都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 



京樽本社
所在地:中央区日本橋蛎殻町1-36
建設年:?
構造・階数:RC4
解体・2000年の住宅地図で既になし。
Photo 1997.5.13

 大学に入った頃までは、京樽はあちこちにテイクアウトの店を出していて、繁盛している印象があったのだが、今回調べてみたらこの写真を撮った1997年にいちど倒産していた。日本橋人形町に料亭「京樽」を開業したのは1938年だそうだが、この建物にいつから入居していたのか分からない。腰を据えて調べていないので、京樽として建ったのか、もとの所有者や入居者が別だったのかも不明。とにかく現在の本社・本店は共に人形町で、この建物の場所とは異なるようだ。

 どこかの時点で修繕したのか、2階から上が妙にきれいに見えたのが印象的だった。でもこの時点で、既に倒産したか、倒産間近だったようである。倒産して会社が退去した後、売却され、建て替えられたのだろうか。2000年には既に無くなっていた。

京樽本社/日本橋蛎殻町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Wikipedia > 京樽

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 中央区



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コメント
 
 
 
大東紡ビル (流一)
2009-12-24 11:56:29
このビルは、私の手元の資料によれば以下の通りです。
『日本近代建築総覧』に「大東紡ビル、日本橋蛎殻町2-16、T2、RC4、設計・施工=清水組」となっているビルです。住居は1982年に現行の日本橋蛎殻町1-36に変わりました。
昭和8年の火保図では「東京モスリン会社営業所」、昭和30年頃の火保図では「大東紡績」となっています。大東紡績のHPには「1896東京モスリン紡績株式会社として設立」とあります。
私の撮った写真を見ると、1986年の写真では屋上に「京樽」の看板があり、ビルの中央上部の金文字はついていません。1988年の写真では「京樽本社」の袖看板がビルの右側に付いています。
それにしても大正2年建築というのは本当でしょうか?
 
 
 
ありがとうございます (asabata)
2009-12-24 18:01:41
流一様
詳細な情報を御教示頂き、有難うございます。
大東紡ビルだったのですね。『日本近代建築総覧』で見て、どこにあるのだろうと思っていたのですが、これだったとは。
確かに、大正初期というより昭和初期の建物のようにも思えてしまいますが、こういう年代は一見した外観からだけでは分からないので、何とも・・・。

日本橋界隈は『日本近代建築総覧』掲載の住居表示と、現在の住所が異なっていることが多々あり、リスト掲載の住所が間違っているのかと勘違いしていたのですが、住居表示の変更があったのですね。どうりで見つからなかったわけです。
今後もよろしくお願いします。
 
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