ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

戦メリ苦戦中

2013年04月30日 | 音楽な話
戦メリやってみたらいきなり壁にぶち当たった。
あの有名なメロディの2小節目。楽譜ではこんなんなっています。


上段が五線譜で、下がmotokoが必要以上にアレルギー反応を示す(笑)tab譜と言われているもの。

この部分はメロディで言うと「ちゃらりらりーーーん/(ウン)ちゃらろれりれ/ちゃらりろれーーん」の赤字の部分。

写真の青で囲ったダイヤグラムを見て分かるように、人差し指の先端半分を使って、太い弦3本の5フレットを押さえる。
指の根元部分は弦から浮かせて、細い弦3本が開放でなるようにしたい。

押尾先生が実演している写真はこれ。(右側)

人差し指が太い弦のあたりをしっかり押さえていて、でも第一関節が「逆へ」の字に折れ曲がって指の根元まで浮かせているのがわかる。

これを私がやろうとするとこうなります。

左手で押さえて右手にカメラなので先生の写真と向きが反対なんですが。

一番の問題は、私の人差し指の第一関節は曲げるのと逆の方向にはいっさい曲がらないということ。これ必死の力で曲げようとしてるんですが。
なので太いほうから3本を押さえようとすれば、押さえたくない4本目も半分押さえられてしまい、5本目にも触る。
逆に細い方3本から指を離しておこうとすると、太いほうの弦はぎりぎり2本しか抑えられない。

楽譜の写真の矢印で示した2本はどっちにしてもうまく鳴らないということ。
さきほどの口三味線で言うとちゃらろれりれの最初のちゃらは太い方から2番目なのでまだなんとかなるんだけど、
そのあとのろれの3つ目の。この音がならないことにはメロディが途切れてしまうのだった。

やっぱり押尾コータローだと若いころから難しい押さえ方を長年してきているので、指の関節がギター演奏しやすいように
特別にやわらかくなっているのか。・・・とも思ってRさんに指を見せてもらったら、なんと普通に逆方向に40度くらいは折れる。
そうか。折れる人にとっては意外とどうってことない形なのかもしれないな。

そのうち何かコツが見つかるかもしれないので、この場所には目をつむりつつもうちょっとがんばってみべえか。
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下北沢駅前食品市場 消滅前夜

2013年04月29日 | TOKIO散歩
日曜日の朝、「がっちりマンデー」をテレビで見ていたら小田急の社長さんが出ていました。
下北沢及び前後の駅の地下化について紹介されていて、薄々は聞いていた下北沢の変わりっぷりとこの先のことを初めて知りました。
下北沢にもちょくちょく来ていた私ですが、やはり基本は東横文化圏の育ちのせいか、渋谷駅の大騒ぎほど下北のことには注目が低かったです。

ちょうどその日に経堂に行くことになっていたので、1時間早く家を出て下北沢を見て回ることにしました。
失われゆく物の写真たちですので、でかいのをたくさん貼ります。


これが下北沢駅ホーム。階段やら壁が張り出していて場所によっては立ち位置が見つけられなかったあの狭いホームの面影はありません。
そもそも地下にしてしまえばホームも「既製品」ですので駅名プレートがなければそこが何駅かなんてわかりません。


地下ホームからワンフロア上がったところ。ただの通路のようですが、ここも近い将来線路が敷かれて電車が走ります。
小田急は混雑緩和のために完全複々線化を進めています。下北沢で線路を横に並べて2本づつ敷くスペースがなかったので地下も二層にして複線にします。


井の頭線の根元からの出口のすぐ横がさら地になっていました。

この場所にはついこの前までこんな密集した商店街が並んでいました。「下北沢駅前食品市場」という名の戦後のマーケットの生き残りです。

この写真は、上の現在の写真のさら地の奥に見える白いマンションの上から撮影したものと思われます。ツタがからまった駅の斜めの階段がどちらにも見えます。


さら地の中でぽつんとこの1軒だけが根性で営業を続けていました。日曜日の午前11時、中で飲んでいる人もいました。


さら地の写真に戻って見て欲しいんですが、奥の白い塀に貼られている看板、拡大すると「本多劇場近道→」と書かれています。
この日光にさらされている看板は、ちょっと前まではこんな風景の中にありました。


なんかせつない。

まだ壊されていない奥の方に進んでいきます。









ほとんどのお店はもう引越ししたかお店を止めてしまったのか。
「廃墟」という言葉が浮かびますが、でもまだ上の写真のように営業しているお店もほんのわずか残っています。なので廃墟ではありません。
本当に廃墟になったらすぐにすべてを壊して産業廃棄物として持って行ってしまうのでしょうから、その時はもう廃墟ではありません。
廃墟になることも許されなかった商店街です。


踏切があったところ。本多劇場でお芝居を見る時、時間があればこの踏切を渡って一龍に行ってラーメンを食べて、そしてまたこの踏切で戻る。
開かずの踏切と言われた踏切が、この周辺に多数あり、それらを解消するために線路を地下に埋めて、そしてたくさんの物を一緒に失いました。

こんな戦後のバラックがそのまま残ってしまったかのような密集した商店街って、あといくつ残っているのかな。
耐震の問題、火災時の危険性など確かにそのままではいけなかったのはわかります。わかりますが、、、もったいないですね。


踏切から見える狭かった小田急のホーム。もう用はありませんので壊すだけです。


新宿方向を見たところ。線路のあった場所はこれからどうするのかな。細長い住宅地になったりするんだろうか。


現在の南口。高校の同級生が何人か住んでいました。チェロのレッスンに通いました。広島風お好み焼きを食べに来ました。リリパットアーミーのお芝居を見ました。
全部この階段を下りて歩き始めました。

下北沢は都内でも特別の場所です。
多少の不便さがあっても、もう少し大切にされるべきだと思いました。違うな、大切にしてほしいと願いました
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BBQ1975-2013

2013年04月28日 | 食べ物のはなし

今日も晴天。私の高校時代の数少ない友人宅でバーベキューの集いでした。

高校時代の3年間、私はひたすらチェロとオーケストラに夢中で、授業が終わるや否や音楽室に飛び込んでいく毎日。
いや、授業が終わらなくても朝も昼休みも、とにかく部活の場所が生活圏でした。
なのでそれ以外のクラスメイトとの時間と言うのはかなり希薄だったと思うのですが、そんな中で1年H組のGとYの二人とはなぜかいまだに交流が続いています。


川崎のコストコで買われたサーロインは期待以上の美味しさでした。

武闘派のGと、理科系のY。
どちらも私と共通する部分がどこにもないのに、不思議に一緒にいて疲れない友達でした。


今日は経堂のGの新居。単身赴任で外国にいる間に奥さんががんばって立てた新居。
外でバーベキューができること、それだけがGの希望だったそうです。


Yは大手IT企業の役員。昔から遊ぶ時には家族全員でという家風でした。今日も長男同伴です。
私だったら、親の友達とのバーベキューとかに参加したかなあ。


Yの奥さんも同じ学年の同級生です。自分が記憶していない38年前のことをたくさん聞かされました。


家じゅうに家族の写真が飾られていました。2階に上がる階段わきの壁にも隙間なくびっしりと家族写真。こんな時代に友人が幸せなのは素敵なことです。


YとGと逢ったのは今年の2月、そうそう、東京駅の夜景の写真を撮った日に八重洲で飲んだのですが、あれが5年ぶりくらいかな。
「春にバーベキューやろう」なんて言ってて、それがちゃんと実現したんですね。すごいな。

次に逢う日まで、みんな幸せで。がんばろう。




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連休初日のルッコラ

2013年04月27日 | 食べ物のはなし
3月に菜の花をいっぱい送ってくれたRさんの愛知県のお知り合いから今月もいろいろ届きました。
農協に持って行くついでに、おすそ分けを送料着払いで送っていただいているとのこと。

今回は、ルッコラ、レタス、菜花、さやえんどう。

午前中に届いたので早速ランチで使います。

にんにく、鷹の爪(乾燥)、バジルの入ったソーセージ。


ルッコラを手づかみでドンッと投入。


ルッコラとバジルソーセージたっぷりのアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ。

ルッコラってピザの上に少し乗ってるのを食べるくらいで、いままであまり「ルッコラの味」ってわかってなかった。
今日、まとめてほおばってかなり分かりました。軽い苦みとさらに軽い渋みが旨い青菜です。私は好き。
ルッコラはまだ、残り2/3あるので、夕食にはクックパッドで見たルッコラのしゃぶしゃぶをやってみよう。


一緒に届いたレタスは海苔と胡麻油と出汁醤油と白ごまで。小玉一個をあっという間に完食。

どれも決して珍しいものではありませんが、農家の知り合いから段ボールで野菜が届くっていうだけで
ちょっとイベントっぽい気分がして楽しいです。




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市ヶ谷 逢坂あたり

2013年04月26日 | TOKIO散歩
外堀通りの市ヶ谷と飯田橋のちょうど真ん中あたり。
お堀に面した一帯は都心の一等地でありながら、意外と大規模な再開発とは無縁で
江戸の空気が自然と現代に繋がっているかのようなちょっと不思議な一帯です。

外堀通り沿いに急にお寺の参道のような石畳の道が開けています。


奥に控えているのは東京観光専門学校。旅行業界に就職を希望する学生のための専門学校です。
ちょうどお昼時で、隣には理科大の学校群もあって学生たちで賑やかでした。


理科大の校舎の一つの横にあるカッコいい階段。高低差はかなりのものです。


上から。


階段を登り切っ上に「逢坂」の標識が。
校舎をこの急な傾斜地に立てたために敷地内の移動に立派な階段が必要になったんでしょうか。


坂の上から更に上がるとこんないかつい石垣が。


石垣の角を曲がった先にも長々と続く塀が。中には立派な日本家屋が見えます。
これは最高裁判所長官公邸なんですって。
都内を散歩していると時々この手の巨大な「公邸」に出くわして驚きます。
今の日本でもエライ人はかなりの特別待遇なんです。一番デカいのは首相官邸。


逢坂を下っていくと途中には日仏学院のレストランが。
ここも一度行って来いと指令が出ているのですが、なんか微妙に敷居が高くて。あと値段も。


日仏学院の隅っこの教室。入口脇のイラストがおしゃれ。


逢坂を下まで降りてきたところ。なんか小さな祠がありました。

この台地の周辺も当たり前ですが坂道だらけ。
神楽坂の毘沙門天裏あたりから、高台だけど伝い歩いて市ヶ谷に出るコースもなかなか趣きがあります。
それはまた別の話。

今日の写真はこのあたり(地図)

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戦メリを弾きまくロー!

2013年04月25日 | 音楽な話

NHK教育番組で4月から9回にわたって放送されるアコギのレッスン番組です。
この手の番組は定期的に作られていて、石川鷹彦や渡辺香津美なんかが講師となっています。

今回の先生は押尾コータロー。
今や日本のポピュラー・アコギの代名詞とも言えそう存在ですからそれはまあいいのですが、
今回の番組のすごいところはその課題曲。

あの「戦場のメリークリスマス」を8回の放送で弾けるようになろうという試み。
生徒役は数年間ギターを弾いているというタレント二人。
基本的なコードは弾けるようになりましたが、アルペジオはまだあまり得意でなくて、ソロギターなんてとてもとてもというレベル。
まあ、普通の初心者です。彼らが5月20日の放送までに本当にこの曲を弾けるようになっているのか、
それともやっぱりちょっと無謀でしたという終わり方になるのか、これは本当に先行きが楽しみな「実験」です。

番組はもう3回終わっています。
番組の前半は「基本編」ということでこんな練習をします。

音を出すだけなら簡単ですね。これが初心者向けのレッスンと言うもの。

こういうのを10分程度やって弾き語りで唄ったりした後で、今度は同じ人たちがこちらにチャレンジです。

音符だけ見るとそれほど多くありません。
テンポもごくゆっくりなので譜面だけ見るとそんなに難しくないようにも見えますが。

いやいや。これはキツいです。
基本的にギターは左手で抑えて右手で弾くものなのですが、この曲ではそんなの関係ない。

右手も左手と同じように弦を押さえてはじく。
左手で押さえるだけで音を出す。
右手でフレットの上を叩く。
右手は打楽器みたいにボディも叩く。

しかもそれぞれタイミングが難しい。
八分音符4つのフレーズの中で右手左手で音を出す音符が交互に来る。
二人で一つのメロディを音符を順番に歌うような感じ。

私は中学一年からアコギを触っていますが(そして中学三年でその成長は止まっていますが)そんな私でも
これを5月20日までに止まらずに弾けるようにと言われたら、ちょっと無理な気がします。

前半の基礎練習と後半の「実践編」とのあまりの落差がこの番組の醍醐味ではないかと思う次第です。

目の前にカメラがあって、それが仕事で、押尾先生が丁寧に教えてくれたらできるのか。興味津々なのです。
だから、これはHow toものの番組ではなくてひとつのドキュメンタリー番組ですね。

もちろん私もなんとか週末を使ってチャレンジしてみたいです。
マナカナには負けられないぜ。
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雨上がり寿

2013年04月24日 | 日記B

東京タワー。
最近しょっちゅう電波の切り替えテストをやっています。まもなくテレビ塔としての役割を終えるのでしょうか。

東京タワーと言うと4本の足ですっくと立っている印象ですが、よく見るとそれ以外にワイヤーが張ってあったりします。
上の写真ではよく見えませんね。これでどうでしょう。

周囲に張られたこの線はいったい何なんでしょうか。今日は風が強かったから転倒防止? んなわけないか。


近くのビルの下の風で動くオブジェ。
普段はゆったりゆらゆらと芸術的に揺れている物が、今日はぐるんぐるん回っていました。14時から愛宕MORIタワーで会議でした。

朝から厚い雲に覆われて降ったり止んだりの一日でしたが、夕方は西の方から雲が晴れて、
日没前に黄金色の風景を見せてくれました。


神田川。あなたはもおお、忘れたかしら。


太陽を画面に入れないとこんな感じ。


太陽を後ろにするとこんな感じ。

夏の夕立の直後と言っても通用しそうな光でした。

いつもより帰る時間が遅い日があって、ブログも時々途切れます。
もうすぐゴールデンウィーク。その手前はやっぱり忙しいんです。
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セッションで楽器のアップ

2013年04月22日 | 音楽な話
2か月に一度のセッション。一度、お休みしてしまったので4ヶ月ぶりの演奏です。

「ふくじー」さんのLINE6ギター。あらかじめ十数種のエレキギターやアコースティックな音が出るようになっていて、これ1台でなんでもこなせます。


何度も登場している「ゆきお」さんのトリプルネックギター。家具職人である「ゆきお」さんの入魂の1本。ネックは3本。


「ぞう」さんの8弦ベース。1本の減の横に細い線がもう1本セットされていて、常に同時に2本を鳴らします。


こちらも「ゆきお」さんが作ったラップトップハープ。トリプルネックベースと同じ曲で使用。弾いているのは「うさぎ」さん。


「えすけん」さんのフレットレスベースのヘッド部分。水曜どうでしょうブランド。


「ぼす」のギター用エフェクター・ボード。ここの人達はとにかくみんな音色にはこだわります。

雨の中、楽器を持って出かけるのはちょっとイヤかも~と思っていましたが、午後には上がってよかった。
その場に行ってしまえば、やはり私にはものすごく楽しい空間と時間です。


Hearts という曲をやっています。Rさんはコーラス隊で参加。久しぶりに大きな声出してストレス発散できたかな?




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国際仏教学大学院大学

2013年04月21日 | キャンパス建築巡り
小日向の水道道路に面した一角に新しい校舎群があります。
元々その土地は傾斜地にある用途不明の一帯で、坂の下から茂る大きな樹木が続き、
春日通近くの高台に四角い建物が建っているのが会社の窓からよく見えていました。

2009年くらいから、その地で大規模な工事が始まり、木々が取り払われて整地され基礎工事があって
建物の建設が始まり・・・。その工事の進む様子を会社の窓から見下ろしていました。

2年前に新しい校舎が完成したのですが、そこで学ぶ生徒たちを見たことがないという
ちょっと不思議な状態が続いていて、いろいろ想像したり妄想したりしていました。


学校の名前は国際仏教学大学院大学と言います。
wikipediaによると『1996年に霊友会の国際仏教学研究所を基礎として設立された。定員20名の5年一貫制の博士課程のみであり、
日本で一番小さい大学でもある。』とあります。へ~。

上の写真の左側にはこんな標識が。


明治34年の末に、それまで住んでいた巣鴨の屋敷すぐ近くに鉄道が開通することとなり、
その騒音を嫌って小日向のこの地に転居したのだそうです。というようなことがこちらの看板に。
結局この場所で波乱の人生を終えたとのこと。
生まれが水戸の上屋敷(今の後楽園)ですから、ほぼ生まれたところで亡くなったわけです。

話が大学から徳川慶喜に移ってしまった。

人けのないキャンパス写真、ご紹介します。


先ほどの写真の場所から坂の上に向かって並ぶ校舎。


右の大銀杏は、実はこのブログで2回目の登場。一度目はこちら


こちらの建物は「寮」のようでした。環境、眺めとも素晴らしい住まいだと思います。
奥に見える木々の下が石垣になっていて、私はその横の道を毎日走って通勤しています。

あれこれリンク貼ってしまいました。

コンパクトで美しいキャンパスです。
wikiに書いてあるように、「定員20名」の大学院ということですから、人の姿をほとんど見ないのも当然かも知れません。
ちなみにこの写真を撮らせていただいた4月の中旬には何人かの学生さん?が日当たりのいいテラスで
テーブルを囲んでいるところを見ることができました。
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大橋氷川神社 初めての

2013年04月20日 | TOKIO散歩
ジャンクションと庭園を満喫して「天空」から下界に降り立ちました。
バスで渋谷に戻ろうと反対車線を見ると、そこに神社の階段が見えました。

まじまじと見るのはうん十年ぶりですが、なつかしくちょっと胸がきゅんとなる風景です。


歩道橋を渡って246の反対側に回ると、目前の丘の上に「大橋図書館」の看板が見えました。
先ほど高層マンションの9階にあった大橋図書館は元はここだったんですね。


階段の下に来ました。かなり急です。246の拡張工事の際に階段が急な角度に変えられたと書かれていました。


階段を登って社が見えました。
ここまで上ったのは2回目だと思います。初めて来たのは遥か遥か昔の事。

初めてできた「彼女(当時は漢字表記です)」と渋谷のパンテオンで映画を見て、その帰りに大橋まで来てこの階段を登りました。
おそらくはもう日も暮れて真っ暗な階段だったのではないかと思います。
そして誰もいない神社の段差のところに並んで腰をかけて、、、。


そうそう、ここだよ。

その後も二人で何度か大橋方面へ来ました。
でもこの神社の階段を上がったことはたぶんその後なかったように記憶しています。

なので、私にとっては「この神社はレモン味です」みたいな感じかな(笑)

てな、昔話は置いといて。

この神社からの帰りですが、階段の少し横にこんな「山道」が残されていました。

ワイルドですね~。五合目、六合目なんて標識が並んで立っているので、これはアレですね。


富士講。

目黒富士、というんだそうです。
この目黒富士に関しても調べていろいろ面白い知識を得たのですが、でも今日はレモン味のままで終わりにしましょう。


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目黒天空庭園

2013年04月19日 | 建築&土木見物
池尻のデザイン事務所で打ち合わせがありましたので、その帰りに寄って来ましたよ。
首都高速大橋ジャンクションの屋上を利用した「空中庭園」。2013年3月30日にオープンしたそうです。

実家への行き帰りの途中でジャンクションの工事現場はちょくちょく眺めていましたが完成後は初めての訪問です。

池尻方向から渋谷に向かって歩いて目黒川とぶつかるところにその壁はそびえていました。
中目黒あたりから続く桜並木の末端です。


野球場みたいですね。楕円形の大きさ全体でもうすぐ建て替えになる国立競技場と同じくらいの大きさなんだそうです。


246との反対側にあたる位置に入口があって、そこから楕円の内部に入れます。内部は区民広場になっています。
こうやって見ると壁の高さが右から左に向かって高くなっていることがわかります。

上の写真のちょっと右手にエレベーターがあってそこから一気に屋上に上がることができます。

エレベーターを降りたところ。これが空中庭園です。写真は右側の更に高くなっていく方向を見ています。


振り返って下を見ると広場に入る入口と利用したエレベーターが見えます。


全長450メートルの庭園はいくつかのソーンに分かれています。
花の写真はどうやってもtakakoさんみたいには撮れない。愛がたりないからだろうな。もたいまさこさんに似た方が写ってしまいました。


こちらが一番高いところにあたる部分です。池などが作られていてちょっとビオトープっぽい雰囲気。ここは入れません。
その奥の一番高い部分が換気塔です。


一番高いところ側は隣りのクロスエアタワーという42階建てマンションの9階とブリッジで繋げられています。
この9階は以前近くにあった目黒区立大橋図書館が入っています。図書館で本を借りて、空中庭園で読む、なんてのが目黒マダムのオサレ。


ブリッジ周辺からジャンクションの出入りの道を見下ろせます。左が厚木方面、右へ行けば渋谷方面。


見晴らしの一番良い場所にベンチが置かれています。天気が良ければ富士山も見えるらしいです。


左側の一番高かったところから一気に270度ほどぐるっと降りてきました。
この場所で、今度は反対側にあるプリズムタワーというマンションとつながるブリッジがあります。こちらはマンションでいうと5階でした。


更に下ります。先ほど見下ろした厚木方面への出口の下をくぐると、246と歩道橋がすぐ近くにあります。
3階の高さの歩道橋で246の登り車線側からも空中庭園と繋がっています。


たぶん部分部分の写真と文字ではさっぱしわかんないと思いますので、最後に空中庭園に入る4つのアクセスのおさらいです。
(1)のコース:クロスエアタワーのエレベーターで9階にあがって大橋図書館横から庭園へ。
(2)のコース:目黒川横から区民広場に入ってそこのエレベーターから庭園へ。
(3)のコース:プリズムタワーのエレベーターで5階に上がって庭園へ。
(4)のコース:246の歩道橋から3階に上がって、一度トンネルくぐって空中庭園へ。

庭園自体はそれほど驚くほど広いというわけではありません。屋上緑化としてはかなり大規模ですが。
今はまだ植えられたばかりの小さな木々ですがこれから10年20年経って、大きく繁ればかなりおもしろい風景になりそうです。
リードつけていればわんこ連れでもオッケーです。

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神田川の分岐と合流

2013年04月17日 | TOKIO散歩
会社から水道橋経由で神保町へ向かう途中。
後楽園の「黄色いビル」の近く、小石川橋を渡っている途中で写真を撮りました。

神田川が分岐しています。

まっすぐ奥へ行くと水道橋駅からお茶の水。聖橋や万世橋を経て秋葉原。浅草橋の南で隅田川に合流するコース。
右へ行くコースは日本橋川と名前が変わります。まっすぐ皇居に向かって、その直前で折れて日本橋へ。

上の撮影場所で180度振り向くと(飯田橋方向)こちらにも川の分岐が見えました。右のトンネルみたいのです。


同じような風景を見慣れています。

先ほどの小石川橋から500メートルほど上流にあたる場所。白鳥橋から見える分岐です。
ここで別れてどこへ行くのかなあと思っていましたが、調べて見るとやはり先ほどの小石川橋のところに繋がっていたのでした。
2枚目の写真が出口で3枚目の写真が入口ってことね。

水道橋分水路という名前がついています。船で航行も可能な水路だそうですが、暗渠なので中は真っ暗です。

文字だけだと分かり難いので、こちらの地図でどうぞ。紫色の線が水道橋分水路です。

水道橋分水路の入り口の写真を撮ったところで、反対側を見ると、そこにはまた別の所から注ぐ水路の出口が見えました。

人の手によって、分岐と合流があちらこちらに作られている都心の川。
江戸の上水道からの歴史とともに、もうちょっと時間をかけていろいろ調べてみたいです。




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鋼版印刷 4月の動向

2013年04月15日 | 放射25号線
鋼版印刷解体工事の記録。すいません。今日は地味です。

4月2日 前回はここまで記録。


4月4日 左側にパネルが貼られる。


4月5日 右側にパネルを貼る準備。・・・あれ、上の方がなんか変。


4月5日 社名の看板が取り外される(泣)


4月8日 右側もパネルが貼られる。


4月11日 中から瓦礫が運び出されている。


4月15日 見た目の変化なし。


同じような写真ばっかですいません。
私のイメージでは、3月に中の機材とかを搬出し終わって、そこから一気に重機が2台くらい来て
あのカニのハサミみたいのが先端についたやつでバリボリベリバリ一気に壊すのかと思っていたのですが、
そうではなくて、内部から地道にちょっとづつ壁とかを壊しているような感じです。
古い建物だからひょっとするとアスベスト類が使われていた可能性もありますかね?

いずれにしてもこれだけ密着してパネルが貼られたという事は、建物の外から壊すのは無理。
パネルで覆われて見えなくなった中で解体して、次にパネルが取り払われた時には中は更地ってこともあるかもな。

最後にもう一枚。
銀星寮にもとうとう解体工事のお知らせが壁に貼られました。こちらは5月31日までが工事期間です。


ゆっくりですが、でも着々と東京都道路局の計画は進行しております。
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なおみ亭フォレバー

2013年04月14日 | 食べ物のはなし
4か月ぶりのなおみ亭。

2012年12月2日、その長い歴史に幕を下ろしたかに見えたなおみ亭でしたが、どっこいしぶとく生き延びていたのでした。
老朽化したマンションの取り壊しが当初の予定より遅くなったんですって。まあ、飲めればなんでもいいや。

では、早速ですがおもてなしの数々を美麗写真でどうぞ。


ブロッコリー・ニンジンのゼリー寄せサラダ。プチトマトの酢漬けはダンベの作。


スパークリングの獺祭。最近時々口にするスパークリング日本酒、おいしいです。


お醤油を塗ってグリルで焼いた筍。これはピンボケではなくて湯気です。


肉関係。スモークチキンとハム、サラミ。フライパンで作る燻製はナオミ先輩の必殺技です。


焼きそらまめ。


このあたりまでの食べちらかし風景。


後半は手巻き寿司。ネギトロが美味。今、写真見て玉子焼きがあったことを知りました。くそー。おいなりさんは和佳子作。


ファイナルは定番のプリン。

今回も素晴らしい食卓でした。

私たちが学生時代に指揮者としてお世話になった小松一彦先生が3月末に65才で亡くなられましたので最初に黙祷をしました。
合奏の練習の時には、私の目の前で玉虫色のシャツを着て懸命に指揮棒を振っていた姿は目に焼き付いています。
未熟な学生たちのオーケストラの指導に、よくあそこまで真剣にやってくれたものだと、大人になった今なら驚けます。

午後3時に始まって、私がそこを辞したのが11時ちょっと前くらい。
8時間飲んで食べてしゃべって、それが記憶に残らないくらいあっという間に過ぎていくってすごい。

ナオミ先輩の新居探しの話。不動産屋さんと回ったマンションをビデオに撮っていてそれをみんなで見る。
ハイドンのメサイアの話になって、結局BGMで全曲(40曲以上ある)聞きながら歌ったり。(ハレルヤで起立した)
・・・あとはなんだろう。8時間も話したのにこれしか覚えてない。

でも楽しかったな。ホントに。

次にナオミ先輩が招待してくれる時は新居です。あまり近代的なピカピカのマンションでないといいな。
あの8畳の部屋の薄暗い雰囲気や、35年の歴史とタバコのヤニの染みついた壁も含めて、そのまま再現して欲しい。
と、非常に勝手なことを願う私。

最後にファイナルの参加者名簿。
登場順に普段の呼び方で。
だんべ、きみまろ、ぼる、のん、くげさん、ちゃるみ、たまき、わかこ、しばたさん。

そしてナオミ先輩。ありがとうございました!

ベランダでは鉢植えのチューリップがその他の花々がたくさん咲き誇っていました。この景色も見納め
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破天荒 延長戦

2013年04月13日 | 食べ物のはなし
一か月前に「3月いっぱいでこの場所での営業が終わります」ということでしみじみと想い出を語った破天荒。
実はまだ営業しています。

あの日記を書いた後、3月最後の週末にもう一度本当の食べ納めに行きました。
最後はやっぱり四川黒胡麻担担麺と汁なし担担麺(味玉・小ライス追加)。
親父さん(元洋菓子職人)ともしばらくお別れだなあと、さらにしみじみしながら「いつまで?」と尋ねると、
超普通に「5月10日です。」

おいっ!

なんか知りませんが一か月ちょい撤退が伸びたんだそうです(笑)
まあ、喜ぶべきことなんですが、そうとも知らずにこれで最後かもとじっくり味わっていた私たちって・・・。

そんなおちゃめな破天荒ですが、昨日は珍しく夕食でお邪魔しました。


海老の黒胡椒炒め。さくさくになった殻ごとがぶりと言っちゃって下さい。


麻婆豆腐。花椒の香りの中からほどよい辛さにしっかりコク、ほんのり甘く。
四川に行ったことはないので本格的かどうかは知りません。でも、中国でこれほど美味しいものを食べているとは思えません。


食べ散らかし中。紹興酒をロックで2杯ほど。でかいコップになみなみと。


上海炒面。ぱりっとふわっと。


豚バラと青菜のチャーハン。

二人だと普通に麺かご飯ものひとつで満たされてしまいます。
何か単品で料理を追加したくても2品がいいところ。だからやっぱり中華は4人以上で行きたいものです。

ということでファイナルにならなかった破天荒のお話でした。5月10日までにあと2回は行こっと。

ファイナルになり損ねたファイナルが実はもうひとつありました。
それはまた明日の話で。
コメント (2)
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