朝マナ

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ヨハネの第一の手紙 5章

2017年04月05日 | ヨハネ書

Ⅰヨハネ5:5 世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。

聖書では「世」を、悪魔によって罪に支配された世界、闇の力でおおわれた世界として表現しています。5章19節では、「全世界は悪しき者の配下にある」と記されているとおりです。

とはいえ、世を敵対関係のように思わせ、世と隔離して自らをきよく保とうとする宗教がありますが、それは世に対する間違った態度です。

神はクリスチャンを「聖別」なさいます。聖別とは、聖なる者(神に属する者)として区別することです。神はクリスチャンを世と区別(聖別)なさるのであって、隔離するのではありません

神は、私たちを、神のものとして聖別したうえで世に遣わされました。私たちは世と隔離した者ではありませんが、世の者ではありません。天に属する者です。

私たちは天国から派遣された宣教師です。あるいは、天国から派遣された大使です。とすれば、教会は天国の大使館といったところでしょうか。これがクリスチャンのアイデンティティー(ID)です

「私は何者なのか」というアイデンティティーが確立できていないクリスチャンは、世に負けてしまいます。「世に負ける」とは、出世できないとか、裕福になれないとか、世的に成功できないとか、いま流行りの勝ち組と負け組のことではありません。

クリスチャンとしての塩味を失い、クリスチャンとしての光を失うことが、すなわち「世に負ける」ことです。それは、世の習慣や世の価値観に染まってしまうことです。

私たちの役目は天国の塩味を世にもたらすことです。神の光を闇の世に輝かせることです。

悪しき者の支配下にあるこの世は、終末に向かって悪を加速させるでしょう。偽りは大手をふって闊歩(かっぽ)し、互いに裏切り、憎しみ合うようになり、愛は冷えるでしょう。

このような世に勝つ者はだれですかイエスを神の子と信じるクリスチャンです

今は、世を照らすまことの光が求められ、地の塩としての役目が求められる時代です。そのために、神は、クリスチャンを聖別し、この世に派遣なさったのです。

悪しき者の支配下にあるこの世に勝つのは、この世で生まれた者ではなく、神から生まれた者です。クリスチャンとは、イエスを神の子と信じて、神から生まれた者です(5:1)。この世で生まれた者ではありません。

この世で生まれたものには、世に勝つ力がありません

この世で生まれた知識も、この世で生まれた科学も文明も、この世で生まれた政治も理念も、そしてこの世で生まれた人間も、この世に勝つことができません。遅かれ早かれ、世と共に堕落し、滅びます。

イエスを神の子と信じて神から生まれた者だけが世に勝つのです。神からのいのちだけが、世にいのちをもたらします。神からの光だけが、世を照らすことができます。

私たちには神からのいのちが「すでに」あります。ですから、私たちの中には「すでに」世に勝つ力がそなわっています。罪の中を歩みません。神を愛し兄弟を愛する性質がそなわっています。何故なら、イエスをキリストと信じる者は、「神から生まれた者」なので、神の性質(愛とか聖さ)を受け継いでいるからです。

さて、ヨハネの手紙の最後は、「偶像を避けなさい」という命令でしめくくられています。

世に打ち勝つ力は、いつも神から来ます。だからこそ、いつも神との真実な交わりが命綱(いのちづな)です。この真実な交わりを破壊するものが、偶像礼拝です。だから偶像を警戒しなければなりません。

神ならぬものを神とすることが偶像礼拝です。世の何者もをも神としてはなりません。どんなに信頼できそうであっても、それは偽りの神です。そのようなものを神とするなら、神との真実な交わりは途絶えます。

だから、最後に「偶像を警戒しなさい」と結んでいます。神との真実な交わりの中で、今日も、世に勝つ力を供給していただけるように祈ります。(Ω)

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