朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

出エジプト記 27章

2016年12月31日 | 出エジプト記
出エジプト27:1 あなたはアカシア材で祭壇を造らねばならない。

27章の前半は「祭壇」の造営についての記録です。いけにえの動物を焼いて、その香りを神に献げるための場所です。大型のグリルのような装置です。移動できるように、かつぐ時の棒を通すようにもなっていました。

続いて、聖所のまわりに庭を設け、それをを囲むようにして「あげばり(掛け幕)」をはることが記されています。この外側を囲んでいる「掛け幕」の長さは、東西に約45m南北に約22.5mで、東側に「門」があります。

このように、聖所は掛け幕で囲まれているので、どこからでも勝手に入ることができないような構図です。

神に最も近いところとされる至聖所に行くには順番がありますまず、必ず門を通って行きます。私たちが神に近づくのも同じです。

イエス様はわたしは門であると言われました(ヨハネ10:9)。イエスという門を通して神に近づきます。門を通らない者は盗人であり強盗だとも言われました(ヨハネ10:10)

次に、門をくぐると庭があり、すぐに目にするのが祭壇です。

祭壇はいけにえを屠って殺し、血を流し、その肉を焼いて神に献げる場所です。聖所に入る前に必ず、いけにえを献げなければならないことを表しています。つまり罪のための〝いけにえ〟が必要だということです。

旧約の人々は、神に礼拝をささげるたびに、動物のいけにえを祭壇で献げなければなりませんでしたから、罪の解決なしに神に近づくことは出来ないことを、体験的に学んだことでしょう。

しかし、それは動物のいけにえなので、本当の罪の解決にはなりませんでした。

今や、神の御子イエス・キリストが十字架で罪のいけにえとして血を流してくださいました。新約の私たちは、イエスという門をくぐり、いけにえとして死なれたイエスという祭壇を経て聖所に近づきます。(Ω)






 
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