日本語教育おぼえがき

いちおう研究生なので、日々まなんだこと・など。

Y先生講演会

2006-06-03 17:29:24 | おぼえがき
今日は日本語学校で講演会のあと、大学で修論。
修論のことじゃないのに、先生と一時間くらい日本語教育について討論した。
最近やっと気づいたけど、授業そのものより、授業の準備、反省、テスト作成、
学生管理などのほうがよっぽど大変。
そして、明日の授業だけではなく、もっと先の日本語教育について
考えるのも、今の自分に必要だと思う。
そんな現場にいられる自分がしあわせ。

=*=*=*=

先ほどもお話したとおり、Y先生のお話をうかがって、
「学習者が本当に話したいもの(場面)を具体的に与えることで
 学習者の心理的負担を減らすことができる」
という答えが自分なりに見つかって、胸のつかえが取れました。

ただ、
ほかの先生方も指摘されていたとおり、四技能の習得はどうするのだろう
というところが納得しかねました。
海外でこそ「タスク先行型シラバス」が効果的
というのは分かります。でも、国内の日本語学校の場合
大学受験を目標に勉強するのなら、やはり読み・書き
そして漢字の習得はどうしても必要になると思います。

例えば、「タラ」を「料理の作り方」というタスクで教えるなら、
(Y先生案だと中級第6課)
日本の本を読んで自分で料理を作るという場面も考えられるため
もっと早い段階で出してもいいのではないかと思いました。

「タラ」は「話す」能力では習得しにくいから、あとに回す

というのは、他の技能を無視しているように感じました。

つまり、現在の教科書は、「話す」ことだけを目的とはしていないので、
命令形、受身形なども一緒に入れているのだと思います。

そこでいまの私が考えなければならないのは、
『みんなの日本語』をベースで教える際、
この文型は、いつ使うのだろう
というのをもう一度よく考えることです。

例えば「~ないでください」というのは学生が話すことよりも
注意書きを読んだり、他人に注意されたりすることのほうが多いと思うので
読解・聴解に力を入れて教える、など。

また、A先生がされたように、『みん日』でもタスク先行の授業が
できるということは大きな発見でした。
自分も授業でやってみたいと思います。

教育文法論06/06/02

2006-06-02 18:54:30 | おぼえがき
習得できているという状態は何か?⇒物理的に測れない。
話すことは可能だが、書くことはできない。またその逆。は人によって違う。

学習者の負担とは何か?
言いたいことが言えないもどかしさ(Sさん)
⇒じゃあ、学習項目を減らすことで、学習者の負担が減ると言えるのだろうか??
⇒学習者は、「と/ば/たら/なら」を本当に選んでいるのか??

・行きたかったら行ったら?/行けば?
・行きたければ行けば?/行ったら?
どれが適切?

間接受身も教えないほうがいい。⇒本当??
建てられました、開かれました、行われました
けっこう使うんじゃないの?ニュースとかで?

修論メモ①

2006-06-02 18:50:31 | 修論
・教材に対する提案:漢字圏・非漢字圏を分けるべき?
・能力試験に対する自分の立場
・人名・地名が多いこと⇒ひとつの視点として指摘できる。(例:横浜)
・3級までで教えるのが可能な語彙の作成(音・訓)
・流れは…特徴をあげる⇒問題点を出す⇒改善点の提案

15日に完成版を提出。

教育文法論(06/04/28金)

2006-04-30 16:44:15 | おぼえがき
最初の一時間は、私とKさんの発表。
内容は『外国語教授法の史的変遷-教育文法の位置づけ-』

=*=*=概略=*=*=
文法翻訳法、A-L法の時代は、外国語を「理解するために」学んでいた。
その時代に学ばれていた文法を、仮に「理解文法」と呼ぶことにする。
その後生まれたCAでは、「母語話者に通じればよい」という考え方になり、
文法は「運用するため」に学ばれるようになった。
この文法を仮に「運用文法」と呼ぶ。

さらに注目したいのは、A-L法とCAの間に提唱された、心理学者による教授法だ。
これらの教授法は、「学習者の心理的負担を減らす」という考え方から、
音楽や様々な教材などを駆使して、学習者がリラックスした状態で学ぶことに
重きを置いた。そのような教授法では、「文法」「正確さ」などの考え方は
ほとんど重視されない。

このように、外国語教授法の変遷における文法は、「理解文法」から
「運用文法」へと移り変わっていったのではないだろうか。
そして、運用文法の時代は、母語話者に「伝わればよい」という考え方が
前提のため、「文法」という考え方は重視されていないようである。
=*=*=*=*=*=

そして、K先生のお話。

最初に言われたことは

「教える内容」と「教えかた」は別々に考えるべきだ

ということ。

いわゆる「外国語教授法の史的変遷」は、「教えかた」の工夫の変遷を
見ているのであり、
「教える内容」についてはあまり考えられてこなかった。

コミュニケーションを重視するあまり、「言いたいことを言えれば文法はいらない」と
考えられがちだが、それはあまりにも短絡的すぎる。

文法が必要ない、とは言えない。
アラビア語を知らないひとに、「間違えてもいいからアラビア語で自己紹介して」と
言っても、もちろんできるわけがない。
やはり、「最低限の知識」として、文法は必要なのである。
そして「教える内容」としての文法は、今まであまりに手付かずの状態だったという。

では、果たして、私たちは今の社会にあった文法を教えているのか??

例えば、

  格助詞の「に」と、終助詞の「ね」「よ」
  どちらが基本的な文法と言える?

私は質問されたので、迷わず「に」と答えた。

「『あなた、会いたい』と言ったとき『あなたに会いたい』なのか『あなたが会いたい』なのか
分からないし、やはり『に』は基本だと思うので」
と。
そしたら、K先生が笑って「本当にそうですか?」
そしてこんな話をしてくれた。

  あるとき学生に、「K先生、明日休んでもいいですか?」と聞かれたんです。
  理由を聞いたら、学生が「明日私の友達が来るんですよね」と言ったんです。
  「来るんですよね」って言われてもね。
  「そんなの知らないよ!」って言いたかったですよ。

上級の学生になればなるほど、「ね」「よ」などの指導は難しくなる。
「私は牛乳を飲みています」って言われたほうが、よっぽど直しやすい。

つまり、これまでの日本語教育における文法は、言語学や日本語学が基本となって
考えられていた。
しかし、これからは、「何を教えるか」という「教える内容」を考えた
文法について考えるべきではないだろうか。
言語学、日本語学ありきの文法ではなく。

また、これからの研究生活について、「自分がどこに足場を置くのか」
ということも、考えたほうがいい、ということ。
「文法」を研究するなら、それは本当に大変。
でも知らないで済まされる分野じゃないということも覚えておこう、と。

一回目だったけど、いろいろ刺激になった授業でした★

新任研修

2005-11-25 23:38:59 | 日本語学校
教務主任に授業を見学していただいた。
細かいところまで指摘していただいて、嬉しい限り。
凹んでる場合じゃないよ。

☆良かった点☆
・雰囲気が良い。学生全体を巻き込んだ授業だった。
・何を勉強するか、言わないで導入していた。

★改善点★
・教師があまり動いていない。もっと教室全体を使う。
・教師が話しすぎている。もっと学生の発話を促す。
・ティーチャートーク!助詞を上げていた。助詞は聞こえないくらい小さい声で言う。
・語彙導入の時間が長すぎる。もっとテンポ良く。
 動詞導入⇒目的語は学生に言わせる。
 例)「説明する」⇒「何を説明する?」「パソコンの使い方を~」
・“突き上げ”がなかった。単調な口頭練習。もっとメリハリを。
・学生の発音矯正をしなかった。特に中国系の学生は苦手。少しずつ直すように。
・教師の「あね」の発音がおかしい。

・学生の韓国語のおしゃべりを放っておいた。多すぎる。
・学生が授業中にお菓子を食べてしまった。注意しないと!

・今あるネタをもっと利用する。遅刻した学生もネタにして利用する。
・(お)菓子⇒なぜ「お」を入れるの?という質問を利用して、もっと広げることができたはず。
 例)にぎり/おにぎり、ひや/おひや ⇒意味が違う
   そば/おそば、さけ/おさけ ⇒女性は「お」を付けたほうがいい。
・「小銭入れ」の語彙を導入したら、「あなたはどんな小銭入れ?」で形容詞の使い方を復習できる。
・コーヒーを「淹れます」の漢字は「入」も使用する。「日本人は書きません」と言ってしまった。
 ⇒断定しちゃダメ!辞書を確認してから教えるように。
・「日本人は、パパ・ママとも言う」という発言から、日本人のウチ・ソトも教えられたはず。
・カムサハムニダ/コマスプニダの意味を聞いたとき、「ネ・ヨ」の使い分けで男らしい韓国語、
 女らしい韓国語があることを学生が言ってくれた。
 ⇒日本語の終助詞についても言及できたはず。もったいない!
・「こどもの日」から、「ゴールデンウィーク」の話へ、カタカナの確認もできたはず。