旧 自分ブランド「COMME des KAORI」

私が他の誰でもない私になるために・・・
独立系FPを目指す私の成功ノート

努力できることが才能である

2009年11月06日 | 自己啓発

こんばんは、aroma@CFP(R)です
11月に入るや否や急に冬型の気圧配置になり、地元では800m程度の山も冠雪しました。
こうなると朝が辛いですね。寒くていつまでも布団でぬくぬくしていたい
今年の始めは12時就寝・6時起床のリズムを作ったはずなのに、最近では7時間以上・・・マズイ
これでは勉強できません。

ちなみにここでいう「勉強」とは資格試験など狭義の意味ではなく、いうなれば、自分には何ができるのか、何に向いているのか、どういう人間なのか、そこからミッションを見い出し、豊かに自分らしく生きていくための生涯学習です。
そこまで分かっておきながら、ついつい「もうちょっとだけ・・・
おかげで現在、積読本がすごいことになっています
朝の時間を仕組み化すること、急務ですね。
(でもたくさん寝ているのでお肌はいい感じ〜

昨日の地元紙の夕刊に、「努力と才能」と題したコラムがありました。
昨日の昨日で早くもヤンキース・松井秀喜選手についての分析かと思いきや、1024日に東京のサントリーホールで日本デビュー・ピアノリサイタルを行った12歳の天才ピアニスト・牛牛(ニュウニュウ)くんに関するものでした。

中国の福建省に生まれた「神童」は、20097月にEMIクラシックスからアルバム『ニュウニュウ(牛牛)プレイズ・モーツァルト』でデビューしたばかりで、大阪のザ・シンフォニーホールとこの東京のサントリーホール大ホールを満杯にしただけでも快挙ですが、演奏はそれを上回る充実ぶり。2時間以上にわたるステージを、たった一人のソロ・ピアノで堂々演奏し、客席から真の歓声を受け、終演後には500人の熱心なファンがサイン会に列を成しました。早くも再来日公演として「ジャパンツアー2010」の開催も決定!2010131日の長野・松本文化会館から、大阪、愛知、東京、そして北海道をまわります。(CDジャーナル)

動画、ご覧になりましたか
12歳とは思えない堂々たる演奏ですね。ピアノの旋律が1つ1つ、珠になって弾けてきます
私も一応、5歳から12歳までエレクトーンとピアノを習ったんですが、才能がありませんでした
まず練習が大嫌いで、特に短調の曲はほとんど弾かないまま先生のところに通っていました。先生は、「あなたは長調しか練習しないのね・・・」と呆れていましたが。
それもそのはず。
私は楽譜を読まずに、最初に先生が弾く模範音を耳で覚え、感覚で真似ていたので、すぐに気に入るような楽しいリズム、明るい音階の曲しか出来なかったんです・・・。

ここで牛牛くん、リサイタルプログラムに神童ぶりを現すコメントを掲載してます。
才能と努力の割合について、「9割が努力で、1割が才能でしょうか。」
英才教育を受ける環境にあったとはいえ、若干12歳が述べるコメントには思えません。それだけ毎日毎日練習を続けてきたのでしょう。
12歳の少年から、続けることの大切さを改めて教えられました
そして、私は「ピアノの才能がなかった」というよりもむしろ、「努力するだけの才能がなかった・・・」ということなのかもしれません。
自分で書いていてイタイっ

今日の朝刊はどの紙面も1面に松井秀喜MVP」の文字が躍っています。
松井の6打点の活躍でヤンキース9年ぶりのワールドチャンピオン
どんな記録よりも欲しかったものを手に入れた瞬間です。移籍から7年間、一心に優勝を願い続け、契約切れの崖っぷちで結実した思い・・・。
今季、ひざの故障を抱えながらも、持ち前の勝負強さで責任を果たし続け、その末につかんだゴール
カッコよすぎる

よく、松井とイチローは比べられます。
イチローは天性の天才だが、松井は努力の天才だ、などど・・・
これが正しい評価かはわかりませんが、世間はこう見ています。

松井の座右の銘には、「努力できることが才能である」というものがあります。
画家の硲伊之助(はざまいのすけ)さんの言葉だそうです。
この言葉を気に入った松井のお父さんが、紙に書いて息子に渡し、それ以降、松井は自分の部屋に貼っていたといいます。
(父と息子とはそういう関係にあるのですね、うらやましい

努力できることが才能なんだ

松井の英語版の伝記の表現では、
Trying hard is an ability.」

恐れ入りました・・・

では明日から、私も「努力の人」になります
・・・ってなわけにはいかないので、 

まずはを変えること、そうすれば態度が変わります。
態度が変われば、行動が変わります。
行動が変われば、習慣が変わります。
習慣が変われば、人格が変わります。
人格が変われば、運命が変わります。
そして運命が変われば、最後に人生が変わります。

(よく聞く名言です。これは、ウエイン・W・ダイアー氏や蓮沼門三氏の言葉として引用されることが多いですが、元をたどればヒンズー教の教えのようです。)
つまりは、自分を変えたければ、気持ちを変えることからスタート

さっそく明日から、「早起き」ですべてがうまく回りだす
・・・「朝4時起き」は無理だとしても(笑)

絆(きずな)

2009年11月02日 | 趣味

11月に入りました。
今年も残すところあと2ヶ月・・・
晩秋は全てが散ってしまう切なさが身に沁みてあまり好きではないのですが、
いい週末を過ごせたので今朝の選曲は
C.Palmer
Goody-Two-Shoes」
これを聞くと、新婚さんのラブラブな朝ごはんを想像してしまいます。
だから今日は天気予報が雪マークでもHAPPY

またテンプレート変えました。
寒くても南の島気分でお届けいたします。
ちなみに10/31はテンプレートだけハロウィンにしていました。
一度変えてしまうと、気分次第で抵抗なくコロコロ変えてしまいます。性格だわっ(笑)

ハロウィンなので、かぼちゃプリンを作りました。
もちろん今年我が家で収穫したかぼちゃで
今回はかぼちゃをふかすところから全部圧力鍋でシュンシュンやりました。
でも電子レンジと違って温度が高くなりすぎてプリンにすが入ってしまいました・・・ムズカシイ

こだわりといえば、白砂糖は使いません。
普段から体によくてコクのあるキビ砂糖を使っています。
糖度が高いので使用量も減らせます。
さらに今回はかぼちゃがほくほく甘かったので素材の味が分かるように少なめにしました。
が、ちょっと淡白すぎたので急遽ホイップを乗せてみました。
そして庭からミントを摘んでくると、ほら、それらしくなったでしょ

もう一つ、チョコレートブラウニーを作りました。
トッピングはくるみだけが多いですが、今回は福島産のレーズンをラム酒につけて混ぜました。
チョコレートもカカオ度の高いクーベルチュールと、小麦粉を減らして純ココアを増やしたのでちょっと大人なブラウニー。
味は・・・ご想像にお任せします


そういえば、ドイツ・ハイデルベルグでかぼちゃの写真を撮ってきました。
写真の整理が全然進んでいませんが、こんなものまで撮ったのという1枚です。
どおりでトータル1000枚超えるわけですね・・・。


さて、挨拶が遅くなりました、aroma@CFP(R)です。
10月・11月は、仕事柄イベントが増えます。それに伴い、広報活動が活発になります。
おかげで先月は新聞社と全面広告の打合せ続きでした。
今年は読み物ではなく特にイメージ戦略にこだわって、サッカーJ1モンテディオの選手やバンクーバー冬季オリンピックに出場する地元選手などを起用したアイデアを出していったのですが、最終的にスポンサーの許可が得られず断念。無難にポスターに落ち着いたわけです。
肖像権が絡むと大人の事情が発生して難しいですね・・・(こうして社会は成り立っているわけですが・・・)
そんなこともあり、最近は新聞広告に目がいってしまいます。


こちらの画像は2009年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」結果よりお借りしました。
「さみしくなったら、おヘソを見よう。」
これは最優秀賞に輝いた堤藤成さんの作品です。
ふふふ、何だか愛おしいですね。たった一文でみごとに家族の絆を言い表しています

〔受賞コメント〕
10
月に誕生する堤家のベイビーの存在なくして、絶対に生まれなかった案です。人のカラダは、使わない部分はだんだんと退化していくはずなのに、生まれる時にたった一度しか使わないおヘソが一生消えないのはなぜだろう、という会話からはじまりました。人は孤独なときほど、絆を感じたいものです。大げさなことではなく、おヘソを見るというちょっとした行為が、そのきっかけになればと想いを込めました。すばらしい賞をいただき、ありがとうございます。毎年この季節になると集まるこの3人で受賞ができ、大変うれしいです。たとえこの先さみしさを感じることがあっても、おヘソを見ることで思い出せる、素敵な絆の記憶がもう一つできました。

先日ブログに書いた言葉ですが、自分を産んでくれた両親がいて、そのまた両親がいて、さらにまた両親がいて・・・わずか一つがかけたとしても自分の命は成り立たない。いただいた命に感謝すること。
小さいころ、親にへその緒を見せてもらったときに、不思議な気持ちになったことを思い出しました。

81回アカデミー賞外国語映画賞および第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品を受賞した「おくりびと」もまた、死から生を見つめ、ラストでは親子、夫婦の絆、命の繋がりを考えさせられます。

「おくりびと」
アカデミー賞作品とあってかなりの人が見ていると思うのであらすじは書かないが、主演の本木雅弘さんと山崎努さんのスムーズな手の動きに思わず見とれ、また、納棺師とはなんと素敵な仕事だろうと思った。
監督は人間ドラマを得意とする滝田洋二郎氏、脚本は放送作家で「
もったいない主義不景気だからアイデアが湧いてくる!」などの著作でも有名な小山薫堂氏が手がけている。
また、最初のオーケストラのシーンにはのだめカンタービレで千秋に指揮を教えている山形交響楽団の飯森さんが登場。短いシーンであったが・・・私もぎっくり腰にならなければここにエキストラ出演するはずだったのになぁと恨めしく思うのであった()
ただ、ちょっとここで泣かせようという魂胆が見える不自然なショットが気になった。

これは沢木耕太郎さんが講演会で言っていたことなのだが、
「役者はいいが、シナリオが悪い。妻の美香があのシーンで離婚すると言い出すのがおかしい。演じた広末涼子さんも美香の気持ちが理解できなかったと言っていた。登場人物からみてやりそうもないことをやってしまうシナリオはだめだ。また、石を持ってかけつけるのもおかしい。こういうことは脚本家が見ている人を信じていないから起こる。もちろんこれはアカデミーを受賞したから言うのだが()」と言っていた。

これに対して絶賛していたのがクリント・イーストウッド。
沢木さんいわく、「彼は、あの人はこんなことはしないだろうということさせない」らしい。私も、「ミリオンダラーベイビー」や「硫黄島からの手紙」などイーストウッドの作品はいくつか見ているが、結構いい話を書く
そして今年春公開されたのが「グラン・トリノ


〔あらすじ〕
朝鮮戦争の帰還兵ウォルト・コワルスキーはフォード社を退職し、妻も亡くなりマンネリ化した生活を送っている。彼の妻はウォルトに懺悔することを望んでいたが、頑固な彼は牧師の勧めも断る。そんな時、近所のアジア系移民のギャングがウォルトの隣に住むおとなしい少年タオにウォルトの所有する1972年製グラン・トリノを盗ませようとする。タオに銃を向けるウォルトだが、この出会いがこの二人のこれからの人生を変えていく…。

シンプルなストーリーながら、細かいところまで行き届いた、さすがイーストウッドという深い作品だった。
アメリカの人種問題、希薄な家族関係、自身の偏見、過去の戦争体験の葛藤の中で、最後に主人公が選んだ問題解決の方法が、悲しいけれど、暖かさをもたらし、見るものの胸を打つ。
ヒューマン好きにはお勧めの1本だ

今夜はみぞれ模様でだんだん冷えてきたので、今日はこの辺で。
今日こそFPの講演会のアウトプットをしようと思ったのに、やはり「楽しいことはお代わり自由」な私です。
でもこれが私なのでこれでいいんです(笑)

和田裕美さんの言葉より、
Today is another "Yokatta" day.
今日もよかっただらけの1日でした。

「読書週間」うちどく(家読)のススメ

2009年10月28日 | 読書

友達が週末旅行に行ってきたとのことで、いただきました八海山
うぃ〜っ、五臓六腑に染み渡るぜぇ

こんばんは、aromaCFPRです。
最近割りとマメに更新しています。精神活動が活発なようで、アウトプットしないとお腹かが膨れてしまうから()
ちなみに精神活動とは、人間が最も進化した脳の大脳前頭連合野(前頭葉)が創生する心の活動のことをいいます。分かるようなわからないような・・・()

またまたブログについての悩み(?)です。
以前から言われていたことですが、このブログ、私のプライベートがよく見えるんだそうです「そんなに赤裸々に書いて大丈夫」と言われますが、私にはこれが普通なのでどの辺がヤバイのかわかりません()
基本的にどこにいても私はこのままなので、そんなふうに心配されると、急に恥ずかしくなってしまって、しばらく過去ログを読み返してみました。・・・が、やっぱりわかりませんでした()

それでも私なりに掲載ルールがあって、それは将来に繋がるような「重要だけど緊急じゃないこと」で構成することです。なので、本当はすっとぼけな私の一面や、人間関係のスッタモンダはmixiへ、と住み分けを図ってきました。
ところが最近それも怪しいんです。だんだん外部ブログに慣れてきて、登山の話や友達の話、ヤラカシタ話まで披露したくなってしまって・・・。お蔭でmixiは、マイミクからダイレクトな反応が欲しい場合と、旅行の写真を一気に取り込む時くらいしか使わなくなってきました。あ、それとコミュニティへの参加のためですね

これは私だけではないようです。
今年の夏くらいからでしょうか、つぶやきの
Twitterがメジャーになってからというもの、mixiへのログインは随分減ったと聞きます。私はこれ以上メディアが増えると煩わしくなること、目の前の出来事をつぶやく時間があるなら、その分自分の頭を使って考える方に回した方が効果的だと思うこと・・・、などの理由でまだ始めていません
ただ、つぶやいた疑問が早く解決するというメリットはあるかもしれませんね。最近はtwitterをまとめただけのブログが増え、「またか・・・」とうんざりして読まないことも多いですが、ビジネス書作家がこぞって推奨しているところを見ると、それだけ魅力的なサービスなのでしょうね。関係書籍も多数発売されているようですので、少し覗いてみようと思います。

さて、昨日10月27日は何の日かご存知でしょうか
「文字・活字文化の日」だそうです。新聞を読んでいて初めて知りました。
そしてこの日から
「読書週間」(〜11/9)が始まります。初日は各社で特集を組んでいましたね。

朝日新聞「絆深まる家族の読書うちどく(家読)」」として、家族で同じ本を読む、読んだ本で話す、感想ノートを作る、本棚を共有するなど、読書を通した家族のコミュニケーションを紹介。これらは家の親が教育の一環としてやっていた方法でもあります。大人になった今でも続いていますが・・・
そのほか、思わず夢中になるミステリー小説特集や、各地で開催されている「読書会」が紹介されています。以前日経でも、mixiで呼びかけ30代を中心に活発な活動を行っている読書会が取り上げられていましたが、ここでは高校生から最高齢98歳までが登場します。また、映画「
ジェイン・オースティンの読書会」のようにお酒も楽しむ社交場となっているアメリカの読書会事情が掲載されていました。

読売新聞は、「読書とスポーツ」として、元マラソン選手の増田明美さんと直木賞作家の森絵都さんが対談していました。ジョギングをする森さんの写真はラン主人公の環(たまき)を彷彿とさせます。ちなみに「ラン」を読むと無性に走りたくなります
その他に伊集院静さんや斎藤孝さんなども読書歴について語っています。余談ですが、先日、ネパールに旅行に行った友達が日本語教室で入手したという宿題を見せてもらったのですが、長文読解に斎藤さんの著書が使用されていました
河合隼雄さんのもありました。すごいですねぇ。そしてその宿題は普通に難しかったデス・・・

日経新聞は「ビジネスブックマラソン」でおなじみの土井英司さんが「今読むべき本」と「読書の作法」を説いています。
土井さんは量に触れることで、物事の「根っこ」が見えるとして、読書の目的を「トレンドを読む読書」、知っている事象の本質をより深く理解するのに「役に立つ読書」「教養のための読書」の3つに分けて説明。そのためには、読書に「自主性」はいらない、日ごろ手に取らない本を読んで自分の世界を広げようと述べていました。
さすが年に1,000冊以上のビジネス書を読むだけあって説得力が違います

今年の読書世論調査によると、この1カ月本を1冊も読まなかった人は53%だったそうです。これはこの質問を始めた1980年以降最多だった2002年の54%に次ぐ高い割合で、「本離れ」が目立つ結果。本を読まなかった理由(複数回答)は、「時間がなかった」が最も多く、次いで「読みたい本がなかった」、「本以外で知識や情報を得られる」、「読まなくても困らない」だそうです。(毎日新聞より抜粋)

本当に読む時間ってないのでしょうか
私は昼休みと寝る前は何かしら読んでいます。読んでいるから偉いことは決してないですが、カバンにも常に本を入れておかないと落ち着きません。
時代は不況で貯蓄はなかなか増えませんが、それでも今のキャリアを維持していくためにも、給料の5パーセントくらいは資格の勉強や読書など自己啓発のための投資にまわすべきなのではと考えます

来年は国民読書年だそうです。
「読む時間がない」と胸を張って言わないで、「読書週間」くらいは本で知的財産を増やすのもいいのではないでしょうか。
私は先週は、「整理HACKS!」「マインドマップ資格取得勉強法」「般若心経」などを読みました。変なラインナップ・・・
また、時間がある日は、朝日・読売・日経・地元紙の4社分の新聞を横断的に読んでいます。
こうして書くと勉強家みた〜い

皆様も是非、秋の夜長に読書
今年は夫婦で、親子で、恋人同士で、うちどくいたします

皆さんのお蔭です+ノムさんお疲れ様!

2009年10月26日 | アイデア


今朝起きたら、コンタクトがヒトデになっていました、aroma@CFP(R)です
どうやら保存液に付け忘れてそのまま寝ちゃったんですね、カピカピ・・・
きのこ採りで疲れちゃったものですから・・・

先日、ブログの文字が小さくて読みづらいというご指摘をいただいてから、
あれやこれやと試行錯誤しています。

これまでは私のブログ仲間と同じくらいの大きさで書いていたのですが、
確かに小さいかもと思って、
次にこのくらいにしました。

でも、下書きでは大きく出るのに、アップするとなぜか小さくなる・・・。
なんで〜
ただし、私のブログは割りと長いので、大きい文字にするとスクロールがたくさん必要になります。
だから小さくしていた、ということもあるのですが、この際「簡潔に書く」訓練をすべきかなぁとも思ったり・・・。
安定するまで今しばらくお付き合いください

このブログは今年の2月から始めました
特にgooは設定が簡単なので初心者向けということでお試しとして作成しました。
しかし慣れてくると細かい設定ができなかったり、字数制限があったり、アフィリエイト広告が付けられなかったり、なかなか思うようにいかないことも多々あり・・・。
何度か引越しを考えて、FC2も立ち上げたのですが、gooに比べて絵文字やテンプレートが可愛くなかったり、結局は慣れるまで時間がかかるので、得意の「まっいっか」で続けています。

そして気が付けば9カ月が経ちました
これもひとえにいつも読んでくださる「あなた」のお蔭です

中でも、始めるきっかけをくださった東北カツマーの皆様、
モチベーションを持続できるようにと最初の1月ほど毎日コメントを付けてくれたbookwormさん、nenjyu-mukyuさん、
記事を見て私の様子を気にかけては携帯にメールをくれる友達、
たまたま検索していたら引き寄せちゃいましたとコメントをくれるブロガーの皆様、
本当にありがとうございます

最初はなんでブログをやるんだろう・・・と半信半疑でしたが、4月にはブログが「整理」と「定着」に有効と振り返り6月に最大の効果は「気づき」だと確信し、今では自分のアウトプットの場としていいポジションになりつつあります。

また、行動として変わったこともあります。
一つは、やたらと写真を撮るようになったこと。
目にしたもの、耳にしたものを記録として残しておきたいという思いが強くなるんですね。
その辺でデジカメ片手に散歩している方をみつけたらほぼ間違いなくブロガーさんでしょう。
今日のご飯まで撮るようになったら重症です。
ヨーロッパではさんざん撮影しましたが、帰ってから見るとそんなに珍しいものを食べていたわけではありませんでした

もう一つは、行動するときにテーマを持つようになったこと。
読書をするにも繋がりや目的を意識するようになったり、旅行は楽しむだけではなくテーマがあることでニュース性を帯びたり。
もともと私の登山のスタイルは目的別に山を変えたり、登り方を変えたりするので、他の行動にもすんなり応用できたように思います。
あちこちかじった知識からしても、目的を明確にして読書をしたり、テーマをもって出かけたりした方が、脳への刺激は格段に上がるようですね


さて、試験関係が終わったら「美」に目覚めるべく土曜日は「ヘナ」をしてみました。
ヘナってご存知ですか。ヘンナとも言います。
女性でも健康に関心のある方しか耳にしたことはないかもしれませんね

ヘナとは、インド北西部に自生する低木植物で、その葉は昔から染料、殺菌効果のある薬や呪術的なものとして用いられてきました。現在は、自然ベースの安全な染毛料、髪のトリートメント剤として欧米をはじめ日本でも広く利用されています。また、敏感肌・アトピー等で今まで毛染めができなかった人でも安心して使用できます。

ヘナの成分が毛髪のケラチンに絡んで髪の表面を守るようにコートして傷んだ髪などにトリートメント効果が得られ、髪にコシや艶が出ます。また、紫外線や空気の汚れなどから髪を守ることもできます。細い髪やヘアダイで傷んだ髪が丈夫になります。さらに、ヘナには肌の脂のバランスを整える働きがあり、脂分の分泌を抑え頭皮状態を改善させ発毛・育毛などの効果があります。

ヘナは白髪部分だけが染まり、黒髪はやや色味が明るくなることがある程度で基本的には色は付きません。染まる色の色合いや濃度は粉の品質や染める人の髪質等によって微妙に異なりますが、基本的にはオレンジ系の明るい茶色に染まります。このため、ヘアダイなどで染めたときのように髪全体が同じ色で染まる不自然な感じはなく、白髪が目立たず自然な感じで染まります。

美容院では普通のヘアダイよりも高く、取り扱い店も少ないので試したことはなかったのですが、最近月一くらいで通っているお気に入りの美容室であれこれ話しをしていたら、「生協の通販とかでも出に入るらしい」という情報をゲット
通販は利用したことがないので、早速生協に行ってみると、ありました〜

これなら家庭で誰でも気軽に使用できます。長時間つけたまま放置しても髪の毛のトリートメント効果や色の定着度がアップするので、私は3時間近くつけていました。
橘玲さん臆病者のための株入門」を読みながら・・・(書き込み遅れててすみません

結果は、なかなかいい感じ
においがお茶や干草みたいでちょっと食べたくなります。
自然のものなので流すときも浄化槽への負担が少なくて済みそうなことも嬉しいですね
色が落ち着くまでは2・3日かかり、最初は少しきしむとのことでしたが、全然大丈夫でした。
私はヘナ100%を使用しましたが、白髪が多い方は赤褐色になるのでマメ科の木藍が配合されている方がお勧めです。

実は、ここ2・3年ほど部分的に白髪が出てきて悩んでいたんです
でも白髪染めは体や皮膚に悪そう・・・それで美容師さんに相談してみました。
美容師さんいわく、「若白髪は確実にストレスが原因。ストレスがかかると髪の毛を黒くする成分を毛根に注入する働きができなくなってくる。だけど、ライフスタイルからストレスの原因を見つけ出し、それを解消すれば35歳位まではまた働き出すから大丈夫」とのことだった。
現在はほとんどストレスのない生活をしているつもりだけど、1日中パソコンと時間が空いたら読書する生活は、どうしても目が疲れて肩が凝り血の巡りが悪くなる・・・痛し痒し
これからはぐっすり睡眠と、適度な運動と、安全で美味しい食事で、健康美を目指します


そうそう、「株入門」はまだ途中ですが、2006年1月に明るみに出たライブドア事件を検証しながら、「ホリエモンは資本主義そのもの」と解く第二章はナルホドだった。
ホリエモンが逮捕されたとき正直何の容疑がわからなかった私でしたが、東北人としては当時「近鉄を買収したのが三木谷さんでよかった・・・」と思いました。懐かしいですね

あれから4年間、野村監督はボヤキ続け、弱小楽天がついに2位そしてクライマックスシリーズ第二ステージまで戦ったんですから本当によくやったと思います
意思を尊重して中1日でマウンドに立った岩隈が被弾し、悔しい最後になってしまいましたが、監督は「感無量。声援は野球や冥利に尽きる」と言っていました。
そして、「人間、何を残すかで評価が決まる。人を残すのが一番。少しぐらいは野球界に貢献できたかな」とのコメントが印象的でした。
野村監督、お疲れ様。そしてありがとう

蛇足ですが、ホリエモンが「プロ野球買います!」と手を挙げなければ、きっとソフトバンクホークスも楽天イーグルスも存在していなかったのかも・・・。「ホリエモンは株式市場というバーチャルなゲーム空間が生み出した類まれなるキャラクターだった」(本文より)んですね。


本日も、全く簡潔ではない、思いついたままのブログとなってしまいました。
これに飽き足らず、今後ともよろしくお願いいたします

一切は空

2009年10月24日 | 自然


こんばんは、aroma@CFP(R)です
(今夜もちょうどいい文字サイズにできませんでした。なんでかなぁ・・・。読みにくい場合は、右モジュールの「文字サイズ変更」を「」にしてください。)

先程、部屋で読書をしていたのだが、にわかにが変化したことに気づき、外に出てみた。



この空をなんと表現したらいいのだろう。
何かが生まれくるような、でも一方で吸い込まれてしまいそうな、不思議な色。
しばらくの間、さまざまに織り成し、刻々と形を変えてゆく雲を眺めていた

さっきまでは丸かったのに、細くなって、あっという間に消えていく。
次の瞬間には、どこからともなくやってきて、ひと時も同じ姿を保っていない。
こういう自然現象を見ていると、この世の中には「絶対的なもの」なんてないのではないかと思ってしまう。

中学のときに「唯物論」というのを初めて聞いた。
これは「唯心論」の反対語で、事物の本質ないし原理は物質や物理現象であるとする考え方や概念をさす哲学的立場である。
美術の先生が教えてくれた。ここから、観念論、唯識など、中学生の時分に理解できるわけもないのに何時間も話が続いた
つまり、授業の後や、放課後に、その先生からよく呼び出しを受けていたのである。言っておくが問題児だからではない。
今思えば、ひいきなのであるが、当時の私としては少々迷惑だった。友達を待たせなければならないし、本をもらってくると不審がられるし、だいたいいい年した学年主任の男の先生がまずいでしょ
でも貰った本は今でも書棚においてある。
手塚治の「火の鳥」全巻に、「ガラスの地球を救え〜20世紀の君たちへ」、「マザーテレサ」もよかった。その他に、雲の変化、きのこの識別、宇宙の話・・・観念的で理想主義の変わった先生だった。元気にしているかなぁ・・・

変化する雲を見ながら「唯物論」は私のスタンスではないなぁなどと思い出してしまった。同時に考えたのは、

「色即是空  空即是色」

この世に存在する形あるもの全てに永遠不変などということはありえない

すべては固定的ではなく、流動的なのだ。
自立的ではなく、相互依存的なのだ。
絶対的ではなく、相対的なのだ。

だから、束の間の存在にあれこれとこだわったり思い悩んだりするのは馬鹿馬鹿しいことなんだ。

しかしこの世に存在するもの全てが束の間だからこそ、さっきまで存在していたものが滅び去った次の瞬間に、また様々なものがこの世に生じてくる。

しかもそれれは無数の原因と条件が寄り集まって生じてくる。たとえ同じ素材でも原因や条件が異なれば全く別のものが生じてくる。

これは雲だけの話ではなく、人間も同じなのだ
この世に生まれてきた自分という存在は、あと何年生きられるという確信もない、そしていつかは必ず滅び去るかげろうのような存在だ。

しかし、無意味に生まれてきたわけではない。
無数の様々な原因と条件がより集まって生まれてきた。
つまり、生まれる意味があったからこそ、生まれてきた。
今生きている自分とは、奇蹟のような尊い存在なのだ


自分を産んでくれた両親がいて、そのまた両親がいて、さらにまた両親がいて・・・わずか一つがかけたとしても自分のは成り立たない。

たとえ束の間であってもそのような命をいただいて生きている私たちとは、なんとありがたく素晴らしい存在だろう。
しかも、他の人間だけではなく、この世を成しているすべてのものたちと深いで結ばれて、助けたり助けられたりしながら生きている。その絆を大切にして全ての命に感謝していこう

では、自分が今、この世に産まれ、現在生きている意味は何なのか
それは私でなければ果たせない自分だけの役割を果たすため。自分以外の他者と、人間以外の無数の命のために何ができるのか

そのことを決して忘れてはいけない。

こだわりを捨てて生きること。
いただいた命に感謝すること。
自分の役割を果たすこと。

何だか、今週読んだ「般若心経」がやけにしみる秋の夕暮れであった。
たくさんの翻訳本がでており、以前も「一切は空」などを読んでいるが、今回読んだのは、自由訳私の中では、良寛、老子に続いて三作目。
特に、あとがきでもある「母が遺してくれたもの」がよかった。


般若心経の中心は「色即是空」であると思うが、言い換えると、
色=ドゥーイング
空=ビーイング

見える世界、ドゥーイングだけに焦点を置くと、ビーイングという人間の根源をなすものが虚ろになってくるので人生もむなしくなってしまう。だからどちらも時々振り返り、二つが繋がり、血を通わせること。
そして、空を知った上で、色の世界で一所懸命やっていくのが人生なのだ

私は宗教家ではないが、目に見えるもの以上に目に見えないものを信じて大切にしている。だから私は山に登ったり、第二領域的活動をしながら、仕事をし、FPにチャレンジしつづける。あくまでも自分らしく

「生きとし生ける命を一つ残らず肯定的に捉える考え方の行き着く先で待っているものは、『役割論』である。」と新井満はあとがきに書いているが、「愛と癒しのコミュニオン」などの鈴木秀子さんも、「人間の本分、ビーイングと、現実社会での自分の役割、ドゥーイングの繋がりに意識を向けていかないとむなしくなっていくのではないか。命を与えられた尊さを自覚しながら、一人ひとりにふさわしい役割を発揮していきていくことが大事。だから人生のテーマを考える場合もビーイングの世界にまなざしを据えてこそ充実したものになる。」と言っている。

私は、昔から仏教思想が好きだ。
宗教はよくわからないが、生を充実させるための汲めども尽きない叡智がつまっている人生哲学として親しんでいる。
中でも、誰もが耳にしているであろう最もポピュラーなお経、「般若心経」はお葬式で読まれるからといって、決して虚無的で否定的な内容ではないということは驚きだった。
「彼岸に往く。悟りに至る。旧生命を捨てて、新生命として再生する。」そんなメッセージまで秘められている聖なる経典なのだ

茜空を望む午後6時ころにもなると急に冷え込んでくる。
土曜日というのに、もう遊んでいる子供の姿もなく、稲刈りが終わった田んぼから鈴虫の声だけが響いていた

今日もいい1日でした、ありがとうございました

霜降の夜に、映画はいかが!?

2009年10月23日 | 趣味

こんばんは、aroma@CFP(R)です
(ブログライターを使用したら文字が大きくなりませんでした。読みにくい場合は、右モジュールの「文字サイズ変更」を「」にしてください。)

今朝は寒かった。
車のエンジンをかけるが、窓ガラスが曇って水滴がたまりすぐには発進できない。
運転席に乗り込むと、素手でにぎるハンドルがやけに冷たい。
どおりで、吐く息が白くなっている
あぁ、もうそんな季節か。

今日(10月23日)は、二十四節気の一つ、「霜降」である。
露が霜となって下りるこの時期、我が家の庭木もわずかに色付き始めた。
思い出せば、今年の夏は梅雨明けもなく冷夏で海水浴にも行けなかった。
もとより、試験勉強があったので浮かれている場合ではなかったのだけど、みな口々に「何かおかしい」「農作物が心配だ」といっていたが、ふたを開けてみると、収穫の秋は米も果物も上々

9月から好天に恵まれたお蔭だ
農家でもないのに、玄関先には「ラ・フランス」と「ジョナゴールド(リンゴ)」がコンテナ3つ分も積みあがっている。
最近は週末を中心に、天気がいい。
土日はどこにキノコ採りにいこうかなぁ。

でも去年の10月、宮城の定義観音に行ったときのお札を返しに行きたい気もする。
この1年間に達成したことは、CFP6課目を取りおえて認定者になったこと、あとは・・・
でも、小さくはある意味で毎日が達成なんじゃないかなぁと思った。
きっと生きているだけで「心願成就」
しかも最近は何を食べても美味しく、何をやっても楽しく、夜もぐっすり眠れる

「生きているだけでまるもうけ
たしか、さんまの座右の銘がこれだったと思う。だから、先日ポッキーでデビューしたさんまの娘さんは「いまるちゃん
きっと小・中学生のときとか自分の名前が嫌だと思ったことあるんじゃないかなぁ。だけど、理由を納得してからはきっと好きな名前に変わったんじゃないかなぁ。(←これは全て私の勝手な想像です

ちなみに私は小さいときから自分の名前が好きだった。
ハンドルネームのaromaは、本名のkaoriの意。
だけど、「私と出会った全ての人たちが笑顔になれますように」と、アロマセラピー効果も秘められています。

脱線ついでに、私が創り出すもの全てにCOMME des KAORI」ネームタグを付けて販売したらと言ってくれた大学の同級生は、今年男の子が産まれましたすでに3歳になる女の子もいるのでしっかりパパやってるかなぁ。私のことは、くれぐれも「
kaoriおばちゃん」じゃなく「kaoriちゃん」と呼ぶように教育してよ、と言っておいたのだけれど、電話したとき自ら「kaoriおばちゃんですよ〜」って言ってしまった(笑)

さて、秋の夜長
たまには映画もいいですよね、ってことで、最近見た映画一挙公開です。

きみがぼくを見つけた日
今週末から公開ですが、一足先に見てきました。
「ゴースト/ニューヨークの幻」がお好きな方はどうぞ。
同脚本家:ブルース・ジョエル・ルービンのよる珠玉のラブストーリーです
異なる次元に引き裂かれる恋人たちの切ない運命を描き、アメリカで大ベストセラーとなった純愛小説を映画化。いつも一緒だからといって愛が見えるわけではない。離れれば離れるほど深まる二人の愛の美しさ。時空を超える愛の行方と運命に打ち勝とうとする恋人たちの姿が感動を呼ぶ・・・。
クレアは美人でキュートだった。でもでもでも、最後が納得いかないんです。ここでは言えないけれど・・・


あなたは私の婿になる
こちらは先週末から公開。
「幸せになるための27のドレス」のアン・フレッチャー監督が手掛ける、大人のためのロマンチック・コメディー(27のドレスもラブコメ好きにはな映画です。)
フランスの地下鉄でもこの広告を見た。題名は「THE PROPOSAL」。当たり前だけど、アメリカ映画は世界の映画なんだよね。
ドイツやフランスを走っているとき、携帯でFMラジオを受信して聞いたんだけど、地元の音楽よりも明らかにこちらでいう「洋楽」、つまりアメリカンPOPSが多くかかっていた。だから結構楽しめたんだけど。ただし、さすがにDJが何を言っているかまでは分からなかった

お互いに自分のキャリアを守るため、偽装結婚することになる上司と部下のハチャメチャな週末をユーモラスに描く。ニューヨークの出版社で編集長として辣腕をふるうマーガレット(サンドラ・ブロック)と絶対服従のアシスタント(ライアン・レイノルズ)の歳の差カップルがアラスカの大自然のパワーに導かれ、心を開いていく過程がスリリングで見応えたっぷり


アラフォーバリキャリ女性必見の新婚活マニュアル・・・かは分からないが、身体を張って笑わせるサンドラ・ブロックの演技は見物。そしてちょっといい話に仕上がっています
私は成田からフランクフルト行きの飛行機で小さな画面を前に、一人でゲラゲラ笑って見てました。そして後半は帰りの飛行機でホロッとしました「幸せになるための27のドレス」が好きな人は要チェック。

この他に見たのがこの3作


天使と悪魔
トム・ハンクス主演、515日公開。「ダ・ヴィンチ・コード」も少々分からなかったが、こちらも1度見ただけでは隠された謎はわからずだった。
でもフランスに行く前にピエタなどを少し勉強できてよかった。


 
「ハゲタカ」
2007217日から同年324日までNHKで放送されていた土曜ドラマ「ハゲタカ」は欠かさず見ていたが、映画は機会があればくらいに思っていた。

日本のマーケットに絶望し、表舞台から姿を消した天才ファンドマネージャー・鷲津の元に、かつての盟友・芝野が現れる。中国系巨大ファンドが買収に乗り出した、大手自動車メーカー「アカマ自動車」を危機から救ってほしい、というのだ。日本を代表する大企業「アカマ」の前に突如現れたのは、赤いハゲタカこと劉一華(リュウ・イーファ)。豊富な資金を背景に、鷲津を圧倒し続ける劉ら中国ファンドの真の目的とは
!?

これだけでドラマ「ハゲタカ」を見ていた人はTOB買付けとホワイトナイトが登場したシーンを思い出すのではないだろうか。ドラマの続きの要素もありつつ、玉
山鉄二扮するファンドマネージャー・劉がミステリアスで、でもこれまた最後が「なんで〜」であった


「ナイトミュージアム2
この際なので全部紹介します
真夜中の博物館で、展示品が動き出す、そんな誰もが1度は夢見るファンタジーを映画化した、大ヒット作第2弾。結論から言えば、面白いけれど前作のワクワク・ドキドキ感には適わない

今回の舞台は、世界最大の博物館群・スミソニアンだ。かの有名な巨大リンカーン座像、ロダンの彫刻「考える人」に現代美術、深海に住む巨大なダイオウイカ、ナポレオンにアル・カポネ、野心家のエジプトのファラオ、果ては飛行機や宇宙ロケットまで動き出しちゃったから、さあ大変!前回以上の大騒動を引き起こす。さらに1932年、女性初の大西洋単独横断に成功した伝説の女パイロット、アメリア・イヤハートも息を吹き返す。根っからの冒険好きの血が騒ぎ、刺激を求めてラリーと行動を共にするのだが…!?子どもからオトナまで楽しめる、超エンターテインメント大作!

舞台はスミソニアンだがフランス帰りということでちょっと知った風景もあり、そういう点ではよかった。

この他に、さわりだけだが、
「ターミネーター」「バックトゥーザフューチャー2」を懐かしんで見てしまった。
ふと前の席のドイツ人をみたら「余命六ヶ月の花嫁」を見ていた。へぇ〜それ選ぶんだ


食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋、全部楽しんでます
朝は6時ころにならないと明るくならず、夜は5時前には暗くなり、夏と比べて活動が減るかと思いきや、今日も変わらず図書館でお勉強とエアロビクスで一汗かいてスッキリ。

そんな秋の夜空は美しい。
月はしんしんと神々しく輝き、星は神秘に満ちた煌きを放つ。
虫の声と共に心の奥底までしみこむようだ。
今日もいい1日でした、ありがとう

食の国際化にみる?デポジット制度

2009年10月22日 | 趣味


昨日は高級レストランでフランス料理のフルコースでした。
しかもいろんな種類のケーキをあれもこれもと選んでお皿に盛ってもらって、おまけにウエイトレスが美人ときた。
美味しくて楽しくてワクワク!

・・・そんなでした
お蔭で目覚めはすっきり

こんばんは、aroma@CFP(R)です。
実際の私の胃袋はというと、「高級フレンチ」ではなく、国際食豊か。2日でこれだけ食べました

ネパールのココナッツビスケット・・・素朴な味。ネパールで食あたりを起こした友達はこれだけ食べて過ごしたらしい。
 

ボルネオのSABAH TEA(サバ茶)・・・香りのない紅茶といったところ。イングリッシュブレックファーストのようにミルクを入れてチャイにするといいかも。


ベルギーのコートドールのチョコレート NOIR de NOIR・・・言わずと知れたベルギー王室御用達。1枚がちょっと大きめ。フランスで購入。


スイスのハーブキャンディ Ricola・・・スイスのドライブインに立ち寄ってはいろんな味のリコラを試した。のど飴の中では一番好き。


タイのドリアンチップス・・・ドリアンと聞いて最初はギョっとしたけれど、一口食べたら止められない!分厚目のチップスが食べ応えあり。


インドのクルクレ・・・ビールにぴったり。ピリカラ本格マサラ味!日本円にすると40円くらいです。


ネパールのオーガニックコーヒー・・・ネパールコーヒーは以前一種類しかなかったけれど別の会社も参入したらしい。こっちの方が美味しいかも。

どれも楽しく美味しくいただきました!ごちそうさま
あっ、あと忘れちゃいけないドイツビール
私がドイツに滞在したのは、先月の21日から23日。偶然にもオクトーバーフェスト期間中。今年は9月19日〜10月4日だったんだって。たった今知りました…

だって、オクトーバーフェストってどんなお祭か知らなかったんだもん。
そういえば、ロマンチック街道を走っているとき、隣国の車が多いなぁと思っていたら、「そっか〜!オクトバーフェストだもんね」との声。ん

オクトーバーフェストとは、世界最大のビール祭りで、世界中から約600万人が訪れるビックイベント。1810年から続く、ミュンヘンの伝統的な行事だそうだ。
そうだそうだ、ミュンヘンを州都とするバイエルン州に差し掛かったあたりから急に混みだした
でも惜しかったなぁ。スケジュールがみっちりで、のんびりビールを楽しんでいる暇なんてなかった。それでもランチのときはいつも黒ビールを頼んでたけれど。


これは大学の町、ハイデルベルグで食べたソーセージとザワークラウト、そして本場の黒ビール。文句なしの星3つ


そうえいば先日の山形新聞の海外こぼれ話でこんな記事を発見。
「ドイツ・ミュンヘンで行われた世界最大のビールの祭典「オクトーバーフェスト」では、今年も酔っぱらいによる忘れ物がたくさん見つかった。財布や携帯電話は例年のこと。総入れ歯やトースターには、当局者も「なぜ?」と首をひねる。スタッフらは忘れ物の松葉づえを手に「ビールがおいしすぎて、歩けるようになっちゃったんだろうね」と笑った。(DPA=共同・10/6

それが、それが、日本でもやってるんだって。
しかも、しかも、東北でも仙台オクトーバーフェスト
知らなかった〜。とはいえ、今年はシルバーウィーク中だったわけで。でもでも、来年は行くぞ。

帰りにフランクフルトで買ってきたのがこの2つ。
よ〜く見ると、何やら見慣れぬマークがついている
これは、「デポジット(保証金)」のマーク。つまり、ドイツでは缶ビールにデポジット制度を導入しており、消費者は空き缶を返却すると容器代が返ってくる、というわけ。

環境先進国ドイツでは、さまざまな施策によってリサイクルを推進している。飲料・洗剤・洗浄剤の容器については約40円のデポジットを上乗せすることを義務付け、回収率は90%を超えているとか
また、政策的にもリターナブル(返却後に再利用できる)容器の保護を強く打ち出している。日本では1回の使用で破砕してしまうペットボトルも当然回収され、約30回繰り返し使用されるそうだ。

ヨーロッパの水道水は飲めるけれども、日本と水質が違うのでお腹が張るからあまり飲まないほうがいいとのことで、ずっとミネラルウォーターを買っていた。しかも炭酸ガス入りもある。甘くないスプライトといったところだ。
それにしてもユーロは日本円に換算するとホント高い
おまけにフランクフルトについたばかりのときは、このデポジット制を知らなかったのでなおさらだった。
ペットの水を飲み終えて、休憩のときにドライブインのレジでボトルを差し出してみた。お店で買い物をしないと戻ってこないのかと思いきや、店員さんは「しょうがないわね」って雰囲気で「25セント」くれた。ほほ〜っ
これいいね。日本でも是非やりましょう

ドイツのデポジット料金、参考まで。
1.5?以下の飲料容器:0.25?
1.5?を超える飲料容器:0.5?

現在導入しているのはスエーデンやノルウエーなど一部の国で、意外にもスイスもフランスもやっていない。だからスイスに抜ける最後のドライブインでトライしてみたわけ
ちなみに、スーパーなどでは入り口に返却機械が設置されていて、マークがついているもののみ識別してくれる。出てきたレシートをレジに持っていくと、お店で買物をした分から差し引いてくれるか、現金でも返ってくるそうだ。

このマーク、よ〜く見ると、お城にみえませんか
これは、バイエルン王国の国王ルートヴィッヒ2世(1845〜86年)によって建てられた、あの有名なノイシュヴァンシュタイン城なんです。
トップ画像、何かに似てるでしょ。そう、東京ディズニーランドのシンデレラ城。ロマンチック街道の最後を締め括るこのお城がモデルだったんですね中もとても贅沢な造りでした。

ドイツに行くに当たってすごく興味があったのが、環境問題への取り組みだった。しっかり公園のゴミ箱もチェック

トイレもチェック
 
ドイツ人の律儀さが現れるような美しいトイレは使用料50セント。しかもそこのドイラブインの買い物券50セント分が返ってくる。フランスではこんな気のきいたサービスはなかった。最近トイレの話が多いけれど、そういえば昔のネパール空港は扉がなかった。やっぱヨーロッパ最高。

旅行1日目から夜のもすっかりヨーロッパ調に変わり、帰国後1週間ほど続いたが、最近はすっかり日本の風景。でも美味しいフレンチなら今夜も

あなたが好き=あなたといる私が好き!

2009年10月20日 | 心=ハート


こんばんは、aroma@CFP(R)です


冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも苦しみもあって
私が私になってゆく
(星野富弘)


星野さんの描いたサフラン
暮秋を思わせる、JAF MATE」の11月号より


そうなんだ、昨日流した涙は今日の私をつくる。
サフランが雨の恵みを受けて花をつけたように
「涙のたびに私という花が咲くのですね」というJAF理事の館内さんの投語に、
「君の歩いた道にはきっときれいな花が咲いていますよ」との星野さんの答語。

この掛け合いから二人の人柄と間柄が読み取れる。高校時代からの親友だそうだ。
職場に届く「JAF MATE」のこの連載だけは欠かさず読んでいる私である。

最近ちょっぴり忙しいです
何もない日というのがほとんどない。
休日出勤があったり、残業があったり(・・・は社会人であればよくあることだが)、秋口から研修会が増えたり、勉強会に参加したり、講演会にすっ飛んでいったり・・・。それ以外の日は、週3回の有酸素運動、エアロビと水泳と登山をローテーション
試験関係が全て終われば暇になるから10月くらいからまた
スピーチ講座にも参加しますと言っていたのに、いつ暇になるのやら・・・(だから安請け合いしちゃいけないね
結局のところ、私は自分で忙しくしているだけなのだ。だから「忙しい」なんていっちゃいけない。だけど、たぶん私はずっとこんな感じでいくんだろうなと最近わかってきた。
だって、常に何かをしている
自分が好きなんだもん
でも、「こういう自分が好きっていえるのっていいと思いませんか

誰が言ったか忘
れましたが、
「個人」という単語は「an individual」、つまりインディビジュアルはdivide
に否定のinがついた、「これ以上分けることができない単位」として「個人、個々」を表す
でも実際のところ、私という個人にもいろんな側面があり、いろんな私がいる

同義語に「personal」がある。このパーソナルはラテン語のペルソナから来ていることを考えると、人格は仮面でもある
仮面をつけた個人というと、どうも否定的な意味に捉えてしまう・・・
それは小学校で、「誰にでも同じように接しなさい」と教えられたからか・・・。
だれど、それって間違ってる

自分でいうのもなんだけれど、最近まで私はいわゆる「使い分け」ができない人間だった。(最近もあやしいけれど)どこにいっても「わかりやすいよね」と言われた。それくらい「そのまま」らしい
これらについて、昔、親につっかかったことがある。
AさんはBさんにはこの話しをするが、Cさんには話さない。でもCさんにしか話さないこともある。そして三人揃えば無難な話しかしない。
これっておかしくないか?何のために集まるんだ?
つまり、大人になるとだんだん人は相手によって言葉や態度やスタンスを変えるけれど、いい人ぶってみたり、明るい自分を演出してみたり、それって詐欺だと。
誰にでも同じ顔、同じ話題ができなければ「平等」とは言わないでしょ、と。
延々しゃべったけれどさっぱり分からなかった。困った子供である

早い子は中学生、高校生から、遅くとも大学生、社会人1・2年で相手によって見せる自分を使い分けるようになる。だけど、その使い分けができるようになると、もう彼女は少女ではなく、いっぱしの女になる。
こうして女たちは世の中を渡り歩くのだ。だから女同士の集まりは嫌いだ。(・・・自分も女だった、あはっ(笑))

私はこれまでも、いろんな自分がいる中で、一体自分は誰なんだろう・・・他者を通した目で自分を知るなど、「自分は一体誰なのかという問題提起を何度も繰り返している。
その度に、死ぬまでわからないし、わからないから生きていけるのであり、「自分には『既に全てが与えられている』ということ、そして『全てのことは自分が何かを学び、深まるために起こる』ということを自覚して、常にどう変わるか分からない今を尊く生きることが人生の大事なテーマ」という玄侑宗久さんの言葉を胸に、いずれ訪れる(かもしれない)そのときを楽しみに「聖なる諦め」を持つわけである

個人(individual)はイン+ディバイドだが、ペルソナ(personal)でもある。
やはり人はいろんな側面を持っており、それを意識するかせざるか、また良いか悪いかは別として、少なくとも生きていくうえで、その方が賢く、そして生き易いことは確かだ

誰もがどこかで壁にぶつかり、そこから学び処世術なるものを身に付け、大人になっていくのであれば、小学校で習った「誰にでも同じように接しなさい」という道徳は、BさんとCさんを比べたときにAさんが流した情報量ではなく、あくまでもAさんの内面として、「自分の中で平等であれ」ということではないだろうか。
なんとなく、断る力で得られるものとは・・・で書いた「自分軸」の話にも通じる。

だとすると、その基準は何だろうか
思うにそれは、単純だけど、最も大事な「こういう自分が好き」ということ
つまり、相手によってつけかえるペルソナのお蔭で、自分はその人といると心地よくいられるということ。
ということは、「あなたのことが好きあなたといる私が好き
やっぱり男は顔でしょとイケメン大好きなはずが、なぜかイケメンじゃないその人を好きになってしまった、あなた(笑)
その人といると楽しい、落ち着く、会話が弾む、知らないことをいっぱい教えてもらえる、居心地がいい・・・だから彼が好き、なのではなく、そういう空気を一緒につくってくれる彼が好き、つまり彼といるときの「自分が好き」なのかもしれませんよ〜。

だからindividualが個人という最小単位ではなく、実は自分という個人もいろんな自分に分けることができて、それは相手によっても使い分けるし、場面によっても仮面をかけ替えたりしながら、自分の中に新しい自分を発見し、もっと自分を好きになっていく
そうして自分が自分になっていくのかもしれない


一昨日は朝日連峰に出かけた
紅葉が進み、ブナとナラの木立がまるで京の錦絵を思わせるような、錦秋という言葉がぴったりの風景であった。
出発が遅かったので、朝日鉱泉から鳥原コースを散策した程度で夕方になってしまったが、風の又三郎が登場しそうな北風が木の葉を撒き散らして去っていった
先週登った早池峰は岩手という緯度の高さからすっかり凍っていたが、朝日は初冠雪は終えたものの、まだ行けそうな気配。
朝が遅かったのは他でもない。前日の土曜日は午前中が出勤、午後はみっちりFPの研修会、そして夜は交流会、さらに友達の誕生日会と帰宅が夜中になってしまったためだ。

「それでも、山に行く」と言われそうだけど、
だって、山に登っている自分も好きなんだもん


本日の収穫。
ムキタケ、アカモダシ、ナメコ少々・・・美味しくいただきました。ごちそうさま

生誕100周年記念「土門拳」の世界を奏で、写真を読む

2009年10月16日 | 講演


こんばんは、aromaCFPR)です

今年はあちこちで「生誕100周年」という文句を見かける。
書店ではピーター・ドラッガーのコーナーができていたり、映画館では「斜陽」や「ヴィヨンの妻」が公開される。
不思議なことだが、夏目漱石、正岡子規、幸田露伴などが生まれた1867年と同様に、1909年も太宰治、松本清張、中島敦など文学界にとって「当たり年」だったようだ。
そして、
日本を代表する写真家・土門拳もまた1909(明治42)年生まれである

[
人名辞典より]
日本を代表する写真家。リアリズム写真で知られ、「報道写真の鬼」などとも称される。
1909
年山形県酒田市に生まれ、1916年家族で東京に出る。写真館で働いたのち、1935年「アサヒカメラ」に初入選、名取洋之助主宰の日本工房に入った。対外宣伝用雑誌「NIPPON」などで撮影を担当。1938年には写真が「ライフ」誌に掲載されるなどして活躍するが、翌年、著作権をめぐる争いから名取と反目してフリー写真家となる。1943年第1回アルス写真文化省受賞。
2次大戦後の1950年、木村伊兵衛とともにカメラ雑誌の月例写真審査員となり、リアリズム写真を提唱して戦後の写真家に多大な影響を与えた。
写真集は「ヒロシマ」「古寺巡礼」「筑豊のこどもたち」「風貌」など。

103日、酒田市民会館希望ホールで、オカリナ奏者・宗次郎さんノンフィクション作家・柳田邦男さんを迎えた演奏会と講演会が開催された。
もちろん土門拳にゆかりのある二人である。


オカリナ奏者の第一人者として人気の高い宗次郎さんは、土門を巡る8人のアーチストとしてNHKの番組に出演したとき、室生寺釈迦如来像写真をバックに「慈悲」という曲を演奏したそうだ。言葉で表現するのも難しい慈悲の心をオカリナで現す。土門と宗次郎さんの世界にすっかり引き込まれてしまった
他にも数曲、原爆が投下される前にはきっとこんな空だったのではないかと、土門の戦後のヒロシマを撮った写真と共に澄んだ青空をイメージさせる曲や、もののけ姫の舞台である屋久島のコダマを連想させる曲オカリナという楽器は「ふるさと」など懐かい情景を自然と思い起こさせてくれる不思議な楽器である。
浮世離れした、まるで仙人のような空気をまとった宗次郎さんが奏でる土門の世界に、会場はすっかり魅了され、神秘的な雰囲気に包まれた。
 
ノンフィクション作家の柳田邦男さんは「土門拳の写真を読む〜こども・筑豊・仏像〜」と題して講演した。土門が手がけた作品は大きく分けてこの3つに分類される。
NHK記者として、事件、災害の報道に携わった後、フリーのジャーナリストとして現代人の命の危機をテーマに、病気、公害、事故、医療、戦争などの問題に鋭く切り込んできた柳田さんは、土門の作品から「世の中を見る目」を教わったそうだ。
それは以前取り上げた「「死の医学」への序章」からも読み取ることができる。

柳田さんには人生の選択に大きな影響を与えた2作の写真集があるという。

1作目は、昭和27年8月6日に出版されたアサヒグラグの「ヒロシマ」
戦後7年で初めて世に出回ったヒロシマの悲劇だった。なぜならそれまではGHQの検閲でその事実が隠されており、広島に行った人しか知らない現実だったからだ。そしてそれは高1の柳田青年には大変なショックだった。

2作目は昭和35年1月に出版された「筑豊のこどもたち」
NHKに就職が決まった大学4年の冬、この貧しい炭坑街の写真集に出会い、「記者として見なければいけない現実とは何か」を教えられた。誰からも気軽に手にとってもらえるようにと100円で販売された写真集は、土門の意図もあってと思うが、ザラ紙に印刷され、写真集とは言えないような装丁だったそうだ。
表紙の少女はるみえちゃん。この年で人生の悲しみや残酷さを知ってしまったというインパクトがぞくぞくと伝わってくる。柳田青年はまたしても、この少女が見てしまったものをジャーナリストとして見ていこうと心に誓うのである。

逆境に追いやられた子供の表情の影に時代があり、人生がある。
写真は人間の感性に訴える強い力を持っている。写真を見て何を感じるか、何を読み取るか
昔から読書もしてきたが、人生で最も影響を受けたドキュメンタリーの写真に出会ったことは非常に大きかったと振り返る。また、NHKに就職して最初の赴任地が広島であったことから、自分はこのような現実を一生かけて直視していかなければならないと更なる決意を抱いたそうだ。

土門の作品は決定的な瞬間を捉えた写真ばかりである。今のようにデジカメで連写できる時代ではない。大きなカメラを担いで撮影準備にも相当な時間がかかる中での一瞬である
そういえば以前、何かで聞いたことがある。カメラマンはその一瞬に、たまたま偶然に出会うわけではない。「偶然というのはカメラマンを選んでやってくるのだ」と。土門はカメラの技術はもちろんのこと、偶然を引き寄せる力も持ち合わせていたのではないだろうか・・・

柳田さんは、筑豊炭田や広島の被爆者を写した土門作品を紹介しながら、現代社
会の問題についても語った。戦後復興期の子どもが屈託なく遊ぶ写真もまた土門の得意とするところである。

これらのスライドをうつしながら、「現代の子供たち
はストレスに囲まれている。母親とのスキンシップ(アタッチメント=まるごと受け入れて可愛がること)の欠如がゆがんだ成長につながっている」と指摘した。

土門はまた、優れた仏像の写真を残している。
実は私は作品を見るまで、仏像を撮ることの意味がよくわからなかった。動いているものの一瞬を捉えるのは難しいだろう。しかし、仏像はそこにあり続ける静物である。それを写真に収めるのは記録以外の目的、つまり芸術として実物を肉眼で見る以上の表現が求められるはずだ。そんなことが写真にできるのだろうか・・・

しかしそこが土門拳が土門拳たる所以なのである。まず写真は全て自然光を利用している。そのため被写体がイキイキしている。写真から仏像の線の美しさ、グラデーションといった微細なディテールに気づかされる。
仏像から何を感じ取るか。それは心の永続性であり、普遍性である
何百年という歴史の中で、その仏像を見て感動した人、救われた人があり、そのような歳月の記憶が傷や染みによって表現される。寸目の体一つも重要な文化的な遺産である。そして、柳田さんが辻邦生さんの小説「廻廊にて」の、タピスリーに感動するクライマックスを引用し、緻密な時間を旅していると表現されたとき、私は星野道夫さんの魂を思ったのだった。

即物的な目ではなく魂の目で語りかけることで物事の真髄を見る。書かないことによって物事の本質に迫る。抽象的であるがゆえにこちらが考えさせられる。
単にうつせみとして何年も生きて終わるのではなく、年月を経るごとに深みを増し、その生き様が全うした姿として次の世代や残された家族の中で生きていく。
それが今という時間をどう生きていくかという問いかけに繋がるのではないか・・・

最後に柳田さんは、土門の写真から、人間にとって意味のある生き方とは何かを発見してほしいと語りかけた。

  
もし酒田に行かれることがありましたら、是非土門拳記念館に足を運んでみてください。また山形美術館では「土門拳の昭和」を1210日〜22131日まで開催するようです。

自然に生きる、自然と暮らす「ターシャ・テューダー」最後の言葉

2009年10月14日 | 心=ハート


こんばんは、CFP@aromaです

私にとって「こんな風に生きられたらなぁ・・・」と思うあこがれの人、それは
ターシャ・テューダーTasha Tudor)さんです。
以前、マインドマップ1年生「あこがれの人」ということで、ちょっとだけ紹介したことがあります。(そういえば、最近は全くマインドマップを書いていません。飽きっぽいのかしら

ターシャはアメリカバーモント州でスローライフを営んだ絵本画家・挿絵画家・園芸家・人形作家・創作料理家・・・とたくさんの肩書きを持つスーパーお婆ちゃんです。
残念ながら、昨年618日に92歳で亡くなりました。
私は、哲学者とも言えるターシャの信条、特にライフスタイルが好きで、あんな風になりたいなぁといつも思うのです

ターシャを知ったのは数年前のNHKの番組。ナレーションが女優の斉藤由貴さんなのだが、優しくてとても落ち着く語り口。
なんて美しい庭なんだろう、なんて素敵な女性なんだろう、なんて豊かな生き方なんだろう・・・。そして、私も将来あんな風に生きたい、あんな風に子供を慈しんで育てたい。ターシャの番組や本を見るとなぜか胸がいっぱいになる
それはターシャが素敵な人だからに違いないけれど、ターシャを見ているとどうしても祖母を思い出すから・・・。

私の祖母も花が大好きで、庭にも家の中にもたくさんの花を咲かせていた。料理も得意で、いつも台所に立っていた。
その祖母とターシャの顔、そっくりなんです
色白で鼻が高くていつも髪をきちんとしていて綺麗なお祖母ちゃんだった。
大正生まれなのに女学生時代にはバスケットボールをするような活発な少女だったらしい。そして昔の人はみなそうだが、太平洋戦争から帰還したものの体を患った祖父に代わってよく働いたそうだ

しかし私が中学のときに階段で転び骨折してからは、何かと娘である母が面倒をみるようになり、高校のときには脳梗塞を起こしてそれからは本当に大変だった。同時に祖父まで入院し、大学受験のころは家の中はバタバタ
その後も小さいのから大きいのまで脳梗塞を何度か繰り返し、その度に一人で出来ることが減っていった。介護保険制度が成立した平成12年には早速「
要介護5」と認定され、私が社会人になって数年後に亡くなるまで、家で完全介護をすることとなる。
私も家族の一員として出来ることはしたつもりだが、思うにそれは祖母を抱えて奮闘する母のためだった・・・。
それなのに、私が風邪をひいてしまい、母にうつしたことで祖母に感染し、それをこじらせて高熱を出したことが亡くなった間接的な原因だったと思うと、数年経った今でも悔しくて可愛そうで涙が出てくる
最後の入院をしてからは家族も親戚も毎日病院に通って夕食をみんなで取って深夜帰宅する日が続いた。
しかし母があれだけ毎日病院に通ったのに最期の最後に叔母さんと交代して荷物を取りに帰ったちょっとの時間に祖母が息を引き取ってしまったことは、どれだけ母にとって悔しかっただろうかと思う。
だって10年も介護してきたのに最期を看取れなかったなんて、いくらその背中をずっと見てきた私でも母の胸のうちを本当に理解することはできない

ただ、私なりの解釈としては、きっと祖母はだいぶ前からこの世とあの世の境にいたにも関らず、こちらで看ている母の思いが強すぎて引き止める余り、なかなか逝けなかったのではないかと思ったのだった。
だから傍らを離れたちょっとの間に、祖母はすっとほどけてしまったのかもしれないと

もともと仏教ではこの世に生きていること自体が「苦」であるとしている。
生・老・病・死の4つ全てを「苦しみ」としているが、輪廻の考え方からすれば生まれるとことは前世で卒業できなかったカルマ(業)を背負っての誕生であり、しかも人間は最初からその後に必ず老いや病気や死を抱えた存在であることを単純に考えれば、やはり「生」は「苦」なのである。
それでいて、死ぬ瞬間というのは死んだという自覚がないくらい苦しくないらしいのだ。
「あれ、どうしたんだろう」、「あそこに自分の体があるなぁ」、「もう一度戻りたいなぁ」と天井から見ているのだそうだ。
しかし亡くなった後、お棺の上に刀などを乗せるのは、「もう戻ってきてはいけません」という気持ちを示すためなぜなら、生きていくことそのものが「苦」であるから。
「もう十分苦しんだから現世の苦しみは卒業してください」と断腸の思いでこの刀を置くのである

まぁ、私は死んでみたことはないし、死んだ人しか死ぬことは分からないのだけれど、死んだ人はもう教えてくれないわけで、いつまでたっても謎なのだが、少なくとも葬式というのは死んだ人の供養と言いつつ、本当は残された人のためにあるのだと思う。
四十九日の法要でお焼香をするといつも思う。あぁ、この煙と一緒に、亡くなった人は、魂の分だけが抜けて、あとは量子のエネルギーとなってほどけていくのだなぁと
仏とはほどけた状態。そして宇宙に広がって「空」(くう)に帰るのだ。

そんなことを祖母が亡くなった後、母に話したことがあった。
それはちょうど、交代で祖母を看る病院のベッドの傍らで、私が玄侑宗久さんの中陰の花」を読んでいたためである。

この本から人間の死というものを考え、自分が祖母の死に直面している現実をどう解釈すべきかを探っていたのだろう。
出版されてすぐに母から勧められた本で悲しみから少しだけ立ち直るヒントをもらい、その本から得た私なりの解釈で母も少しだけ元気になったような気がした。
もう、6年前も前のことである

すっかり感傷的になってしまった・・・。
つまりは、それだけターシャを見ていると、祖母を思い出してしまうという話だ。
だから番組を見ていると、それだけで泣けてくることがある。(気が強そうな顔をしていながら、意外に涙もろいんです
まぁ、ターシャに言わせれば、死んでからのことなんてわからないから、今生きていることを楽しんで楽しみは創り出せるものよ

だからこの秋、仙台に「ターシャ・テューダー展」がやってくることを知った時はとても嬉しかった。以前からチェックしていたのだが、なかなか東北での開催がなく、今か今かと心待ちにしていたところ、COOLさんからイベント情報をいただき、実はその時思わず声を上げてしまった
おまけにFP1級試験のすぐ後に開催されることから、勉強の励みにもなった。
COOLさん、ありがとうございました

〔展示会インフォメーション〕
昨年惜しまれつつもこの世を去ったターシャは、アメリカ・バーモント州の村で創作活動を続けながら30万坪と言われる広大な庭でガーデニングを楽しみ、愛するコーギー犬や山羊に囲まれて、生活のほとんどを手作りすると言うライフスタイルを守り続けてきました。
本展では、初公開となる絵本原画や、彼女が日々慈しんで使っていた食器や手書きのレシピ、手作りの人形など約180点を一堂にご紹介します。その中でも注目はコーギーコテージと呼ばれるターシャの住まいを再現したブース。ターシャファンはもちろん、ガーデニングがお好きな方、絵本・人形がお好きな方、スローライフやコーギー犬に魅力を感じる方など、沢山の方にお楽しみいただける、ターシャの魅力満載の展示会です。

早く行きたかったのだが、なかなか時間が取れず、やっと10日に行くことができた
連休中ということ、展覧会が12日までということ、そしてこの仙台展が、昨年3月に銀座からスタートした展覧会の19箇所目、最終会場とあって、KURAXは思った以上に混んでいた。
これまでテレビや本で何度も目にした、ターシャが手作りした品々や、ちょっと汚れたエプロン、お気に入りのドレス、スプーンやお皿や鍋などを並べられると、妙に生々しく、何だか変な気持ちになった。
だってこれら全て、去年までターシャがコーギーコテージで毎日使っていたものなんだから
ターシャもきっと、「あら、はるばる日本で私の道具が展示されているわ」なんて不思議に思って眺めているのではないかと思ってしまった
そうなんだ、ターシャも空に帰ってしまったのだ。

ちょっと落ち込んでしまったとき、何が幸せかわからなくなったとき、頑張っているのに疲れてしまったとき、私は「ターシャ・テューダーの言葉」の本を手に取る。

すると、ターシャの生き方に、考え方にたちまち勇気付けられ、なんて小さいことに捕らわれていたのだろうと気づかされる。

さらに、以前から欲しかった庭の本もコレクションに加わることになり、これでいつでも自然に生きる、自然と暮らすターシャに会えることができると思うと幸せである
仙台での展示会をもって、展示品はアメリカなどの所蔵元に帰るそうだ。良かったね、ターシャ。

きっとこれまで、NHKの番組や展示会を通して、多くの人がターシャの「手作りライフスタイル」に触れ、そこからそれぞれがを描いたことだろう
これから私は、その夢を実現させて、私だけの手作りライフスタイルを確立していくことになる。
私にはどんなコーギーコテージが待っているのかなぁ
また、ターシャが言う、「思うとおりに歩めばいいのよ」って

感動を共有できることの幸せ

2009年10月13日 | 心=ハート


こんばんは、CFP@aromaです

汗をかきたくて夕方はエアロビに直行とばかりに急いで着替えていた今日の帰り際。
新婚の先輩が三連休に東京に遊びに行って、「アッコにおまかせ」の収録見てきたよと話をしてくれた。
こんな私もちょっと前まで、「笑っていいとも」を見にアルタに行ったしていた。
「ルミネザよしもと」に通ったり、ディズニーシーやUSJなど新しいものが出来るとすぐに出かけるようなミーハー娘だった
しかし今はあまり興味がない・・・。
やっと落ち着いてきたのかは知らないが、数年前まで目先の楽しさばかりを追って浅はかだったという言い方もあるかもしれない。
しかし、きっと当時の私はその時の精一杯の感性で遊びつくしたのだろうし、だからこそ記憶のどの断片を輪切りにしてもこれ以上ないくらいの楽しい時間だったと心底思える。そしてそこから繋がる今という時間は、自分の選択の結果であり、やはり幸せな時間なのである

当然、私も先輩と同じテンションで早池峰に登ってきた話をした。
すると、「同じ趣味の友達が見つかったなんてすごいじゃん。登山する人なんて珍しいから。大切にしなきゃね」と言ってくれた。
なるほど。確かに私の趣味に付き合える人は相当珍しい。
親しくなるとつい当たり前になってしまい、付き合ってもらっているという感覚を忘れてしまう。趣味云々の前に、むしろ私のような適当人間に飽き足らず付き合ってくれることの方がよっぽど珍しいのかもしれない。
そう思えば思うほど、友達の存在というのは有難いものだ

先日、倉本聰さんが講演の中でこんなことを言っていた。
「創作」という単語は、「創」も「作」も同じ「つくる」に違いない。しかし、「創」は、お金がなくても気持ちでつくることができる。一方「作」は知識とお金の両方でつくる。
その大きな違いは、「感動」を与えることができるかということ。「創」にはそれができる。
例えばレトルトカレーは「作る」であるが、母親が愛情かけて手づくりしたカレーは「創る」なのだ。
そして倉本さんには密かな楽しみがあるそうだ。
「将来自分が死んだとき、自分の葬式を天井裏から覗きたいという夢がある。
天井裏から葬式に来た知り合いを眺め、『おっ、あいつもきてるか』、『なんだ、あいつは香典これしか持ってこないな』、『あいつは悲しい振りをしているだけじゃないか』、と自分が本当はみんなにどう思われていたのか知りたい。
でも中には『あんなに憎まれ口たたいてたのに本気で号泣しているよ、あいつ』・・・。でも、そこで気づいた。そんな風に言ったところで、もう自分の隣には誰もいないのだということを・・・それは虚しいことだということを・・・」
人間は動物と違って、唯一「感動を共有できる」生き物なのだというジョークであった

一人で登る山もいい、一人で旅行する風景もいい。
だけど、もし、同じものを見て、同じものに感じてくれる人があるのであれば、それ以上に幸せなことはない。
きっと新婚の先輩はそれを今感じているのかもしれない

「自分の幸せを考えるのはいわば人間の一つの本性で、だからそれはそれでかまわないけれど、同時に他人の幸せをもあわせて考え、人と人がつながって成り立つこの世の中が、すこしでもゆたかになるようにと願うその思いの中に、人間として真に充実した日々が生み出されてくるのではあるまいか。
どんなことでもよい。どんな一隅にあってももよい。やっぱり、人につくし、世につくし、自分も幸せなら他人も幸せ、そんな働きをしてみたい。そんな支えになってみたい。」
(松下幸之助・新「道をひらく」より)




宮沢賢治もそんな風に本気で思ったんじゃないかなぁ。
「世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない。」 って。


成田からドイツに向かう飛行機で、松下幸之助を読んでいた。大元の方は友達に貸しているので、新の方である。
ふと、もしかしたらドイツ・スイス・フランスでも68
億分の1の確立で「袖ふれ合うも多生の縁」があるかもしれないと思ってしまった。言葉を超えて国境を越えて、そんな風に思っただけでもワクワクしてしまう
実際、ドイツ人は実直で日本人の気質に似ており、フランクフルトで道を尋ねてた時も非常に親切に案内してくれ、大変気に入った。
フランスのレストランでは陽気なボーイさんに散々遊ばれたが、「可愛いねぇ」と言ってくれたので許す!としても(笑)、パリのスーパーでお土産にワインを買おうと手に取ったところ、「それは美味しくないから止めておいたほうがいいよ」と教えてくれた人もいた。
袖ふれ合うも・・・などとこちらが思っても、ヨーロッパの人にはそんな感覚はあるのかわからないが、人間関係においてお互いが素直に心通わせることができたのならギスギスすることもないのに・・・と思う。

確立は下がるが、1億2千万分の1の確立で成田からのJALで隣に座ったご夫婦は念願かなってのドイツ周遊だと話してくれた。私と友達はチェックインが遅かったため、席が離れてしまったのだ
そのご夫婦は窓側の私に、機内サービスで何かと気を回してくれたり、トイレを心配してくれたり、逆に私も窓を明けていてまぶしくないかなど気遣いながら、たわいもない話をした。
いよいよフランクフルト入るころになると何だか別れがたくなってしまい、それなのに最後に「良い旅を」と言いそびれたことが悔やまれてならなかった。
それが帰りの成田行きを待つカウンターで、また再会したのである
「あら〜」と言いながら、どちらからともなく握手してしまった(笑)
お互いずっと天気に恵まれ、好きなワインを楽しんできたことなどを話し、帰国したかのように心がホッとしてあったかくなった
「これでまた隣になったらどうする〜」なんておばさんが言うから、「もうそれはご縁ですねぇ」なんて返したけれど、帰りの席は同じ並びではなかった。
本当はすでにご縁があったということは間違いないのだけれど。

秋の夜は静かである。静かだからいい
またもや有難い気持ちでいっぱいになってきた。
袖ふれあった人にも、いまだ袖ふれあわざる人にも、今日もいい日でした。
おやすみなさい&ありがとう

身近な環境問題〜山のトイレ事情〜

2009年10月12日 | 自然

こんばんは、CFP@aromaです。
10月の三連休もあっという間でした。
シルバーウィーク前までは半袖でも過ごせたのに、旅行から帰ってきたらすっかり秋。
蔵王山なども紅葉が終わってしまったように、朝晩の空気は冬のにおいすら感じます。私は一年を通して、夏が一番好きだけれど、「北に住む人」がなぜ幸せかというと、それは、「春になる喜び」を誰よりも強く感じられるからだと思います
それは長くて厳しい冬があるからこそ・・・。
また、がやってきますね。

今日は身近な環境問題について考えます。

〜山のトイレ事情〜
私は小学四年生のときから登山を始めたが、最近までトイレが自然環境を破壊するなど考えたことはなかった。山に行ったら自分のゴミを持ち帰る、例え自分のゴミでなくとも見つけたら拾う、というのは常識として教わったが。トイレについて問題にならなかったのは、まだそのころ登山人口も少なかったためかもしれない。だから、高校でも大学でも、夜はゴソゴソとシュラフから這い出しテントの周りで満天の星を一人占めしながら青空トイレを満喫したものだ

近年、山に登る人が増え、中高年だけでなく若いカップルも時々すれ違うようになった。国民の10人に1人が山に登っているというデータもある。
私は先週も今週も山に行ってしまうくらい山好きだが、登山者が山に入ることでいろいろな問題が発生しているのは事実だ。

まずは、体力維持のためのアメやチョコなど行動食を食べた後に不意に包み紙を落としてしまうことがある。ご飯や果物を食べた後にはたくさんのゴミが出てしまう。そして木陰に隠れてトイレを済ました後のトイレットペーバーが散乱する。
また、夢中になって高山植物などの写真を撮るあまり思わず植物を踏みつけてしまうことがある。
さらに、たくさんの登山者が同じルートを通ると道が崩れて歩きにくくなり、それを防ぐために少し大回りして登ればそこに生えていた植物が踏みつけられ登山道は際限なく侵食する。

これらは人が山に登ると必然的に発生するものであるが、どれをとっても自然に対しては何らかの影響を及ぼしてしまうことは間違いない。おそらくそれは「悪」影響であろう。私を含め山に登る人はみんな自然が好きで来ている。そのことを思えばとても悲しいことである。
こと、し尿処理については山小屋の管理人の苦労は耐えない。排泄行為は、人間の生理現象なので登山者にとっても深刻な問題だ
普通、青空トイレでそのまま放置された場合、無数のバクテリアによって分解され、1週間ほどで跡形もなくなる。しかしこれはあくまで下界の話である。山では標高が高いため、バクテリアの働きが鈍く、数も少ないため、排泄物を分解するにも限界がある。
それでも登山者が少ないうちは自然浄化で分解が間に合っていたかもしれない。しかし、これだけの人が山に入れば、当然、自然の力だけで処理しきれるはずがない。
処理しきれなかった排泄物はどうなるかというと、悪臭を放ち、雨水によって、または地下に浸透して、下界の沢へ流れ出る。現にいくつかの沢では大腸菌が検出されている。これは大変なことだ。生態系にも悪影響を及ぼす
山を歩いていると水の流れる風景というのはとても美しく、心和むものだ。思わず「綺麗な水〜」と手ですくって、「美味しい〜」と飲んでしまうところだが、それは昔の話。今は湧き水しか恐くて飲めない。山の水が綺麗だ、などというイメージは今では幻想でしかない。

これらのトイレ問題に関しては近年、多く関心が寄せられ、日本各地で取り組みが始まっている。
私の記憶が正しければ、2005年に開催された「愛・地球博会場」ではゲート近くに「バイオトイレ」があった。仕組みはよくわからなかったが、とにかく環境にいいトイレなんだなと早速入ってみたものだ。そうそう、愛知万博は至るところに自然との共生をテーマにした最先端技術のパビリオンがあった。
今頃調べてみる・・・
バイオトイレは、汚水を微生物の作用で無臭の透明水に変え、再利用するバイオ浄化循環トイレシステムで、汚水を汚水ピットに貯め、次に、微生物を大量増殖させた大型タンク内の処理槽で有機物を分解し、においの元となる窒素などを除去する。この後、ろ過膜で大腸菌や不純物を取り除き、最後にオゾンガスで殺菌。約2日間で汚水の浄化は終了し、トイレの洗浄水等に再利用する。万博期間中の半年間で、約1千トンの節水が期待されるという。

なるほど、確かにバイオトイレはすごい。しかし、山小屋のトイレの設置は経済的な負担が大きすぎる。多くの山小屋はボランティアで運営されているのが現状だ。しかし、いまや山のし尿処理問題は緊急課題で、地方自治体や国の行政機関、民間の活動にも現れてきている。

さて、対策として最も有効なものは何であろうか
やはり一番は、登山者一人ひとりが、「自分が持ち込んだものは自分で持って帰る」という当たり前のことを全てにおいて実践することだろう。
それが「簡易トイレ」である。

私がこれらグッズに出会ったのは、遅まきながら去年の7月。
誕生日旅行で行った北海道の利尻・礼文であった。利尻島も礼文島も環境保護については大変進んでいるという印象を受けた。レンタカーを借りに行っても、ペンションで受付しても、利尻町のホームページを見ても、自然への配慮を旅行者一人ひとりに呼びかけていた。
利尻山のルール
1:携帯トイレを持参して登ろう!
2:ストックにキャップをつけよう!
3:植物の上に座らない、踏み込まない!

利尻山は携帯トイレの普及率世界一の山だそうだ。登山コースには数箇所、携帯トイレを使用するトイレブースが立っている。そして、そこで使用した携帯トイレはブースにおいていってはいけない。登山口の回収ボックスまで持ち帰らなければならない。利尻ではこの携帯トイレをコンビニでも宿泊施設でも販売していた。
  

ストックについても徹底していることに驚いた。比較的脚力の弱い女性はよくストックを使って登山するが、これも登山道の侵食・登山道の周りの植生へ影響を及ぼす原因の一つなのだ。

私の愛用の「LEKI」も当初はゴムのキャップがついていたが、しばらくすると取れてなくしてしまった。だから登山前に利尻のペンションで1個300円程度でキャップを買ったのだった。

さて、昨日は、岩手県の早池峰に登った
早池峰についてはエーデルワイスが咲く美しい山だと聞いてはいたが、別の情報も得ていた。眺望の良い、とても綺麗な山なのにトイレが非常に汚い。平成8年に登った時の様子は、山頂小屋の周りはトイレットペーパーだらけで臭くて汚くてとてもいられない。トイレがあるのだが、それが汚すぎて誰も入らず、どんどん周りにするので、せっかくの美しい風景が台無しだとのことだった
山頂にトイレがあること自体珍しいのだが、トイレがあると「念のため」と入ってしまうのが人間の心理である。むしろ山にはトイレはないほうがいいと思うが、早池峰という山は岩山で木々がなく登り始めるとすぐに開けてさえぎるものがない。つまり眺めがいい分、トイレをしたくても丸見え・・・という事態なのだ。これは女性には深刻である。

今回は携帯トイレを持参した上で、登り始める直前にトイレを済ませると共に、水をほとんど取らないことで何とか間に合った。最もヒョウが降るほと寒くて水を飲む気にもなれなかったのだが・・・。
10年以上経って早池峰の山頂はどうかわったのだろう。
  
山頂に携帯トイレが売っていた。1個350円。男性用ボトル500円。そしてその左側にトイレブースがある。
周りには、トイレットペーパーは落ちていなかった。なんだか安堵した・・・

山のトイレ問題には、行政側の制度的な問題、山小屋の管理の問題、登山者自身のモラルの問題がある。だから改善策としてはそれぞれからアプローチの仕方があると言える。でも最終的にはそれら全部の繋がりでしか問題解決には至らないのであろう。
結局この話はトイレだけに留まらない。身近な例を取り上げると自分の問題として認識できる。つまりはここからだ。
きっかけは何でもいい。何かひっかかったことから自然について思いを馳せることは大事なことだと思う。
登山が大衆化されたことによって、たくさんの団体客が旅行気分で山に入るようになった。軽い気持ちで適当な装備で下調べもなくやってくる人が増えた。
山への畏敬の念を忘れることが大きな事故を招く。
自分も含めて、より一層自然への関心と理解を深めていくことが必要だ。自然と共存する、自然と繋がる、言葉ではかっこいいが、まずは登山者の意識を変えていかなければならないと思った、利尻山から続く今回の早池峰登山であった。

Stay Hungry,Stay Foolish!

2009年10月07日 | 読書

こんばんは、CFP@aromaです。
昨日はこの挨拶を書き忘れましたが、試してみたところ、Googleで両方のキーワードを入れるとトップに検索されることがわかりました。
「だからどうした」ってもう一人の自分が言っています(笑)

先日ブランディングについてモヤモヤとつぶやいてしまいましたが、ブランディングは自分のためにするよりも(最終的にはそうであっても)、他人と差別化をはかり自分を選んでもらうために必要なんだと思い直しました。書籍としては「スピード・ブランディング―普通の人がブランドを確立し、成功を加速させる」や「パーソナルブランディング 最強のビジネスツール「自分ブランド」を作り出す」など多数あります。まだ読んだことはありませんが・・・。

昨日は珍しくこんな本を読んでみました。

林信行著スティーブ
ジョブズ 成功を導く言葉
この中から的確な言葉を引用すると、
「People don't have time to choose everything in their lives.

情報が過多になり、人々が日々受け取る情報に圧倒されている世界では、ブランドがさらに重要になる。「人々には、日常生活のすべての事柄について選別している時間はない。」ブランドは、その選別を助けてくれる。

なるほど。電気屋さんにパソコンを買いに行くとき、携帯電話を選ぶとき、大量に並んだ売り場からソレに決めるときを想像すれば簡単だ。
1998年にアップル社の経営者として復帰したスティーブ・ジョブズが真っ先に取り組んだのはブランドの立て直しだったというくらい、ブランドづくりは重要課題なわけだ。
ちなみに私はiMacもiPodもiPhoneも使っていません・・・
が、ジョブズに興味を持ったのでこの本を手にとってみました。
そのきっかけはbookwormさんと同じく、シカモアさんがジョブズのスピーチをしていたから。それがとても印象的だったから
それに、くしくも?昨日はリンゴの話だったのでアップル繋がりってことで(笑)
実は私にとって経営学は政治学と同じくらい興味がないのですが、
お蔭で「これって面白いかも」という最初の一歩をいただきました。ありがとうございます。
最近ではユニクロの柳井さんや京セラの稲盛さんなども覚えましたし・・・。ドラッガーにはまだ手をつけていませんが、とにかく今年ビジネス書コーナーに立ち寄るようになってから、カタカナ語と経営者の名前だけはどんどん入ってきますね。

さて、掲載されているジョブズの50の言葉の中で一番良かったものは、やはり、
「Stay Hungry,Stay Foolish」
「ハングリーであれ、バカであれ」ですね
ジョブズを知りたければ、2005年にスタンフォード大学の卒業生に贈ったスピーチを無視することはできません。

1.未来の自分を信じていろいろなことを試していれば、やがて、そうしたバラバラの点が一つに繋がっていくという話。
2.自分が本当に好きなことを見つけて、それに打ち込み続ければ、辛い時期があったとしても、やがて報われることがあるとする「愛と喪失」の話。
3.いずれ訪れる「死」と向き合えば、何も失うものはないという気持ちになり、世の中で本気で勝負していけるという話。

スピーチはこの3つからなり、最後に「Stay Hungry,Stay Foolish」で締めくくられる。
ジョブズについて私が取り上げるのは「らしくない」と思うけれど、これはぜひyoutubeでどうぞ

Apple創始者・スティーヴ・ジョブスの伝説のスピーチ(1)
Apple創始者・スティーヴ・ジョブスの伝説のスピーチ(2)
もう一つ、印象的な言葉は「もし、今日が人生最後の日だとしたら、今日これからやろうとしていることをやりたいと思うか。」である。
これについて毎日、今日が人生最後の日と思って暮らすことはなかなかできないけれど、たまに自問自答するくらいはできるかもしれない・・・。
ジョブズは17歳のときに出会ったこの言葉に影響され、それ以来毎朝自分に問いかけているという。それを実践している裏づけとして、現在の妻であるローレン・ジョブズとの馴れ初めがある。

ジョブズが大学院で講演をしたときにたまたま隣に座ったローレンと意気投合し、その場で電話番号を交換した。講演の後、ミーテングのために大学を去ろうとしていたが、駐車場で立ち止まって考え直した。
「これが地球最後の夜だったら、ビジネス・ミーティングをして過ごしたいか?それともこの女性と過ごしたいか?」
ジョブズは決断し、駐車場の反対側にいたローレンを夕食に誘うと、彼女の返事は「YES」。それ以来ずっと一緒にいる。

へぇ〜気性の激しいことで知られるジョブズであるが、こういう人間味あふれるエピソードを聞くと、自分もアップル狂とまではいかなくとも、ジョブズの純粋さという個人のブランドで、これからアップルを選ぼうかなぁと思ってしまう出会いでありました

秋の夜長は読書に限りますなぁ
昨日も図書館リクエストしてきました。
ビジネス書はSBC読書会の課題図書以外即買はしません。図書館で借りて気に入ると購入して手元においておきますが・・・。でないと、
本は凶器 本本本本本本本本本本 本の雪崩

これは冗談ではない。歌人の道浦母都子さんの阪神大震災の歌である。書物を詠んだ短歌のなかでは異彩を放つ一首だ。
先日もスマトラ島で大地震があったが、何が凶器になるかわからない。
自然から見れば人間なんて本当に小さなものだ
明日は甚大な被害を出した伊勢湾台風を彷彿とさせる非常に強い台風18号が紀伊半島周辺に上陸するとみられている。全国的に大雨や暴風、高潮などによる被害が出る恐れもあるそうだ。今は稲の収穫時期である上、ラ・フランスやそれこそリンゴなどの農作物への被害も心配だ。
私もスポーツクラブのインボディ測定と美容院を予約していたが、うろうろしていないでさっさと帰るべきかも
気づけば9月はスポーツクラブに3回しかいけませんでしたさすがに試験だったり旅行だったり忙しくって。そして食べつくしたヨーロッパ今日も同期とイタリアン
ということは当然ウエイトが・・・試験が終わったら
美しくなる予定だったんだけど・・・
これから頑張りま〜す。
皆様、明日は家庭の備えは万全にお願いいたします。

食欲の秋・読書の秋に「山月記」

2009年10月06日 | 趣味


日常に戻ると、なんと1週間が短いことか
あっという間に週明け。
スーツケースはやっとたたんだ。
しかしお土産はいまだテーブル1つ分広げたまま。
大量に買ってきたお菓子とパンは配ったりおやつにしたりして、着々と減ってきているけれど、まだ手をつけていないのはお酒ドイツビール、フランケンワイン、フランスワインもある。税金を取られずに日本に持ち込めるギリギリ量を詰めてきた。
自分へのお土産はというと、気づけば紙モノばかり。ロマンチック街道やマッターホルン、モン・サン・ミッシャルの写真ハガキやパノラマ、ノイシュバンシュタイン城の歴史の本、オルセー美術館とオランジュリー美術館の絵葉書と日本語のガイドブック・・・、また本棚が増えちゃうなぁ
私も友達もショッピングという柄ではないのでパリでお買い物はしなかったのに、なぜかお土産だけでスーツケースの半分は埋まっていた。そりゃ20キロ越すわ。
飛行機は基本的にスーツケースのお預けは1人1つ、20キロまでとなっている。中でもエール・フランスは厳しいことで有名20キロちょっと超えても追加料金を取られる。特に新人さんに当たるとちょっとのオーバーも見逃してくれない。
そういう場合は、カウンターで荷物を広げて20キロ以下になるまで取り出すか、お金を払うか・・・。ただしここで汗って重いものからとワインのビンなんかを取り出してはいけない。今度は手荷物検査場で没収されるからだ。
久しぶりの国際線で驚いたのは、液体物は100ミリリットル以下を10本までしか持ち込めないことである。歯磨き粉やマスカラや目薬などは鞄から出して透明なジップロックに入れなければならない。
おぉ、厳しくなったなぁ。
もちろんライターやスイスで買った小さいアーミーナイフも持ち込めないから全部スーツケースにしまうこと。
では、「Bon Voyage

今回は、フランスのシャルル・ド・ゴール空港からドイツのフランクフルト・アム・マイン空港まで国内線扱いでエール・フランスに乗ったが、私のスーツケースはその時点で20・7キロだった軽量でヒヤヒヤしたが、優しそうな男性係員を選んだので正解見逃してくれた。
その後フランクフルトでもお酒やお菓子を買い足したので、ちょっとした段差にスーツケースの足が取られ、帰国早々、京成とJRの乗り換えにヒーヒー言ったのは言うまでもない。この大量の荷物をやっと整理した日曜日であった。

といいつつ、週明け会社で言われた。
「また休みにどっか行った
え?何で分かった?と思ったら、
「車のタイヤ泥だらけだったから。いまどきその辺走っても泥なんかつかないからねぇ〜」
シマッタ・・・
えぇ、当然山に行ってきましたとも帰国して初めての休日にもかかわらず・・・。
だってFP試験が終わって旅行行って帰ってきたらいつの間にか秋山シーズン到来なんだもん。まずは様子見に行かなきゃ。
近場の山ではナラタケが最盛期。このキノコは見た目はあまりだけど本当に味がいい。キノコ汁にすると最高
秋の味覚、リンゴも収穫してきた。
もぎたてのリンゴをその場でそのままかじる贅沢といったらない。ジューシーで甘くてバリッした歯ごたえ
そういえば、旅行中もリンゴを食べたあちらでは普通にコンビニやコーヒーショップで青リンゴが一つずつ売られている。確か50〜80セント程度だったと思う。
スイスのジュネーヴからフランスのリヨンに向かう新幹線TGVで配られた朝食のランチボックスも、サンドイッチとオレンジジュースと青リンゴだった。
また、フランスでもオルセー美術館前の小さな売店で見つけたし、ドイツでも同じような堅い青リンゴがフルーツポンチになってバイキングに出ていた。
私が旅行先で必ず立ち寄るのはスーパーマーケット。食材を見るのって何でこんなに楽しいのかしら
  

 
スイスのジュネーブ駅中にある小さなスーパーで

パリのデファンスにある大型スーパーで

食事は本当に何を食べても美味しかったけれど、サラダや果物は日本のほうが美味しかったなぁ。
というのも、向こうではもともと生野菜は食べないらしく、ホテルでも朝からサラダが出るところはほとんどなかった。昼と夜は前菜で出ていたけれど、それはどこにいっても日本人が「サラダ、サラダ」というから日本人向けに用意されているらしい
また、果物については日本では品種改良して甘くジューシーにしているのに対し、ヨーロッパでは在来種をそのまま育てているため、リンゴは水分が少なく酸味が強いのが特徴であった。


日曜日にリンゴをもぎに一緒に行った友達はネパール帰り
「そういえばネパールでリンゴを植えている日本人に会ったよ」と言っていた。
ネパールでのそれはまるで、「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。」である
この言葉、結構お気に入り。もともと誰が言ったのだろうと疑問に思っていたところ、どうやらドイツの宗教改革者のマルチン・ルターらしい
リンゴとは比喩であるが、
ノンフィクション作家・柳田邦男さんは、「死を受容した立場にある人々にいかに生きるか」という答えを与えたと述べている。そして死とはその人の人生がインテグレード(集積)されて出てくるものではないか」という言葉に繋がる。
死の医学への序章」に感銘を受けた私。ついに土曜日には酒田まで足を運んで柳田さんに会ってきたこれは後にご報告。
先日読んだ開高健さんのフォトグラフィにも同じ言葉が記されていたので嬉しくなった。ただし開高さんらしく言葉を変えて「たとえ地球が明日滅びるとも貴方は今日林檎の木を植えます。ほんとかね・・・」にはドキッとさせらた。
この言葉も「ハチドリのひとしずく」と同様のメッセージ性を帯びており、地球のために未来のために、「今、自分に出来ること」を考えさられる・・・

さて、土日のドライブのお供にしていたのがこれまたシブイ、中島敦の「山月記しかも江守徹さんの朗読で
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」
これ高校で習ったね、という程度のおぼろげな記憶。
だけど、今回聞いてかなりのヒット即リプレイ。中島敦の珠玉の言葉たち、暗記したいくらいだ。
ファンタジーとしても普通に面白いが、「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為・・・心に染み渡る作品だ
詩人になりそこなって虎になった哀れな男・李徴を主人公とする「山月記」は、現在も高校国語の人気教材で、唐代の伝奇小説「人虎伝」を素材にしているらしい。

荒唐無稽な古典を換骨奪胎、見事な近代小説に生まれ変わらせた才知から、中島敦は芥川龍之介の再来だとさえ言われた。喘息のため33年という短い生涯を終えたが、心ならずして虎になった男の話でデビューし、逆に意志を貫き、天下一を通り越して弓自体をも忘れてしまった男の話「名人伝」を最後に1年足らずの作家活動を閉じている。
この全く対照的な2編の寓話のもつ幅の中に、中島敦のヒューマニズムがあった。(解説:勝又浩)

この「名人伝」もかなり面白い私の好きな「十牛図」を思わせる。あるいは、老子の「道」的な無為無我、悟りの境地である。
もう一つ、世界の悪意というべき牛人も怖〜くて面白い。
中島敦は天才だ

いい言葉はたくさんあるけれど、ここだけ引用しよう。(山月記より)
「どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」

オーディオブックは今でこそFeBe
などがあるが、私は小さいころから目より耳からの情報が得意だったので、江守さんには高校の通学路で大変お世話になった。シェークスピアでドキドキしながら自転車を吹っ飛ばしていた。あの頃から・・・あまり変わっていない・・・かもなぁ

無為自然を語りつつ、人生とは無数のバカ騒ぎだ

2009年10月02日 | 趣味

こんにちは、CFP@aromaです。 (@の後って、本来ならば場所とか会社とかがくるはず。最近はあいまいだけど、HNは前なのかなぁ・・・) 「今週の金曜日は立川志らく・志ら乃親子会だからダメなの〜」って断りつづけて、今朝気付いた。あれ、10/1(木)昨日だったじゃ〜ん・・・なんと落語会は昨日でした。 私としたことが・・・ スケジュールを1日間違えて手帳に書き写してました。ガックシ 「そんな過ぎたことを。あの大江健三郎だって講演会を1日間違えるんだよ」無駄に慰めてくれてありがとう。 そうそう、大江健三郎さんのついうっかり 日取り勘違いし講演に姿見せず(山形新聞)は話題になった。うちの家族が講演会に行ったので、主催の「シベール」のスタッフおよび井上ひさしさんの焦りようといったら聞いてて可愛いそうになるくらいだった。 勘違いの後日談も交えて 大江健三郎さん山形で講演(山形新聞)も必見 ノーベル賞受賞者が、しかも講師でありながら間違うんだから、「私としたことが」というより、「私だからやっぱりな」と言うべきかな 明日は、土門拳生誕100年記念事業としてオカリナ奏者・宗次郎さんとノンフィクション作家・柳田邦男さんを迎えた演奏会と講演会がある。 さらに図書館の返却期限も迫っていて、帰国早々、片っ端から積読本を読む毎日。本当は旅行の整理をしなきゃならないのに、「捨てる」よりも早く「新しい情報」が次々に入ってきます 新しいことを一つ始めるよりも余分なことを一つ減らしなさい 有益なことを一つ始めるよりも無益なことを一つ減らしなさい (「老子」新井満・「引き算のすすめ」より抜粋) 足し算はたやすいが引き算は意外に難しい。本を読み、インターネットで検索し、講演を聴き、新聞を読み、テレビを見、ラジオを聞く・・・日々賢くなっている、ハズ。そんな自分も確かに好き だけど、大量の知識に縛られれていつしか自由がきかなくなり、身動きがとれなくなる。そんな頭でっかちな自分は嫌い 自分のことはよくわからないから、身近な人を思い浮かべてみる。いろんなことを知っていて頭はよさそう。だけど話が観念的で難しく理屈っぽい。結局知っているだけで行動が伴っていない。知識がありすぎて余計慎重になっているのではないか。誰かのことじゃなくて、これってもしかしたら私のこと 今回、旅行中に思った 例えばガイドさんに、「○○はどうなんですか?」と質問したいとする。

そのとき私はつい、どこからか引っ張ってきた知識を自分の考えにして「AはBだから、○○はCだと思うけれど、結局○○はDなんですかねぇ〜?」これではガイドさん、私が何を言わんとしているのかなかなかつかめない。そして再度、「つまりは、・・・」と言い換える。 私の話って長くて面倒なのかも・・・、知らなかった 1対1で会話を楽しむ場面ではそれも雰囲気としていいかもしれないが、聞きたい対象がある場合には余計な知識や考えは無駄である。 さらに、一緒に行った友達は目にしたものを感覚的に話す。「前パリに行ったとき、エッフェル塔がシャカシャカしてたの。スッゴイ綺麗なんだよ〜」 シャカシャカって何だ?エッフェル塔から何かビームでもでるのか、踊りだすのか、いろんな想像をしてしまう・・・ 私以上に他の人は意味がわからない様子。私なら、正確に伝えようと言葉を選ぶのかもしれない。「夜の決まった時間になると、エッフェル塔が数分間キラキラと点滅するんだよ」程度に。これってつまらないカモ。賢そうなフリをしてちゃんとした言葉を使おうとしているのかなぁ。聞くことも大事だけど、話すときは、相手とタイミングと場所と内容で、言い方を変える工夫が必要なんだね。エッフェル塔のシャカシャカ、綺麗でしょう              (↑この手は誰のだきっと広場にいた外人さんのに違いない、ムムム) では、膨れあがった知識を減らしていくとどうなるか 最後には、「無為自然」という老荘思想における中心的概念にたどり着くのかもしれない。作為を持たず、自然に任せる。何ものにもこだわらず、あるがまま自然に生きられるようになる。これが「道(タオ)」に目覚めた人の生き方昨日は、「道」と「空」は似ていると書いたが、これって「良寛」の我の放下ではないか。 私はもっと未知なる自分を知りたいし、まだ引退する身ではないから「内」よりも「外」に生きたい。だから旅行もいっぱいする 晴れの日もあるし、雨の日もあります。だけど、 額に朝陽、心に冒険、左のポケットに釣針、右のポケットにナイフ、両足に熟しきった力。 (開高健「オーパ、オーパ!!小舟にて」) LESS IS MOREはやっぱり私にとって、我の放下だけでなく、我の昇華とのアウフヘーベンであるべきなのだ さぁて、週末も遊ぶぞ〜