朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

創世記 9章

2016年10月01日 | 創世記
創世記9:16 虹が雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思い起こすであろう。

洪水によるさばきは、ノアとその後の子孫にとって強烈な記憶となったはずです。それ以後、ノアから新しい人類の歴史が始まったのですが、彼らは洪水によるさばきを子孫たちに語り継いだことでしょう。

それを裏付けるかのように、世界各地の民族に洪水伝説が残っています。そのほとんどが、我らの先祖は洪水の中、船によって救われたというものです。

さて、そのような恐ろしい記憶を癒すかのように、神は空に虹をあらわして、それを「神はもはや洪水によって人類を滅ぼさない」という約束のしるしとなさいました。

洪水の生々しい記憶が残るノアにとって、ちょっとした雨でも恐ろしく感じたことでしょう。いわゆる「トラウマ」です。しかし、そんな雨の後に虹は現れます。そして、「ノアよ!お前に対するさばきは終わったのだ」という神の宣言を思い出させてくれました。

何か不穏な出来事に直面したとき、過去の失敗とか罪がトラウマのようにして思い出され、恐れと不安に陥ることがあります。同じ失敗をするのではないだろうか。どうしよう……。

しかしそんな時、神は「虹」という名のしるしを見せてくださり、お前に対するさばきはもう終わったのだ!と示してくださいます。

では、私たちにとって、その「虹」とは何でしょうか。

十字架の血はそのしるしと言えるでしょう。ノアが虹を見るたびに思い出したように、私たちも十字架を見るたびに、神は私と和解をしてくださった、もう私に対するさばきは終わったことを確信するのです。

旧約の時代のノアにとって「虹」が約束のしるしとなったように、私たちにとっては、イエス様の十字架とその血は新しい契約のしるしです。 ※イエスはパンと杯をもって契約をなさった時、杯(十字架の血を意味する)をとって、これは契約のしるしだといわれた。

そして、世の終わりの時、天の神の御座のまわりにも「虹」が現れていたというのは、興味深いことです(黙示録4:3)

さて、洪水後のノアの家族について記録は続きます。

ある日、ノアが酒に酔って裸で眠り込んでいる様子を目撃したハムは、その兄弟であるセムとヤペテに告げたとあります。それを聞いたセムとヤペテは、父の失態を見ないようにして衣服をもってそれを覆いました(9:21-23)。この一連の出来事を知って、父であるノアはハム(その息子であるカナン)をのろったとあります(9:24-27)

ハムの何が悪かったのでしょうか。

かつてのカインの献げ物の何が悪かったのかという問題もそうでしたが、具体的には記していません(創4:3-6)。アベルのささげ方から類推して、そうではなかった点を神が嫌われたと解釈したように、ハムの場合もセムとヤペテの行いではないことを、神は嫌われているのです。

セムとヤペテは父の恥を覆(おお)いました。

失態そのものは誉められたことではありません。でも、それを言い広めたり、うわさ話にしませんでした。主である神も、アダムとイブの失態を覆うようにして皮の衣を着せてくださいました。神が求めておられるのは、「おおうことではないかと思います。

他者の失態を覆っているだろうか。

他言しないということで覆うこともあります。助けてあげることが覆うことになることもあります。神が罪人である私をあわれんでくださって、イエス・キリストという衣で覆ってくださったように、私も他者を覆うものであろう。(Ω)





 
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