現在の熊野神社の西側、十二社(じゅうにそう)と呼ばれていた西新宿4丁目には、江戸時代初期に、付近の田畑のために湧水を利用して溜池が造られていた。往時は大池と小池という大小2つの池があったといい、享保年間(1716~1735)の頃から池の周囲に多くの茶屋ができて景勝地・遊興地として賑わったそうだ。
明治期になると界隈は花街となり、最盛期には料亭や茶屋が100軒余、芸妓も約300名いたといい、池には貸ボート、屋形船、釣り舟もあって賑わったという。
十二社・旅館一直 Google Map
所在地:新宿区西新宿4-12
Photo 2012.1.31
しかし昭和初期以降、徐々に埋立が進み、最初に北側の小池が消滅。戦後の1968年(昭和43)までに大池も全て埋め立てられたという。池の消滅と共に十二社の花街も衰退していったようで、当時の面影は少ない。しかし界隈には、当時の建物と思しき家屋や旅館などが数軒だけ残っている。
一直・2階窓の意匠
Photo 2012.1.31
以下の「廃墟徒然草」では、池の消失についてや往時の様子が、地図・写真を使って細かに述べられている。
廃墟徒然草 -Sweet Melancholly-
> 消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #71
東京DEEP案内
> 花街の痕跡・西新宿「角筈十二社」(2) 連れ込み旅館
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