朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨシュア記 17章

2017年07月12日 | ヨシュア記
ヨシュア17:18 山地をもあなたのものとしなければなりません。それは林ではあるが、切り開いて、向こうの端まで、自分のものとしなければなりません。カナンびとは鉄の戦車があって、強くはあるが、あなたはそれを追い払うことができます。

イスラエルの各部族ごとに嗣業の地が割り当てられる中で、ヨセフの子孫から不平の声が出てきました。

「ヨセフの子孫はヨシュアに言った、『主が今まで、私を祝福されたので、私は数の多い民となったのに、あなたはなぜ、私の嗣業として、ただ一つのくじ、一つの分だけを、くださったのですか』。」(17:14)

1タラントを受けた者には、2タラントを受けた人が羨ましく見えます。また、2タラントの者には5タラントが魅力的です。しかし、その違いは差別ではなく、〝それぞれの能力に応じて分け与えられた〟ことを見落としてはなりません。

多い方が良い、大きい方が良い……という価値観は正しいのでしょうか。少ないことは悪いことなのでしょうか。弱いことは欠点なのでしょうか。

また、皆が同じ数、皆が同じ量というのは正しいのでしょうか。差があることは悪いことなのでしょうか。違いがあることはいけないことなのでしょうか。

聖書は、それぞれの能力に応じて……と述べています。それは神がご覧になった裁量によるのであって、私たち人間が推しはかることのできない領域です。

さて、ヨシュアはヨセフの子孫達に、「あなたが数の多い民ならば、林に上っていって、そこで、ペリジ人やレパイム人の地を自分で切り開くがよい。エフライムの山地が、あなた方には狭いのだから」と提案しました(17:15)。しかし、そこに住むカナン人が鉄製の武器を持っているがゆえに、開拓するのは難しいのだと、ヨセフの子孫は言い訳をしました。

なにやら、1タラントを使わずに土の中に埋めておいた者のようですね。そんな人々に「自分で切り開きなさい」と命じました(17:15)

タラントの話しの中では、2タラントの者はそれを用いて4タラントに増やし、5タラントの者は10タラントに増やしました。ヨセフの子孫達にも、タラント増やすようにして切り開くことが求められているのです。

それを躊躇させる原因は「恐れ」でした。1タラントの者も、これを失ったら大変だと思い、恐れたので、土の中に埋めておいたのです。

ヨセフの子孫達も恐れました。土地を切り開くにも、そこにはカナン人が住んでいて、しかも鉄の戦車を持っているからです。彼らは、主なる神が今までしてくださったように、これからも成してくださることを忘れていました。

だから、彼らに与えられた御言は、「カナンびとは鉄の戦車があって、強くはあるが、あなたはそれを追い払うことができます」というものでした(17:18)
※口語訳・新共同訳を参照。新改訳は「強いので、追い払わなければならない」と翻訳。

相手がどんな武器を持っているかが問題ではありません。私たちの持っている武器の質も量も問題ではありません。主が共におられることこそ最も大切なことです

主が共におられることを忘れてはいないだろうか。今日、もうひとたび、主が共におられること故に、勇気をもって前進しよう。(Ω)
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