都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 



 前回エントリーの下谷神社あたりから浅草通りを渡り、北側の東上野5丁目に行くと、同潤会上野下アパートの建物が二棟建っている。


同潤会上野下アパート 西棟
台東区東上野5-4
S 4 1929
RC4
西棟の1〜3階は家族世帯向け、4階は単身世帯向けだそうだ。4階のみ廊下が左右に通っていて、オーバーハングしているのが特徴的。
 同潤会アパートについては、いろいろ書籍も出ているし、雑誌「東京人」などでも何度となくとりあげられているので、御存知の方が多いのではないかと思う。Wikipediaの「同潤会アパート」によると、同潤会アパートは1926(S1)〜1934(S9)に、東京と横浜で計16ヶ所に造られたのだそうだ。だが、建設後70年程度が経ち、ほとんどのアパートは老朽化のため解体され、建て替えられた。

 青山アパートは表参道ヒルズに姿を変えた。一部は復元されたが・・・。鉄筋が剥き出しになりつつも残されていた三ノ輪アパートも、今春、解体されたらしい。もしそうなら、同潤会アパートで残っているのは、この上野下アパート二棟だけということになる。


同潤会上野下アパート東棟

 清洲橋通りに面した東棟の1階部分では、クリーニング店、床屋、居酒屋2軒の計4店舗がそれぞれに改装してお店を開いている。また角の部分の1,2階だけは修復のためか塗り直されている。しかし全体的に見ると、外観上改変されているところはさほど多くなく、昔ながらの状態を良く残している模様。


東側入口付近

 敷地入口部分の塀にはスクラッチタイルが使われている。写真の西棟は両端が少し南側に張り出している。部屋割り、間取りの詳細は知らないが、三面に窓があり日当たりや風通しが比較的よさそう。


東棟入口付近
 壁面から出っ張っている四角柱のようなものは、たぶん“おっことすゴミ入れ”=ダストシュート。東棟の方が建物の規模は小さい。角部分で一部コンクリートが剥離してしまっている部分が見られるのがちょっと心配。

 RC建築は丁寧に補修していれば長持ちするのだが、補修されずに放っておかれると、木造建築などと同様、劣化が進み、ひび割れしたり、場合によっては鉄筋が剥き出しになってしまい、耐久性、耐震性が著しく低下する。同潤会アパートも取り壊しの度に保存運動も起こったりしたが、補修や耐震強化費用の問題が大きく立ちはだかった。銀行や会社の建物、官庁や美術館などの公的施設と違って、どちらかというと高齢化した世帯が多い、普通の人々が暮らす建物は存続が難しい。木造の戸建て住宅なら、小規模な補修、改修でなんとか乗り切ることができるかもしれないが、大型のRC共同住宅はなんらかの補助・援助なしには保存が大変だ。
 また、竣工当時はハイカラで先進的だった建物も、戦後の日本の住宅の変化の中で結果的に取り残されてしまった。電気や給排水設備は現在のものに較べるとかなり見劣りするし、共同トイレ、共同浴場などは、今はあまり好かれない。大地震の時の安全性などの不安もあって、次第に建て替え、立ち退きを望む住民が増えたらしい。

 同潤会アパートとしては最後の一つとなった上野下アパートメントだが、街並みの観点から考えると、長らくランドマークとして街並みを創っていた建物には是非残って欲しいと考えるのは自然なことだ。また同潤会アパートは、日本のRC集合住宅の草分けでもあるので、文化的意義も大きい。多くの人が建物を残して欲しいと思っているのだが、住んでいる方々は実はあまり存続を望んでいないというねじれ現象が起こってしまったりする。どうしたものか悩ましい。

 でも最後の同潤会アパートなのだから、やはり文化財としての保存をして欲しいところ。老朽化した部分を抜本的に補修、改修し、場合によっては一部の間取りも変更するなど、居住性を向上させながら、現居住者にも住み続けて頂く。住宅建築としての歴史的文化的意義については、部屋を別の場所で移設復元するなどして保存すれば、一方では歴史を残しながら、他方では建物内部を更新して居住性を向上させることができる。街並みとして建物を見る人からすれば、内部の設備が新しくなることはあまり関係なくて、外観が残るならば、内部が変化するのはある程度許容されるのではないだろうか。もちろん、生活様式として文化財的価値があるとの立場からすると、内部を改装してしまうことはとんでもないことなのだろうが、そうすると残せないというのなら、内部は別途考えて、外観だけでもいいから残すという路線が考慮されても良いと思う。

 青山アパートで一部の外観が復元されたのは、記憶を継承する上ではとりあえず有効だった。だが建て替え後の表参道ヒルズは商業施設中心の建物であり、住宅は付置されているものの、現在の街並みに集合住宅の雰囲気はほとんどない。
 一方、上野下アパートは現在も完全に住居として利用されている。東京で戦前に建てられたRC集合住宅は、この他には江東区内の清洲寮がある程度ではないだろうか。数少ない近代不燃集合住宅のある街並みを何とか残して欲しいと思う。

拙HP、「Tokyo Lost Architecture」内の同潤会アパートページへのリンク
青山アパートメント(1926〜1927)
代官山アパートメント(1927)
清砂通アパートメント(1927〜1929)
三ノ輪アパートメント(1928)
鶯谷アパートメント(1929)
大塚女子アパートメント(1930)
江戸川アパートメント(1934)
Photo 2006.8.26


コメント ( 15 ) | Trackback ( 3 )
この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック


« 下谷神社周辺 旧東京市営清澄庭... »
 
コメント
 
 
 
同潤会アパートメント (landscape)
2006-09-12 01:20:14
先頃、高輪の話題でお邪魔しました。

同潤会の話題を拝見し、久方ぶりに資料をめくりました。

「上野下」が最後ですか。昭和4年からの貸付開始で、14.9倍の高倍率であったそうです。

震災復興事業としてのルーツから、興味をもって見ていました。

アパートメントハウスという新しい生活環境の提案と、当時、新しい生活に順応しようとする住民の息遣いを感じます。

随分前、本屋で立ち読みしたことがあるのですが、アパート内で広報誌を編集していたそうで(代官山だったかな)、そのバックナンバーが掲載されている本がありました。アパート内で、コミュニティを作る努力もされていたようですね。

現代のマンション生活とは、異質のものだったのでしょう。

その他、震災復興という面でも、アパートメントを核とした町作りが進められたことが跡づけられ、その記念碑としての役割もあったような気がします。

すべて、歴史の中だけの話しにになってしまうのでしょうか。

 
 
 
コミュニティ (asabata)
2006-09-13 20:37:45
コメントありがとうございました。

代官山とか清砂通りなどは規模が大きく、団地みたいなものだったでしょうから、広報誌などもあったのでしょうね。上野下は以前から二棟しかないので、そこまでの活動があったかどうか知りませんが、逆にみんなが顔見知りだったのだろうという気がします。上野下が現在も状態が比較的よいのは、いまだにコミュニティと呼べるような一体感が住人の中にあるからかもしれませんね。



P.S.

この秋もまた川越の街並み見学に学生を数人連れて行く予定です。授業日程の関係上、いつも川越まつりの前日になってしまうのですが。

 
 
 
まだあるようです (tks)
2006-09-18 01:02:57
>三ノ輪アパートも、今春、解体されたらしい。



このブログ↓の情報によるとまだ解体されていないようです。いずれにせよ時間の問題ですが、いま見に行けばギリギリ間に合うのでは。

http://blog.jikokudo.com/?eid=355234
 
 
 
まだあるんですね (asabata)
2006-09-18 23:04:27
おや、まだ解体されてなかったのですね。東京人という雑誌で今春解体予定とあったので、てっきりもう無くなったかと思ってました。ただ写真を見ると、既に居住者は退去していて立ち入りもできないようですね。空襲で焼けてコンクリートも劣化しているとのこと。残念ながら着々と解体の時は迫っているという感じですね。
 
 
 
三ノ輪アパート現況 (猫が好き♪)
2007-02-16 04:03:45
 三ノ輪アパートですが、もろもろあって、取り壊し開始が「2006年内には」「年明けには」「2006年度内には」とずれこんでいます。1月末時点でまだ一室だけだけども居住者がいたみたいで、またロケ地レンタルもかかっているので3月頃までは大丈夫らしい。でも、2007年度に突入したらどうなるかわからん感じでした。
 
 
 
三ノ輪アパート (asabata)
2007-02-19 18:19:23
居住者もまだいらしたのですかー。
ほとんどが立ち退いてしまったところに居続けるのも
なんだかさびしいでしょうね。
ほとんど無人なので、ロケにも使いやすいのでしょうか。
しかしどうも不思議な延命の仕方ですね。
その間に次の計画が練られているのだろうな〜。
 
 
 
記事からリンクさせていただきました (ademak)
2009-08-10 19:46:12
同潤会関係の記事を書いていて、こちらの写真がとてもよかったので、記事からリンクをはらせていただいております。なにかありましたらご連絡お願いいたします
 
 
 
三ノ輪アパート (Mentho)
2009-09-26 16:11:09
近所に住んでいる者です。
長い間解体作業が停滞していた三ノ輪アパートですが、本日から工事の手が入りました。

取り敢えずご報告まで。
 
 
 
ありがとうございます。 (asabata)
2009-10-28 00:27:26
Menthoさま
三ノ輪アパートの件、御連絡頂きありがとうございました。
2006年頃から解体が言われていたのに、そのまま残っていたので、
廃墟状態で残り続けるのだろうかとも思っていましたが、
やはり解体されたのかという感じです。
青山の復元を除けば、同潤会アパートはこれで完全に上野下アパートだけになったのですね。
 
 
 
都会の聖域に邪者が住む (匿 名)
2010-08-10 09:55:24
同潤会アパート  素晴らしい、日本遺産と言えるのではないでしょうか。
そこで、江戸川アパートへ、私は赴きました。 そこは、都会の聖域であり、威風がありました。 感動し、事務局へ行き
「貸家はないか」問いました。

するとそこに居た オッサンが、「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と呆れたようにうな垂れました。
オバハンも、こちらを睨み付け、「貸家なんぞありません」
と言い放ちました。

これはもう許せません。  都会の聖域に邪者が住む。 もうあの方々は亡くなられたのでしょうかね。
いくら建築が素晴らしくとも、人の心が無いようではしょうがありませんわなあ。w

この事実は、どんどんネット上に載せて行きます。
 
 
 
上野下アパートの即時解体を! (Unknown)
2011-05-21 16:10:14
今回の東日本大震災では、同潤会アパートと同じ設計者である川元良一が設計した九段会館の天井が崩落し死者が出ました。

耐震強度がないような建造物を残しておくのは大変危険であり、住人だけではなく、隣接する建物にも被害が及ぶ可能性があります。

このような建物は即時解体するべきです。

人命が第一だと思います。
 
 
 
有り難う (yvette)
2011-10-23 12:57:37
懐かしい風景ありがとう。
台東区に住んで35年目!この間いくつの古い建物がちょっとずつ失いました。
面白いから写真にしおうと思って、あっという間にあの建物はもう無くなってた!
本当に写真ありがとう!
 
 
 
稲荷町 (yvette)
2011-10-23 13:03:04
私の銀行稲荷町。先月初めて上野下アパートを見あたった。調べると当ページがでました。
本物を見かけてよかった!木がたくさん緑がいっぱい、当時気持ちよかったでしょう
 
 
 
今日の朝日新聞に (ゆうき)
2012-07-01 07:29:54
今日の朝日新聞社会面に、再度の同潤会アパート解体へ、と記事が出ていましたね。
2回行ったことありますが、淋しいかぎりです。
 
 
 
ありがとうございます。 (asabata)
2012-07-02 01:34:01
ゆうき様
情報有り難うございます。詳細は未見ですが、今度は本当に解体、建て替えということになってしまいそうですね。街並みとして見ることができなるのはやはり残念です。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
 
この記事のトラックバック Ping-URL
 


ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません
 
・送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。
 
 
紹介>同潤会アパート (鉄道のある風景weblog)
 同潤会アパートです。  同潤会アパートは、財団法人同潤会が建てた震災復興建築。  母体となった同潤会は、震災復興を目的として、1923年の関東大震災の翌年、1924年に作られた国策の財団法人です。同潤会アパートは、そこが作った集合住宅で、1925年から1 ...
 
 
 
【路観3】同潤会 上野下アパート (From Basshead For)
路上観察Psycling3のトリを飾った物件がここ、上野下アパート。 三ノ輪アパートと同じく、同潤会が作った建物で、最大の特徴は 「現在も使用されている」 こと。 これは同潤会の物件の中では唯一、です。そして戦前に建てられたRC造、鉄筋コンクリート造の建物と...
 
 
 
まちみる。 (冷たい月の陽炎 nexatena)
街を、見る。 街を、知る。 小さい頃からどこかへ当てもなく行くことが好きだった。 小学校の頃は学校が終われば自転車を引っ張り出し、日が暮れるまで隣町まで行ってみたり、大学生になって行動範囲が広がるとあっちにこっちにと飛び回った。中学校から始めた旅鉄で...