台東区東上野5-4 S 4 1929 RC4 西棟の1〜3階は家族世帯向け、4階は単身世帯向けだそうだ。4階のみ廊下が左右に通っていて、オーバーハングしているのが特徴的。
青山アパートメント(1926〜1927) 代官山アパートメント(1927) 清砂通アパートメント(1927〜1929) 三ノ輪アパートメント(1928) 鶯谷アパートメント(1929) 大塚女子アパートメント(1930) 江戸川アパートメント(1934)
同潤会の話題を拝見し、久方ぶりに資料をめくりました。
「上野下」が最後ですか。昭和4年からの貸付開始で、14.9倍の高倍率であったそうです。
震災復興事業としてのルーツから、興味をもって見ていました。
アパートメントハウスという新しい生活環境の提案と、当時、新しい生活に順応しようとする住民の息遣いを感じます。
随分前、本屋で立ち読みしたことがあるのですが、アパート内で広報誌を編集していたそうで(代官山だったかな)、そのバックナンバーが掲載されている本がありました。アパート内で、コミュニティを作る努力もされていたようですね。
現代のマンション生活とは、異質のものだったのでしょう。
その他、震災復興という面でも、アパートメントを核とした町作りが進められたことが跡づけられ、その記念碑としての役割もあったような気がします。
すべて、歴史の中だけの話しにになってしまうのでしょうか。
代官山とか清砂通りなどは規模が大きく、団地みたいなものだったでしょうから、広報誌などもあったのでしょうね。上野下は以前から二棟しかないので、そこまでの活動があったかどうか知りませんが、逆にみんなが顔見知りだったのだろうという気がします。上野下が現在も状態が比較的よいのは、いまだにコミュニティと呼べるような一体感が住人の中にあるからかもしれませんね。
P.S.
この秋もまた川越の街並み見学に学生を数人連れて行く予定です。授業日程の関係上、いつも川越まつりの前日になってしまうのですが。
このブログ↓の情報によるとまだ解体されていないようです。いずれにせよ時間の問題ですが、いま見に行けばギリギリ間に合うのでは。
http://blog.jikokudo.com/?eid=355234
ほとんどが立ち退いてしまったところに居続けるのも
なんだかさびしいでしょうね。
ほとんど無人なので、ロケにも使いやすいのでしょうか。
しかしどうも不思議な延命の仕方ですね。
その間に次の計画が練られているのだろうな〜。
長い間解体作業が停滞していた三ノ輪アパートですが、本日から工事の手が入りました。
取り敢えずご報告まで。
三ノ輪アパートの件、御連絡頂きありがとうございました。
2006年頃から解体が言われていたのに、そのまま残っていたので、
廃墟状態で残り続けるのだろうかとも思っていましたが、
やはり解体されたのかという感じです。
青山の復元を除けば、同潤会アパートはこれで完全に上野下アパートだけになったのですね。
そこで、江戸川アパートへ、私は赴きました。 そこは、都会の聖域であり、威風がありました。 感動し、事務局へ行き
「貸家はないか」問いました。
するとそこに居た オッサンが、「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と呆れたようにうな垂れました。
オバハンも、こちらを睨み付け、「貸家なんぞありません」
と言い放ちました。
これはもう許せません。 都会の聖域に邪者が住む。 もうあの方々は亡くなられたのでしょうかね。
いくら建築が素晴らしくとも、人の心が無いようではしょうがありませんわなあ。w
この事実は、どんどんネット上に載せて行きます。
耐震強度がないような建造物を残しておくのは大変危険であり、住人だけではなく、隣接する建物にも被害が及ぶ可能性があります。
このような建物は即時解体するべきです。
人命が第一だと思います。
台東区に住んで35年目!この間いくつの古い建物がちょっとずつ失いました。
面白いから写真にしおうと思って、あっという間にあの建物はもう無くなってた!
本当に写真ありがとう!
本物を見かけてよかった!木がたくさん緑がいっぱい、当時気持ちよかったでしょう
2回行ったことありますが、淋しいかぎりです。
情報有り難うございます。詳細は未見ですが、今度は本当に解体、建て替えということになってしまいそうですね。街並みとして見ることができなるのはやはり残念です。