☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

フェアリー☆メッセージ・・・あなたのままで

2010-04-28 11:50:44 | フェアリーメッセージ

   あなたはあなたらしくいてください
   あなたのありのままでいてください

   あなたのやさしさ
   あなたのすなおさ
   あなたの率直さ

   あなたのままでいいのです
   あなたのままがいいのです

   あなたのかなしさ
   あなたのむなしさ
   あなたのくやしさ

   すべてをつつみこむそんなあなたでいてください

   できるだけ
   うそやかくしごとで
   あなたをおおうのは
   やめてください
 
   はりあうこと
   いつわること
   かざることも・・・

   心が重くなって
   しらないうちに小さい棘が
   からだじゅうをまわるから

   あなたのままで
   ありのままのあなたを
   いつもあたたかくだきしめている
   そんなあなたでいてください

   わたしはそのままのあなたを
   いつもいつも
   大切に大切に
   思っています


 

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のだめカンタービレ☆最終楽章

2010-04-22 09:34:45 | 徒然
 
「後編」、見てきました!
そんな大層に言うほどのことはないげれど。
やっぱりクラシックが全編流れているのはいい。
どうしてなのだろう、
年を重ねるほどクラシック好き(聞いていて心地いい)になるのは?
以前は退屈だったはずなのに、、、。

またパリやプラハの風景がとても美しく気持ちいい。
空気感がいい。
そのあたりが日本で撮るのとはちょっと違うのか。
内容はともかくたいした問題がないのがいい。
「のだめ」も「千秋」も漫画的にではあるけれど
それなりによく成長した姿を見せてくれた。
今回は「千秋さま」の指揮の光景は少なかったのが残念だったけれど
ピアノやバイオリン等の演奏場面はうまく撮っていて
臨場感があった。オケの感じも・・・

それに「千秋さま」の街並みを闊歩する姿や走るシーンが
パリやプラハの街に溶け込みよく馴染んでとてもかっこよかった!
日本人も西洋人と比べても別に遜色なく
かっこよくなってきたんだなあなんて思った。
人によるのは当たり前だけど
やっぱり一昔前とは随分違ってると思う。
これも文明の発達のおかげ?!
友人の文明アナリストの説では
「文明のスタンダード」(通信、交通網の確立・
冷暖房の完備・お湯と水がすぐ使える等)が確立すると
人の顔立ちから変わってくるという。
自信なのか、ゆとりや豊かさからくるものなのか…

クラシック流れる映像に浸っていると
また生のピアノ等の演奏会に行きたくなる。
言霊の響きといい良質の音霊の響きは
何かを突き抜ける豊かさを持っている。
   
                  
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言霊の響き…和歌披講の世界

2010-04-20 01:39:30 | 徒然

大阪で「世界平和を祈る歌会」と題して
「星と森」の短歌披講が行われるというので
森之宮の大阪城近くのホテルへ出かけた。
ここにも何回か紹介しているが
友人のI氏の主宰されている「星と森短歌大賞授賞式」
(東京)には毎年参加していて
今では披講を聞くことが大きな喜びにもなっている。

大阪では勿論初めてのこと。
東京からI氏をはじめ代表者数名がみえて行われると言う。
この会の主催は全く知らない組織名だったけれど
第2次世界大戦後間もなく
アインシュタインと湯川秀樹の両氏が
核廃絶のために創った世界的な組織らしい。
 
会場に着くと知り合いが大阪・なにわ支部の主要メンバーとして
2名もかかわっていることが分かった。
数名の知り合いにも出会った。
いつものことだが、何がしかつながっている。
会場となったホテルの最上階のスカイホールから眺める
大阪城とお堀周辺の光景は萌え出した緑が幾重にも重なり合い
名残の桜と桜若葉が織り成す景色が
本当にため息ものの美しさだった。

あいさつの後、「和歌と日本文化の可能性」についての
座談会や「和歌披講の予備知識講座」が行われ
「星と森披講会」のA教授のその講座が分かりやすく面白く
250名の参加者殆どが初めて体験する
「和歌の披講」(和歌を声を出して詠う)について
興味や関心が徐々に湧き上がってくるのを会場にいて感じた。

烏帽子に狩衣姿での披講が始まる。
「星と森」の披講の節は「綾小路流」と言うらしい。
甲調、乙調があり、その変調もある。
天皇家の歌会と同じ方式で行われる。
 
広い会場が静まりかえり言霊の響きが天と地をつなぐ。
声の響きと重なりが倍音を生み
気持ちの良い振動が広がっていく。
 
「声や音を出して貰っては困りますが、
眠くなったら寝てもいいですよ。」と言われていたけど
後ろの席から気持ちよさそうな寝息が聞こえてきて
ちょっとびっくりした。
「お水取り」の局で聞く声明のように
披講を味わっていると体や気持ちがふわっとういて
本当に心地いい感じが沸き起こってきた。
共通する「ひびき」がきっとあるのだろう。
500年続く和歌披講の力の素晴らしさもあるが
「短い時間でよくここまで・・・」とI氏の情熱と
実行力と披講会の修練の積み上げに感じ入る。

参加された人たちの感動も伝わってきた。
関西の地での「披講」の意味も大きいだろう。
いろいろな意味でこうした「ひびき」がとても
大切な時代になってきているように思う。

                  
 
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名残の桜

2010-04-14 15:55:41 | 徒然

桜吹雪が舞っている。
今年は長ーい桜の季節が続く。
気温や天候の変化の激しさにはびっくりするが
桜を楽しめる時間が続くのは嬉しい。

毎日、近くはO川沿いの桜並木へ
遠くは加茂川沿いの上加茂神社へ向かう桜道へ
時には嵐山・嵯峨野方面へ
洛西へと名残桜に会いに出かける
贅沢と言えば贅沢。暇と言えば暇な話。
今までこんな時はなかったし
これからだって分からない。

京都情緒ただよう加茂川沿いの桜道はやはり圧巻。
何かしら品が感じられる。
向こう岸に見える植物園沿いに植えられた
枝垂れ桜も優しく美しい。

今年は毎日、雨の日も桜の様子を訪ねにO川端に通っている。
道沿いに桜並木があるわけではないのだが
グランドや公園、学校、工場等に川沿いの道際にそって
桜が植えられ、数百メートル続く「桜道」となっている。
川の両岸にはこれも数百メートル
ずっとカラシナが群生している。
このピンクと黄色のコントラストが
優しい春のハーモニーを生み出している。
桜が散り始めた今の季節は歩く道には
花びらが敷き詰められ一陣吹けば桜吹雪が舞う。
花の盛りが過ぎたカラシナからは
むせる様な「菜の花」の香りが漂う。

川面を良く見ると、40から60センチの鯉の群れが、、、
幾種もの鴨たちがゆっくり泳ぐその傍の川中の草むらで
鯉たちが激しい水しぶきを上げている。
数十匹、いや数百匹・・・水音があちこちでおこり
金色に輝く魚体が飛び上がる。
 
菜の花の咲くこの季節になると
淀川からこのO川に鯉たちが上ってきて産卵するという。
散歩中に漏れ聞いた話。
昨日はいたるところで鯉が身を捩じらせ
飛び跳ねているのを見た。始めてみる光景。
映像でよく見る鮭の産卵風景とよく似ている。
すごい数の鯉も初めて。なかなかの光景。
生命の神秘、力強さに圧倒される感じだ。

名残の桜の風情も近くで良く見ると綺麗だ。
いまだ咲き誇る花々に、花びらの散った後の紅い茎、
出始めた若葉の緑、その風情がまた美しい。
 
今年の春は温度の低い日が交互に来たせいで、
花びらが残っているうちに桜若葉が出始めた感じで
薄いピンクと生まれたての黄緑が
何とも言えず柔らかな表情を見せてくれる。

今年の桜は今年の桜。
毎年違った風情が違った心に沁みてくる。
                     
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「たましい」の発見!?

2010-04-10 13:44:10 | 夢話

目次の「たましい」の発見と言う言葉にひかれて
河合隼雄氏の“「子どもの目」からの発想”を読み返えしている。

忘れもしない小学生のある夏休み。
退屈さのあまりふと手に取った本が
エーリヒ・ケストナーの「エミールと探偵たち」だった。
(家に届いたばかりの岩波世界少年少女文学全集。
 読書好きではない私のために密かに両親が用意したものだ。)

ぎっしり詰まった小さい文字にいささか閉口しながらも
何とか読み進むうちその興味深い面白さにどんどんはまっていった・・・
それから常にいろいろなジャンルの新しい「本」を4・5冊
脇に置いた生活が今に続いているのが何とも言えない。
(決してオタク的読書家ではないけれど。)
 
出会った最初の本がケストナーなんて何と言う幸運だろう。
彼から始まった読書生活はやはり児童文学とは切り離せない。
現在まで折にふれて読みそれなりに研究も続けてきた。

その時から「作家読み」も始まり
リンドグレーン、メアリー・ノートン、アーサー・ランサム等々・・・
フィリパ・ピアス、ガニスバーグ等々と続いている。
もちろん「ハリー・ポッター」だって読んでいる。

岩波の全集も小学生の頃にもちろん読破。
訳者も素晴らしく子どもに媚びていない。
今から思っても本当に「質の高い」全集だ。
(現在にも受けつがれているけれど。)
幼い瑞々しい感性に世界への窓口が開かれたことは
大きいと今更ながらに気づく。
(読み応えのあるあらゆるジャンルが結構網羅されていた。
 いわゆるその頃の流行ではなかったところがよかった。)

優れた児童文学(大人の文学には負けずとも劣らない質を持ち
子どもでも読むことができる)には
もう一人の自分が描かれることが多い。
大人の文学やドラマ等ではそれは
ブラックな自分であることが多いが
児童文学では魂の声(ハイヤーセルフ)的要素を持つ。
 
またファンタジーと言う形をとることにより
異次元での「真実」が興味深く面白く描かれる。
やさしい言葉や分かりやすい表現で著わされることにより
知らず知らずのうちに感性や「たましい」の奥深くに響く。
それに何よりベクトルが光の方向へ
向かっている文学であるということ。
(形を子どもに向けていることが大きいのだろうけれど。)

この時代において私は「修羅」や「不条理」を描くことが
優れた芸術だとは思わない。
形の多様性はあってしかるべきだが
それのみに終わることはかえって「甘さ」や「甘え」
ではないのかとこの頃感じている。

次の宮崎駿のスタジオ・ジブリ作品が
ノートンの「床下の小人たち」を原作にしているらしい。
あのシリーズも子供の頃ワクワクしながら読んだ。
どんな風に描かれるか楽しみだ。
 
「たましい」の発見は自分の奥深い「たましい」へ
の問いかけから始まる。
そういった意味で知らず知らずに導かれる
「児童文学の世界」は深遠で輝きに満ちた
何より面白く楽しい世界だ。
この時代、もっと多くの人にその扉を開いて欲しい。

                         
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桜巡り

2010-04-06 14:29:44 | 徒然

ソメイヨシノが今は盛りと咲き誇る。
冷たい風の日が交互に来たせいで今年の桜は
満開のまま歩みを留めて楽しみ時を伸ばしている。

自宅近くの駅へ向かう道筋や0川沿いは桜並木が連なり
本当に美しい。
ことに川の土手に自生している菜の花(カラシナ)の
澄んだ黄色とのコントラストは春の優しさに溢れている。

京都をあちこち巡ってみると満開の桜と人で溢れている。
嵯峨野辺りの幾種もの桜は見事で
特に枝垂れ桜の長い時間よく手入れされてきたであろう
枝ぶりに感じ入ってしまう。

長岡天満宮の池の端の桜も満開。
八幡の川沿いの何キロにも続く「桜」は人が多すぎて
毎年遠くから眺めるだけだ。
それでも美しい。
咲き始めから葉桜まで移り行く姿を楽しませてくれる。
 
洛西のO川沿いを歩いてみた。
ここも桜並木が両岸に連なっている。
桜巡りをしているとその種類の多さにもびっくりする。
日当たりや種類によって咲き具合が違ってくることも
桜を楽しむ大きな要素だ。
眺めていると穏やかな気持ちに満たされてくる。
きっと見ている人、どの人の顔もひとりでにほころんでくるだろう。
 
カワセミが飛び立った。
艶やかな瑠璃色が目に残ってとっても得した気分。
ジョウビタキも綺麗なオレンジを見せてくれた。
珍しい野鳥に出会えると嬉しくなる。

公園やお家の庭先、路地裏、、、
何処もここにも桜・さくら。
この季節になると本当に日本は桜の国だと感じ入る。

  散りゆくもまた美しき桜花見る人ごとの想い写して

                
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