朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

民数記 5章

2017年04月21日 | 民数記
民数記5:2 イスラエルの人々に命じて、重い皮膚病(ツァラト)にかかっている者、漏出のある者、死体に触れて汚れた者をことごとく宿営の外に出しなさい。(新改訳)

なぜ、神は、このような非情なことを命じられるのでしょうか。この箇所のみならず、旧約聖書にはこのような厳しい命令が出てきます。神は、何を意図されているのでしょうか。

まず、抑えておくべきことは、旧約は新約に至るための「予表」だということです。新約が実際であって、旧約は新約の比喩として理解すべきです。

たとえば、旧約ではイスラエルが異教徒と戦争をします。それが新約の時代に、十字軍のように異教徒を滅ぼす戦争を意味しているのではありません。中世の時代はそのような解釈をして戦争を正当化しましたが、過ちであったと私は考えています。正しくは、旧約における戦争の記述は、新約における私たちの内なる偶像との闘いであり、闇の世の主権者である悪魔とかサタンと呼ばれる者たちとの闘いを表しています。

さて、話しをもどしましょう。当時のイスラエルは数万人の大所帯です。しかもテント暮らしです。そんな密集状態で伝染病が発生すれば、枯れ木に火がつくように被害は拡大しました。そういう意味からも、衛生を保つことは重要な解題でした。そのために、厳しいようですが、宿営の外に出すという処置が必要でした。

もうひとつは、民に「きよさ」を教えるためです。とはいえ、この場合、肉体の清さ(衛生的清さ)の方に重きがおかれていました。漏出の放置、重い皮膚病、死体に触れるといったことは衛生面で問題があります。

しかし、死者が出た場合、当然ながら対応しなければなりません。そして、律法の規定通り、水で体をきよめて衛生的な対処をし、きよめの期間を他者と隔離して過ごしました。 ※2015年に西アフリカで発生したエボラ出血熱は、遺体の取り扱いがずさんであったことから大流行となった。

このように、肉体の衛生面でのきよさを通して、さらに霊的なきよさを学ぶように神は意図なさったのです。ですから、大切なことは内なる霊魂の清さです。罪から遠ざかる清さです。

新約にいたって、イエス様は、外側(肉体、見た目)はきよめても、それは白く塗られた墓だと指摘なさいました。外側は白く塗られて綺麗だけれど、中身は死に至る罪で満ちていることを指摘されました。

外側の手は水できよめて食事をしているが、本当に人を汚すものは、口に入るものではなくて、口から出るもの罪に満ちた内なる霊魂から出るもの)が人を汚すのだと指摘なさいました。

ですから、旧約の人々が、重い皮膚病や漏出の者や死人に触れて汚れた人々を宿営の外に追いやったように、新約の私たちは、日ごとの罪を告白し、私たちの内側から罪を追い出します

また、罪から離れようとせず、忠告を受け入れようともしない者を、教会の交わりから出さなければなりません。

コリント教会には、姦淫の罪を改めようとしない者がいましたが、その者を除くように命じています。このような悪質な罪を放置しておくなら、パン種がパン全体をふくらませるように、教会全体に悪影響を及ぼすからです(Ⅰコリント5章)

実際にそのような場合は希であろうと思いますが、そうなる前に、互いが愛をもって戒め合い、信徒同士のきよい交わりがなされることが肝心です。(Ω)
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