森はな顕彰会 平成27年発足! 児童文学作家 森はなさんの「慈しむ心」をゆかりの地に、全国に、発信!!

児童文学者森はなさんの「慈しむ心」と顕彰会の活動の様子を発信。
「ちょっとお茶」で、おもろい町、高砂を発信するで。

神戸新聞のコラムを書く 「見る思う」

2017-03-26 16:05:42 | 町おこし

新聞社からの依頼で、「慈しむ心を発信したい」というタイトルで、コラムを書きました。

3月19日の神戸新聞、「日曜オピニオン 見る思う」のコラムの欄です。

ぶっきらぼうな文章で味もありませんが、兵庫全域なので広く発信できました。

以下が内容です。

 

慈しむ心を発信したい

 

郷土の児童文学者、森はなさんの「慈しむ心」の発信を目的に「森はな顕彰会」を発足させ、1年半がたった。

 世界で、テロの頻発、難民問題、日本で、相模原知的障がい者殺傷事件、小中学校のいじめ問題、など難問が山積している。一国ファースト主義、「自分さえよければ」のまん延、「日本死ね」のブログの話題など殺伐とした時代だからこそ「慈しむ心」を必要としているのではないだろうか。顕彰会は、森はなさんの「慈しむ心」を次のように発信する。

 ひとを慈しむ いのちを慈しむ ふるさとを慈しむ

 本年度は、三つの事業を実施した。一つ目として、第1回「森はな作品」読書感想文コンクールを実施(高砂市の児童対象)した。二つ目に、第3回森はな顕彰会高砂大会を開催した。三つ目には、東日本大震災鎮魂事業「木の葉の舟流し」を実施した。

 読書感想文コンクールには295点もの応募があった。多くの児童が夏休み、森はな作品を読んでくれた。「じろはったん」は戦時中の話で、知的障がいの青年と村人、疎開してきた子どもたちや先生との交流を描く。多くの児童がじろはったんの優しさをいっぱい見つけ、「じろはったんのような優しい人になりたい」「じろはったんのようにいじめる子がいたら注意する人になりたい」と書く。

 作品を読む子どもの目には、知的障がい者への偏見はない。「こんこんさまにさしあげそうろう」は、冬、餌がなくひもじい思いをしているキツネの親子が、昔から伝わる「野施行」という行事に救われる話。「昔の人は、動物の事をよく考えているけど、今の人はやさしくないのかな」と書く。感想文コンクールを通して、森はなさんの優しさを児童に伝えることができたと確信している。

 森はな顕彰会高砂大会には250人が参加した。1部は感想文の表彰式、報告、2部では弓削田健介さんの「いのちと夢のコンサート」を楽しんだ。

 震災鎮魂事業「木の葉の舟流し」は、津波被災宅に残った1冊の本「じろはったん」から生まれた。被害に遭った永野泉さん(現顕彰会東北支部長)と顕彰会の呼び掛けで5200枚のメッセージや夢など記した「木の葉の舟」が集まった。森はなゆかりの地の高砂市、朝来市や姫路市、宮城県の児童が「みんなの役に立つ大人になる」「幸せ運ぶ電車の運転手になりたい」「亡くなった人の分も大切に生きます」などと書いた。

 顕彰会は、十数人の小さな団体だが、人と人のつながりで、夢は実現できることがよく分かった。来年度も4月には「じろはったん自由帳」を高砂市内の新入生に無料配布する。将来的には「じろはったん」を文科省推薦図書にし、漫画、アニメ化、映画化、翻訳することも考えている。


東北の新聞、「木の葉の舟流し」を伝える 河北新報、朝日新聞

2017-03-16 23:58:27 | 町おこし

 

河北新報 3.12版


<震災6年>木の葉5000枚に思い込めて

町民637人が東日本大震災の犠牲になった宮城県山元町11日、犠牲者を悼む言葉が書かれたタイサンボクの葉約5000枚を海に流す行事があった。磯浜漁港に町民ら約40人が集まり、長さ20センチほどの葉に思い思いの言葉を記し、漁船や浜辺から流した。

山元町坂元の沿岸部で被災し、内陸部に移転した斎藤よしえさん(70)は亡くなった近所の住民を追悼するため参加した。「3人家族全員が亡くなった家もあった。まさかあんな別れが来るとは思わなかった。書き切れない気持ちがあふれた」と語った。

行事に協力した宮城県漁協仙南支所山元の運営委員長大和郁郎さん(69)は「亡くなった大勢の方々を悼むことができた」と話した。

行事は石巻市で被災し、生まれ故郷に近い伊達市に移住した主婦永野泉さん(62)らが企画。兵庫県朝来市出身の児童文学作家、森はなさん(1909~89年)の代表作「じろはったん」に登場し、死者に思いを寄せる「木の葉の舟」を模して実施された。葉は近隣の小学校などからも寄せられた。

<追悼の思いが込められた葉を見送る参加者たち=11日午後2時50分ごろ、宮城県山元町の磯浜>

 

 

 

朝日新聞デジタル 3.12版 2017年3月12日03時00分

宮城)東日本大震災6年漁師仲間へ木の葉の手紙

■磯浜漁港・漁協委員長大和郁郎さん(69)

港に船は帰ってきた。一度はがれきに埋もれた湾では、ホッキ貝やヒラメが育つ。まちを守る防潮堤ももうすぐできる。戻らないのは、ともに海に出た仲間たち。山元町の南端、福島との県境に、その浜はある。

午後2時46分、磯浜漁港にサイレンが鳴り響いた。漁船「第三水神丸」に乗り込んだ人たちが、亡き人への想(おも)いを書いたタイサンボクの葉を海に浮かべていく。全国から集まった4千枚の手紙は、すぐに波間に消えて見えなくなった。

<午後2時46分。大和郁郎さんは、仲間や家族に宛てた木の葉の手紙を海へ流した=山元町>

船上には、漁港の漁業協同組合の委員長、大和郁郎さん(69)の姿もあった。2013年、新しく造ったこの船に、津波で失った船と同じ名前をつけた。

50人ほどの漁師がいた磯浜。波にさらわれて、戻らない仲間がいる。当時の漁協委員長もその一人だ。

あの日、大和さんは仙台市内で開かれる漁協関係者の会議に向かっていた。会場に着いた時、地面が揺れた。車ですぐに引き返した。夜になり、やっと磯浜を見下ろす高台までたどり着いたが、真っ暗で何も見えない。「全滅だ」。そんな声が聞こえた。翌朝の浜。留守番で残った前委員長がいたはずの事務所も、我が家も消えていた。

地区では住民も含め約50人が亡くなった。流される仲間を見た人もいる。いなくなった仲間のことは、だれも話さなかった。それぞれ移った場所での生活に追われていた。

今、磯浜から漁に出るのは18人。30隻以上あった漁船も15隻までそろった。仲間に、戻ってきた船や港を見せるのも、供養の一つか……。11日に、海に手紙を流そうと決めた。

震災前、磯浜の貝や魚を買っていたのは、福島県の仲買業者だった。だが、福島第一原発事故で営業をストップした。宮城での販路はなく、今も手探りの状態だ。売れない魚はとれない。漁をしなければ、魚は増える。磯浜の海には「震災前の10倍くらいは魚がいる」。いつになれば、仲間に大漁旗を掲げられる日が来るだろう。

3月末で、委員長の役を降りる。手紙を仲間に向けて届けるのが、最後の大きな仕事。帰ってこなかった妻と幼かった孫にも、届いたらいい。船の上から、みんなの元へと流れていく木の葉を見つめた。(船崎桜)

 

すいません。文章しか貼り付けられませんでした。


東日本大震災慰霊「木の葉の舟」流しの当日式次第

2017-03-06 13:32:05 | 町おこし

3.11の「木の葉の舟」式次第が東北の永野さんから届きました。

当日は、地域の方、自治体や各団体、テレビ、新聞社など大勢来られ、大変な人出になりそうです。

永野さん、ありがとうございました。

式次第は、以下の通りです。

 

東日本大震災慰霊「木の葉の舟」流し

 

主催  じろはったんの会

 

協力  宮城県漁業協同組合 仙南支所 森はな顕彰会(兵庫県) 宮城県七ヶ宿町 無限の会

 

参加校 宮城県亘理小学校 朝来市大蔵小学校 高砂市荒井小学校、伊保小学校、伊保南小学校、

    姫路市広畑学園

 

日時  平成29311日(土)   午後2時~3

 

場所  宮城県山元町 磯浜漁港

 

 

式次第

 

1、主催者挨拶      「じろはったんの会」会長(「森はな顕彰会」東北支部長) 永野 泉

 

2.来賓挨拶       兵庫県朝来市議員 森下 恒夫

 

3.「じろはったん」の読み聞かせ 佐藤 きみこ

 

4.宮城県ビクトリー 吹奏楽団による演奏

             曲目   「花は咲く」

                  「365日の紙飛行機」

                  「じろはったん歌物語」から                   

 

5.246分 サイレンに合わせて黙祷

 

6.磯部海岸にて 木の葉を流す

 

7.船を出してもらい 海上より木の葉を流す(希望者人数制限あり)  

 

  *先着 70名様に無限の会より「命の器」を配布致します

 

 

(地元の方へ)

 復興へのメッセージや故人へのメッセージ、願い、夢、優しい行為、絵などを

 タイサンボクの葉に書き、海へ流します。どなたでも参加できますので、

 マジックのみをお持ちになり直接会場にお越しください