朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
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出エジプト記 24章

2016年12月28日 | 出エジプト記
出エジプト24:8 モーセはその血を取って民に注ぎかけ、そして言った、見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基づいて、あなた方と結ばれる契約の血である」。

モーセは、十戒を始めとする神からの律法を民に語り継げました。その内容が20章~23章に記された事柄でした。それをもとに、神はイスラエル民族と契約を結ばれるのです。

これに対して民は、「私たちは主の語られた言葉をみな行います」と応えました(24:3)。 

過越しの事件、紅海渡航、荒野での水とマナなど、民は数々の主の御業を体験してきました。このような神が他におられるだろうか。イスラエルの民は、神の律法に基づく契約に心から同意したのです。

ただ、残念なことですが、力強く批准したものの、イスラエルの民は従う事が出来ずに何度も違反してしまうのがその後の歴史です。その通りだと確信するも、従いきれない人の弱さも見逃してはなりません。

新約にいたって、弟子のペテロが「あなたを知らないなどと決して言わない」と誓ったにもかかわらず、主イエスを否んでしまった姿も同じです。でも、新約との大きな違いは聖霊が注がれたことです。聖霊の大いなる助けによって、神の御言に従うようにされたのです。

さて、本題に戻しましょう。この時の契約には〝血〟が注がれました。神への献げものとして屠(ほふ)られた羊や牛の血は、祭壇と民に注ぎかけられました(24:6-8)

この時の光景を想像してみてください。周囲は血のしたたりで赤く染まったことでしょう。契約に同意した人々にもこの血のしぶきは降りかかりました。血は私たちに強烈な印象を与えます。

エジプトにおける過越しの時も血がしるしとなったように、シナイにおける契約においても血がしるしとなりました。

イエス様も十字架で死なれる前、弟子たちとの食事の席で、赤いぶどう酒の入った杯を手にして、これはわたしの血で立てる契約の血だと言われました。

真っ赤なぶどう酒のような、神の尊い血で立てられた新しい契約を私たちは受けています。このイエスの血は契約のしるしです。聖餐式に受ける杯は、契約のしるしです。

この血は、神がご自身のいのちを献げられたというしるしです。神の尊い血によって成就した契約だからこそ、それは確かな約束です。確かな救いです。新しい契約を感謝しよう。(Ω)






 
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