朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。 
聖書を一日一章、読んでみませんか。

創世記 20章

2016年10月14日 | 創世記
創世記20:17 そこでアブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、および、はしため達をいやされたので、彼らは子を産むようになった。

何と言うことでしょう。アブラハムはかつてエジプトで妻を妹と偽ったことと同じあやまちを、ゲラルの王アビメレクに対しておかしました。

聖書は、優秀で特別な人々の記録ではなく、あやまち多き罪人たちの記録です。しかも、そんな多くのあやまち中でも、神は信仰者たちを哀れみ、忍耐強く取り扱われた恵みの記録です。

この時も神はアビメレクの家に介入なさり、サラを守ってくださいました。このことを通してアブラハムは、自分が「祝福の基」としていかに重要な立場であるかを、畏れをもって知ることとなりました。

神の約束はこうでした。「アブラハムを祝福する者を“神が”祝福し、アブラハムを呪う者を“神が”呪う」のです。

今回の事件もアブラハムに非があるのですが、結果的にアブラハムに害を及ぼすことになったアビメレク王を、“神が”撃たれました。

アビメレクは、アブラハムにあらわされた祝福の法則を知って、アブラハムを祝福して帰しました。その結果、アビメレク王を“神が”祝福されました。

アブラハムは自分の姿勢が、周囲の人を祝福し、また呪いをも与えることにもなることを、このことを通して知ったことでしょう。

だから、アブラハムはアビメレクのために、神に祈りました。何はともあれ「神に祈った」のです。失敗をしても神に祈る」。格好悪い結末でも、「相手のために神に祈ったのです

これがアブラハムに与えられた使命なのです。

こうして、自分にはまだ子がいないのに、アビメレク家の不妊が癒されるように祈ったのです。「祝福の基」として召されたアブラハムは、まずアビメレクのために祝福を祈ったのです。

この使命は私たちも受けついでいます。だから私たちも祈ろう。神に祈ることによって、私たちから祝福の連鎖が始まるようにしよう。(Ω)







 
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