朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨシュア記 19章

2017年07月14日 | ヨシュア記
ヨシュア19:49 こうして国の各地域を嗣業として分け与えることを終ったとき、イスラエルの人々は、自分たちのうちに、一つの嗣業を、ヌンの子ヨシュアに与えた。

ようやくイスラエルのすべての部族に嗣業の地が与えられました。ところが、最も功労のあるヨシュアの住む土地が決まっていませんでした。彼は、自分の居住地を後回しにして、民の居住地を優先したのです。

ヨシュアの立場と功績を考えるなら、最も良い地を得てもよいはずなのですが、ヨシュアはあえて、エフライムの山地にあるテムナテ・セラという町を選びました(19:50)

エフライムの山地にあるテムナテ・セラは、偶像礼拝の盛んなところであったと考えられています。地誌学によれば、太陽神を拝む言葉が町の名の由来だそうです。

そんな所にわざわざ出ていって、そこを建て直そうというのです。そのことを聖書は、「彼はその町を建てなおして、そこに住んだ」と記しています(19:50)

ヨシュアはすでに高齢に達していました。もう隠退してもよい境遇でしたが、彼はこの偶像礼拝の町を建て直すことに残りの生涯を費やしたのです。

神からの使命に年齢差はありません。青年には青年の使命があります。壮年には壮年の、老人には老人でなければならない使命があります。何歳になっても、今の私に与えられた神からの使命を果たす者でありたいと願います。

さて、一連の嗣業(相続地)の割り当ては〝くじ〟をひいて決めたと何度も記してあります。重要なことをくじ引きにするなんて……と思います。民主主義が定着した現代では、何でも話し合って決めるのが常識だからです。

しかし、人間の小賢しい意見や下心が行き交う会議の結果、得られた結論にも疑問符が灯ります。何かを決めるというのは難しいものです。そこで〝くじ〟の登場です。神に決めてもらおうじゃないかという訳です。

意外とくじ引きには神の御心が反映されているのではないかと思います。自分の人生を振り返って見ても、自分で決めたとおりになったことは何割でしょうか。1割あるでしょうか。特に重要なことはもっと低いかも知れません。

なぜ、藤原家の次男坊に産まれたのか。京都の田舎に生まれたのか。なぜ日本人なのか。なぜ昭和の時代なのか。どれをとっても〝くじ〟で決められたかのような人生です。

でも、そこに神の御心があるのです。そこに、神が与えたもうた嗣業があるのです。ならば、これを由として受けとめようではないかと思うのです。

私には私の、あなたにはあなたの、それぞれの嗣業があるのですそれを誠実に生きようタラントを増やすように生きよう。そんな人生であるように祈ります。(Ω)
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