夏の雲

2017-08-13 | 日記

梅雨が明けても一向にすっきりしない天候が続いていて、そのままお盆になってしまった。一昨日は森の奥に佇むお墓の草取りをして、苔むして緑色に色づいた墓石をマイ・ペットでゴシゴシ洗って来た。年に一度の墓の周りをきれいにして、杉の大木の鬱蒼と林立する藪の遠景の中に墓を眺めると、一年という時間の早過ぎる経過を実感するのである。そして昨日は、長岡の中心街に出てホテルのロビーにあるブロンズの写真を撮りに行った帰り、久し振りに立ち寄った本屋でこの『藤原定家全歌集 上下巻』を見つけた。奥付を見ると、発行日が上下巻共2017年8月10日であったからこれはとてもフレッシュな本なのだった。文庫本でこういうものが読めることはとてもありがたいと思う。下巻の裏表紙の紹介文に定家 (1162-1241) の歌が書かれていて、それは

          たちのぼり南のはてに雲はあれど照る日くまなきころの虚 (オホゾラ)

というのである。僕は勘違いをして「ころの虚」を「こころ(心)の虚」と読んでしまったのである。こころの大空であり心の虚しさである、という風に虚と実の世界を表現している定家という歌人は面白い、と思うのだった。虚は定家の言う虚空の虚であり、空という虚しい虚である。夏の虚空は青く深く、夏の白い雲は南の空に立ち上りそのボリュームを一層白くしている。真夏の虚としての白さと青さを、太陽という実 (じつ) がアマネクテラスのである。実に自然も、虚と実の交錯した演出に他ならないのである。光は影があってはじめて光が鮮明するのであり、真実も虚によってより真実性が迫るのである。歌は演劇性があることで深く人の心に迫って来ることもある。思い付きにて、一首書き置く。

      たちのぼる真昼の雲に色を塗る こころの虚空をそめにけり

 


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