している。
  本人は当たり前のことをしていると思っているので
  人に聞かれてもそれが努力だと認識していない。

4 結果が全てだということを知っている。

  言い訳をしない。
  すべては自分の責とする潔さを持っている。


彼らは 握手すると手の温度が驚くくらい「高い」
彼らは 部屋に入ってくると驚くくらい空気が「膨らむ」
彼らの輪郭は 驚くくらい「鮮明」であり
彼らの眼は 驚くくらい「奥行きがある」

すべてはエネルギーなのか・・・

各世界の本物を見極める時
少し参考になるでしょうか・・・

ああ それから
彼らに「 スピリチュアルって単語 ご存知ですか? 」と聞くと
「 ? 」OR「 流行語 」と反応が返ってくる。

スピリチュアルを実践している人ほど
実は「 スピリチュアル 」という言葉を知らない。

前出の「 努力 」が当たり前のように。

「見えない世界の解明を求めて科学の実験台に上り続けて」30余年の人物N氏が言う。

スピリチュアルも【理屈】ではなく【結果】を出す時代だと。

当ブログ「 ちょっと待って スピリチュアルと言う前に! 」は
私自身が 限りなくスピリチュアルを肯定する立場で仕事をしながら
世間のまだまだ否定的な視線をしっかり受け止めつつ
「何が真実か見極めてみたい」という思いのもと
現場の今を書き綴っていきたい。

本日午後 大手新聞社から先日の取材記事が明日付けで掲載されるとの一報あり。
今までの新聞取材はすべて 生活文化部からの取材であった。
こちらは 取材対象のやっていることに是否を付ける性質のものではなく
比較的 肯定的好意的である。
しかし今度は 初の社会部からの取材。
こちらは怪しければ容赦なく切り捨てられる。
昨年末からの「スピリチュアル業界」は 社会的に「叩き」の傾向にあるのは
皆さんもご承知のところ。
取材の申し込みに 正直一瞬迷いはあったが
「ありのままを見て頂き ありのままを伝えて頂く」と決める。
「真っ直ぐは 必ず伝わる。」

経済産業省には スピリチュアルという業界があることすら
今もってまったく認識されていないだろうが
もしこの業界においても起業率と廃業率を調べたならば
2003年あたりから急増したスピリチュアルを扱った店の暖簾は
今年あたりから たくさんの数が降ろされることになり
起業率<廃業率 となるだろう。

確実に スピリチュアル界は「 淘汰 」が始まった。

最早 消費者は「 それで どう変わり(変われ)ますか? 」
と問うだろう。


ご無沙汰しています。って書くね。
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両方の眼で観る。

2008年02月12日 11時44分32秒 | Weblog
見える世界と見えない世界ではどちらが怖いか
それは もちろん 見える世界

見えない世界は 無関心でいれば大概 回避できるが
見える世界は そうはいかない。

それほど現実世界で生きるのは難しい。
生きるということは食べるということ。

昨日出のスピリチュアルイベント会社で何度言っただろう。
「人間は 霞を食べては生きていけないのよ。」
「消費者は 馬鹿ではないのよ。」と。

見えない世界を見える世界に転換して食べていく世界
=スピリチュアル

現役のマスコミの友人に
「あなたのやっていることって どうなの・・・」と聞かれる度に
すべての文化は玉石混交の中から淘汰され磨かれていくものだから
大きく見守って下さい・・・
と答えてきたが
そろそろ本格的な淘汰が始まるのかもしれない。

目に見えない世界を扱い仕事にする側も利用する側も
消費者保護法 名誉毀損問題 個人保護法 など
現実社会のルールを勉強しなければならない時が来たと痛感する。

そういう意味で
「晒される」
「試される」
「比べられる」
「結果を問われる」
ということは歓迎されることなのかもしれない。

日本においてもスピリチュアルがどんどん科学検証される日が来ることを
望みたい。

その時にはいろんな意味で「ある」と肯定し
そこで責任と覚悟をもって仕事をしている人間は
喜んでその検証に協力するべきだと思う。

と同時に
「否定」という着地点が決まっている報道ではなく
「中立」で観る姿勢で是非 スピリチュアル界を報道して頂きたい。

なぜならば 私もこの世界の「本当」が知りたい一人であるから。


    〜 イベントに参加している方達を
         正面から取材をして頂きたいとお願いした貴方さまへ 〜

      追伸 約束を守って頂いたこと 本日確かに確認しました。
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納得いかないと進めない性格とは。

2008年02月11日 11時23分28秒 | Weblog
昨年から 古い知人が代表を務めている「スピリチュアルイベント」の
現実的な経営のアドバイスをしつつイベントの運営に手を貸しているのだが
どうもこの「スピリチュアル」という言葉に馴染めない。

商品を愛さないとモノは売れない
という理論は 経営の鉄則であるが
愛せないものを愛せということにも無理がある。

そこで なぜ愛せないのか考えてみた。

理屈が通ってないと動けない性格の私
今度 全国3か所でその例のイベントで
スピリチュアルに関して人前で話をする。

スタッフに「題(タイトル)は どうしますか?」と聞かれて
口をついて出てきた言葉が
「ちょっと待ってスピリチュアル」だった。

自分の顔写真とそのタイトルが刷られたチラシを見て
私は複雑な気分になる。

なぜ そんな気が進まない話を受けるのか?と聞かれそうであるが
それは簡単である。
私の講師料がタダであるから。

これまで さんざん人の人生に関わるインタビューはしてきたが
こと自分の「本音」を人前で話すのは苦手である。
本当の話 というのは 自分には覚悟があっても
人にとっては痛いことがあるから披露の加減が難しい。

かの友人にはこれまで
あまりにも代表としての振る舞いの拙さに業を煮やした折に
「 私が全部話すときはここを離れる時ですよね。 」
などと脅しともいえる言葉を使って スピリチュアルイベントを開催する
会社の代表としての自覚を促すのだが・・・・

今 確実にスピリチュアルブームは去り始め
ふるいにかけられる時を迎えている。
世間もマスコミも「このスピリチュアルという代物が
このまま世間に放置していて害のないものか
はたまた ここでとりあえずは消し去っておかなければならないものか」
答えを出そうとしている。
今年に入って実際に厳しい取材活動をしている現場にも出くわした。 

経営の手伝い という立場では当然「スピリチュアル万歳」トークを
展開するのが当然だろう。

しかし 目に見える世界だけがすべてのマスコミから
5年前とあることをきっかけに180度転身した私の眼には
スピリチュアル界の現実を見る中で
「その立場なら それは取材したくなるでしょう。」と思う
問題点が多々見られることもまた真実である。

もちろん私は 目に見えない世界の存在の肯定派である。

すべての科学は非科学の域から証明を通して認知されてきたものであるから
「ない」ものは「ない」ことを証明できない限りは 限りなく「ある」かもしれないわけで
何より私は「ない」ものを「見てしまった経験」がある以上肯定することが最も自然な成り行きであったから 今ここに至っている。

でも 最近 この「見えない世界」に落ち着きが悪いのである。

何かがしっくりこない。

今 自らの稚拙な思考の中で何がどうして「ストップ」がかかっているのか
整理しているところである。

きっと 先のイベントでは もしかして
商品を愛さなければならない私の立場では
通常はタブーとされるスピリチュアルの現実を言ってしまいそうで
気が重い。

そんな 私は 自分の話のときにだけは あまり人が集まらないことを
願ったりしている。
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