朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨシュア記 4章

2017年06月27日 | ヨシュア記
ヨシュア4:7 それらの石は永久にイスラエルの人々の記念となるであろう。

ヨルダン川は堰き止められました。イスラエルの人々は川底を通ってカナンの地に入りました。

そこで神は、ヨルダン川の川底の大きな石を、各部族ごとに拾い上げ、それを記念とするように命じられました(4:3)この石は永久にイスラエルの人々の記念とするためです。

のちの子孫が、「この石は何ですか」と質問するなら、ヨルダン川で神がなさった大いなる御業を語り継ぐのです。このことによって、イスラエルは子々孫々にわたって、主なる神に帰依することになります。

この石は、神が生きて働かれたこと証拠の石です。神が私たちと共におられること証拠の石です。新約時代のクリスチャンにも、このような証拠の石を拾います。

主イエス様が私をどのようにして救ってくださったか……その証しは、永久に残る記念の石です。イエス様は私と共におられる……インマヌエルの神であるという体験は、子孫に残すべき記念の石であり、霊的な遺産です。

キリストを信じる信仰は、理屈の世界ではありません。イエス・キリストが私を救ってくださった体験の世界です。イエス・キリストが私と共におられることを体験する世界です。

私たちは、このような〝証し〟という名の記念の石を拾っているでしょうか。

このヨシュア記は、信仰による「勝利」と「豊かさ」と「安息」を予表していることを見ましたが、このような証し」という記念の石を拾うことは、勝利への第一歩です。

聖書の知識がたくさんあっても、記念の石がなければ、私たちの信仰はむなしく終わってしまいます。「お父さんは、こんな出来事を通して、イエス様と出会ったんだよ」と子孫に語り継ぐことのできる石を拾おう。

日本の諺に「虎は死して革を残し、人は死して名を残す」と言われますが、クリスチャンは死んで何を残しますか。イエスこそが、「神、われらと共にいます」……インマヌエルなる神であるという証し(石)を残すものでありたい

祈りましょう。地上における生涯を通して、永遠の記念となる証しの石を拾うことができるように導いてください。(Ω)
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