朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨハネの黙示録 19章

2017年06月19日 | ヨハネ黙示録
黙示録19:7 私たちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意をしたからである。

先の大淫婦に対する神のさばきとは対称的に、天では喜びに満ちた宣言がなされます。それが今日の御言です。その喜びの理由は小羊の婚姻の時が来たからです。

小羊とはイエス・キリストのこと。そして、小羊の花嫁とはキリスト教会のことです。

主イエスは、たとえ話で「天国は王が王子のために結婚式を開催するようなものだ」と語られましたが、神の御国を完成するにあたり、天の父は、王子である御子のための結婚式を用意なさっています。

父なる神は、御子(イエス・キリスト)を万物の相続者に定められました(ヘブル1:2)。つまり、御子神の御国の王とお定めになりました。

御国を治めるために、王が独身のままではいけません。王妃をめとります。神が、アダムの助け手としてエバを用意なさったように、御子の助け手として花嫁が定められています。

いよいよ、御国の王であるイエス・キリストと花嫁である教会との婚姻の時がやって来るのです。天での喜びは最高潮に達することでしょう。

先ほどの王子の結婚式のたとえ話では、式に招待されながらも所用を理由に断った人々のことが語られています。王の招きに応じる者は幸いです。ですからこう預言されています。

「御使は私に言った、『書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである』。また私に言った、『これらは、神の真実の言葉である』。」(19:9)

これは、神の真実の言葉です。しかも、私たちキリスト教会は、この婚宴の当事者である花嫁です。何という光栄でしょうか。この真実な神の御言に対して、真実な生き方で応えなければなりません。

「花嫁の用意ができた」と言われていますが(19:7)、どのように用意が整ったのでしょうか。ユダヤ式の結婚には3段階がありますが、神はその手順に従って用意なさいっています。

婚約

ユダヤでは、花婿の父が花嫁料を支払うことによって婚約が成立します。日本式では結納金といったところでしょうか。

御子イエス・キリストの花嫁のためには、すでに花嫁料が支払われています。十字架の神の小羊の尊い血です。聖書はこのことを、「神が御子の血であがない取られた教会」と表現しています(使徒20:28)

私たち教会は、御子の血によってキリストのものとなり、小羊の婚宴にそなえて現在は婚約中です。

また、パウロはコリント教会のことを次のように表現しています。「あなた方をきよい乙女として、ただひとりの男子キリストにささげるために婚約させたのである」と(Ⅱコリント11:2)。新改訳では、「あなた方を清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにした」。

新居の準備

ユダヤでは、婚約がすむと、花婿は花嫁のための新居を準備します。新居の準備ができたら、花婿が花嫁を迎えに来ます。日本では、花嫁が花婿の家に行くのが一般的ですから、逆ですね。

イエス様は天に昇られる前、「私はあなた方の住む家を用意するために天に行くのだ」と言われました。そして「用意ができたら迎えに来る」と約束なさいました(ヨハネ14:2-3)

主は約束通り、準備ができたら迎えに来られます。

合図のラッパの響きと共に主は下ってこられます。その時、主にあって眠っている者は復活し、その時点で生きている信者は一瞬にして変えられて天に引き上げられます(Ⅰテサロニケ4:16-17)。これを「携挙」と言います。

結婚式

ユダヤでは、式のはじめに「花嫁のきよめの儀式」があります。私たちキリスト教会は「キリストのさばきの座(Ⅱコリント5:10)で、花嫁にふさわしくきよめられます。

このさばきは救いと滅びを区別するさばきではありません……それは「大きな白い御座のさばき」です……そうではなく、救われた私たちがどんな生き方をしてきたかがさばかれます。ある人は報償を受けますが、ある人は罰を受けるでしょう。

さばき」は「きよめるため」です。

私たちは地上ではさばき切れない様々な問題を抱えています。人間同士でさばき合うとますます傷を深めます。だから公的な裁判でさばくのですが、それでもスッキリしません。

だからこそ、キリストがさばかれます。すべてをご存知であるキリストが公平にさばいてくださるなら本望(ほんもう)ではありませんか。ですから、自分の悪に対してもキリストにさばいてもらって、その罰を受けるなら納得が行くでしょう。

こうして私たちは、変な表現ですがスッキリするのです。こうして、キリストの花嫁としてきよめられ、しみも傷もしわもない栄光の教会になって結婚式を迎えます。

このように、私たちは花嫁として、現在準備中ですから、花婿なるキリストと愛を深める生活を大切にします。それが信仰生活です。具体的に3つあげておきます。

(1)他の神を拝まない。  つまり、他の何者も神としないことです。これがキリストへの最高の愛です。夫婦も他の異性と関係があると夫婦関係は破綻します。これはキリストと教会、夫と妻の大原則です。

この大原則が日本社会では崩れかけています。クリスチャンこそ霊的純潔と男女の純潔を守ることによって、世の光、地の塩となるべきです。

(2)主の御名を尊ぶ。  神の御名をいつも讃美することです。神の御名であるイエスを呼ぶことは主への愛です。

夫婦でも名前ではなく「お前」「あんた」と呼ぶようになったら関係は大分冷えています。名前を呼び合いましょう。私たちの愛する神の名は「イエス」です。いつも「イエス様」と心からお呼びしよう。賛美しよう。

(3)安息日を聖とする。  安息日は他のわざを休んで主との時間を大切にすることです。私たちはキリストとの時間を大切にしているしょうか。同じように、夫婦の時間を大切にすることで愛を育みます。

祈りましょう。キリストと私たちの関係が豊かでありますように、そして花婿なるキリストがいつ迎えに来てくださっても良いように待ち望みつつ進む者でありますように……。(Ω)
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