朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨシュア記 16章

2017年07月11日 | ヨシュア記

ヨシュア16:10 ゲゼルに住むカナンびとを、追い払わなかったので、カナンびとは今日までエフライムの中に住み、奴隷となって追い使われている。

カナンの地を聖絶せよ」。これがイスラエルに課せられた神からの命令でしたが、イスラエルの民はそれを徹底できずにいました。今日の聖句でも、カナン人がエフライム部族の地域に残っていると記録しています。

先にも申し上げたように、「聖絶」という命令(口語訳では「滅ぼしつくせ」)旧約に限られたことで、新約では罪との戦いを表しています

つまり、カナン人がそのまま残っている状態は、新約的には、罪と戦わないでそのまま残しておくことを意味しています。

今日の聖書ヶ所では、カナン人の生き残りが今も存在していることを記録しているだけですが、これが後の時代に禍根を残すことになります。ヨシュア記の次の書である士師記では、生き残りのカナン人によってイスラエルは大いに苦しめられることになります。

カナン人の偶像礼拝に影響を受けて、主なる神から離れてしまったり、カナン人に支配される事態にもいたります。だからこそ、主なる神はカナン人を聖絶するよう命じられたのですが……。

罪の結果はやがて刈り取るようになります。罪は雑草のようです。しっかりと根から抜き取ってしまわないと、また出てきます。

相手をゆるしたのに、ゆるし切れていない。記憶から忘れ去ろうとしているだけで、ふたをした状態。苦々しい思いが残っている……。このような状態は、「ゆるさない」という罪が根っ子から抜き切れていません

そのことを聖書はこう記しています。「苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい(ヘブル12:15)

私たちの原罪(神を認めない罪)イエス様の十字架の死によって完全にきよめられました。しかし、救いを受けた後におかす日々の罪は、神に告白することでゆるされ、きよめられます(Ⅰヨハネ1:9)

苦い根が残っていると指摘されている罪は、後者の「日々の生活の中でおかしてしまった罪」のことです。神に告白しないで放っておくとか、口先だけの告白で終わっているようなとき、苦い根として残るのです。

神に申し上げるとは、神の前に明らかにすることです。雑草を根っ子から引き抜いて天日にさらすことで干からびてしまうように、日毎の罪も神の御前にさらけ出すことによって、神の栄光の光で干からびてしまいます。(Ω)

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