駅前糸脈

町医者をしながら世の中の不思議なうねりを感知。最前線の散乱光を発信。

現実を知らずして

2012年02月13日 | 医療

 慄く現実がある。殆どの人は知る機会もなく、耳にしても胸元に突き付けられたわけではなく、驚いても現実感はないだろう。

 街中で患者さんを診ていると、硝子を爪で引っ掻くような現実に直面することがある。これは総合病院からの一本の電話で始まった。末期肺癌で、治療困難になったので、家族が自宅に連れて帰りたいと言っているが、往診して貰えるかという依頼だ。それは町医者の仕事だと心得ているし、何人もそうして看取ってきたから、どうぞと返事をした。

 患者さんは呼吸困難で横になることができない。足は象のように浮腫んで、臀部は排せつ物で汚れ、床ずれができ始めている。呼びかけに返事はされるが、内容のある会話は困難で、食事は流動食をようやく二口三口取れる程度であった。痛みは麻薬で概ねコントロール出来ているようだが、息苦しさや倦怠が著名の様子だった。

 訪問看護師と在宅酸素の導入を指示し、身体を支える工夫を教え、利尿剤を注射して帰った。二度目の往診では下肢の浮腫みもやや軽減し、清潔面の改善も認められたが、家人の対応は木で鼻を括る感じの悪いものであった。

 二度目の往診から帰ると、往診は費用が掛かるから中止してほしい。訪問看護も自分たちでやるから止めて欲しい。最後の時だけ来てくれと訪問看護師を通して連絡があった。

 これはあまりに極端な例だが、在宅医療費の値段を上げれば、在宅医療が改善すると考えるのは単純過ぎる。現実を知らない。医師の私は収入には不満はない、現実に末期の指導料は請求していないというか患者の家を見れば請求する気になれない。それよりも医師の肉体精神の負担を軽くして欲しい。予算は看護師やヘルパーに回した方が在宅医療は上手く動いてゆくと思う。どうも飛躍した展開になったが、意を尽くす時間がないのでまたいつか書ければ。

コメント (2) |  トラックバック (0) |