朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨシュア記 8章

2017年07月01日 | ヨシュア記
ヨシュア8:32 その所で、ヨシュアはまたモーセの書きしるした律法を、イスラエルの人々の前で、石に書き写した。

イスラエル民族は悲しみの内にアカンを処罰しました。同族の者を処罰しなければならないことは非常な痛みです。このように、自らの罪との戦いは痛みがともないます。

聖書は罪との戦いについて、「あなた方は、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない」と述べています(ヘブル12:4)。しかし、勇気を得ましょう痛みの後には勝利があることを信じて……罪と戦う者に、主は慰めと励ましをくださることを信頼して……

さて、イスラエルの中から罪を取り除いたことによって、民は力を受けました。血栓が取り除かれて、神からのいのちの血流が流れ込むように、勇気を受けてアイとの戦いに大勝利しました。

今回の勝利のあとは、前回のエリコの時とは違います。ヨシュアは高ぶることなく、神の御前に感謝の礼拝をささげました。

「それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、ひとつの祭壇を築いた。……彼らはその上で、主に全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげた。」(8:30-31)

勝利の栄光を神に帰することは、大切な態度です。私たちは、勝利したり、うまく行くと、つい自分の栄光にしてしまうからです。勝利させてくださった神に感謝し、神に栄光を帰すべきです

主なる神こそ栄光を受けるにふさわしいお方で

人間が自分の栄光にしようとするとき失敗します。サタンも、神の栄光をうらやみ、栄光を自分のものにしようとして堕落しました。

主だけが栄光を受けてズルイと思いますか。それは危険な考え方です。栄光は神のものです。被造者である私たちは、その神の栄光で輝かせていただく存在です。創造者と被造者のけじめがないと危険です。

さて、ヨシュアはその祭壇で礼拝を終えたのち、祭壇の石に律法を刻みました(8:32)。神の御言が石に刻まれることを通して、民の心にも、神の御言を尊重し、従順する心を育てようとしたのだと思います。

敗北と勝利、失敗と成功……これらを通して、私たちは神の御言を学び、その御言を心に刻むことが大切です。「あ~やれやれ」と思ってやり過ごしてはいけません。

苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによって私はあなたのおきてを学ぶことができました。(詩119:71)

この詩篇の作者は、試練を通して、神の御言(おきて)を心に刻むことができたことを感謝しています。試練……それは、神の御言(おきて)を学び、我が心に刻む機会んすね。(Ω)
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