朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

士師記 17章

2017年08月09日 | 士師記
士師記17:12 ミカはレビびとであるこの若者を立てて自分の祭司としたので、彼はミカの家にいた。

第17章からは士師たちは登場しません。ただ、人々が各自の思い思いにふるまっている、混沌とした時代が描かれています。そこから学ぶべきことは何でしょうか

さて、エフライム部族の人でミカという男について記されています。彼の母は銀製の刻んだ像と鋳た像をこしらえ、ミカはそれを拝むために、自分勝手に宮(神殿)を用意したのです。

もちろんこれは、神の憎まれることです。神は言われました。「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。……それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない(出エジ20:4-5)

ミカの行為は十戒に反することです。銀の像が何をかたどっていたのかは分かりませんが、おそらくカナンの地で拝まれていた異なる神々であったと思われます。

ミカはそれだけではなく、自家製の神殿で祭儀を司る祭司を募集したのです。そんなある日、旅の途中で出会ったレビ人の若者を引き留めて、祭司として雇いました。

ミカの行為は何もかも自分の都合にあわせたものです。神を拝みたいという宗教心はあるものの、自分中心の礼拝です。

新約のキリスト教会にも、これと似た自分中心の礼拝や信仰が紹介されています

だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。(Ⅱテモテ4:3-4)

私たちの信仰は、人間中心のものではなく、神中心です。このフォーカスをずらしてしまうと混乱を生じます。自分の都合に神をあわせるのではなく神の御心に自分の都合を合わせるのです

現代の世相はますます人間中心の世の中です。キリスト教界にもその影響がおよんでいます。だからこそ、神の御言、神の御心に従う者でありたいと願います。(Ω)
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