朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨシュア記 18章

2017年07月13日 | ヨシュア記

ヨシュア18:3 ヨシュアはイスラエルの人々に言った、「あなた方は、先祖の神、主が、あなた方に与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのですか」。

ヨシュア記は、救われた私たちが大人の信仰者になってゆく物語として読むことができます。荒野ではマナが天から与えられたましたが、約束の地に入ってからは自分の手で食物を得るようになったという記録も、そのことを表しています。

棚から牡丹餅式に与えられるのは〝幼な子の時代〟です。いつまでもそのままではありません。〝おとなの時代〟へと進まなければなりません。主が共におられることを信じて勇気をだして前進します

だから、先の17章でも「自分で切り開きなさい」と命じられていました。また、今日の箇所でも「いつまで怠っているのか」と叱責されています。

イスラエルの各部族に嗣業の地が分け与えられたにもかかわらず、7つの部族は、いまだそれを手にしていませんでした。そんな彼らにヨシュアは、「いつまで怠っているのか」と呼びかけました。新改訳では「いつまで先延ばしにしているのですか」と訳しています。

主なる神は、私たちに豊かな勝利をすでに約束なさっています。あとは、私たちが約束を信じて、手にするだけです。

彼らをためらわせたものは何だったのでしょうか。日々の生活のわずらいもその一因かも知れません。

御言の種がまかれ、芽が出て茎も伸びたのですが、いばらが生え出て成長を妨げるように、日々の生活のあれこれが、先延ばしの原因になることがあります。

イエス様はあるときこう言われました。「鋤に手をかけてうしろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」。

過去の失敗や間違いを振り返ると、私たちの志気はなえてしまいます。適切な反省は前を向くのに役立ちますが、過度な原因さがしや後悔は、前を向くどころかバックギアが入ってしまいます。

私たちはイエスを信じ、神の御国のために鋤に手をかけた者たちです。前に向かって、主が用意なさった嗣業を手にしようではありませんか。

私たちの行くところどころに、神の御国のご支配をもたらすことは、私たちのミッションであり嗣業です。私たちの周りの環境はどうでしょうか。神の栄光が現れるところとなっているでしょうか。むしろ、悪魔の勢力がのさばっている世界の方が大きいのが現実です。

イエス様の福音を知らずに、罪と死の奴隷となっている世界が、まだまだ広がっています。その地を取りに行くのは、神の御心です。そこは私たちの嗣業です。

それなのに、いつまで先延ばししているのですか、と主は問いかけておられます。

祈りましょう。まだ、イエスのご支配が及んでいない人々や社会を、イエスのものとすることができるように、私たちをお遣わしください。(Ω)

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