【英文記事 より】

海外英字紙の記事から、興味深い内容の日本関連記事を選んで、翻訳しています。不定期です。

■女系天皇は断固認めず:日本の保守派

2006-03-16 20:32:14 | NYT
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The New York Times (2006-03-12)
http://www.nytimes.com/2006/03/12/weekinreview/12onishi.html?_r=1&oref=slogin

■女系天皇は断固認めず:日本の保守派
Wanted: Little Emperors
To Japanese Nationalists, Only the Y Chromosome Counts
By NORIMITSU ONISHI
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(1) それは、戦後最大の、日本の天皇制を支持する集会の一つだった。1万300人という大した数の男女が、女性が天皇になり皇位を子に伝えるのを許そうとしている提案に抗議するために、武道館に集合した。最後に、参加者たちは起立して、「天皇陛下万歳」と叫びながら、揃って両手を上げた。

(2) 21世紀に、君主制度について一体何が、それほど大きな情熱を喚起し得るのだろうか?

(3) 女系天皇を認めるかどうかという問題は、日本国外では、しばしは物珍しい時代錯誤に過ぎないものとして紹介されているが、それが、この半年間重要性を増してきている。その争点の周知は、日本のナショナリズム運動によって促進されてきた。その影響は、論争と共に増大した。

(4) ナショナリストたちは、第二次世界大戦に対する深い反省が洗い落とされているバージョンの日本の過去を一般国民に提供しており、皇位継承そして天皇制そのものという争点を今彼等の訴えの中心に据えつつある。

(5) 「世界中を探しても、125代にわたって途切れない男系を維持してきた日本の皇室に並ぶ家系は他にはどこにもないでしょう。換言すれば、それは、世界の宝というだけではなく日本民族の貴重な、貴重な宝なのです」と、元経済産業大臣の平沼赳夫氏は、その集会で語った。主催者は、日本最大のナショナリスト集団の一つである日本会議だった。

(6) 群集の怒りの対象は、女系に皇位継承を許すために皇室典範を改正する、小泉純一郎首相の計画だった。中道右寄りの自分の党に所属する議員たちが反乱を起こした後に、そして、明仁天皇の次男とその妻が、先月突然妊娠を発表した後に、小泉首相が、その計画を棚上げしてしまったことは気にする必要はないのだ。

(7) もしその赤ん坊(出産予定は9月)が、男の子なら、天皇の長男徳仁皇太子と妻の雅子妃の間に、彼ら自身の息子が全く生まれなくても、その問題は、次の一代については実際的価値のないものになる。しかし、女の子が誕生すれば、また日本は振り出しに戻ることになる。そのため、少なくとも9月まで、保守派は、その問題を未解決のままにしておこうとするので、もっと多くの集会がありそうだ。

(8) 女系に対する反対は、より大きなナショナリズムの運動の一環である。その運動は、中国や北朝鮮に対するより強硬な姿勢を模索し、積極的に日本の戦時中の過去についての復古的な歴史を強要し、日本人は人種的に特別だという俗説を後押しする、というものだ。実際、集会の参加者の多くは、南京虐殺は、極めて大きく誇張されていた、とか、日本は、アジア大陸を開放するためにそこに進出した、とか、日本は、アメリカの計略によって戦争にへと突入させられた、という議論を繰り広げているのと同じ政治家、学者、ジャーナリストたちである。

(9) 日本神話は、太陽の女神天照の子孫である初代の天皇神武は、2665年前に統治を始めたと言っているが、歴史学者たちは、日本の天皇制の始まりを4世紀か5世紀に辿っている。平沼氏のような政界の重鎮が、その神話は事実だと今やはっきり言いつつある。その上、外務大臣の麻生太郎氏は、日本兵は、天皇のために死んだのだから、天皇が、日本の戦没者と14人のA級戦犯を祀っている靖国神社を訪れるべきだ、と語った。

(10) これらの発言の中に共通に見られるのは、天皇制が日本の中核にあり、日本を規定しており、それが即ち日本である、という信念である。法律から社会的道徳観まですべてにおいて外部の勢力によって変容させられてしまった国の保守派にとって、天皇制は、純粋に日本的なままで続いてきた比類ない制度である。

(11) 天皇制では、皇統の直接の子孫である血族の男子のみが、天皇になることができた。それは、男系の血統を純粋に保つように仕組まれたルールである。8人の女性が、女帝として君臨することを許されたが、しかし、それは、唯一、年齢や結婚の状況が、彼女たちに子供を産むことを出来なくした、という理由のみによってであり、それが、皇統の外にいる男子が、後継者の父親になるという可能性を排除した、と当地の明治学院大学教授で天皇制が専門の原武史氏は、語った。「(女帝は)清らかな体をしていなければならなかったのです」と、彼は語った。

(12) 20世紀まで、側室が、男子の後継者が生まれることを確実にしていたが、その慣行は、日本に現代的な社会道徳観が出現すると共に途絶えた。

(13) 多分、雅子皇太子妃ほど、そのような変化の象徴になったことのある人はいないだろう。彼女は、ハーバードで教育を受けた、多言語に堪能な元外交官で、皇太子とは1993年に結婚した。その当時、彼女は、新しい日本女性の代表だった。

(14) しかし、あるとき宮殿で、彼女は、気がついたのだ。唯一つのこと、つまり男子の後継者を産むことしか、彼女には期待されていないことに。彼女は2001年に女児を出産し、それから長い鬱状態に陥った。「雅子のキャリアと人格を否定する動き」があった、と皇太子は、2004年に不満を漏らした。

(15) キャリアだって? 人格だって? と、これが、保守派を激怒させた。彼らは、日本女性なら誰でも子供を産み育てることに身を捧げるべきだと考えていた。雅子妃は、右翼の嫌われ者になり、特にその前の半年間は、多く出回っている出版物で絶え間の無い攻撃の標的になった。

(16) 保守派は、ジェンダーの平等、つまり日本人の所謂「ジェンダーフリー」の社会を促進する諸改革にも反対している。それ故に、他の先進国の女性と比べて、日本女性はほとんど経済的政治的実権を持っていない、ということになってしまう。

(17) しかし、彼女たちは、出産を左右する力を間違いなく持っている。だから、日本の落ち込んでいる出生率は、多くの女性が、男の子にせよ女の子にせよ子供を産まないことに決めつつあることを示唆している。