葛城の新庄、忍海を巡る

2017年01月01日 | 奈良散策

12/24 葛城市の新庄・忍海を歩いてきました。
【日程】近鉄新庄駅→柿本神社→飯豊天皇埴口丘陵→葛木御県神社→住吉神社→屋敷山公園→博西神社→二塚古墳
→置恩寺→葛城山麓公園→葛木坐火雷神社→地光寺跡・脇田神社→角刺神社→葛城市歴史博物館→近鉄忍海駅



近鉄御所線の駅。初めて降りる駅は何だかワクワク(^。^)


新庄駅のすぐ横に柿本神社があります。
石見(島根県)で死去した柿本人麻呂を改葬した地と伝わり、境内に「柿本太夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑がありました。
人麻呂の生地であるとも伝わるそうです。
10月に歩いたばかりの天理・櫟本も人麻呂ゆかりの地で、柿本寺跡や歌塚がありました。


本殿。春日造と思うのですが・・唐破風の屋根珍しいですね。


歌碑。「春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしそ思ふ
(巻11.2453 柿本人麻呂歌集)


歌塚。


すぐお隣は柿本神社神宮寺の影現寺(ようげんじ)。
毎年4月18日(人麻呂の命日)、影現寺と柿本神社で「チンポンカンポン祭り」という
珍しい名前の行事が行われるそうです。


高田川と葛城山系の山並み。見えているのは岩橋山と葛城山の間くらいかな??


飯豊天皇埴口丘陵に到着。飯豊青皇女の墓と伝わる前方後円墳です。
清寧天皇崩御後、億計王と弘計王が皇位を譲り合ってどちらもなかなか即位しなかったため
代わって二人の姉(伯母という説も?)である飯豊青皇女が忍海角刺宮にて朝政を執ったといいます。
ところがそれから1年も経たないうちに亡くなられ、ここ葛城埴口丘陵に葬られました。
正式な天皇の系図には入っていませんが、書物によっては天皇として扱っているものもあり
初の女性天皇?ともいえる大変興味深い存在の方です。


「飯豊天皇」「陵」という言葉が使われていますね


新庄陣屋町の町並み。


葛木御県神社。大和国六御県神社(志貴・十市・高市・山辺・曾布・葛木)の一社です。


住吉神社。


県道30号線を横断するとすぐに屋敷山公園です。




なんと清々しい空気。青空に山々の深緑が映えてとても美しかったです。


公園内にある屋敷山古墳。5世紀中頃の全長約135mの前方後円墳。
石室、石棺に竜山石が用いられており、かなりの有力者の墓であることが想定されるそうです。
場所からするとやはり葛城氏でしょうか。
この墳丘上には中世に布施氏の居館が、江戸時代初期には桑山氏の陣屋が建てられました。
屋敷山古墳の名もこのことが由来だそうです。


後円部上に登ってみました。
古墳、居館、陣屋そして現在は史跡公園・・・と同じ場所でいくつもの時代の重なりが体感出来ました。


公園入口に屋敷山古墳・竪穴式石室の天井石の一つが置かれています。


屋敷山公園より西進。博西(はかにし)神社に到着です。
布施氏の氏神として信仰されてきたそうです。


ノッポさん狛犬


拝殿の後方にはっと息をのむような美しい春日造のご本殿が。
神社の寂れた雰囲気とのギャップも大きく、何だか妙に惹き付けられました。


逆側にもまわってしばらく鮮やかなご本殿に見とれていました。
北殿に下照比売、南殿に菅原道真を祀り、同じ形式の二棟を障塀でつないでいるそうです。


博西神社からゆるやかな坂道を登っていくと、寺口集落に入ります。


徐々に山に近づいてゆき、登り坂もハードになってきました


近畿自然歩道の道標。目的地の二塚古墳は右です。
ちなみに、このまま真っ直ぐ登って行けば「布施城」へ着くそうです。


二塚古墳に到着。6世紀中頃の全長60mの前方後円墳です。
後円部の他に前方部、造出部と三カ所に石室があるということで以前から気になっていた古墳でした。


後円部の石室が開口しているのがすぐに分かりました。全長約16.5mの大型石室です。


前方部と造出部の石室は、藪の中に入って探す勇気もなく(^◇^;)よく分かりませんでした。
造出部の石室からは琥珀製棗玉、鉄製武器の他、大量の須恵器、土師器が出土したそうです。
もっと鬱蒼とした場所をイメージしていたのですが奈良盆地一望の抜群のロケーションにあり、驚きました。


布施氏の氏寺、置恩寺(ちおんじ)へ。


収蔵庫には十一面観音像がおられるようですがこの日は拝観出来ませんでした。
説明板の写真を見るとスタイルの良い大変美しい観音さまのようですね。


眺望を楽しみながら葛城山麓を南に進んでいきます。


近畿自然歩道の道標に従って進みます。




葛城山麓公園に到着。ちょうど12時だったのでお昼休憩
歩くのを中断すると途端に体がぐんぐん冷えてきました。
しかし前回の反省から今回は暑いお茶を保温の効く水筒に入れて持参したので
お腹があたたまり、お弁当もおいしく食べる事ができました


歩行再開です。午後も晴天が続き本当に心地よい日です


葛木坐火雷神社(通称:笛吹神社)に到着。


笛吹神社イチイガシ林は天然記念物に指定されているそうです。


ここ笛吹神社のハハカの木が宮中の大嘗祭に献上されてきたそうです。


広い境内。石段を登っていきます。


日露戦争の戦利品として奉献された「加農攻守城砲」。


大砲のある所からさらに石段を登ります。絵になるような美しい境内。


拝殿。ご祭神は火雷神と笛吹連ノ祖天香山命。


重厚な神明造のご本殿。


笛吹神社古墳。円墳と考えられるそうです。
ご本殿の真横に古墳があるという珍しい光景。
見上げるような高い所に横穴式石室が開口していました。
西方に約70基ほどの笛吹神社古墳群が広がるそうです。


笛吹神社は火の神様、そして音楽の神様。フルート、尺八等の楽器を演奏する人の信仰も篤いのだとか。
私も一応クラリネットを持っていますので・・・上達しますように。
指短いし、肺活量も少なく明らかに管楽器に向いてないんですが(^◇^;)
小学生の時にブラスバンド部でクラリネットを担当していたのでした。すごく昔の話ですね


脇田神社。鳥居の右下に写っているのは大きな塔心礎の一部。
この辺りは地光寺跡と考えられ、礎石や古瓦が発見されているそうです。
中でも鬼面文軒丸瓦は珍しいもので葛城市歴史博物館のシンボルマークになっています。


脇田神社から少し離れ県道30号線を渡ったところにある地光寺旧跡の碑。
地光寺の遺構は東西に分かれており、時期も異なるようです。


しばらく歩き続けて角刺神社に到着。
飯豊青皇女が朝政を執った「忍海角刺宮」のあった位置と考えられます。
『日本書紀』によると
倭辺に 見が欲しものは 忍海の この高城なる 角刺の宮
と歌われたほど素晴らしい宮だったようです。


笑う狛犬(⌒▽⌒)。しめ縄が立派です。


ご神木のイチイガシ。90度に曲がっています


飯豊青命が毎朝、鏡代わりに使ったとされる鏡池。


その後は電車の時間の関係で急ぎ目に
葛城市歴史博物館に寄って屋敷山古墳の石棺の展示などを見学し、近鉄忍海駅で無事ゴール


以前より行ってみたかったこの新庄・忍海コースで2016年歩き納めとなったのでした

奈良歩きをともにしてくださる皆さん&当ブログをご覧くださる皆さん、一年間ありがとうございました
2017年も引き続きよろしくお願い致します
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