朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

創世記 21章

2016年10月15日 | 創世記
創世記21:6 サラは言った「神は私を笑わせてくださった。聞く者は皆私のことを笑うでしょう」。

ついに時が満ちて、サラは男の子を出産し、イサクと名付けました。「彼(神)は笑った」という意味です。約束が実現することは何と喜びでしょう。アブラハムもサラも笑い、神もまたお笑いになったのです。

※「神は私を笑わせてくださった」は、新改訳では神は私を笑われた。直訳は神は私に対して笑いをつくられた。嘲笑の意味ではない。

神の約束を待つ者からは、このように笑いの輪がひろがります。

最後に笑う者は、神の約束を信じ続けた者です。アブラハム夫妻は、死人のような自分たちから子孫が産まれると信じ続けました。だから最後には笑うことができました。

途中、約束を信じ切れずに、女奴隷ハガルによって子を得たこともあったように、私たちも人生の中で色んな実を結びます。女奴隷の子という実を結ぶこともあれば、信仰による約束の子という実を結ぶこともあります。

神は私たちに「約束の子」という実を結ばせたいと願っておられます。

ぶどうの木であるイエス様につながっていなさい。そうすれば実を豊かに結ぶようになる……と主は命じられました。また、御霊の実を結ぶようになるとも約束されています。

私たちも信じ続けて「約束の子のイサク」という実を結びます。信じ続ける者こそがイサクを産みます……つまり笑うのです。

涙をもって種をまく者は、喜びの声を上げて刈り取ります(詩126:5)。主によるあがないの完成を待つ者は、楽しみと喜びを得、悲しみと嘆きとは逃げ去るのです(イザヤ35:10)

最後に、イシマエルをイサクから離すために、アブラハムがイシマエルとハガルを外に出した経緯は、人間的には理解に苦しむことでしょう。このことは新約時代の預言となっています。ガラテヤ4:21-31を参照してください。(Ω)







 
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