Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

俳句

2007-06-27 09:47:11 | Weblog
俳句                       2007年6月27日

私は俳句を趣味としていません。が、ある俳句クラブのワープロ
打ちのお手伝いをしております。メンバーは20名程で、全員が
70歳を超えています。句会に投稿するのは、大体18人程、一人
2句投稿が決まりなので、およそ36句が1回に投稿されます。

句会は月に2回開催されるのですが、仮に5日と20日に開催さ
れるとします。6月5日に全員が自分の作品2句を持ち寄ります。
私の仕事は、この36作品をA4、2枚にワープロで打ち込みます。
俳句ですから、縦書きで、ルビ付きで打ちます。3日以内に仕上
げて会長さんに渡します。この6月作品一覧表は20日の句会の
時に全員に渡され、全員はそれを家に持ち帰り、次の5日の句会
で良い句を投票し、順位や、最高点の句が発表されます。

さて、上で、渡すと書きましたが、全員出席なら全員に手渡しで、
完了するのですが、当然欠席者が出ます。それが厄介です。
メンバーでe-mailをやる、出来る人は居ません。居れば、その
人には、e-mail添付で送れるのですが、これがダメです。FAX
を持ってる、扱える人が2-3割は居ります。ところが会長さんが
FAXを持ってないので、利用がぐんと落ちます。作品投稿日に
会に参加出来なかった人が我が家へFAXしてくる場合が2-3件
あります。

難漢字:俳句を嗜む人は、通常、言葉や字にこだわります。
主人と書いてあるじとルビを打ってくる場合もあれば、主だけで
あるじと振り仮名をしてくる人も居ます。5月の句会で以下の作品
が投稿されました。

(a)   姫女(ひめじょ)菀(おん)群(むら)がり咲けど侘しけれ
(b)   姫女(ひめじょ)苑(おん)吾も花よと咲いている

姫女苑 http://www.hana300.com/himejo.html

aさん、bさん、別人が別の場所で作った句で、言っていることは
同じなのだが、それぞれ別の句である。しかもaさんは「菀」と書い
て居る。この字を見つけるのが難しい。私は最初、苑しか出て
きませんと答えたのだが、aさんは、いや必ず菀も有りますと、
仰るので、苦労してwordの辞書から見つけてきました。(なんだ
俺よりワープロ出来る人、居るじゃん)
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うーん、これは便利だ

2007-06-25 17:56:11 | Weblog
羽田と上海間 10月運航で合意
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070625-00000202-yom-bus_all

羽田ー上海虹橋が直結すれば、これは便利だ。成田ー浦東は
客が減るだろうな。両空港とも都心部から遠いが、成田ー東京
中心部の遠さと、浦東ー上海中心部の遠さは大分、訳が違う。
成田は今よりもっと便利にするのは大変だが、浦東は地下鉄
2号線を空港まで延長すれば簡単。しかも名前は地下鉄だが
浦東地区では、事実上高架になっており、工事は、上海が
その気になりさえすれば早く完成するだろう。

但し、そうなった場合、上海は今走っているリニアモーター
カーの立場が、怪しくなる筈。だが、あれは見世物と腹を
くくれば、あとは、簡単な話だ。

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風林火山の時代考証-2-

2007-06-22 22:20:27 | Weblog
風林火山の時代考証-2-           2007年6月22日

6回講演の第5回目が20日に有りました。講師は東大助教授
小島毅先生でした。タイトルは「川中島の合戦をめぐって」です。
結論を先に言うと、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは、学問
的には無かったようです。時代考証としてあの時代、あのよう
な大合戦で、一軍の総大将が単騎で動くなどと言うことは、
有り得ないことだそうです。ですが、これもまた、一騎打ちが
無かった証拠を見せろと言われると、これも出せないのが事実
です。そうなると、既に江戸時代に語られていた、あの一騎打
ちの話が、大衆に支持されており、現代ではNHKの大河ドラマ
で何回も放送されて、延べ何百万人が見ているあのシーンを、
あれは嘘ですとは、言い難いですね。

両軍の合戦は:
1553年、天文22年
1555年、天文24年
1557年、弘治3年
1561年、永禄4年
1564年、永禄7年  と、12年間にわたり5回行われたそうです。
そして有名な一騎打ちは永禄4年の戦で、場所は川中島の
八幡原とされており、現地に行くと両者の銅像が立っている。
私も何年か前に、見てきたが話の内容を再現した立派な銅像で
ありました。
話:http://nagano.miffylovei.com/archives/50583110.html
この話の基である、『甲陽軍鑑』が既に江戸時代に書かれた
軍旗物でフィクションを盛り込んだ可能性が大である。

小島先生によれば、先生自身の研究ではないが、学内のこの
道の研究者によると山本勘助も実在しなかった可能性が高い
そうだから、夢が無くなる。少なくとも軍師勘助は居なくて、足軽
大将勘助は居たかも知れないとのこと。この時代、軍師は僧侶
がやるものと決まっていたそうだ。それは、戦をするとなると、
兵糧、軍資金、兵隊と総力戦になるので、広い知識を持ったアド
バイザーが必要で、事実上僧侶しかこの役は務まらなかったと
言う。

勿論これに対して異論反論は大いにあろう。勘助に係る貴重な
資料を展示した展示会が開かれている。
http://www.fujisan.ne.jp/iyashi/
勘助ゆかりの地と言われる富士宮市には山本八幡宮も有れば、
勘助の母の墓も有る。
http://www.fujinomiya.gr.jp/
私も是非行って見るつもりだ。

川中島の合戦が、熾烈で、何度も戦われた割には、歴史的には
余り意味をなさないのは、信濃の国の取り合いであったこと。これ
即ち信玄も謙信も、天下人を目指して居なかったことが、最近の
歴史研究で明らかなそうである。
http://d.hatena.ne.jp/paco_q/20070502/1178044395

この戦の1年前、永禄3年、織田信長が今川義元を破った桶狭間
の戦いが、日本の歴史の中で大きな意味を持ち、その後に続く
豊臣秀吉、徳川家康と言う天下人が日本の舵取りをすることに
なるのは周知の事実である。

そうは言いながらも、私も今年の暮に向かって進行する信玄(市川
亀治郎)と謙信(Gakt)の一騎打ちを楽しみにして、日曜日の夜は
風林火山と決めている。
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船で天津へー10最終-

2007-06-14 17:48:46 | Weblog
船で天津へ-10最終ー               2007年6月14日

今回の旅は、基本的に無理が有りました。当初の予定で6月22日
に神戸を出て、7月4日に神戸に戻る予定であった天津行きを、3
週間繰り上げて決行したものです。当初案では天津に滞在する
1週間の間に、北京で、昔の自分の仕事に係る展示会が6/26→
28開催されるので、それを1日見る。そして北京の観光地を訪ね
るということになっていました。その案では四川省とか雲南省を観
光すると言うのは、土台無理なことなので、含まれていません。

それを3週間繰り上げたのは、第一には、今更昔の仕事の展示会
を見ることへの反省、そういう未練たらたらの自分を否定しなけ
ればならないと言う思いでしょうか。第二には、いま自分が引き
受けているボランテイア活動を、この天津行きのために休む、つまり
誰か他の人にやって貰わないといけない。そして第三に、6月1日
から13日までなら、ボランテイア活動に差し障りなく行けることでした。

但し、繰り上げたことで、準備が不足と言う無理がありました。無理
とは、天津に着いてから汽車の時刻を調べて、汽車では切符を買う
のが難しいとか、到着に時間がかかるとか、じゃー飛行機でとなり、
そのticketを会社の人に買って貰うとか、それから慌ててホテルを
予約したりとか。要するに裏技の連続です。一人旅でしたから、そう
いう無理もクリアー出来た訳です。このやり方は、将来仲間で旅行
する場合には、採用出来ません。

ただ基本的には、是非船で行きたいと言う念願が果たせたことは
嬉しいです。そしてこの、船で行くことが、将来、旅行仲間で行く場合
の事前調査の意味があり、きっと役に立つだろうと思っています。
つまり、今回の旅行で、船で行くと言う方法が、将来仲間と天津を
拠点に、北京、大連を訪問する旅のためには、採用を検討する価値が
有るルートであり、手段であると思います。更に実地試験はしていま
せんが、上海へ船で行き、そこから杭州や蘇州、紹興、烏鎮などへ
旅する場合にも可能性が広まるものと思います。

長いこと愛読、感謝

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船で天津へー9-

2007-06-13 23:34:33 | Weblog
船で天津へ-9-                2007年6月11日

成都から天津へ戻ってきた私は、腑抜けのように土日を過ごした。
金曜日の夜のDelight barの様子を見てしまってからは、行く気に
ならない。天津市内の日本料理の店のママに電話をする。旅行
好きの彼女の旅行団に加えてもらって、中国各地に連れて行って
もらったが、今回も旅行に出ていた。あらー、今ね邯鄲なのよ、
ほら、あの馬車の遺跡が出たとこよ・・・と言っていた。と、言うこ
とはママが留守の店に行っても、顔見知りは皆旅行に行ってるだ
ろうから、やめとこ。

貴方にも電話したのよ、ちっとも繋がらないじゃない、と言って
いた。青島に居た時の電話番号だ。と言うことは、私は日本に
帰ったことをママには言ってなかったんだ。私の記憶はおぼろげ
だが、私より年上のママの記憶の方が確かだろう。結局、この2日
間は、船で天津への記事を書き、その合間に食事に出たり、飲み
に行ったりしてたことになる。

今朝は、早めに天津新港の客運站にきた。昨日船会社の案内を見て
たら、金曜日までに○○○へ電話して帰国便の確認をするようにと
書いてあるのを発見、しまった、やってない。それで受付を早く
して、自分のcheckinが間違いなくできるようにしたかった。私が
着くと、昨夜大連を出て、今朝先ほど天津港に着いたお客さんが
沢山残っていた。グループ団体で来てる人も多く、バスがずらりと
待ち受けている。北京、河北省、山東省のナンバープレートまで
ある。勿論天津No.が多いが。

程なくcheckinが始まって、私は4-5番目で切符を出した。案の
定、電話での確認はしたか?と聞かれ、してないと答えた。一瞬
の静寂、受付のおっさんは、じーっと書類を見ている。出国書類
が目の前に出されて、これ記入してくださいとのこと。ってこと
は、船には乗れる訳で安心した。このように私同様早めに来た人は
殆どが中国人で、切符を買ってない人たちであることが判った。
私のように、往復切符代を日本で払ってきた人も居る。それでも、
港の管理料30元(450円)を取られた。

私より10分ほど遅れて、日本人の青年がやってきた。受付のおっさん
の日本語の声がでかいので、直ぐ判る。いや、おっさんは日中とも
同じ声のでかさで喋ってるのだろうが、私が、日本語だとすぐ反応
できるが、中国語を現地人同士のスピードで喋られると反応できない
と言うのが正確な表現だろう。その青年は30元を持ってないらしい。
もう中国元は不要と思っていたのだろう。有り得ることだ。私も
昔、何処かの国の空港でやっちまったことがある。その時は、空港
だったので、両替窓口がやや離れたところに有り、わざわざその為に
両替して払った。ここには多分両替所は無い筈だ。

どういうことになるんだろうかと思った瞬間、私は、30元有りますよ
と怒鳴っていた。彼には聞こえなかったようなので、もう一度叫んだ。
2回目に彼はこちらに振り向いて私の所に来た。私は50元札を渡して、
これでどうぞ。と言った。彼は、有難うございますと言ってから、
支払い窓口に行き、管理料を払い、20元を私に返しながら、「これ
だと私がお金を貰ってしまうことになります。私はもう中国元を
入手出来ません」と言った。私は、それでも良いですよ。船の中で
遭遇したら、ビールかなんかで返してくれれば良いですと言った。

船の手続きは、ゆっくりだ。通関が済んで、乗船の列に並んでる
時に、先ほどの青年が1$札5枚出して、これで返済させてください
と言ってきた。私は1枚返して、4$だけ貰いますと言った。彼は
バックパッカーで、荷物を見事に大きなリュックサック1個に纏め、
インドをスタート地点にパキスタンを回って、中国に来たと言って
いた。若い人は良いね。

乗客の数は、往きよりはだいぶ少ない。外国人バックパッカー
も、私が見た限り一人だった。話しかけると、彼はロンドンっ子で
ロンドンから鉄道でパリに着き、シベリア鉄道に乗り継ぎ、蒙古に
入り、中国各地(北部)を回ってきて、今で2ヶ月になるとのこと。
日本では1週間(東京のみ)過ごし、大阪から船で上海へ渡り、
中国南部を見て、ミャンマー、ラオス、ベトナム、タイ、シンガポール
と陸路を旅して、そこから船でオーストラリア、ニュージランド、そして
南米へ行く船を探す。いずれアメリカ各地を回って、1年かけてロン
ドンへ帰るそうだ。凄いね、こんな旅も有るんだね、羨ましいね。

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船で天津へー8-

2007-06-10 13:20:46 | Weblog
船で天津へ-8-                2007年6月8日

この安くて綺麗なホテルには食事の施設が無いので朝飯も外へ。
駅前に並んだ食堂で、暖かい豆乳と包子(パオズ)を注文、6元。
成都に着いた時は、バス303番は高速経由で10元だったが、今回
駅前から乗るのは300番で停車駅名が沢山書いてある。昨日のこと
があるので、乗車時間は2時間を見込んで早めに乗るつもりで居た。
ホテルをcheckoutしようとするとコンピューターシステムが不調
らしく、何時まで経っても精算ができない。200-97=103で百三元
返してくれれば良いだけなのに。ようやく精算できて外へ出る。

昨日確認済みのバスターミナルに行き、300番のバスに乗る。すぐ
発車。来た時のノンストップバスは10元だったが今回は6元。やは
り2時間覚悟か。結果的には1時間45分で到着。旅行客用と言うよ
りは空港に勤める人の通勤用と言った感じのバスであった。

飛行機へのcheckinも搭乗手続きも実にスムースに行って、順調に
天津へ。到着間際に、天津の気温が34度と聞く、ウワーかなわん。
往きの時にも感じたが、国内線飛行機の利用者が急増しており、
空港は人がいっぱいだ。昔の天津空港を知るものとして、今昔の
感に堪えない。空港ロビーを出て、taxi乗り場に。最初にある大型
を通り越して、小型車の方へ行く。軽軌電車の駅へと頼むと、近い
ので20元くれるか?と言う。いいよと言って乗り込む。電車で開発
区駅まで4元、開発区駅からtaxiで10元、往きの3分の1で来れた。

寮に着いて、シャワーを浴びて、パソコンを開いて、船で天津への
文章を何回分か作ってupして昼寝をして、またパソコンを続けて
いたら、晩御飯の時間になった。小母ちゃんから吃飯と電話が入る。
下に降りて、出張でここに来ている台湾人幹部と一緒に食事をした。
私が知らない若い人が4人も居た。

夜9時半になった。Delight barの音楽が始まる時間だ。寮を抜け出す。
守衛のお兄ちゃんが心配そうにしている。2時間で帰ると言って外に
出た。taxiでデラ酒吧と告げるとOKと走り出す。やがて着いてデラの
入り口に立つと、ドア係りのお兄ちゃんがニッコリ笑って開けてくれ
た。だが中に入った私は愕然とした。客が居ないのである。カウンター
は誰も居ないので、いつもの場所に座る。音楽は始まっていて、フィ
リピンの男女2ペアのバンドがやっているが客が少ないから乗ってこ
ない。

どうしちゃったの?2年前のDelightの金曜日のこの時間、うかうかす
ると入れない位に混んでいた。注文取りのジェニーが来た。どうして
こんななの?私は聞いた。彼女は判らないけど最近はいつもこうなの
と答える。紅葡萄酒と注文する。目が慣れてきて椅子席の方も見える。
3卓くらいに2-3人ずつ座ってはいるが寂しいかぎりだ。2年前の大
盛況時には、外国人客よりも中国人の若者が多かった。若者に混じって
壮年達も随分来ていた。彼等はどうしちゃったの?あの頃は、私が来る
時は彼等はいつも居たのに。人が多く集まるってことは女性が多く集
まることを意味する。良いとこのお嬢さんや奥様も来ていた。怪しげな
姉ちゃんも来ていた。今は誰も居ない。

私は赤ワインを1杯だけ飲んで、40元払って外に出た。taxiを捕まえ、
マンダラクラブと告げた。マンダラクラブも流行っていたbarだった。
入り口に立つとドア係りのお姉ちゃんは見覚えがあり、彼女もにっこり
笑って中へ入れてくれた。Delightよりは客は入っていたが、外国人は
一人だけで、あとは中国人の若者が多い。バーテンもカウンターの中の
姉ちゃんも、バンドも知らない人たちばかりだ。当たり前なのだが。
ウイスキーをone shotやって外へ出た。昔歩いたクラブやbarのある
通りを風に吹かれながら歩く。Wei Hua Pubでは外国人客がかなり入って
いるのが、外からでも判る。次のSomewhere・elsもそこそこ入って居る。

バンドが入って居ないところが客が多いんだ。飲み物単価が安いからで
あろうか。ま、私が1回、すーっと回っただけで結論は早いが、中国の
若者達は、フィリピンバンドに飽きてしまったのか。次のBritneyの前
までやってきた。ownerママがテラスで喋ってる。暫く見ていると、気が
ついて、好久不見と叫ぶ。どうしたの?日本へ帰ったんでしょ?うん、
遊びで天津へ来たよ。そう、懐かしいわね。中へ入ってカウンターに
座る。息子がバーテンをしている。ウイスキーと言うとWild Turkeyを
出してこれで良いか?覚えていたな。ここはバンドが中国人だった。でも
1曲目がYesterday oncemoreだった。

暫く居て、taxiで帰ってきた。車の中で考えた、まさかこれは熱狂的に
発展してきた中国経済の終焉を予感させる現象なのだろうかと。守衛の
兄ちゃんに、腕時計を指して、両個小時(2時間)と言うと、好的と
笑って鉄の扉を開けてくれた。

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船で天津へー7-

2007-06-10 06:59:58 | Weblog
船で天津へ-7-                2007年6月7日

今日はちょっと遠出をして見たい所として選んだ都江堰へ出かけ
ます。要は堰(せき)なんですが、紀元前270年代からの工事で、
完成までに数百年を要した。その結果岷江と言う暴れ川が治水さ
れ、水は水路を通って成都の農地を潤し、天府と呼ばれる沃野が
生まれた。しかもそれが営営と現代に引き継がれ、今の農民も
その恩恵に浴しているとのこと。

判り易い写真の豊富なweb:
http://wing.zero.ad.jp/temasek/tokoen
都江堰建設のことに詳しいweb:
http://www.tf-travel.com/guanguang/dj-yan.html

都江堰へ行くにはガイドブックによれば、茶店子バスターミナル
から直行バスが出てると書かれている。ホテルの前からtaxiを
拾い、行き先を書いたメモを見せる。成都の地理は、東西と南北
の幹線道路が交わったところが市政府の建物でそこが中心となり
同心円の環状道路が3本有る。内側から環状1号線、2号線、3号線
となり、3号線の外側は、市の中心からは8~10km外側になる。
そしてこの茶店子ターミナルは3号線の西の外側なのだ。

私が乗ったtaxiの運転手君、走り出してすぐに、あのー、済みま
せんが他のtaxiに替わってもらえないですか?と言う。私そこへ
行くと不便なんです、とのこと。しょうがないので、良いよと言
うと、空車のtaxiの脇に着けて、運転手に茶店子に行くか?と
聞いている。先方が行くと答えたので、私は移動した。バスター
ミナルは公交站と呼ばれたり客運站と呼ばれたりする。道路標識
にも両方が出てくる。私が買った地図には公交站と書かれている。
公共交通自動車が略されて公交になる訳だ。初めてやってきた
旅人にとっては、両方の呼び名が有ると言うのは、実は、不安な
のだ。同じ所のことだろうとは思うが、行ってみて、もし違って
いたら?と言う不安が常に付き纏う。

茶店子公交站に着いて、都江堰の切符を買う。行き先を書いたメモ
を見せる。15元だ。都江堰・高と書いてあったが、それが高速道路
経由だと後で知った。バスは満席に近く、私が乗ると程なく出発
した。公交站を出ると間もなく高速道路に乗る。都江堰まで48km
の標識が見えた。途中も停車無しで、1時間かからずに到着した。

岷江の流れは、水量も多く、水流の激しさに驚かされる。これを
治めた紀元前の技術に敬服する。今のように鉄筋も無ければセメ
ントも無かった時に、たいしたもんだ。都江堰の先端(魚嘴)で
水を6:4に分け、4を灌漑に回すとのことだ。2000年の技術も凄いが
行く先々でお金はしっかり徴収された。

帰りは、成都駅行きのバスにした。12元で安いなと思ったらオンボロ
バスでおまけに各駅停車。各駅停車と言うことは高速に乗らずに下の
道をとことこ行く。2時間かかったが、田舎町を見れて、結構楽し
かった。着いた所は、火車北站公交站。つまり列車の成都北駅のバス
の駅と言うことになる。そこで降りて、周りを歩く。今朝、昨日まで
宿泊していたホテルをcheckoutしてきたので、今日のホテルを探す。
すぐ目の前に北斗星Top Starと言う名の真新しいホテルがある。開業
特別価格で97元と看板が出てる。

有没有空房?有と言うことで200元前払いして部屋に入る。何もかも
新しい。ADSLの線も来てる。この97元(1500円)は言う事無しである。
一休みしてから、空港行きのバス探し。さっき到着した火車北站公交
站には無いことは確かめてきた。ホテルの受付で聞いてみた。駅の
東側に別の公交站があり、そこから出てると言う。

こういう見知らぬ土地でのバスの出発場所は、絶対に、バスが客を乗
せて、動き出すところを確認しておくと言うのが私の鉄則だ。どうせ
時間はある。駅前探索を兼ねて出発。東広場公交站と言うのがあり、
そこから空港行きのバスが出ていた。

その近くを歩いて、本格的四川料理の店に入る。辛い辛い火鍋を汗を
流しながら食べる。90元。実を言うと、時間的にはもう一箇所くらい
見学できるのだが、もういいやと辞めてしまった。見学するとすれば、
青羊宮、杜甫草堂、永陵博物館、望江楼公園のどれかと言うことに
なろう。

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船で天津へー6-

2007-06-09 19:24:56 | Weblog
船で天津へ-6-                2007年6月6日

昨日ホテルのすぐ傍にあるnet barに行ってみた。1時間1元と安
いが、10元先払いする。やってみると、中国のyahooはすぐ開く
が、そこからyahoo internationalに移行し、yahoo japanをクリ
ックすると画面がピタっと動かなくなる。それで、msnに変えて
hotmailをクリックし、自分のメルアドを入れると、ピタっと
止まってしまう。要は日本には繋がらないのだ。別に意地悪して
いる訳では無く、天津や青島と言った沿岸部からは繋がるので、
日本への海底ケーブルのところに来る前に、内陸部の回線の細い
ところで、通過できずに、こうなってしまうんだろうと、素人
判断でそう思う。成都から天津までの鉄道距離は2152kmと書かれ
ている。adsl回線もそれくらいあるのでは。

6月6日、今朝は一番に成都動物園に行った。パンダをゆっくり
見れるのではないかとの思惑でした。ガイドブックには、その
ためには開園と同時に入るのが良いとなっている。
http://homepage2.nifty.com/momomaru/p0611.htm
http://www11.tok2.com/home/awa/200310seito/seito5/seito5.htm
確かに、開園早々と言う事は、動物たちはお腹をすかして待って
いるわけで、活発に動きまわっていた。パンダは上のwebのように
色々なポーズでは見ることはできなかったが、1頭だけごろんごろ
んひっくり返っていた。

朝一番に入ったので、だいたい檻の前では、私一人が見ていると
言う感じでした。この国ではこういう有料の施設は、殆ど無料で
老人に開放されているらしく、多くの老人が散歩をしたり体操を
したり、太極拳をしたりしていた。

次に、動物園に接続している昭覚寺を見学。ここも、あの狂気の
http://wing.zero.ad.jp/temasek/shokakuji.htm
文化大革命の嵐を生き抜いた立派な寺です。私が見学している時
に黄色い衣の若いお坊さんのグループ(5~60人)が見学し全員で
朗々とお経を上げていた。きっとお坊さんの修学旅行なんだな。

お昼前に、成都北駅に行って見る。黙って成都駅と言えば北駅で
http://www.chinatrg.com/zz-035.html
ある。他に南駅、東駅などがある。成都は四川省の首都で真ん中
の都市、交通の要所でもある。多くの汽車が出入りする。だから
利用客も多い。そして驚いたことに、駅には切符を持った人しか
入れない。北京や天津と違うところだ。じゃー切符を買う時はど
うする?駅の外に大きな大学の講堂くらいの建物があり、講堂な
ら先生が立って話をする所が切符の販売窓口で、横一列で20
くらい有る。その全ての窓口に向かって、切符を買いたい人が
ずらーっと並ぶ。窓口にはそれぞれ行き先が表示されているが、
それを買う人の数が凄いのに圧倒される。ま、日本人では買え
ないわ。

駅の周りには庶民の食堂が立ち並んでいる。そこに入り米の麺を
注文。辛いのにするか?と聞かれて思わず「不要」と叫ぶ。6元。

午後は、これを見たいから成都に来たと言うべき場所を訪ねた。
武侯祠博物館、三国志の武将達の博物館と言えば良いです。
http://www2.odn.ne.jp/~quhaiwai/CHENDDU/SEITO-01/seito1.html
劉備玄徳、関羽、張飛、諸葛亮、趙雲、黄忠、姜維、魏延、孫尚香
等々の像と解説がある。文物は意外に少なく期待外れでした。
中国は広大であるが、西暦200年前後のあの時期に、これらの武将が
中国各地の人によって構成されていたことに驚きを禁じ得ない。

この後、この博物館と隣接して周囲に作られた街、錦里に出る。
http://china.alc.co.jp/culture/xiangxiang/2006/07/post_127.html
http://www.sctabi.com/JL1.htm
この土地のみやげ物と食べ物を提供する店を一箇所に、情緒豊かに
作った街である。私はここで竹筒飯(もち米に小粒の豆が混じって
いる)とシュウマイを買い、店の前のテラス席で食べた。竹筒ご飯
は買うと、鉈で竹筒に割れ目を入れてくれる。自分でそれを開いて
(筒は2等分され)食べる。テラス席は、いろいろな食べ物屋さんの
共同の席になっていて、私の目の前の人は、少し離れたところの豆腐
料理を買ってきて食べてると言った具合だ。

天津では殆ど目立たないのに、成都では軒を連ねて有るのが茶館だ。
喫茶店で、中国各地のお茶を飲ませてくれる。私も食事の後、茶館が
向かい合わせで何軒も続く通りで、外の席に座り、竹葉茶を楽しんだ。
茶館は奥を覗いてみると、お酒も出すようになっていて、Barカウン
ターも有る。ビールを楽しんでる人もいっぱい居た。成都に来て、
時間が無くて何処にも行けないような人は、「錦里」に来れば短時間で
成都を楽しめる。

他の人のwebで成都のいろいろ:
http://www.geocities.jp/inoweb2004/playspot/chengdo.html

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船で天津へー5-

2007-06-08 21:32:40 | Weblog
船で天津へ-5-             2007年6月3日→5日

ホテルの部屋からnet接続して間もなく、webが表示できなくなり
メッセージの書き込みができない。昼寝をしてからやってみたが
同じことであった。夕食も兼ねて外へ出ることにした。net bar
に入ってaccessを試みる。なんとか繋がるが、今度は日本語入力
が大変だ。暫くやってみて、Delight barに行ってみた。宵の口で
客は居なかった。バーテンの一人が私に気が付いて、好久不見
(お久しぶり)と声をかけてくれた。すると、どこかに居たのだ
ろう、飲み物の注文を聞いたりそれをテーブルに届けてくれる
ジェニーが飛び出てきてAruiと声をかけてくれる。彼女を最初に
見たのはもう4年前か、あの頃は少女だったが今は綺麗な女になっ
ている。

やがて、チーフバーテンのJackが現れた、彼はこの店を辞めて、
別のbarに行って責任者をしていたが、barの乱立で潰れて、ここ
へ舞い戻ってきたのだそうだ。Aruiどうしたの?もう仕事無しで
遊びに来たよ。そう会えて良かった。私は赤のワインと食事を
頼んだ。

翌朝、私は前に働いていた会社に出かけた。懐かしい人々が迎え
てくれる。現在の副総経理が、私が昔住んで居た部屋が空いてる
から使いなさいと言ってくれた。有り難い。internet回線もその
まま残っている。勿論誰かが時々使用しているのだろう。

早速、中国の列車案内に接続して調べてみる。今回行きたいのは
四川省の成都か雲南省の昆明なのだが、判ったことは、汽車で行く
のは、近い方の成都でも30時間かかる。今回の予定では無理だ。
その上、汽車は、飛行機と違って切符が買えるかどうかが、直ぐ
には判らない。中国国鉄の独占事行のためだからであろう、切符
の販売が恐ろしく閉鎖的である。

飛行機ならどっちも可能。それで選んだのは成都だ。理由は
三国志。劉備玄徳、諸葛孔明が都と定めた蜀の地である。一昨年、
山東省の片田舎にある諸葛孔明の生家跡に建てられた博物館を訪ね
ているが、彼が治めた地は一度も見ていない。会社の出張を手配
する係りの女性が航空券を買う手配をしてくれる。大助かりだ。
往復で1340元(約2万円)で午後に届いた。定価の半額くらいに
なっているが、ルート変更、日時変更不可である。e-ticketに
なっており、天津→成都→天津の飛行スケジュール1枚が往復の
ticketになる。便利になったもんだ。

6月5日、会社の前から少し歩いてtaxiを拾い、空港へ。高速料金
10元と合計で110元。事前交渉なら60元で行く筈だが、まいいか。
順調に搭乗手続きをして成都へ、2時間の飛行だ。「地球の歩き方
成都・九塞溝・麗江」を参考に訪問予定をたてる。成都国際空港に
着いた。JALもANAも来ている、ヨーロッパ、アメリカ便もある。
バスで市内へ、10元。

そこからtaxiでホテルへ。その前にお金が少し足りないから両替
をしよう。都合よく中国銀行がある。入り口で番号札を取る、番
が来て窓口へ、日本円を出して外貨交換を頼む。長いことかかって
ようやく中国元を入手。中国銀行以外の銀行ではダメとのこと。
私が天津に居た時は農業銀行でも中国工商銀行でもOKだったが、
あれは経済開発区だからなんだろうか。成都だけが、外貨交換の
できる銀行は、中国銀行だけと言うことは無い筈だから、地方都市
では外貨交換は不便だと思う。まさか北京オリンピックでもそう
なんだろうか?

ホテルの予約はnetですぐできる(日本語で)。そして中国の携帯
電話を持っていると、予約OKの結果がmailで入ってくるので、ホテ
ルでそれを見せれば良く、便利。日本のyahooなどのホテル予約は
どうも使い勝手が悪い。

ホテルにcheckinして一休みして文殊院と言うお寺を訪ねた。幸い
にも、歩いて行ける所に有った。文化大革命の時に、多くの寺が
破壊され消失したが、あの嵐を免れてよくぞ生き残ったものだ。
http://wing.zero.ad.jp/temasek/monjuin.htm
このwebで、入場料1元とありますが、5元になっていました。
帰りに地元の料理を食べる。辛さは半端じゃない。汗みどろに
なって、ホテルに戻った。
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船で天津へー4-

2007-06-08 17:54:49 | Weblog
船で天津へー4-                2007年6月3日

今日は天津上陸の日だが、外はまだ一面の大海原で何も見えない。
時々漁船とおぼしき船と遭遇するので、中国は近いのかなと思う。
今朝は無料の朝食を食べた。一口大の万頭が2個。1個は中身無し。
1個は中に白い餡が入って居たが正体不明。それに根菜の角切りの
漬物、ソーセージ(ウインナーよりやや大きい)1本、それにあわ
(粟)粥と西瓜一切れだ。粟粥は天津で仕事をしていた時、寮の
小母さんが毎朝作ってくれた懐かしい味だ。

昼と夜の食事の時に、日本定食と言うのがある。飯1椀、スープ
1椀、おかず2品と缶ビール1本付いて850円である。そしてその
おかずがメインがトンカツであったり、コロッケであったりで、
サブが中華の小品の中から日本人に会うようなのが1品となって
いる。これが日本定食?って感じだが、船の調理室でできる、
中国人コックにもできるからでしょうか。ただ、私の見た限り、
それを食べてる人は、私も含めて誰も居なかった。

昼飯が終わると船の中全体がそわそわしてくる。皆が下船を待ち
兼ねて居るのが判る。だが船はゆっくり走る。なんでこんなに
ゆっくりなの?と言うくらいに遅い。港が見えてきてからも、か
なりの距離を走る。午後1時半を過ぎたころ、お忘れ物の無いよう
下船の準備をしてくださいの放送があった。へー、定刻より早い
んだなと思いつつ出てみると、港はまだだいぶ先だ。

騙された、と言うのではなく、彼らは部屋の清掃と、明日天津
から乗るお客さんのためにセットアップしなくてはいけない。
だから仕方が無いのだろう。だがここからが長い。椅子は数が
限られているから、立って待つのだ。全員が荷物を持って出て
きているから、様子が判る。それで気が付いたのだが、船を利用
する人の理由はさまざまだ。私のように、時間を使う楽しみも
ある。いろんな人々との交流を楽しむのも有る。大部屋に居る
日本人同士、船を下りるまでに仲良しになっている。運賃が安い
のも大きな理由だろう。もう一つ大きな荷物を持ち帰ると言う
のが有った。

手荷物で、事務所で使うようなプリンター(hp製)を持ってる人
が居る。楽器のアルトサックス(ヤマハ製)の箱を持ってる人が
居る。そしてその他に持ち込み荷物の大きな、重いものを積める。
殆ど料金はかからないらしい。飛行機だと高い超過料金を払わな
ければならない(これの差は大きい)。なるほど納得。

結局下船を開始したのは14時40分。ほぼ定刻どおり。その前に
検疫官が数名乗り込んできた。もし誰かが下痢嘔吐高熱を発症
してたら下船指し止めになるのだろうか。船側からわずかな距離
だがバスで通関所に向かう。私は入国管理官にNo VISA?と聞か
れた。No VISA,I will stay only one week.と答えて,通過した。
その後、X線での荷物のチェックがあって、無事、外へ出た。

今度はお迎え車の歓迎だ。最前列は遠くに連れて行きたいtaxiら
しい。どこへ行く?開発区だ。無言なので通過。開発区と天津市
中心部では、60kmほど差がある。運転手もそっちから来てる
だろうから、私はお呼びでない。2-3人それを繰り返すと一人の
運転手が、後ろに向かって、オーイ開発区だーと叫ぶ。すると
後方に立っていた運転手がこっちに向かって手を振っている。
そこまで行って、開発区と叫ぶとトランクルームを開けてくれる。
荷物をそこに入れて、助手席に座る(これがここでのやりかた)。

車は懐かしい新港路を通って、開発区に向かう。デジタルのメー
ターが付いていて、領収書がプリントアウトされる仕組みの車だ。
これだと値段の交渉は無くなったのかな。黄海路、第三大街を右へ
と指示する。運転手はOKと答えた。やっぱり外国人と思われてる。
今日は会社に寄らずにホテルに入って、ゆっくり寝たい。それに
昔一緒に仕事をしていた製造部長は、新しくできた南の工場に常
駐してる。現在の責任者は、今日は出張で、夜まで戻ってこない。
部屋でインターネットができるホテル(以前に確認済み)にcheck
in した。
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