「神は細部にやどる」

2017-07-29 | 日記

      

今、東京の美術館でジャコメッティ展が開催されているという。僕も見に行きたいと思うが、事情で家を明けるわけにはいかないのだ。そこでジャコメッティ関係の蔵書のひとつで、昨年亡くなったイヴ・ボヌフォア(1923-2016)というフランスの詩人が書いた大部のジャコメッティ作品集を開くのである。この本は1993年に清水茂の訳で㈱リブロポート社から刊行されている。また、ジャコメッティ自身の言葉を集めた本に『ジャコメッティ・エクリ』(矢内原伊作・宇佐美英治・吉田加南子訳 1994年みすず書房刊)という本があるが、その中の対談での言葉をここに書いておく。

… 近代の芸術家の仕事の仕方はすべて絶えず逃げ去る何ものかを掴み、手に入れようとするこの意志のうちにある。彼らはレアリテそのものよりも、レアリテについて彼らがもつ感覚 (サンサシオン) を手中にしたいと思っている。… いずれにしてもすべてを手に入れることはできない … 手に入れうるものは外観だけだ。レアリテに残されているのは外観だけなのだ。或る人物が2メートル、或いは10メートル離れていると、私はもうその人物を実証的なレアリテの真実に帰属させることができない。私がカフェのテラスにいて向う側の歩道を歩む人々を見ると、その人々は、微小なものに見える。彼らの自然の身丈などはもはや存在しない。(略) 仕事をしていようといまいと、私は外観でしかものを見ない。何も違いがあるわけでない。家からカフェへ行くときに私が見る風景、見る木が毎日少し違い、それが私にとって新しいというように。戦争前には私は物には安定性があるという感じをもっていた。いまではもはやそんな感じが全くない。世界は日毎ますます私を驚かせる。世界は一層広大で、すばらしく、一層把握しがたく一層美しくなった。細部が、たとえば顔の中の目や木の上の苔のような微小な細部が私の関心をかき立てる。もちろん全体も。なぜなら細部と全体との間にどうして区別を立てえよう? 全体を作っているのは … 或る形の美を作っているのは細部に他ならないのだから。… (1962年6月、美術評論家アンドレ・パリノとの対話より)

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 雨上がりの朝 | トップ | “ 女性の勝利 ” »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事