きままに

太陽と緑と空気ときままな人生。
晴れの日はノラに、雨の日は…

プルトニウム検出でも解除?

2011-09-30 | Weblog
文部科学省は、福島県双葉町と浪江町、飯舘村の土壌から、福島第1原発事故によるとみられるプルトニウムが検出されたことを明らかにした。プルトニウムが検出されたというのに、政府の原子力災害対策本部(本部長・野田佳彦首相)は、東京電力福島第1原発の半径20~30キロ圏内に設定した緊急時避難準備区域の解除を決定した。

事故がおきて6ヶ月も経った今頃になってプルトニウム検出と発表したのは何故だろう。こんな事はもっと早い段階でわかっていたはずだと思うのだが、これも政府や原子力委員会、東電の隠蔽なのか。半径30キロ圏外の飯館村でプルトニウムが検出されたという事は、他の地域も危ないという事だろう、それなのに30キロ圏内の村や町が緊急避難区域の解除になる不思議。

まだ除染も終わったという地域もないのに「家に帰って良いとは」何とも無責任な対応ではないか。家に帰れる人たちには嬉しい話だと思うが、これからは放射能の危険に晒されての生活が始まるんですよ。

解除された皆さん、喜んでばかりはいられませんよ。あなた達は政府の人体実験に選ばれた人たちですから。




親の自覚

2011-09-29 | Weblog
親が十分に睡眠をとっていない場合、子供に睡眠不足や寝坊、食べ過ぎなどの問題が出る傾向があることが、NPO法人「日本ブレインヘルス協会」(東京都千代田区)などでつくる「睡眠改善委員会」の調べで分かった。委員会では「親の影響で子供も就寝時間が遅くなっていることが寝不足につながる」と分析。親自身が食べ過ぎることで家庭の食事バランスが崩れ、子供が太ることが考えられるといい、親自身の睡眠改善を呼びかけている。

保育園で仕事をしていた時の話だが、「この頃の若い夫婦は、子どもを連れて夜遊びに出かけ、朝飯を与えずに保育園によこす」という。午前中のある時間になると決まって具合の悪くなる子がいるといい、それも1人や2人でなくかなり多い人数だと聞いている。そんな子のために園では、インスタントラーメンやお菓子を常時用意しておかなければならないのだそうだ。
「子どもができたら、夜遊びくらいやめれば良いのにね」と園長先生は言い、時々親と話し合いを持つのだが親は言うことを聞かないらしい。「私たちの年代は、子どもが生まれると子ども中心の生活になったのだが、今の若い人たちは自分の楽しみを優先してしまうのね」と。

10年ぐらい前の話だが、今でもそんな夫婦が多いのかと思っている。




除霊で娘を死なす

2011-09-28 | Weblog
滝行と称して中学生の少女の顔に水を浴びせて窒息死させたニュース。本当にかわいそうな出来事である。父親と宗教団体「中山身語正宗玉名協会」の僧侶が除霊のために行った滝行だったという。「除霊のためで死ぬ事は理解できない」とか「イスに縛り付ける行為や水に打たせる行為は暴行ではない」とか。

テレビ番組では少女は精神的な病気だったというから、おかしな宗教にすがってしまったのだろう。子どもの病気を治そうと思う気持ちはわからないではないが「水を浴びせれば死ぬかも知れない」と思わなかったのだろうか。

家に宗教の人たちが訪問する事が多い。彼らとは考え方が噛み合わない、人間、物事にのめりこんでしまうとこうなってしまうのかと思えて仕方ない。もう来ないでくれと言うのだが、それでも訪問して神様の話をするのだから信じるものは強いのだろう。

宗教、真剣に考えた事が無いから何とも言えないのだが。



コタツと扇風機が

2011-09-27 | 
部屋が狭くなり違和感が感じるコタツと扇風機が並ぶ狭い部屋。
今年は厳しい残暑、連日30度を超える暑さ続いていたかと思うと、ここ数日20度前後と寒い日が続く。朝晩の冷え込みでコタツが欲しいところだが、まだ9月である。しかし、日中寝たり起きたりとしている母は、毛布に包まり寒そうにしている姿は惨めである。

コタツを据え付けたが、扇風機はそのままである。片づけようと思うのだがついつい先延ばしになっている。台風があの暑さを運んでくれたのだろう、2日ばかし雨が降っただけでお天気が一変するとは思わなかった。「今年の天気はどうなっているんだ。9月になっても30度を超えていたのに、急に寒くなってコタツが欲しくなる。これじゃ身体の調子も狂ってしまうよ」と思うのは、自分だけではないようだ。

早く扇風機を片づけないと、狭い部屋が余計に狭くなる。まさか1ヶ月の間に扇風機とコタツが欲しくなるほどお天気が変るとは思ってもいなかった。


尾長鳥が増えてきた?

2011-09-26 | 
「あの鳥、きれいだけど鳴き声が凄いんだよね」と言う。頭が黒くて体が青、ピンと張った尾が長い。このところ、あまり見掛けなかったが、今年は良く見かける。家の前に大きな木があり、そこに数十羽の尾長鳥が巣くっているようだ。

数年前になるが、尾長鳥の凄い鳴き声を聞いた。ギャー、ギャーと、今まで聞いたことも無いような音が聞こえ、その音はなかなか鳴り止まなかった。縁先に出てみると、木の上から下に向かって尾長鳥が鳴いている。その時に初めて尾長鳥の鳴き声を聞いたのだが、あの音がきれいな尾長鳥の鳴き声だと気づくのに時間がかかった。
鳴き声の原因は、ネコが尾長鳥の巣の中の子どもを狙っている、それを阻止しようと尾長鳥が声でネコを威嚇し時々ネコに飛び掛っている。鳥がネコに襲いかかる姿は初めて、気の強い鳥だなと思って、その光景を見ていた。5分ほど、ネコと尾長鳥の争いを見ていたが、かわいそうになり石を投げてネコを追い払った。そんな話をしていたら、尾長鳥はカラスの仲間と教えられた。なるほどと思う、カラスの仲間なら、体が小さくとも気が強いのは納得できる。

今年は尾長鳥の数の増え方が異常と聞いている。尾長鳥に果樹園を荒らされて困っている農家も多いようだが、数十羽の尾長鳥がリンゴ畑を飛び交う姿はきれいである。


何故?

2011-09-25 | 
玉子の安売りの時は、スーパーは混むものと思っていた。しかし、この頃スーパーの様子が変わってきているようだ。
スーパーの食品売り場から大声が聞こえてくる。「L玉玉子、1ケース、98円。後10ケース、あと10ケースの残りとなりました」と。
以前は玉子の安売りの日は、満車の駐車場で車のとめるところを探すのも苦労し、並ばないと買う事もできなかった。たった、1ケースの玉子を買うために、開店前から並び、玉子売り場の前で並びと、2度も並ぶ。たった98円の玉子を買うために、こんなに苦労をするのは馬鹿らしいと思うようになっていた。それが、今は安売りをしても玉子が残る、どういうことなのだろう。

このところ、並ぶ事もなく残った安い玉子が買えている。ずっとこういう状態が続けば良いとおもっている。


過ぎ去った思い出

2011-09-24 | 
「子どもの頃、良くイナゴを捕まえたけど、今、イナゴっているの?」「そういえば、イナゴ捕りをしているらしい人を見たけど。俺はここ10年くらいイナゴの姿を見たことは無いよ」と、黄色くなった稲田を見つめながらの話。「私は、去年2匹見ただけ」と言うから、この辺りにはイナゴが少なくなっているのだろう。

子どもの頃、稲刈りの手伝いをする筈がイナゴ捕りに夢中になっていた事を思い出す。この頃はイナゴを家庭で調理する事は少なくなったが、私が子どもの頃は大抵の家庭でイナゴのつくだ煮を作っていた。醤油と砂糖で甘辛く煮付けたものだが、イナゴの姿そのままなので、好き嫌いがハッキリしている。人によっては「良くこんなもの、食えるな」と言うだろうが、食べると美味いものである。海の無い山国の貴重な蛋白源として、重宝されたのだろう。

近頃は、子どもの頃、何々をしたと言う話が多くなってきた。彼女と話をしていると、その季節、その季節になると「子どもの頃こんなことを事をしなかった?」という話題になる。自分では忘れていた懐かしさが思い出される時間でもある。


手入れ

2011-09-23 | Weblog
「いたかい?あれ、草取りかい」と言いながら知人がやってきた。お盆前に草取りをしただけなので、庭の草は相当伸びている。草を取り除くと、ヒョロヒョロとした木に蕾をつけた菊が。その菊の花を見て「○○さんに貰った菊の花、今年も元気がいいよ。きれいな花が咲くと思うよ」と笑っている。

サラリーマン時代からそうだったのだろう、几帳面な性格なので何をするにもキチっとした仕事をする。家庭菜園をしているのだが、春先になると畑に杭を打つのだ。最初のうちは随分妙な事をしているな、と思い「杭を打って何をするの?」と聞くと「何処に何を作るか、区分けをしている」と言う。今年は誰もが、雨が多くて草に追っかけられて仕方が無いと言うのだが、そんな気性だから畑には雑草というものがない。畑には手入れの行き届いた、野菜や花がきれいに育っている。

そんな知人が庭を見回しながら、ヒョロヒョロした短い菊の花を見て「やっぱり雑草は強いね」と。同じ菊の苗を植えて、出来上がりが違いすぎる、手入れが悪いから仕方が無いとしか言いようが無い。
野菜も花も手入れが大事。良いものを作ろうと思ったら、草との格闘には勝たなければいけないのだろう。


雨の力

2011-09-22 | 
台風15号は各地に大災害をもたらした。しかし、この辺りは台風の被害は殆ど無かった。
「台風が来なくて良かったね。やっと雨が降ったから白菜の植えなおしをしたところ」と隣の畑のおばさんは言う。今まで残暑が厳しく雨が降らなかったので、秋野菜の種を蒔いたが殆ど芽が出なかった。顔をあわせると「ネギが芽を出さない」だの「大根の芽が出たか」だのとそんな話ばかり。

種を蒔いて10日も経つが一向に芽の出る気配はなかった。面倒だが蒔いた種に水をくれることにし、朝晩2回水をくれながら、明日は芽を出すのではないかと期待をしながら水をくれていたが芽は出ない。もし、前のが芽を出したら作りすぎになるなーと思ったのだが、仕方が無いので種の蒔き直しをすることに。

台風の接近で、種を蒔いた夜から雨になり、翌朝、昨日蒔いた場所に行った。すると、前にまいた大根が芽を出していた。あれほど水をくれたのに芽を出さず、たった一晩、雨が降っただけで芽を出すとは。

「くれた水は駄目だ、くれた水は駄目だ」とよく言われるが、やっぱり雨の力は大きいのだろう。台風の雨で、後から蒔いた大根は2日で芽を出した。後は元気に育ってくれるだけ。余った大根の行く先はゆっくり考えればいいと思うのである。


野鳥と折半?

2011-09-21 | 
朝の庭が騒がしくなり、気がつくと無花果が赤く熟してきた。朝の早い時間から野鳥が来るのだろう、突かれて半分になった実がアチコチにたくさん見える。熟した実を口に放り込むと口の中が甘味で埋まる「美味いな」と思う。

朝、庭に出ると50羽ぐらいの数の百舌が、無花果の木から飛び立つ。百舌の食べ残しの実を、キズのついていない実を捜しながら採るのは情け無い。「鳥に盗られるのはもったいないから、網をかけたら」と言われるのだが、それも面倒くさい。

無花果の取り分をみると野鳥9割、自分が1割。食べきれなくて残ったものを、野鳥にわけてやるんだ、と思っても負け惜しみが強いかな。折半にしてくれると嬉しいのだが、そこまで野鳥が考えるとは思えない。早起きして、少しでも自分の取り分を増やさなければと思うのだが。