ART&CRAFT forum
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◆橋本真之「切片群」ガラス窓に集いてⅡ の内、手前1994年(「かたちとまなざしのゆくえ」展)

2004年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 33号に掲載した記事を改めて下記します。

造形論のために『方法的限界と絶対運動⑦』 橋本真之

 「切片群」と「運動膜」

 「凝集力」の方向は、雲母状の薄片が乖離して、単に小さな銅片として散乱し始めるまで叩き続けたとしても、繰り返す造形行為の意味を、その先へ持久力をもって展開することは難しい。何とか散乱の一歩手前で立ち止まるだけで、この先には何も無いのだろうか?そうだとすれば、この散乱に至るまでの間に、見い出すべき運動展開を、あるいは結着点を捜しあてることに向かわねばならないだろう。しかし、この先は苦しい。この展開の方向を、最近になって、「凝集力・展開」によって見い出しはしたが、この膜状組織の呼吸と言うような成果を確実に成果として自己確認するためには、まだ数年の時を要するだろう。

 様々な展開の突破口を捜していた。出発を求めて、仕事場の隅に積み重なっている曲がりくねった銅板の切れ端を、戯れに金敷の上で叩いた。打ちすえた三角形の切れ端は、金敷の上で延展して鈍重な形の拡がりを示した。けれども、時として鋭い切れ端が金敷から飛びはねて、私を襲った。この危険な感覚が私をとらえた。様々な切れ端を打ち延べる試みの後に、直角三角形の銅片を立て、その直角の頂点を叩いた。銅片は初冬の陽だまりに乾燥した落ち葉のように丸まった。その両端の開口部の縁を叩いて閉じようとすると、そこに螺旋状にねじれた銅の曲面が顕れ出た。この艶めかしくも心踊る発見が、私を様々な切れ端で小さな空間を包み込むように叩く方向に導いたのである。私は、あらかじめ与えられた切れ端から、空間を包んだ様々な形態が顕われ出て来ることに夢中になった。巻貝のような形態、動物の角のような形態、蔓性植物のような螺旋をひきのばした形態、ドリルの刃のように危険な鋭い形態――様々な類型が出現した。ここに起きている事態が何事であるのかを、その時私は充分に理解していたのだろうか?確かに私は、あの瞬時に形態の発生する心踊る感覚に導かれてこそ、造形の意味を自覚する所にまで付き従うことが出来たのであった。金槌の一撃一撃の当たり具合で、曲面の方向が、あるいは表裏が瞬間に変わった。それは、切れ端の出来た時の、ちょっとした歪みが曲面の展開を方向づけるのでもある。「運動膜」の曲面に新たな銅板を付加して熔接する時に出て来るこれらの切れ端を、私は捨てることが出来ずにいた。1977年以来、今日に至るまで、銅の切れ端は仕事場の隅にうず高く積み重なって、行き場を失っていた。私はそれらの切れ端を片端から取り上げた。

 耐え難いほどの長い持久力を要する、それまでの「運動膜」の制作とは対称的に、瞬間に判断して即結果の出て来る歓びが私をとらえた。数ヶ月かけて一本の線を引くような、これまでの「運動膜」の制作に対して、危険な瞬発力が私をもう一方の徹底へと導いた。私は全てを渉猟しつくしてみようと思った。私はこれを「切片群」と呼んだ。

 様々な形態の「切片群」が出来て、仕事場の床にひしめき合って転がっていた。ある日、そのいくつかが互いに接触している様が、私の目をとらえた。その接触に新たな形が見えて来たのである。互いに接触している部分を真鍮鑞で接合した。事の発端はそのように始まったが、接合は新たな仕組と展開を呼び込んだ。この方向を「切片群接合」と呼ぶことにする。これはまだ密度も強度も持ち得ていないが、いずれ「切片群」の組織化に向かうのだろうか?「切片群」の展開は別の組織化をも呼び込んだ。箱の中に集めては互いの位置関係を固定する「切片群収集」である。この方向は少年時の収集癖を刺激した鉱物標本箱を思い出させる。仕事場の掃除機で集めたまま捨てることが出来ずにいた酸化銅や、仕事場の中の埃を樹脂で固めたものが、その箱の中にマテリアルとして侵入することになった。やがて、箱を離れて、廃棄物である「酸化銅」と「切片群」の接着のみで成立する形をとった。そして2003年には、ガラスに混入して「切片群」を包む形となるのである。この一連の展開は、まだ行きづまりが見えない。

 数百の「切片群」が様々な類型を出現させた頃、私には切片が出て来るその形の経緯が気になり始めるようになった。例えば球体が枕状に延びた形態を作ろうとして、正方形の銅版から円形の銅版を切り出そうとする時に、最も大きな円を切り出そうとするならば、常識的には正方形に内接する円を取るだろう。その時、四隅に同形の切れ端が出て来る。そうした切れ端から出来る「切片群」をいくつも叩いた後に、ある時、ふたつの切れ端がつながって出て来たことがあった。つまり、最初の計画で、ある大きさの正方形を切ったのだが、変更して少し円を小さくする必要が出て来たために、つながって出て来た切れ端なのである。その結果、つながった「切片群」が出来た途端、もしも、この四隅の切片が全てつながっていたら、どういうことになるのか?と興味を持ち始めた時、「切片群」が「運動膜」の形を動かし始めたのである。この一見些細な出来事が、私の作品世界を大きく揺さぶった。そうして、いくつかの「切片群」がつながったもの、すなわち「連切片群」(注)が出来ると、おのずと切片のつながりの形に強度を求め始める。つまり、正方形の銅版に内接する円を、半径で1cm小さくしょうとするのである。そして、次にはさらに2cm小さくしょうとするだろう。それによって、さらに小さくなった円形の銅版でつくる曲面のひと呼吸の在り方が、微妙なことだか変化するのである。小さな円による曲面のひと呼吸が短くなるということは、次につながる面を長くしてバランスを取ることになるだろう。あるいは短かい呼吸を続けることで、長い呼吸に替えることになるだろうか?あるいは、短い呼吸を続けた後に、ひどく長く苦しい呼吸でバランスを取ろうとするだろうか?しかし、これは私の造形上のバランス感覚の問題であって、誰にも納得できるように、明確に指し示せるような事例を持ち出すことが出来るものでもない。これは自ずと不随意筋によって鼓動しているような、私の目と手の内密な運動だ。しかし、確たる理由がなければ、目の前にある銅版の規格寸法に頼り勝ちな私自身の中の即物的感覚を、明らかに揺さぶり始めたのである。この明らかな意識化のないところでは、形は安易に流れ易く、悪くすると感覚的に慣れ親しんだ節度に左右されるままになるだろう。あるいは、なりわい仕事の手がツルツルになってしまう危険を避け難いものとなるのである。しかし、現在のようにそうした形態の質の違いの見えない目が横行している限り、いつまでも造形の質が問われることはないのだろうが、私自身にはそのことは格別のことだ。造形思考を自らの思想とする者は、ここに起きている内的な磁力を孕んだような運動感覚が、自らの形態を産むことになるのを知悉しなければならないだろう。この先は造形思考が言葉を見失い勝ちな場処だが、我々はこの先を自覚的に一歩一歩行かねばならないのである。

 私達はどこに向かうべきなのか?語ることの困難な質の問題が、あえて語られるのでなければ、造形の問題は様々な安易に就き易くなる。常套句で語れる程のことであるなら、あえて語る程のことではないのだ。このことを人知れず自覚しているのでなければ、いずれ出会う「目」に全てが見透かされるはずだ。密度を細かな神経の集積物であるかのように誤解しているのでは、工芸における上手物や輸出産業ものの醜悪さに気付かぬままだし、安直な手慣れを無我と間違えるようでは、確かに無我は無我だが、物が見えずに、単に言葉の綾に蹴つまづいているだけだろう。

 工芸論が新たな思想を産むとしたら、手わざの問題を物質と物質の間から自らの言葉を導き出して構築しなおすだけの力業が必要なのである。職人仕事のなりわいに意味を見い出すためならば、新たな工芸論・造形論は必要あるまい。かって起きてしまったことの、ヘドロじみた日常の歴史検証をしていれば良いのである。その事によって、無名の人々が浮かび上がることもあるだろう。それがヘドロじみた日常を歓びに変えることだろうか?その事の意味は何なのか?確かに、消え去った見知らぬ工人の手もとから見えて来るものが在る。おそらく、物が残るということは、そうした他者との邂逅を待つということであるに違いない。しかし、私達はもっと先に行きたいのである。私達は人間的次元の変革に加担しょうとしているのでなかったとしたら、この苦渋の中で何の歓びを待とうとするのだろうか?まとわりつく日常の腐った自我を振り切って、私達は自らを踏み石として、先に行かねばならないのである。

(注)「連切片群」1994年「現代美術の磁場」展(茨城県つくば美術館)で初めて発表した。


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