朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

民数記 3章

2017年04月19日 | 民数記
民数記3:12 わたしは、イスラエルの人々のうちの初めに生れたすべての初子(ういご)の代りに、レビびとをイスラエルの人々のうちから取るであろう。レビびとは、わたしのものとなるであろう。

イスラエルの部族の中で「レビ人」は神のものとして取り分けられました。もちろん、大きな意味ではイスラエルの民全体が神のものですが、レビ人は、幕屋で直接神に仕える民として区別されました。

冒頭の聖句で「初子」とは何を意味するのでしょう。  ※初子とは「初めて生まれた子」のこと。

事の発端は、エジプトを脱出する前夜、あの過越しの事件があったことを思い出してください。その夜は、神がエジプト中の初子……人であれ家畜であれ全ての初子……のいのちが奪われました。

エジプト在住のイスラエルも例外ではありません。しかし、彼らは初子の身代わりに小羊を屠っていのちを捧げ、そのしるしに小羊の血を玄関に塗りました。そのことによって、死のさばきはイスラエルの家を過ぎ越して行きました。

本来ならば、イスラエルの初子も死んでいたはずです。しかし、身代わりの死があったので、イスラエルの初子は死ななかったのです。

これは、やがてイエス・キリストが人類の身代わりに死なれることによって、死のさばきは、イエス・キリストの血を塗られた民を過ぎ越して行くことの預言ともなっています。

さて、イスラエルの初子は殺されずに済みましたが、死なずに済んだ初子は神の所有であると、神は宣言なさっているわけです。小羊の血であがない取ったので神のものだと言われるのです。とはいえ、全イスラエルの初子を神のものとなさるのではなく、レビ人をその初子の代わりに神のものとなさると冒頭の聖句は宣言しているのです。

イエス・キリストの死は全ての人類の死の身代わりです。でも、イエス様が私の代わりに死んでくださったので、「あぁ~やれやれ、あとは自分の好きなように生きよう」というのでしょうか。

神がレビ人を初子の代わりに取られたように、イエスを信じる民を、全人類の初子として神のものとなさったのです。それは、神に仕え、神に奉仕する者として、その者たちを区別なさったのです

神の選びと働きに応じる者は幸いです。(Ω)
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