浅井久仁臣 私の視点「第二次湾岸戦争」

ブッシュ政権が始めたイラク戦争は、ブッシュ・シニアが仕掛けた『湾岸戦争』の完結編になる予定でした。しかし、その結末は…

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

同時多発テロの日に書くシネ・リテラシー

2004年09月12日 | Weblog
メディア・リテラシーと「華氏911」

■メディア・リテラシーとは
 メディア・リテラシーという言葉を小耳にはさまれた事があるだろう。10年前にはほとんど認知されていなかったが、ここ数年で急激に目にする機会が増えている言葉だ。メディア・リテラシーをひと言で言ってしまえば、現代社会に溢れている「情報をどう読み取るか」だが、なぜこれほどまでにこの言葉に注目が集まるのか。
 
 それはまず、情報があまりに多すぎて「受け取り手」に混乱が生じ始めていることが原因として挙げられる。「送り手」が情報を送ってもきちんと受け取られない可能性が心配されるようになってきたのだ。丁寧に、読み手の側に立って整理して情報を送らないと伝わらないようであれば、送り手の側が変わらざるを得ない。特に、広告や広報の分野においては深刻な事態を招きかねない。だからこれらの業界の人たちは、メディア・リテラシーに関しては、相当高いレヴェルまで研究されているやに聞いている。

 言論を武器にするジャーナリズムにおいても真摯に自らの役割を考える人たちから「情報が伝わらない」との声が大分前から上がり始め、NIE(新聞を使った教育)やメディア教育に注目が集まってきた。

 逆に、そんな「国民が情報を読めなくなる」状況をほくそえんで歓迎していたのが、世の中を動かす側、つまりは政府関係者だ。文部(現文部科学)省を“指令本部”にして長年手がけてきた「愚民化政策」が功を奏してきたからだ。だから、このメディア・リテラシーなるものは、歓迎されざるものである。今のところは大して気にする風はないが、その内、耳障りになり、何らかの形で介入してくる恐れもある。現実に、アメリカでは、メディア・リテラシー教育が「反権力的」であるとして、圧力を加えられた例も少なくないと聞く。

 メディアと聞くと、TVや新聞を思い浮かべられる人も多いが、手紙や電話などの個人的なものから、最近のデジタル化された様々な媒体もある。ここ10年間でメディアは驚くほど多様化しているのだ。そんな中、忘れられがちなのが、映画を使った「シネ・リテラシー」である。皆さんがご覧になっている映画が意外なほど意図的に作られ、皆さんを「洗脳」しているのだ。

■シネ・リテラシー
 そこで今回は、そのシネ・リテラシーに触れてみたい。題材として取り上げるのが、アフリカ・ソマリアのゲリラ勢力に対して米国が介入し、手痛い目に遭って退散した事件を扱った『ブラックホークダウン(以下、BHDとする)』と、皆さんご存知の『華氏911』である。

 アメリカの映画を見ていると、日本映画に比べて戦闘場面が格段に迫力があることに気付かれるはずだ。それは、国防総省が映画作りに協力して戦闘機や戦艦を提供するからだ。それに圧倒されて、「アメリカって国はスゲエ、怖い」と印象のまま映画館を出る人が多いわけだが、それはまさにアナタが米政府および国防総省の思う壺にはまっていることを意味する。アメリカとすれば、世界中に「アメリカは世界の警察」とのイメージ作りがしたいからだ。そのためには、映画というのはもっとも有効な手段であると考えられる。

 目的を達成するためには、米軍も映画界に対して厳しく条件をつけるのは当然のこと。製作に入る前から作品の配給・公開に至るまで映画作りにしつこく介入していく。BHDなどは、そのシナリオだけでも米軍からの幾度にも渡る書き直し要求によって、何度も版が重ねられ膨大な量になってしまったと聞く。この映画は、一冊の本にまとめられたドキュメンタリーを基にして作られたものだが、出来上がった作品には、地元住民の声や視線がほぼすべて消されてしまっており、米軍兵士たちの安っぽい「ヒューマン・ドキュメント」になってしまった。

■「ジャイアンツが人気がある訳」カット
 BHDで多用された手法で際立つのは、「ジャイアンツが人気があるわけ」カットである。え、なんじゃい、そりゃあ?と思われるであろう。それはそうだ、これは私の造語である。

 野球の読売ジャイアンツは、全国津々浦々、どこにいっても絶大な人気がある。その人気の秘密は、読売ジャイアンツが他のチームに比べて格段素晴しい試合をしているわけではない。早い話、毎日全国でジャイアンツの試合がTV中継されているからだ。多くの視聴者は、子供の頃からジャイアンツの選手の顔を見続け、脳裏というよりも、脳のヒダの一枚一枚に、かつては「ナガシマ」「オー」、そして今では「キヨハラ」「ヨシノブ」の顔と名前が埋め込まれていく。そして、いつの間にか、誇らしげにGのついた帽子をかぶり、「僕、巨人ファン」と自他共に認めるG党になるのだ。

 BHDでは、しつこいくらいに米兵の顔がアップされる。その反対に、地元住民やゲリラの顔のアップはほとんどない。あるのは下品な武器商人と極悪非道なゲリラたちの顔のアップが数カットあるくらいだ。そんな画面を観ていれば、観衆はいつの間にか「米兵の側」に感情移入してしまう。しかも戦闘場面では、ほとんどが米兵側から撮られている。つまり、「野蛮なゲリラ」から米軍が攻められていて、それに反撃する印象を観衆に知らず知らずの内に植え付けていくのだ。
そういった画面作りをさらに効果的にしているのは、音響だ。戦闘に行く兵士たちを送り出すかのような音楽は、キヨハラが「トンボ(長淵剛の歌)」に背中を押されて打席に入る姿を思い起こさせる。また、戦闘が終わった後の虚しい場面と兵士の心情にかぶせる音楽は、観る者をミスリードするには十分すぎるほどの効果を持つ。聞くところでは、米軍は使われる音楽にも口出ししたということだが、さもありなんと思う。

 ただ、シナリオは、米軍に批判的な部分を多少残して作られている。「米軍万歳」では偏った人しか見ないからだ。それだけに、観る者が「シネ・リテラシー」を持っていないと、この映画がバランスの取れた映画と勘違いしかねないことになる。

■アンチ・ジャイアンツ手法
 そんな映画を観た後、「華氏911」を観ると、今度は逆に、「アンチ・ジャイアンツ」の気分になってくる。つまりは、アンチ・ジャイアンツが「見慣れたキョハラ・ヨシノブの顔」に権力者の顔がダブって見えてしまい、日常的に見るジャイアンツの選手の顔に強い嫌悪感を抱くように、ブッシュ大統領の「顔」を様々な角度から執拗に追いかけたものを見せ付けられることによって、観衆はこれまた知らず知らずの内に反ブッシュになっていくのだ。

 その使われる場面の一つ一つが「事実」であっても、作品が“真実”とは限らないのだが、この映画はいつの間にか、観衆にそう思わせてしまうような作られ方をしている。私は、この映画にも作者の観る者を強引に自分の思っている方向に誘導しようとする意図を感じ取ってしまうのだ。ムーア氏は、これを映画だとしているが、映画本体もそうだし、映画館で配られるプログラムを見ても、彼の観衆を「ミスリード」しようとする姿勢がうかがえる。

 映画の「あらすじ」のページを見ると、「真実」「検証」などという言葉をちりばめて、この映画が事実に基づいたドキュメンタリーだと強調しているように見える。

 そして映画を観ると、まず、ブッシュ氏が2001年の1月の就任から8ヶ月間、いかに「仕事をしない大統領」であったかに注目させる。ワシントン・ポストという信頼度が高い新聞を引用して「就任してから42%が休暇だった」と決め付け、画面では延々とブッシュ氏が「休暇に“勤しむ”」姿を流し続ける。つまりは、「大統領として何もしていなかった」と前段で観衆に判断させてしまうのだ。そして、ブッシュ氏が大統領になるまでいかに「ダメ男」であったかを、これでもかこれでもかという感じであらゆる角度からブッシュ氏のダメ男ぶりを証明する情報を観衆に見せ付けるのだ。さらに、ブッシュ氏が、大統領になれたのも「パパ・ブッシュ」が築いた人脈と家族・親戚のお陰だ、と際限がない。

 歯切れのよい編集で観る者を惹き付ける力は充分だ。ここで「そうだ、そうだ」と観る者が身を前に乗り出せば、ムーア監督の思う壺。後はぐいぐいその構成の巧みさと画面自体の面白さに引き込まれていき、アンチ・ジャイアンツならぬ、反ブッシュが一丁出来上がる仕組みだ。

■ズサンな作り方
作り方がきちんとした計算の上でなされているかのように見えるが、実際は意外に杜撰である事に気付かされる。

 この映画の最大強調場面である「9.11が起きた直後のブッシュの対応のまずさ」においてもそれがいえる。こんなお粗末な作り方をしたら、ブッシュ陣営も容易に反論できてしまうはずだが、なぜかブッシュ陣営の中にはメディア・リテラシーを持ち合わせた者はいないらしく、今のところ、その部分についての反論は聞いていない。

 その部分とは、2001年の9月11日午前9時5分。ブッシュ氏は訪問先の小学校の教室で授業参観中、第一報を補佐官から耳打ちされた。貿易センタービルに飛行機が突入したという情報である。それを聞いたブッシュ氏、目が泳ぎ加減になり、目の前で子供たちが一生懸命読書を披露するが、それに集中できなくなってしまった。どうしていいか分からなくなったのか、ブッシュ氏、目の前にあった「僕のヤギさん」という童話に手を伸ばし、また目をうつろに宙に泳がしている。

 この場面にムーア監督は自分の声をかぶせて、ブッシュ氏がこんな非常事態にも対応できない大統領だと強調する。しかし、この時、ブッシュ氏はムーア氏が言うように、第一報を聞いてこれがテロ攻撃だと思っていただろうか。映画では、「国が攻撃を受けた」と補佐官から言われたとなっているが、それははなはだ疑わしい。 

 と言うのは、一機目の突入が午前8時46分であった。二機目が9時3分である。この時点では、ブッシュ氏の耳に二機目の突入は届いていなかったはずである。だから、彼がテロと思わず、単なる事故と取っていた可能性が高い。現実に、その直後、秘書官に「なんてへたくそなパイロットだ」と発言していることからして、それはまず間違いはないはずだ。

 つまり、想像力に欠けるおバカな大統領であることには違いないが、ブッシュ氏があれだけのことになっているのを聞かされていながら初動対応が出来ずにいた、としてしまうにはかなり無理があるということだ。ムーア氏が知ってか知らずしてか、映画のプログラムで「なんてへたくそな…」を紹介してしまったのもお粗末なミスと言わざるを得ない。

 もちろん、こんな批判的な見方をしているが、私はマイクル・ムーアを全否定しているわけではない。彼の才能を評価し、ある種敬意を抱いているからあえてこのような“粗探し”をするのだ。というのは、彼のような手法はジャーナリズムの調査報道に通じるものがあるのだが、“手抜き”がその報道自体を全てダメにしてしまう恐れがあるからだ。『ボウリング・フォー・コロンバイン』を高く評価するだけに、今回の911は、残念!と言わざるを得ない。














































コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 同時多発テロ被害企業サウジ... | トップ | ふざけすぎたイラク人虐待米... »

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL