アート日記

アートが好きで美術館とか良く行くのでそういったアート情報などをアップしていきたいと思います。

日曜美術館「"王侯"はどこから来たのか」特集アート日記

2011-11-20 20:18:01 | アート情報

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今週の日曜美術館は、400年前に描かれた南蛮美術の最高峰とも

呼ばれる一対の屏風がありますがその謎に迫るという番組でした。

現在サントリー美術館が企画展も実施されています。普段は別々の

美術館に所蔵されているのだそうです。

幅10メートルほどの画面一杯に異国の王たちが描かれている作品

"泰西王侯騎馬図屏風"です。片方は堂々と正面を見据え、片方は

躍動感にあふれる構図で静と動の鮮やかな対比です。神戸市立博物館

所蔵のものは勇ましい戦いの場面で白い肌に褐色の髪が描かれてい

ます。服には西洋の陰影法が駆使されています。屏風のもう1つは

サントリー美術館が所蔵しますが、リアルに表情が描かれ背景の金

にも照らされより威厳があるように見えます。遠くの山は小さく

手前の人物と馬は大きく遠近法で描かれています。屏風でありながら

西洋の手法で描かれているところが謎の多い作品です。

こちら近赤外線で屏風の内側を透かして見ると金という文字が見えま

した。工房で描かれた作品は指示書きがよく見られるので工房で制作

されたのは?と言われました。材料の分析をすると古来日本で使われた

ものだったそうです。描いているのも日本人なのでは?ということ

でした。特に緑青や辰砂、群青など天然の鉱物を砕いて作った高価な

岩絵の具が使われています。

西洋人の姿が日本で描かれ始めたのは16世紀後半の安土桃山時代と

言われています。当時ポルトガルやスペインなどからキリスト教宣教師

や商人達が押し寄せてきました。当時南蛮人と呼ばれましたが、時の

権力者が小田信長で新しいもの好きだったこともあり積極的な海外政策

を打ち出しました。初期の南蛮人の絵画としては"都の南蛮寺図"が

ありますが狩野宗秀が描きました。小田信長の許しを得て京都布教の

拠点として聖堂を建て、また西洋のファッションの店も出していたそう

です。"南蛮屏風"は狩野内膳が描いていますが南蛮人との交流の様子

が描かれています。"南蛮屏風"では輪郭線が描かれていますが、

"泰西王侯騎馬図屏風"では描かれていません。また"南蛮屏風"では

使われない鉛を主成分とした鉛白が使われていました。江戸時代には

ほとんど使われなかった絵具です。顔や手など幅広いところから使われて

いました。西洋では一般的な絵具だそうです。こうしたことから狩野派の

絵師の作品ではないと考えられます。

"聖フランシスコ・ザビエル像"はイエズス会の日本人信徒が描いた

もので"泰西王侯騎馬図屏風"もイエズス会が関わっているのではないか

と考えられます。イエズス会が日本で絵画制作をしていたことも記録が

残っています。長崎や安土にセミナリオという神学校を作り日本人の子弟

を対象にキリスト教の教義やラテン語を教えるのに合わせて絵画も教えま

した。当初礼拝や布教に使う絵を描くためだったそうです。当初はそれらは

ヨーロッパから持ってこられましたが急速に布教が進んだからだそうです。

そこで白を使って立体感を作るという手法が教えられていたのだそうです。

日本の屏風の中でも破格の大きさですが、そもそもこの屏風が発見されたの

が福島県合図若松市にある鶴ヶ城でした。新明治政府と旧幕府勢力が戦った

戊辰戦争で敗れた後に収蔵品の中から見つかったそうです。城の奥まった

ところに飾られていたのだそうです。1590年に城に入った蒲生氏郷と

呼ばれるキリシタン大名が依頼したのでは?と言われています。しかし

オランダ海洋博物館に1606〜7年に描かれた世界地図がありますがこの

改定版が日本に伝わったと言われますが、上部に屏風と同じような騎馬図

が描かれています。そうなると屏風が描かれたのが1610年代初頭、

一方で蒲生氏郷は1595年に亡くなっています。そうなると誰が作らせた

のか?

1610年代日本でのキリスト教をめぐる環境は変わり始めていました。

信長時代には歓迎されましたが徳川時代には処分弾圧の対象となっていた

のでした。布教の道具としての絵画は認められなくなっていったそうです。

この時代だからこそ描かれた意味があるとも言われています。屏風は

イエズス会のために幕府に送ったものでは?とも考えられています。

当時アラビア種の馬が憧れの的だったそうであえて馬を描いたのでは?と

言われています。一方屏風は南蛮貿易のために使われたのでは?とも言われて

います。江戸時代に狩野山楽によって描かれた"南蛮屏風"では宣教師の

姿があまり見られません。ポルトガルやスペインは布教と合わせて貿易を

していたのですが、オランダとイギリスは布教と関係なく貿易をしていた

ので幕府は優遇していたそうです。その時の賄賂としてこの屏風がプレ

ゼントされたのでは?と言われています。そしてその後徳川秀忠の四男

保科正之が会津を治めることになった時に屏風を持っていったのかも知れ

ません。

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