世の中ななめ読み

世間にはおかしなことがいっぱい。でも、ときには心惹かれる人・モノも。

分不相応

2012-02-23 08:22:28 | 社会

 内部告発は、正しい行いとして認められるようになった。
 だがそれはタテマエであって、実は暗い影が付きまとっている。自分の勤務先の不正を暴露することに世間は「裏切り」を嗅ぎ取るのである。組織の末端で「下働き」をしていた労働者が、ある日突然企業や役所を揺るがす行動を起こすことに、多くの人はなんとなく共感しにくい。大きな影響を及ぼす言動は、然るべきエライ人によってなされるほうが、見ていて落ち着けるらしい。
 光学機器メーカーの社長だった人が会社の粉飾を指摘した事件では、人々は裏切りという印象を持たなかったのではないだろうか。これがもし、上役からコピーを作るよう指示された書類のなかに損失隠しを見つけた平社員(そういう人がいたとして)が告発したのだったら、社会はどう受け取っただろう、と思う。
 数年前、有名飲食店の女性従業員が店の不正を公表したとき、彼女たちはそれを匿名でせざるをえなかった。名前を出したのでは次の職を探すのに差し支えると怖れたようだ。「そのように正義感の強い人に来てもらえば、社内に経営の監視役を配置するようなものだから、わが社の信用が上がる」と考えて歓迎する経営者が現れるとは期待できなかったのである。

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わが家の骨董品

2011-11-21 08:09:03 | 人間

 謡曲の本。 父親が使っていたものである。集まりで父親が謡を演ずるのを何度か聴いたことがある。和服に袴で威儀を正していた。父親の死後、母親は何冊もの謡曲の本を処分して、この1冊だけ残した。

 仏壇。 わたしが生まれる前からあったようだ。仮住まいに置くために「間に合わせに」買ったと聞いた。扉の取っ手はもう壊れている。父親は信仰心があったのだろうか、毎朝お経をあげていた。そういえば、お経の本も2冊残っている。この、古い粗末な仏壇は買い替える気にならず、位牌などを以前のままおさめてある。

 麻雀の牌。 中国製と思われる。父親が勤務先の人たちと楽しんでいた。娯楽の少ないころ、貴重だったのである。

 箪笥。 母親の嫁入り道具だったらしい桐の箪笥である。何回もの引越しで傷だらけになったが、まだ収納の役に立っている。

 皿。 わたしが子どものころ母親が買った直径25センチほど、縁に模様のある皿。町の陶器店で見つけて何度も通ったあとで買った。そのころは皿1枚買うのにもずいぶん考えたのだろう。25円だったので家族は「25円の皿」と呼んだ。

 タイプライター。 これは上の品々よりだいぶ新しい。わたしがむかし買ったオリベッティ社のポータブルである。原始的な手動式だから、パソコンと違って動きがすべて見える。

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ふつうに使えるペン

2011-09-20 08:00:52 | 企業

 いつも持ち歩くボールペンに2代続けて不具合があった。ひとつのペンは先端のネジがいつの間にか緩むのだった。もう1本のほうは、手で握る軸の部分が緩んだ。もちろんこんなちょっとした欠陥はその都度直せばペンとして使えないことはない。実際わたしはそれらのペンをかなりの期間使っていた。1000円か2000円の商品はこんなものだろうという気持ちもいくらかあった。だが、急いでメモをとるようなとき、小さな故障はストレスを引き起こす。
 ここ1年近くはステッドラー社のボールペン(シャープペンシル兼用)を使っている。値段は2000円ほどであった。これはトラブルがない。1本使っただけでそのメーカーの製品全部の信頼性が確かめられるわけではないが、手元のペンがいつでも楽に使えるので好感を持った。確実に作動する道具は、地味であっても、使い手を安心させるという効用を果たしているのだと思う。

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原発は検証されるかな

2011-06-02 08:55:52 | 社会

 福島の原子力発電所事故はどこまで被害が拡がるかわからない不気味さがある。しかし、「ただちに」人類が絶滅することはなさそうにみえる。原子炉をどうにか抑え込めた場合、原発にかかわる過去の政策と利権が究明され、関係者の責任が明らかにされるだろうか。(人類が「ただちに」絶滅してしまえば、こうした手間はいらなくなる。)
 仮に政府(今の)が「識者」を集めて調査委員会のようなものを設けたとする。「責任を問われるのなら、本当のことを語れない」「経緯は複雑で誰が悪いと決めつけられるものではない」「あの時はああいうふうに原発建設を進めるより仕方なかった」「原発に傾いていった当時の社会の空気に責任がある」「原発反対派がもっと強力に運動していれば原発はできなかったはずだから、彼らにも事故の責任はある」「うしろを見るのはやめて未来志向で考えよう」「こういう大きな問題は後世の歴史家の評価にまかせよう」・・・等々の言い分が大声や小声で飛び交ったあげく、うやむやのうちに幕引きを計るのではないか。
 「各方面に多大のご迷惑をおかけした」という記者会見くらいはいくつかの機関が開くかもしれない。事故はわたしのせいじゃないけれど組織の代表という立場上一応「心から」謝っておくね、程度の感じで。


 

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方向「性」とは

2011-02-16 08:25:31 | 言語

 「方向」と言えば済むところで「方向性」と言っているのをときどき見るので気になっている。政治家の発言でとくに目に付く。
 「方向性」という言い方自体には、抵抗を感じない。(数種の国語辞典を引いても載っていなかったが。)たとえば、「突然変異の起こり方には方向性はないが、自然選択の圧力のもとで、その積み重ねには方向性が生じ、それによって『進化』が起こる。」(竹内 啓 『偶然とは何か』 岩波新書)という文は変には見えない。「何らかの方向を持つという性質」を指しているからで、ここでは「性」があって当然だと思う。
 一方、「そういうことも含めて現在、農業の改革の本部をつくって進めているところでありまして、これからそうした農業改革の方向性が出てくる中で、先ほどご指摘のあった50%の自給率というものも両立できる方向性をめざしていきたい。」(2011年2月2日 衆議院予算委員会での菅直人首相の答弁 「赤旗」2月4日付による)という発言は、どうだろう。「性」を付けて重みを増そうとしているかのようでおかしい。方向も方向性も一緒にしてしまうのがわが日本語の方向なのだろうか。

 

 

 

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こんなに悩む裁判官がいる

2011-01-27 09:11:20 | 社会

 元裁判官の告白が新聞に載っていた。(熊本典道「裁判員の死刑判決 全員の合意まで熟考して」 「朝日」2010年7月28日付) 40年以上も前、地裁で放火殺人事件を担当したとき、法廷に出された証拠がずさんで熊本氏自身にはとても有罪と断定できない被告が、多数決で死刑に決まってしまい、判決文を氏が書くことになったという。
 上級審で覆ることを願っていたが、最高裁で死刑が確定した。熊本氏は今に至るまで罪の意識にさいなまれ続けた。そして被告の再審請求を支援する活動に加わることになる。
 裁判員裁判が行われるようになって、裁判員の精神的負担がメディアで伝えられることがある。ふつうの市民が人を裁くことにかかわるのは、たしかに、たいへんな重圧に違いない。
 しかし、職業裁判官の負担も大きいことが熊本氏の文章からうかがえる。苦悩を味わっている裁判官は多数いるのではないか。熊本氏を苦しめたこの「袴田事件」を扱った検察官、地裁から最高裁に至る何人もの裁判官はどうなのだろう。
 警察や検察のシナリオに乗せられて無実の罪でひっそりと処刑された人は、広く知られる数々の冤罪事件のほかにもいるのではないか、という恐ろしい想像が迫ってくる。
 

 

 

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淡きこと水の如し

2010-11-23 08:33:02 | 人間

 長年の友人Yさんと会うときには待つ必要がない。約束の時刻ちょうどに会えるので、時間が無駄にならないだけでなく、気を揉むことがない。彼と話す機会をわたしはいろいろな意味で大切にしている。Yさんと会うのは、しかし、頻繁ではない。最近は年に2〜3回である。
 Yさんと旅行をするようになって約20年になる。一緒に旅行すると仲が悪くなる例がよくあるらしいのに、このように長く続いているのは、第一に彼の人柄による。また、適当な距離を保っているからでもあると思う。ホテルの部屋は別々にするし、旅行中、別行動をすることもある。もちろん、旅はいつもこの2人で行くというような排他的な間柄ではない。
 振り返ってみれば、Yさんとの交流はなんと「君子の交わり」に近い。人との関係では濃い付き合いが貴重な場合もあるには違いないが、Yさんとのあいだには、おだやかな親しみがあると感じている。

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沈澱していた過去

2010-10-27 08:34:49 | 人間
 「矛盾か矛盾でないかは見方による。矛盾していると言うから矛盾になるのであって、矛盾と思わなければ、矛盾ではない。」
 ある人の言動が矛盾していることにわたしが不満を洩らしたとき、母親はこう言った。寝たきりになっていくらかボケも始まっていた母親の口から哲学者のような言葉が出たのでびっくりした。母親の脳の回路に突然スイッチが入ったようでもあった。
 どうしてあんなことを言ったのだろうか。頭にずっとひっかかっていたが、母親が亡くなって何年も経ったころ不意に思い当たった。「矛盾」は、母親にとって嫌な出来事を思い出させる単語だったのだ。
 あの発言の20年以上も前、まだ健康だった母親が、日ごろ言っていたのと完全に矛盾する行動に出てわたしを不信に陥らせたことがあった。激しい感情を投げつけてきて、わたしは暗い気持ちになった。自分の母親の姿として見たくない光景であった。
 この確執が母親の心に重く沈んでいたのに違いない。矛盾についての言葉は、一般的・抽象的な話ではなかったのだ。
 「あの自分の行動はもともと矛盾ではなかった。矛盾しているとお前が取ったから矛盾になったのだ。」母親はこれを言いたかったのだろう。
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抑止力

2010-07-19 08:32:26 | 社会
 アメリカ軍の基地が日本からなくなる日がきたら、侵略に対するわが国の抑止力は格段に強くなる、と思う。
 アメリカの軍事基地が撤去されるとすれば、それはおそらく、日本人が撤去を明確に要求した場合だ。具体的には、日米安全保障条約をやめると米国に通告することになる。この通告によって1年後に条約は終了する。当然、条約に付属する日米地位協定もやめる。そういうことが起ったら、日本は外国軍に特権を認める国ではないことを世界が知るだろう。
 それでも、どこかの独裁者がわが国を支配しようと考えることはあり得る。しかし、こういう固い意志を持った日本国民を従わせるのは、きわめて困難だろう。なにしろ、「超大国」アメリカでさえ日本を従わせる不平等な関係を続けられず、基地を閉鎖したのだから。
 国を守るにはアメリカ軍にいてもらわなければならない、という、不動の真理のように政府が宣伝している考えを一度疑ってみよう。
 平和は、ただおとなしくしていれば維持できるというものではなく、したたかな外交の力が欠かせない。だが何よりも、従属に甘んじないわれわれの意志が大事だろう。
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感傷旅行

2010-06-26 07:42:16 | 人間
 本籍地を訪ねることにした。それは、わたしの今の住所からかなり遠い。かつては父親の生家があったはずである。わたしはそこで生活したことがなく、訪れたのは幼いころ、それもせいぜい数回だったので、かの土地のことをまったく知らない。どんな家だったのかもわからない。ひとつだけ記憶にあるのは、その家で祖父が亡くなったときの様子である。わたしは5歳くらいだったが、その場面をはっきり憶えている。
 父母やわたしが長い時間をかけて深夜に着いたとき、祖父は意識がなかった。枕元で父親は「○○(父親の名前)です。○○が帰ってきましたよ」と何度も呼びかけた。
 先日行ってみると、一帯は静かな農村だった。目指す番地のすぐ近くまでは行けたものの、本籍の場所は正確にはつきとめられない。何軒かのお宅で、昔こういう名前の家があったこの番地をさがしているのですが、と訊いたが、それを知っている人には会えなかった。分筆・合筆などがされて、以前の地番がなくなっていることも考えられる。登記簿や公図を見ればわかったのかもしれないが、その日は休日だった。
 いずれにしてもこの田舎で父親が生まれ育ったのは間違いない。わたしが今回歩きまわった道を若いころの父親も歩いたであろう。
 ふだん「ルーツ」というようなことに関心のないわたしとしては、特別な旅であった。
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