「夏休みの思い出:プライスレス。
お金で買えない価値がある。
買えるものは マスターカードで」
あのコピー考えた人はホンマすごいわ。
ホンマに思い出や経験、体験はプライスレス。
お父さんとはなんだかんだ対立や争いが絶えないけど、それはやっぱり似たもの同士やからやろうか。お金の使い方というか、かけ方も、うちはお父さんの影響をめっちゃ受けてると思う。
モノよりも、経験や体験、思い出にお金をかけるとこ。
なんだかんだで4年が過ぎ、パキットとも5年目を迎えました。
さすがに4年も経てばお互いのことが少しづつ分かってきて、昔は言い合いやケンカになっていたようなことも、今では笑って冗談にできるようになりました。
うちのタガログ、ワライもまだまだやし、離れている時間の方が長いし、生活基盤も全然違うし、ホンマの意味で「お互いを理解し合う」というのは言葉で言う以上に難しい。。。
でも一つだけ、うちらには自慢できることがあります。
それは二人でシェアしてきた素敵で大切なとても面白い体験、経験の数々。
うちもパキットも、JAPSAMの活動や、二人旅、マニラ散策を通して、またそこで出会った人々を通して色んな特別な体験をしてて、しかもその体験を、同じ場所、同じ時間に二人で共有してる。
JAPSAMの活動で言えばパキットの方が先輩やし、今でもJAPSAMの活動やソルソゴン村について二人で語らうときもあります。彼にとって14歳から今まで成長する過程で、チョイさんやJAPSAMのメンバーとの日々がどれだけ彼の人生にポジティブでいい刺激と影響を与えているか、パキットと話していれば一目瞭然やし、そこで出会ったうちらが、単なる外部者と現地住民という関係を越えて過ごしたサマールでの時間はすごく大切なものでした。
二人でミンドロに旅行に行ったときは、マンギャン族の村に行こうとして迷って、ムスリムのちびっ子兄弟に遭遇して案内を頼んで、その子たちのおうちにお邪魔して、ムスリムの家族と色々話したり。
プエルト・ガレラのビーチにたまたま来ていた、フィリピン滞在歴12年、なまりの無いキレイなタガログを流暢に話すドイツ人ミッショナリーご夫婦とじっくり話したり。
そのビーチにこれまたたまたま来てた、フィリピン大好きオーストリア人老夫婦と出会って話したり。お二人は旦那さんの定年後、大好きなフィリピンに移住し、オーストリアとドイツのミッション系NGOで養育放棄、麻薬中毒、売春をしていた子どもたちのリハビリセンターで、子どもたちのお世話係り&おじいちゃん、おばあちゃんをしながらケソン市のスラムの家で生活している。その団体の子どもたちともビーチで仲良くなって、夜のワークショップ、座談会、子どもたちの演劇発表会にも呼んでもらった。マニラに帰ってからも、二人で何度かおばあさんと子どもたちを訪ねたし、行くたびにおばあさんはドイツ料理をもてなしてくれた。
バナウェに行ったときは、案内してくれた地元のトライシクルのお兄ちゃんと仲良くなって、バナウェのことを色々聞いたり、大雨のせいで土砂崩れに遭遇し、帰りのバスで立ち往生したり。そのバスに乗り合わせた唯一の客がうちらと、中国人男性とオーストリア人男性。ぐしゃぐしゃの道を歩いたり、ジープやバスを乗り継いで2日間かけてマニラに帰る道中、その4人でずっと行動を共にした。
アンゴノへ行って有名なフィリピン人画家たちの作品を観たり。
ボーディングハウスのインドネシア人神父さんたちや、日本人みんなで話をしたり、飲んだり、インドネシアの歌を聞いたり。
国立博物館行ったり。
そして色々あるけど何よりも重要だったのは、この9月にマニラのロラズハウス(戦争中に日本軍に性奴隷被害を受けたお婆さんたちを支援する団体)で、おばあさんの被害の証言を同じ場で聞いたこと。これは本当にすごい意味を持ってる。当時戦争の加害者だった日本人と、被害者だったフィリピン人。でもお互い戦争を知らない世代の若者が、おばあさんの口からあまりに残酷でリアルで心をえぐられるような「戦争」の実態を聞く。二人とも言葉がわかるから、通訳を介さず、おばあさんの生の声でそのまま。あの場にいた誰もが涙を流していたし、パキットにも、とてつもないショックを与えていた。
最後に何としても自分の言葉でお礼を言いたかったうちは涙でぐしゃぐしゃになりながらも、気持ちをおばあさんたちに伝えた。ひと段落した後、自分の言葉がちゃんと伝わってるか不安で押しつぶされそうになってるときに、パキットはうちの肩に手をまわして「大丈夫。ちゃんと伝わってたよ。すごいすごい!」と言ってくれた。その後、おばあさんが話してくれたことについて、パキットたちが自分のおじいちゃん、おばあちゃんたちから聞いた戦争の話について、ソルソゴンのお年寄りとJAPSAMの活動について、パキット、うち、ヤス、リンゴの4人で話し合った。
過去の戦争の実態を、日本とフィリピンの若者がフィリピンの被害者のおばあさんから直接聞くこと自体、歴史の現場に立ち会うというとても意味深いものだ。
ロラズハウスでの体験をはじめ、こんなことはなかなか経験できない。もし同じ体験でも、日本人同士でこれらの体験をフィリピンでするのとは全く意味が違う。うちは日本人でパキットはフィリピン人。違うからこそ、もっと面白い。そして全部フィリピンで起こったことながら、そこには日本でもフィリピンでもない要素も含まれていたりする。フィリピンで、タガログ語で、英語で、でもドイツ人の、オーストリア人の、中国人の、インドネシア人の、そして個々人の視点。
これまで一緒にいた時間は、計約1年3ヶ月。
1年3ヶ月でこれだけの経験や考えを共有できるカップルはなかなかおらんと思う。お金はけっこーかかるけど、ただご飯食べたり、プレゼント買ったり、買い物したり、遊んだりよりも何倍も濃い。
経験や色んな人との出会いは、人生を心を豊かにしてくれる。
これからもこんなプライスレスな体験で埋め尽くされる時間を人生を、二人でシェアしたいな。
お金で買えない価値がある。
買えるものは マスターカードで」
あのコピー考えた人はホンマすごいわ。
ホンマに思い出や経験、体験はプライスレス。
お父さんとはなんだかんだ対立や争いが絶えないけど、それはやっぱり似たもの同士やからやろうか。お金の使い方というか、かけ方も、うちはお父さんの影響をめっちゃ受けてると思う。
モノよりも、経験や体験、思い出にお金をかけるとこ。
なんだかんだで4年が過ぎ、パキットとも5年目を迎えました。
さすがに4年も経てばお互いのことが少しづつ分かってきて、昔は言い合いやケンカになっていたようなことも、今では笑って冗談にできるようになりました。
うちのタガログ、ワライもまだまだやし、離れている時間の方が長いし、生活基盤も全然違うし、ホンマの意味で「お互いを理解し合う」というのは言葉で言う以上に難しい。。。
でも一つだけ、うちらには自慢できることがあります。
それは二人でシェアしてきた素敵で大切なとても面白い体験、経験の数々。
うちもパキットも、JAPSAMの活動や、二人旅、マニラ散策を通して、またそこで出会った人々を通して色んな特別な体験をしてて、しかもその体験を、同じ場所、同じ時間に二人で共有してる。
JAPSAMの活動で言えばパキットの方が先輩やし、今でもJAPSAMの活動やソルソゴン村について二人で語らうときもあります。彼にとって14歳から今まで成長する過程で、チョイさんやJAPSAMのメンバーとの日々がどれだけ彼の人生にポジティブでいい刺激と影響を与えているか、パキットと話していれば一目瞭然やし、そこで出会ったうちらが、単なる外部者と現地住民という関係を越えて過ごしたサマールでの時間はすごく大切なものでした。
二人でミンドロに旅行に行ったときは、マンギャン族の村に行こうとして迷って、ムスリムのちびっ子兄弟に遭遇して案内を頼んで、その子たちのおうちにお邪魔して、ムスリムの家族と色々話したり。
プエルト・ガレラのビーチにたまたま来ていた、フィリピン滞在歴12年、なまりの無いキレイなタガログを流暢に話すドイツ人ミッショナリーご夫婦とじっくり話したり。
そのビーチにこれまたたまたま来てた、フィリピン大好きオーストリア人老夫婦と出会って話したり。お二人は旦那さんの定年後、大好きなフィリピンに移住し、オーストリアとドイツのミッション系NGOで養育放棄、麻薬中毒、売春をしていた子どもたちのリハビリセンターで、子どもたちのお世話係り&おじいちゃん、おばあちゃんをしながらケソン市のスラムの家で生活している。その団体の子どもたちともビーチで仲良くなって、夜のワークショップ、座談会、子どもたちの演劇発表会にも呼んでもらった。マニラに帰ってからも、二人で何度かおばあさんと子どもたちを訪ねたし、行くたびにおばあさんはドイツ料理をもてなしてくれた。
バナウェに行ったときは、案内してくれた地元のトライシクルのお兄ちゃんと仲良くなって、バナウェのことを色々聞いたり、大雨のせいで土砂崩れに遭遇し、帰りのバスで立ち往生したり。そのバスに乗り合わせた唯一の客がうちらと、中国人男性とオーストリア人男性。ぐしゃぐしゃの道を歩いたり、ジープやバスを乗り継いで2日間かけてマニラに帰る道中、その4人でずっと行動を共にした。
アンゴノへ行って有名なフィリピン人画家たちの作品を観たり。
ボーディングハウスのインドネシア人神父さんたちや、日本人みんなで話をしたり、飲んだり、インドネシアの歌を聞いたり。
国立博物館行ったり。
そして色々あるけど何よりも重要だったのは、この9月にマニラのロラズハウス(戦争中に日本軍に性奴隷被害を受けたお婆さんたちを支援する団体)で、おばあさんの被害の証言を同じ場で聞いたこと。これは本当にすごい意味を持ってる。当時戦争の加害者だった日本人と、被害者だったフィリピン人。でもお互い戦争を知らない世代の若者が、おばあさんの口からあまりに残酷でリアルで心をえぐられるような「戦争」の実態を聞く。二人とも言葉がわかるから、通訳を介さず、おばあさんの生の声でそのまま。あの場にいた誰もが涙を流していたし、パキットにも、とてつもないショックを与えていた。
最後に何としても自分の言葉でお礼を言いたかったうちは涙でぐしゃぐしゃになりながらも、気持ちをおばあさんたちに伝えた。ひと段落した後、自分の言葉がちゃんと伝わってるか不安で押しつぶされそうになってるときに、パキットはうちの肩に手をまわして「大丈夫。ちゃんと伝わってたよ。すごいすごい!」と言ってくれた。その後、おばあさんが話してくれたことについて、パキットたちが自分のおじいちゃん、おばあちゃんたちから聞いた戦争の話について、ソルソゴンのお年寄りとJAPSAMの活動について、パキット、うち、ヤス、リンゴの4人で話し合った。
過去の戦争の実態を、日本とフィリピンの若者がフィリピンの被害者のおばあさんから直接聞くこと自体、歴史の現場に立ち会うというとても意味深いものだ。
ロラズハウスでの体験をはじめ、こんなことはなかなか経験できない。もし同じ体験でも、日本人同士でこれらの体験をフィリピンでするのとは全く意味が違う。うちは日本人でパキットはフィリピン人。違うからこそ、もっと面白い。そして全部フィリピンで起こったことながら、そこには日本でもフィリピンでもない要素も含まれていたりする。フィリピンで、タガログ語で、英語で、でもドイツ人の、オーストリア人の、中国人の、インドネシア人の、そして個々人の視点。
これまで一緒にいた時間は、計約1年3ヶ月。
1年3ヶ月でこれだけの経験や考えを共有できるカップルはなかなかおらんと思う。お金はけっこーかかるけど、ただご飯食べたり、プレゼント買ったり、買い物したり、遊んだりよりも何倍も濃い。
経験や色んな人との出会いは、人生を心を豊かにしてくれる。
これからもこんなプライスレスな体験で埋め尽くされる時間を人生を、二人でシェアしたいな。
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