同窓会

2011-06-20 12:43:54 | 我が青春のグラフティー

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昨日は中学の同窓会でありました。 アタシはずっと土日祭日が休めない流通業に携わっていたため定期的に行われていたこの同窓会には出席したことがなかったのでありました。

しかし もう人生も先が見えてきたことだし 昔を振り返るのも大事なことと思い 今回始めて出席致した次第であります。

昭和44年卒業とゆうことで獅子(四四)の会と命名されたこの会 今回は160名中43名が出席。

盛大に挙行されたのであります。

しゅうは 写真上から2段目 真ん中ら辺に写っている いい男であります

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実行委員の挨拶が終わると さあ 宴会の始まりであります。

齢を重ねてもみんな昔の面影はそのまんま残っているので最初の一瞬は分からなくても 直ぐに思い出せます。

運ばれてきたお料理 そっちのけで昔話に花が咲いたのであります。

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そしてアタシはひそかに憧れていた  えっちゃんにも数十年ぶりの再会を果たしたのであります。

彼女とはハタチくらいのとき一回デートしたのでありますが それっきりでありました。

アタシが彼女の所に行くと全く覚えていない様子。

少し話しすと やっと思い出してくれたのであります。 アタシが「一回デートしたことあるよね」ってゆうとえっちゃんは「あれはデートなんかじゃないよ 遊びに行っただけだよ」 とさらり言ってくれちゃいました。

まあそんなもんでしょう

でもそのあと 楽しくお話したのでありました。

やっぱり同級生って掛け値なしで最高であります。

二次会も全員参加で 次の会は還暦の年に決まり 散会と相成ったのであります。


『俺は男だ!』Ⅲ

2008-06-02 19:11:43 | 我が青春のグラフティー

Cimg1138さてさて、高校2年に何とか進級出来た、しゅう少年。

先生のお情けを戴き、追試を何とか切り抜けての結果である。

クラスでの成績順位も、43名中、いつも42番か43番であった。

部活何ぞをやめて、勉強せねばとも思ったこともあるのだが、先輩が怖くて退部など出来なかったのである。

しかし、勉強なんぞ何もせず、坊主頭から髪の毛を伸ばすことを許されとことに大喜びし、当時大流行していたチャールズ・ブロンソン『男の世界・マンダム』の整髪料をポスター欲しさに購入し、ブラシで毎日整髪していたのであった。

もちろん、入部当初の目的である女の子にもてるための目的も忘れてはいない。

だが、そちらの方はサッパリであったことは言うまでも無い。



その年も今度は2段昇進のための合宿が、五泉市早出川近くの小学校で、2泊3日の日程で行われたのである。

16歳の夏、色気づいてきたしゅう少年と親友Zは、昼間の練習が終わると夜な夜な、合宿所を抜け出し繁華街へ、その時二人の目的はそう、ピンク映画(成人映画)を見に行くことでありました。

Tシャツにジーンズ髪の毛を撫でつけ映画館へ。

緊張してるZは、切符売り場で『高校生、2枚?!』と、言ってしまったのだ。

切符売り場のおばちゃんは、もちろん『高校生は入れないよ!』、と。

またしてもZ、『じゃあ、大人2枚!』

おばちゃん『はいよっ!二人で700円。』といってすんなり入れてくれたのである。

そして、始めの大人の映画を固唾を呑んで見たのであった。

覚えていることは、その場面だけカラーで、後はモノクロ映像であったことだけである。

我が青春の貴重な1ページであった。

そして2段の試験にも合格し、その年の暑い熱い、夏休みの合宿は終わったのである。


この写真、卒業アルバムものであるが実は左端に白い道着を着た、冲田総司のようないい男が写っている。

私の親友でもあり、我が剣道部のキャプテンであるZ君である。

彼の決め技は、抜き胴。

格好良かった! 実に絵になっていた。

寡黙でシャイな男であった。

彼は、一昨年の4月、癌のため51歳とゆう若さでこの世を去った。

残念でならない。

入院して一週間だったとゆう。

亡くなる年の年賀状。

『また、一杯飲ろうや。』であった。


『俺は男だ!』Ⅱ

2008-04-03 17:46:35 | 我が青春のグラフティー

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さて、名門 加茂農林高等学校 剣道部に『女の子にもてたい。』とゆう不純な動機で全く初心者ながら、テレビドラマだけの影響で入部した、しゅう少年。

早速、先輩から『坊主にして来い!』と、一喝。この時点で女の子にもてようなどと思っていた自分が甘かったことに気づいたのだった。




その時の新入部員は、20名程だったと思う。

初心者は、しゅうを含め6名。他は中学の時から経験してきて、級持ちであった。

入部して直ぐに、剣道着や胴、面などが着けられる訳ではなかった。

ジャージで毎日、ランニングと摺り足の練習である。剣道では摺り足は基本中の基本。

足を床につけたまま、20メートルほどの道場の前の廊下を、行ったり来たりの毎日である。

しかし、一週間もすると足の裏の皮が剥けて来て悲惨な事になった。

それでも、包帯を巻き練習を休む事は無かった。

武道の運動部である。先輩には絶対服従の縦社会、怖くて休めないのだった。

特に三年生の先輩のおっかないこと。

無精ひげなど生やして、二つしか年上になんか見えなかったっけ。

半年位すると、待望の胴着と袴を着けての練習である。Anim007mirror

ここでまたまた、びっくり。

胴着と袴の下には、何もつけてはならないのだ。つまり下着は着るなとゆうことだ。

16歳と言えば、思春期真っ盛り。先輩たちがフリチンで着替える中、部室の隅っこで着替えたっけ。

そして、いよいよ面と小手をつける。

汗でぬるっとしていて、物凄い臭いが・・・・・・。そう、先輩たちの練習の文字通り、血と汗の結晶そのもであったのだった。

一学期が終わり一年生の夏休み、三泊四日の小学校を借りての全県の合宿に参加し、見事初段を取得したのであった。

とにかく剣道に明け暮れした、一年間はあっとゆう間に過ぎて行ったのである。

                                                   つづく。

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『俺は、男だ!』

2008-02-22 09:13:21 | 我が青春のグラフティー

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高校の卒業アルバムの写真である。

子供の頃から、身体が弱かった。

祖母に連れられ、しょっちゅう病院に通っていた。

生まれながらの体質らしい。

走るのは苦手、球技もダメ、小中学と運動音痴。運動会とか、体育祭が嫌でたまらなかった。

しかし風邪や腹痛でよく学校を休んだが、大きな病気はしなかった。

中学に入り、月刊芸能雑誌『明星』を毎月買い、端から端まで写真を見、記事を読みふけり、グループ・サウンズに、洋画情報にはまっていた。

名ばかりの美術部に属し、相変わらずスポーツには興味がなかった。

高校に入学すると、そんなアタシに転機が訪れた。

当時、森田健作さん主演のテレビドラマ『俺は、男だ!』が巷で大ブレーク。

剣道部を舞台にした、恋にスポーツに青春を突っ走る主人公、小林弘二とその相手役、吉川操の学園ドラマであった。

阿久 悠さん作詞の主題歌『さらば涙と言おう』も大ヒット。

その頃の森田健作さん、アイドル中のアイドル。

一方、高校に入学したアタシは何やろうかと、思案の真っ最中。

そして、何をとち狂ったか、『剣道やれば、女の子にもてるんだ。』と勝手に解釈。

アホなしゅう少年は、このような不純な動機から訳も分からず、当時北信越大会で準優勝するほどの強豪チームであった剣道部の門を叩いたのである。

もちろん剣道など生まれてからやった事もなければ、どうゆうものかも、わからない。

ドラマで見ただけである。

さてさて、しゅうの学園剣道部生活、その後どうなることやら・・・・

またそのうち、掲載予定でございます。