駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

まともな?ジャーナリズム健在

2017年06月23日 | 政治経済

         

 ネット週刊ポスト(NEWSポストセブン)の記事を一部引用させてもらう。

 (「自省」「自戒」を常々口にしていた中曽根首相の政治運営は、それでも当時は「独善的」と党内外から批判された。そうした批判や論戦に、中曽根氏は正面から向き合った。土井たか子・社会党党首との憲法論争は、今でも「国会論戦の手本」とする声は根強い。それは政(まつりごと)の作法と責任の重さを、時の政治家たちが自覚していたからに他ならない。

 批判に正対せずにせせら笑いで受け流し、権力を守るためには情報を封印することも厭わない安倍政権に、もはや中曽根氏らが大切にした政治の「高潔さ」は全く残っていない。

 総理大臣に近い者への利益誘導疑惑はうやむやにされ、国民の自由な意思を封じる法律だけを作り上げて国会は閉じられた。その傲岸極まりない政治は、東京都議選や内閣改造という政局を迎える中で、さらにエスカレートしている。

 権力の責任を顧みることなく、権力の濫用にのみ血道を上げる《あまりに不潔な政治》は、後世の歴史家の審判に堪えられるのか──)。以上引用終わり。

 私はまともなことが書いてあると思う。

 興奮しまくし立てる多弁の首相と冷静で言葉少ない官房長官、実はどちらもまともに問題や質問に正対せず、焦点をずらし煙に巻く手法で、これまで身内利益誘導疑惑や権力濫用批判などを凌いできた。どこかの国と同じようにいつまでも何度でも野党の敵失を蒸し返し、国民の関心が経済と安全にあることを見透かして、そちらに焦点をずらす戦術を取ってきた。

 確かに政治では戦術と立ち回りが重要かもしれないが、それだけではやがて国民は抜け落ちている中身に気付く。安倍的理想郷百年前の日本に戻そうという個人的野望の中身を正面から吟味する時が来ている。印象操作と野党を非難されておられるが、真摯にとか丁寧にという言葉だけで内容のない反省を掲げて擦り抜けようとしている印象操作の達人はどなたでしょうかと申し上げたい。

 そんなものはない怪文書とされた文書があった。首相の具体的な意を伝える萩生田氏の指示内容が記録されていた。これが加計問題の全てである。これ以外の報道は全て印象操作を試みる雑音だ。

 メモして文書に残すのは記憶は曖昧になり得ることを知っている人間の知恵だ。文科省のお役人がどんな夢想家であっても文書に残っているような内容を捏造することは不可能だ。しかも八か月後に表に出ることなど予想できるわけがない。

 何度も書いてきたが安倍政治の全てを否定しているわけではない。合格点を差し上げてもよいと思っている。しかしカンニングの合格点なのが見えてきた。手法や方法は結果を結論を毀損する。

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