朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨシュア記 14章

2017年07月08日 | ヨシュア記
ヨシュア14:12 それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、私にください。あの日あなたも聞いたように、そこにはアナキ人がいて、その町々は大きく堅固です。しかし、主が私と共におられて、私はついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう。

次々と嗣業の地が決まる中で、エフンネの子カレブは、アナキ(アナク)人の地ヘブロンを嗣業としてくださいと申し出たのです。

他の部族は、先の戦いですでに勝ち取った場所を嗣業としたのですが、カレブが申し出たヘブロンは、まだアナキ人が支配しており、しかも、彼らの町は大きく堅固でした。

このカレブはイスラエルの指導者ヨシュアと共に、エジプトを脱出した時から今に至るまで生き延びている唯一の存在です。それ以外の民はみな荒野で死に絶え、約束の地に入ったのは次の世代です。

そう言うわけですから、40歳代で出エジプトしたカレブは、荒野の40年を経て今では85歳になっていました。

もう隠退してもよい歳なのに、そして、すでに獲得した地を受け取ればよいのに、カレブはなおもヘブロンの地を嗣業として受け取ろうと申し出ました。

カレブはこう言うのです。「私は今日すでに85歳ですが、 今もなお、モーセが私を遣わした日のように健やかです。私の今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます(14:10-11)

カレブがこのように申し出ることのできた根拠は、彼自身の中にはありませんでした。

主が私と共におられて、私はついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができる」と考えたのです(14:12)。つまり、「主が共におられることに根拠があるのです

多くの場合、私たちは、自分の能力や財力を根拠に物事を判断してしまいます。でもそうではありません。神が私と共におられることを根拠に判断すべきです

逆に、どんなに自分に能力があっても、神が共におられないなら、その働きは遅かれ早かれ頓挫するでしょう

私の能力が1であろうが100であろうが、全能の神が共におられるならプラス無限大〟です。(1+無限大)も(100+無限大)も大した差などありません。 
※なのに人は自分の持っている力の多少に捕らわれてしまう。

カレブは自分が歳をとっていることも、力が弱っていることも言い訳にしませんでした。彼は、神にまったく従ったです。新改訳では、「従い通した」と訳されています。

祈りましょう。どうか、カレブのように、歳をとってもなおイエス様に従い通す者にしてください。(Ω)
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