都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 



東京新旧写真比較(1981/2007) No.1

丸の内、行幸通りと内堀通りの交差点から東京駅方面

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.27(マウスオン

 四半世紀あまりを経て、変化していないのは、左手の東京海上日動ビルと、右手の郵船ビル、そして正面の東京駅と、その後方、八重洲側の大丸。それから行幸通りの並木。驚くべきことに他は全部変わってしまった。

 2007年の写真で、左方手前は東京海上日動ビル新館、左端後方は日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル、左方奥は日本生命丸の内ビル、東京海上日動ビルの後方の高い建物が、完成間近の新丸の内ビルディング、更に後方、クレーンが載っているのは八重洲北口に建設中のグラントウキョウ ノースタワー(下層階に大丸が移転入居予定)。右端は昨年完成の三菱商事ビル。郵船ビルの後ろにそびえるのが御存知丸の内ビルディング。

 手前の二つのビルの背後に、より大きなビルがたくさん建って、皇居前の方から見ると丸の内のビル群は、いつのまにか壁のようになった。そして行幸通りは、丸の内の真ん中にある溝みたいな感じになってきた。

 赤いタイルで覆われた東京海上日動ビルは、建設当時、丸の内美観論争の対象となった建物(当時は東京海上ビル)。軒高が100尺で揃っていた時に、それを破る建物は美観地区としてどうなのか、皇居前という日本の顔でもある場所における美しい景観とは?、という議論があった。さらには皇居をのぞき込むような高層建物は不敬であるという意見なども。しかし現状は、それらもろもろの論争が遙か過去のものとなったかのような状況になっている。丸の内マンハッタン構想の際には、そのようなことはほとんど語られなくなり、丸の内には本当にミニ・マンハッタンが出現した。

 建築物は数十年は建ち続ける。美観とか景観の議論は、その場その場で終わらせるのでなく、もっと長いスパンで話されるべきなのではないか。そして、結果に対する検証や議論がもっとされるべきだと思う。

 1981年時、レンズは東京駅の少し上空に向けられている。ところが、今回、同じ方向にカメラを向けたら、完成間近の新丸の内ビルディングの頂部が画角からはみだしてしまった。今、普通にここで街並みや建物を撮ろうとする人は、カメラをもっと上に向けて撮るだろう。

 昨年、某大学のまちあるきで丸の内をまわったところ、学生の多くが「上の方をキョロキョロ見てたんで首が痛くなっちゃいました」と言った。新宿西口界隈ではなく、丸の内もそういう街になったのかと感慨深かったのだが、今回の写真では、図らずも視線の変化が意識されることになった。今や丸の内は超高層ビル街なのだ・・・。12階建て程度のオフィスが建ち並ぶ街というイメージは、新しい丸ビルが完成した頃を境に、急速に無くなったのではないかと思う。皇居周辺は広々としていて、都心では数少ない空の広い場所だったが、丸の内のビル街に限っては、確実に空は狭くなっているのだなと、再認識した。

 さて、1981年の写真は、2007年のものより撮影ポイントが2mほど右側だった。だから、樹木とビルの位置関係がちょっと違っている。今回の撮影時、それには気付いていたのだが、カップルがイチャイチャしながら、やたら長時間そのポイントで撮り合いっこをしていたので、苛ついた挙げ句、諦めて少し左側で撮ってしまった。現場は広い場所なので、少しぐらい場所が違っても似たような写真になる。だから、どうしてもそこで撮りたいと言っても全く理解して貰えそうになかった。今回のような場合でなくても、トラックが目の前に駐車していて撮れないこともある。ガマンガマンだ。

 ところで、2枚の画像を見比べたとき、2007年の方で、東京海上ビルや郵船ビルがやや小さく写っているように見えるかもしれない。しかしこれは目の錯覚。より大きな建物が周囲に建ったため、相対的に小さく見えてしまっているのだ。嘘だと思ったら、印刷して計ってみたり、Photoshopなどで画像を重ねてみて下さい。

2009.3.12 追記
 マウスを画像に重ねると2007年の写真が現れるように変更しました。従って、印刷したりPhotoshopを使わなくても、状況を比べられるようになりました。また、最初から幅720pxで表示するようにしましたので、マウスを重ねて大きな画像で御覧下さいませ。

#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区  #眺望  #高層ビル


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
ちょうど (秋葉OL)
2007-03-03 22:22:17
今日、わたしもここで撮ってきました。
すっきりしてたんですね。
東京海上が問題になるのも当然ですね。
あのとき実現しなかったら今、違っていたりするんでしょうか。
 
 
 
遅かれ早かれ (asabata)
2007-03-04 01:15:25
誰がパンドラの箱を開けるかということだったのではないかなと、
私は思っています。
都心中の都心なので、遅かれ早かれ、
丸の内のどこかに高い建物は造られたのではないかと。
ただ、東京海上のあとは、お濠端では長いあいだ高いのは建ちませんでしたね。丸の内の大家さんは、多少は美観地区であることを考えていたのではないかと思います。
また、中高層の大型オフィスには、超高層よりもワンフロアが大きいメリットもあるので、老朽化が激しくならない限り、昭和期の建物を使い倒そうと考えていたのではないでしょうか。
ただ、OA化、IT化が進んだこと、耐震基準が次第に厳しくなってきたこと、
そして、他の街に次々に超高層オフィス街が造られ始め、
キラキラしたオフィスが現れるにつれ、
後れをとってしまうという危機感が生じたのではないでしょうか。
そして、建て替える決断をするタイムリミットが近づいたと、90年頃に考え、10年以上をかけて順次建て替えるというスケジュールを立てたのでしょう。

その際、仮に中高層を守ることになっていたとしても、
丸の内が日本の中心的ビジネス街として生き残るには、
そういう方向性しかないと判断したら、
規定を見直して、やはり超高層ビル街へとシフトしたのではないでしょうか。

丸の内の場合、居住者がほとんど居ないので、
街並みは、いわゆる大家さん達の意向次第になるのでしょうが、
日本の顔として、都民、国民が意見を交わし、
主体となって方針を決めていれば、状況は違っていたかもしれませんね。
ただその場合、丸の内は中心的ビジネス街の座を明け渡すことになるかもしれませんが。
大きな建物が建ってしまったことを、批判気味に書いておきながら、
結局、仕方ないかも、という気弱なお話ですが、
今の地価の仕組み、法的な取り組みでは、丸の内エリアの持つ価値からすると、超高層化は自然なことで、抗しがたい流れなのではないでしょうか。
 
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