にっきちょう

岡山県民による奈良旅日記です

卯名手之社・河俣神社へ

2016年09月18日 | 奈良散策
9/11 例会の翌日、最近とても気になる存在だったあの神社へ

橿原市雲梯町の河俣神社!!
やっと訪ねることが出来ました。

何故ここが気になる存在だったかというと。。

万葉集に詠まれた「卯名手之社(うなてのもり)」の比定地。
『神社と神様がよ〜くわかる本』によると
「(『万葉集』の「真鳥住む卯名手之社」は)通常、奈良県橿原市の河俣神社に比定されているが、
岡山県津山市二宮の高野神社の境内にある「宇那提の森」もこの「卯名手之社」のことであるといわれている。」

比定地として橿原と津山が挙げられていることに興味しんしん丸!
これを読んで津山の宇那提の森にはすぐ飛んで行きました
橿原の河俣神社もいつか行ってみたい。。と常々思っていたのでした。

『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』に登場する4か所の神社の一つ。
国譲りをして、大穴持命は八百丹杵築宮(出雲大社)に鎮座するにあたり
・御自分の和魂を大御和の社に(大神神社)
・御子の阿遅須伎高孫根の御魂を葛木の鴨の社に(高鴨神社)
事代主命の御魂を宇奈提に(河俣神社)
・賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の社に(飛鳥坐神社)
それぞれ鎮座せしめて皇室の守護神とされました。
とても有名な他の三社と比べて、控えめな存在の河俣神社が妙に気になっていました。

「装束の宮」。
昨年畝傍山に登った時に大阪・住吉大社の「埴使神事」の事を知りました。
住吉大社から畝傍山に埴土を取りに行く際、ここ河俣神社で装束を整えたことから「装束の宮」とも呼ばれているそうです。

・・・こうしていろいろな場面でその名を目にしていた河俣神社。ようやく現地へ(*^_^*)。


神社のすぐ横を曽我川が流れていました。


周囲は住宅地。こじんまりとした雰囲気です。


玉垣の中に二番目の鳥居が現れました。


卯名手之社。「社」と書いて「もり」と読む。往時はもっと広大だったでしょうね。
その中に拝殿がひっそりとたたずみます。
この時は快晴で木漏れ日が射していましたが、曇天の日はもう少し鬱蒼とした雰囲気になるでしょう。


ご祭神は鴨八重事代主神。
式内社の「高市御県坐鴨事代主神社」に比定されているそうです。
『日本書紀』によると壬申の乱の際に大海人皇子(天武天皇)に神託を授け勝利に貢献したとして
高市御県鴨八重事代主神、村屋弥富都比売神、牟狭坐神の三神に史上初めて神階を授けられたということです。


「卯名手之社」が詠まれた万葉歌碑。


思はぬを 思ふといはば 真鳥住む 卯名手の社の 神し知らさむ」巻12-3100

卯名手を詠んだ万葉歌はもう一首。
真鳥住む 卯名手の社の 菅の根を 衣にかきつけ 着せむ子もがも」巻7-1344


この辺りの地名はその名も雲梯(うなて)町。


そして↓こちらが津山の「宇那提(うなで)の森」。

美作国二宮・高野神社の境内にあります。


「万葉集を始め数々の歌集に詠まれ歌枕として有名な宇那提の森である。」
橿原市・河俣神社へのライバル宣言です(笑)。


貞享5年の「宇那提森」石碑。


「うなでがもり」という振り仮名。
地元の年輩の方にお聞きしても、やはり「うなでがもり」と言っておられました。


すぐそばを吉井川が流れ、以前は水辺の森林だったようです。
その点、曽我川沿いにある河俣神社と雰囲気が似ていたでしょうか。
森は戦国時代、宇喜多氏により伐採されてしまいましたが一本のムクノキが残り、市の天然記念物に指定されています。
樹齢700年以上。大変大きなムクノキです。








宇那提森からさらに参道を進むと随身門があり、石段を登ると高野神社本殿に到着します。
本殿は美作地域独特の「中山造」です。


境内にあった歌碑。
「ひとりのみ 見ればさぶしも 美作や うなでのもりの 山ざくら花」(平賀元義)



9/11の奈良散策記に戻ります。

河俣神社をあとにし、しばらく曽我川沿い散歩です。
春は桜が素晴らしいでしょうね


大きな鯉が悠々と泳いでいました。


鷺(さぎ)かな??
そういえば「真鳥住む 卯名手之社」・・・真鳥とは何の鳥のことを言うのでしょう。


彼岸花の季節です。

【木葉神社】

河俣神社から曽我川沿い南西250mほどで、木葉神社へ到着。
ご祭神は木花開耶姫命。
式内社 川俣神社三座に比定され、『大和志』には「川俣八王子」という名で出てくるそうです。


河俣・川俣とちょっと混乱しますね(^◇^;)
この名前からして両社とも川が分かれる場所にあるのかなぁと思っていたのですが、現状では曽我川が流れているのみでした。
昔は違ったのかもしれません。


なんだか不思議な表情の狛犬。

こうして雲梯町をあとにしました。
まだ時間があったので、思いつくまま散策。

【宗我坐宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじゃ)】

最近蘇我氏に関する本を買ったので、読む前にゆかりの地へ。


蘇我氏の氏祖を祀る神社。
「入鹿宮」ともいわれたそうです。
この辺り、地名も曽我町です。

3年前のソムリエの会納会で「入鹿の首塚」についての研究発表がありました。
入鹿の首が落ちた伝承のある場所として、飛鳥の入鹿首塚、茂古森(もうこのもり)、高見山山麓の他
ここ曽我町(「首落橋」付近の「おった屋」)も挙げられていました。
曽我と隣の小綱の人々は蘇我氏贔屓であり、鎌足を嫌って多武峰には決して参拝しなかったというお話が大変興味深かったです。


蘇我氏発祥の地としてここ曽我の付近が考えられてきたそうですが、
他にも葛城説・河内国石川説・百済からの渡来説などいろいろあるようです。


蘇我氏読書が楽しみ


神社から近鉄真菅(ますが)駅はスグでした

午後からは飛鳥ミニ散歩。
蘇我氏つながりで→飛鳥寺。
出雲国造神賀詞つながりで→飛鳥坐神社へ。

【飛鳥寺】

若い人達でいっぱい。大型バスも入ってきていましたし、飛鳥人気を実感しました。


大好きな飛鳥大仏さん。
千田稔先生の『古代飛鳥を歩く』によると「近年の調査では、かなりの部分が飛鳥時代のままであるという。」
当初の部分はほんの少ししか残っていないと思っていたので、うれしいことですね。
それはともかく、この大仏さんの醸し出す独特な空気感が大好きで、いつまでもたたずんでいたくなります。


蘇我入鹿首塚。
上記の研究発表会で、この五輪塔の水輪部分の上下が通常と逆であることが指摘されていました。
上下を修正してみた場合の画像を見せていただくと塔全体がかなりスッキリした印象に
何か理由があって逆になっているのでしょうか??

飛鳥の彼岸花も見られるかな?と思って来ましたがまだ少し早いようでした。

【飛鳥坐神社】

『出雲国造神賀詞』で賀夜奈流美命の御魂を鎮座せしめたという社。

そういえばここ飛鳥坐神社はソムリエの会の活動に参加して初めて訪れた場所。
この鳥居前でTリーダーさんが私ともう一人の初参加の方を皆さんに紹介してくださったのでした。
あの日はホント緊張していたなぁ。懐かしいです。


境内を散策していると、あれ?飛鳥坐神社にも「猿石」??
吉備姫王墓の猿石「女性」像に顔が似ている気がします。

時間の関係で本日はここでおしまい。
名残惜しいけれど飛鳥をあとにしました
前日の例会もこの日も橿原を中心に普段あまり行かないような所を散策出来ました
土日2日ともゆっくり奈良巡りが出来たのは久しぶりだったなぁ。
この秋は・・台風を心配しながらのお出かけになりそうですね。
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