朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

民数記 18章

2017年05月06日 | 民数記
民数記18:20 あなたはイスラエルの人々の地の内に嗣業を持ってはならない。また彼らの内に何の分をも持ってはならない。彼らの内にあって、わたしがあなたの分であり、あなたの嗣業である。

アロンの杖にしるしが現れたことにより、アロンとその子らこそ祭司職であり、レビ部族が幕屋での奉仕にたずさわることが明確に示されました。そこで、改めてアロンやその子らとレビ人の立場と奉仕、並びに報酬が再確認されました。

さて、イスラエルの各部族は約束の地カナンに入って、各部族ごとの割り当て地が定められることになるのですが、それを聖書は「嗣業(しぎょう)」と呼んでいます。新改訳では「相続地」と訳されていますが、単なる相続とか報酬という意味をこえた、神からの使命というニュアンスもこめて「嗣業」と翻訳するのがよいだろうと思います。

しかし、レビ人は土地を嗣業とすることが禁じられました。土地はないが、神ご自身が嗣業だと言われるのです。

神に仕える働きは、地上的な価値観では割の合わないことです。見えるものにではなく、見えないものに目をそそぐという価値観が必要です。嗣業が目に見える土地ではないと不安でしょうか。でも、もっとすばらしいものを所有するのです。しかも、永遠に受け継ぐのです。

聖書はこう言っています。「御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである(Ⅰヨハネ2:23)。御子イエスを信じる者は、父なる神を持っているのだと……。

すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ(Ⅱヨハネ1:9)

旧約のレビ人たち以上に、いま私たちは最高の嗣業を得ているのです。(Ω)
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