朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ヨシュア記 11章

2017年07月05日 | ヨシュア記
ヨシュア11:9 ヨシュアは主が命じられたとおりに彼らに行い、彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼いた。

アモリ(エモリ)人の5人の王たちによる連合軍に勝利したイスラエルは、さらに大きな連合軍と戦うことになりました。ハゾルの王ヤビンらによる大連合軍でした。「浜辺の砂のように」と表現されるほどの大軍です。

ここでも、主なる神の御言は同じです。「恐れてはならない(11:6)

私たちが恐れるのはなぜですか。それは、目に見える世界〝だけ〟を見ているからです。

弟子のペテロは、「来なさい」と言われたイエスの御言を信じて水の上を歩き出しました。しかし彼は、「風を見て恐ろしくなり」、そしておぼれかけました(マタイ14:30)

目に見える世界だけを見ていると、私たちには不安恐れが来ます。そして、不安と恐れの海におぼれてしまいます。私たちが見るべきは、イエス様であり、主イエスの御言です

見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐべきです。なぜなら、見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです(Ⅱコリント4:18)

神は目に見えませんし、神の御言も見えませんが、それは永遠であり、確かな拠り所です。

浜辺の砂のような大軍を見て恐れない者はいません。その恐れを越えることのできる勇気、「恐れてはならない。私はあなたと共にいる」と言われる神の御言です。

また、私たちは、いのちを失うことを恐れます。それは、目に見える肉体のいのちだけを見ているからです。目に見える肉体のいのちは永遠ではありません。しかし、私たちの内なる霊的ないのちこそ永遠です

目に見える肉体のいのち〝だけ〟を見ている人は、恐れが来ます。しかし、主は言われました。「肉体を滅ぼしても、霊魂まで滅ぼすことのできない者どもを恐れるな」。

目に見えませんが、私たちの霊魂をお救い下さる神こそ本当に畏れるべきお方です

さて、主なる神は、この大軍と戦って勝利しても、「敵軍の馬の筋を切り、戦車を焼け」と命令されました(ヨシュア11:6)。当時の戦いにおいて、馬と、馬に引かせて走る戦車は強力な武器でした。

荒野の民族であったイスラエルにとって、戦利品である馬と戦車は魅力的であったに違いありません。でも、主はそれを焼き捨てよと命じられました。そして、ヨシュアはそのようにしました(11:9)

そうしたのは、イスラエルが目に見える馬や戦車を手にしたら、神を信頼するよりも、馬や戦車を信頼するようになるからです。目に見えるものを恐れる人は、目に見える何かを得ようとします

しかし、私たちが真に頼るべきは主なる神だけです。目に見える馬や戦車を頼り始めると、馬や戦車の数で恐れたり、逆に慢心するようになります。詩篇の作者の告白を私たちの信仰告白としよう。

ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主の御名を誇る。(詩20:7) (Ω)